異世界転生―ヴァンパイアの秘密―
ある夜――。
俺は仕事に行くというイリザをこっそり追うと決めた。
仕事へはクロードが運転する馬車で向かっている。それを知っていたから、俺は後方から馬を走らせ、静かに後を追った。車のようにバックミラーがついていないから、クロードは俺の尾行に気付かなかったかもしれない。例え、気づいていたとしても、見逃したのだろう。きっと彼もイリザを救いたいのだ。
森を抜け、どのくらいだろうか? 馬車は走っていく。
ムガンダとは違う方角に進んでいるから、諜報局はきっと別の場所にあるのだろう。〇〇局……。そんな名がつくところは、例えば東京だと大手町とか永田町とか、そんな場所かもしれない。オフィス街。なんとなくだけど、イメージ的にはそのような感じだ。
とはいっても、この世界にオフィス街があるとは思えない。あったとしても、東京の持つ風景とは似ても似つかない場所だろう。
俺の予想は完全に裏切られる。
馬車が止まったのは、なんと森の中だった。
森閑とした森の中、馬車は停止する。
俺は見つからないように、かなり後方に馬を止め、ゆっくりと馬車に近寄った。
やがて、イリザが下りてくる。それを手で支えるクロード。周りに何かあるのか? あるのは、古びた洞窟ようなもので、家があるようには思えない。この洞窟の中に誰か住んでいるのであろうか? いや、人が住んでいたとしたら、それはかなりの変わり者だろう。
こんな人里離れた森の中の洞窟で暮らすこと自体、かなり変わっていると思える。
イリザの表情は硬くこわばっている。
普段見せない表情だ。
僅かにクロードの声が聞こえてくる。
「イリザ様。大丈夫でございますか?」
「問題ありません。いつも通りです」
「なら、良いのですが……。ではお時間になったらまた迎えに上がります」
「えぇ。お願いするわ」
そう言うと、クロードは馬車に乗り、元来た道を引き返していった――。
一人残されるイリザ。
彼女はゆっくりと深呼吸をすると、やがて洞窟の中に入っていった。
よく見ると、手にはカンテラを持っている。
そこにろうそくの明かりを入れて、洞窟の中を照らし出すようである。
一歩ずつ、着実に進んでいくイリザ。
俺も息を殺して、彼女の後を追う。
洞窟の中は、ひんやりとしていて、僅かだが風の流れがある。きっと、どこかと繋がっているのだろう。イリザを尾行する関係上、俺はスマホの明かりを点けられない。ここは暗い中をただ黙って負うしかないのだ。なるべく足音が聞こえないように、細心の注意を払いながら、俺は先を進む。
やがて、洞窟の奥に鉄のトビラが見えた。
なぜ、こんなところにトビラがあるのか? その理由は分からない。だけど、この洞窟は人為的に手が入れられた場所であると察せられる。つまり、何かあるのだ。
イリザは深紅のドレスを着用している。そして、肩から下げた小さなポシェットから、鍵を取り出し、トビラを開けて中に入っていく。
「ガゴン」
鉄が開く、不気味な音が洞窟内に木霊する。
俺もすぐに後を追う。
トビラの先は下り階段になっており、壁に燭台が設置されている。
そこにはろうそくの明かりが灯っていて、光のなかった洞窟内に比べると、幾分か明るい。
見つからないように、俺は懸命に後を追う。
階段を一番下まで降りると、かび臭いニオイがしてきた。
空気が淀んでいる……。そんな感じがする。
その時だった――。前方から不意に声が聞こえてきた。
「イリザだ。イリザが来たぞ!」
少年の声。まだ声変りする前に高い声が俺の耳に届く。
「皆さん、お久しぶりです」
と、イリザは丁寧に腰を下り、そのように言った。
俺は物陰に隠れながら、状況を見つめる。
分かったのは、イリザと話しているのが、小人に近い存在であることだ。
小人。つまり、ドワーフだ。ヴァンパイアの亜種。多分、それは間違いないだろう。あのドワーフは地下でヴァンパイアの亜種が暮らしていると言っていた。そして迫害されているとも……。
こんな洞窟の地下にとじ込まれ、僅かな明かりの中生活しているから、きっと背が伸びないのだろう。前に会った、野人が特殊なのかもしれない。
「今日は何しに来たの。イリザ?」
と、ドワーフの少年は言った。
すると、イリザが速やかに答える。
「イスヒ。それを受け取りに……」
「今月はあまりないよ。もう、この辺りにはないのかもしれない」
「そうですか。では、ある分だけでも頂いていきましょう」
しばらくすると、奥の方から別のドワーフが現れた。
手には袋を持っていて、それをイリザに渡す。
「これが今月分だ。少ないがな……」
声質が完全に大人の男性であった。
うっすらとしか見えないが、顎鬚が生えているようにも見える。
「ありがとうございます。では確かに受け取りました」
「これで良いのか?」
「何がですか?」
