プロローグ
――耳鳴りがやまない。
何が起きたのかはわからなかった。
辺りは粉塵で白く染まり、状況を把握することもできない。
茫洋とする意識、明滅する視界、酔ったかのように吐き気も酷い。
不自然に曲がる右脚が、認識するとともに痛みを増していく。
それでも、自分が最も大切に想う少女を探す――いない。
激痛に顔を歪ませ、這いずり探し続ける――どこにもいない。
何も見えない真っ白な景色の中で、巨大な黒い影が立ち上がった。
巻き上がる突風により、粉塵が吹き飛ばされ辺りは明瞭さを取り戻す。
「嘘だ……なんでだよ……」
立ち上がったのは、皆で力を合わせて退けようとした鋼鉄の巨狼、“砲狼”。
足りなかった……。
情報も、手段も、時間も、知識も、思考も、何もかも。
及ばなかった、至らなかった、やれると思い上がってのこの結末。
たまたま一度だけ上手くいったからと、その次も上手くいくとは限らない。それは、自分自身が一番よくわかっていたはずなのに……。
砲狼は、ドシャンと石畳を踏み割る足音を立て、こちらに一歩を踏み出した。
今、この街角で動いているのは自分一人。砲狼はそんな僕に狙いを定めたのか、脅威とも思われていないのか、ただ無防備に歩み寄ってくる。
「来るな、来るな! こっちに来るなっ!!」
眼前まで来た砲狼は顎を血で濡らし、破壊されたことでよりいっそうの異貌となってこちらを見下ろす。
僕の頭を噴き出した黒液が濡らし、火薬と油の酷い悪臭が辺りに充満する。機械の癖に人を食おうとしているのか、耳障りに軋ませた巨大なアギトを開いた。
「やめろ! やめろーーーーーーっ!!」
――ゴグンッ
矮小な人の身で止められるはずはなかった。
無残にも突き出した右腕は飲みこまれ、噛み砕かれ、断たれる。
血が飛び散り、天を仰いだ砲狼は、「ドロドロドロ」とまるで美味いものでも口にしたかのように喉を鳴らした。
「ああああああぁぁああぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
激痛が全身を駆け巡り、もはやどこが痛いのかもわからない。
上腕から先がない。灼熱、激痛、だというのに急激に指先から冷える体。
逃げ出したい、戦うこともできず、このままでは無様になぶり殺しにされる。だけど、折れた右脚では立ち上がることもできずに、逃げられない、ここで死ぬ。
嫌だ、こんなところで死にたくない……。
まだ僕は何も、想いのひとつも告げずに、終わるなんて――。
「カイト……逃げ……て……」
「リ……シィ……?」
砲狼から逃げようと這いずった先に、心から大切に想う少女がいた。
彼女は肩から出血し、広がった生暖かい血溜まりが僕を濡らしていく。
「リシィ……なんで……僕が、僕が至らなかったばかりに……」
「違う……カイトの、せいではないわ……うっ……」
苦痛に顔を歪ませる、まだあどけなさの残る少女。
美しかった金糸の髪は、今は血に濡れ肌に貼りついている。
肩に突き刺さっているのはおそらく建物の瓦礫、抜くこともできない。
――ドシャンッ
そして、砲狼が背後に迫る。
「逃げ……て、ここは私が……!」
体を起こすこともままならないだろうに、それでもリシィは僕を逃がすためだけに、砲狼に対峙しようと必死に半身を起こそうとしている。
こんな状態になっても、彼女の視線は、彼女の瞳の色は、まだ諦めていない。
高潔で誇り高き龍血の姫、リシィティアレルナ ルン テレイーズ。
お互い満身創痍で、できることなんてもう何もない。
きっとそれは充分にわかっていて、敵わないとわかっていてもなお、守るべき者たちのために最後まで立ち上がる。
だからか……僕はそんな彼女だからこそ守りたいと願い、惚れてしまったんだ。
心が折れていた、諦めてしまっていた、逃げ出そうとしていた。
だけど、今からでも僕は彼女の在り方に報いたい。今再び、守りたいと願う。
覚悟を決めて歯向かうのなら、腕や脚の一本や二本くらいなんだ。
最愛の彼女と引き換えにして、他にいったい何を望めるのか。
たとえ、そう思うことが驕りだとしても、どんな報いもこの身に受けて先に進む。
なら僕は、僕にできることは――ひとつしか、ない――。
世界は流転する――。
物語はこれより前、青年と少女の出会いから始まった――。
まずはここまでご覧いただき、誠にありがとうございました。
完結させること、そして楽しんでいただけることを大切なものとして物語を綴っていますので、お気に召していただけたら幸いです。