「言われた数のイスヒは用意できなかった。もうこの辺りではイスヒは発掘しきってしまって、ほとんどないんだ。だから、もう今までのように数を揃えられない。それではイリザが困るだろう」
「問題ありません」
「諜報局には何と言うんだ?」
「正直に話すしかないでしょう」
「だが、それではイリザの立場が危うい。君は我々に良くしてくれた。それは非常にありがたい。だけど、もっと自分を大切にするべきだ」
「私なら心配いりません。大丈夫ですから……」
イリザはそう答えた。
しかし、大人のドワーフは納得しない。さらにイリザを問い詰める。
「足りない分はどうやって補う?」
「ですから、正直に話しますと……」
「嘘を言うな。諜報局はそんな甘い場所じゃない。それは俺が良く知っている。奴らは悪魔だ。執拗に追いかけてくる。どこかで代わりを手に入れるんだろう」
「そんな……。問題ありません」
「イリザ。正直に言ってくれ」
イリザは隠しきれないと察したのか「コホン」と咳ばらいをすると、
「ここでは申し上げられません」
と、答えた。
それを聞いた大人のドワーフは、子供に向かって言った。
「お前は家に入っていなさい。俺はイリザと話がある」
「ちぇ、分かったよ……。イリザ、後で僕にも表の世界の話を聞かせてよね」
そう言うと、子供のドワーフはその場から消えていった。
残されるイリザと大人のドワーフ。
二人の間には刺すような独特の空気があった。
居心地が悪い。逃げられるのなら、この場から離れたい。そんな気持ちが俺を襲う。
「これで二人きりだ。聞いている者はいない。さぁ、イリザ、話してくれ」
「血を……手に入れます」
「血……だと……」
「亜種の血です」
「な、何のために……?」
「言っても信じては貰えないでしょう……」
「何があるんだ。話して聞かせてくれ」
「亜種の血を吸うことで、私たちヴァンパイアは一時的に能力を高められる。そのような事実が最近発見されたのです。そのため、亜種を取り囲み、その血を手に入れるという計画が進められています」
「血を抜き取れば、亜種は死滅するだろう」
「その通りです。ですから、私は一つの方法を考えました」
「それは何かね?」
「実は、この世界には異世界と繋がる『ナニカ』があるんです。そして、異世界には亜種がたくさん棲んでいます」
「異世界だと……。そ、そんな世界が本当にあるのか?」
「あります。そもそも、このアルヴェスト王国は亜種が世界を掌握していたんです」
「そんな馬鹿な……。そんな歴史、聞いた経験がないぞ」
「新説です。しかし、亜種は神の怒りに触れ、死滅した。空から降ってきた巨大な石により、多くが死滅したのです。その結果、当時地下に住んでいたヴァンパイアが目を覚ました」
「まるで小説のような話だ。そんな説が今、信仰されているのか?」
「諜報局では、既に異世界へのトビラを開こうとしています」
「異世界はどこにある?」
「スーヴァリーガル……。そこにあります」
「魔都と呼ばれる異邦都市か……。しかし、異世界とアルヴェスト王国が、元を辿れば同じ世界で、既に滅んでいるのだとしたら、スーヴァリーガルに行く意味はあるのか?」
「スーヴァリーガルの先には時間の概念がない一帯があります」
「……。それはなんだ?」
「マジックデルタ……。通称、タイムムーンと呼ばれる一帯です。ここに昔のアルヴェストに戻るヒントが隠されているのです。私はそこに行きます。そのために、今は血を集め、能力を高める必要があるのです」
俺はそれを聞き、開いた口が塞がらなかった。
スーヴァリーガルのタイムムーンという一帯にある世界は、恐らく『地球』だ。
それは間違いない。
さらに言えば、地球は既に滅んでいるんだ。
その昔、いや、二〇一七年の夏。地球は隕石の衝突によって死滅した。その時地下にいたとされるヴァンパイアたちが、その衝撃で目覚めた。表の世界に現れて、世界を支配するようになった。それから何千年か経って、今のこのアルヴェスト王国ができたんだ……。
だけど、不可解なのはなぜ、そんな歴史が今まで語られずに闇の中に放り込まれていたのか? ということだろう。いくら文明のレベルが低いとはいえ、自分たちが表の世界に生まれた起源を知らないのは、絶対におかしい。
つまり、何かある……。
ヴァンパイアには、まだ隠された秘密があるのだ。
確かなのは、本当に地球は滅んでしまっているということだ。
俺が暮らしていたあの地球はもうないのだ。
なぜ、俺だけが助かったのか……。
それだけが分からない。
あのイスヒの石に秘密があるのだろう。
それにまだ良く分からないのは、祖父の件だ。
彼は亜種の間で神と祀られている。つまり、祖父はこの世界に来たはずなのだ。
俺はポケットのイスヒをギュッと握りしめる。
今、どうするべきか?
イリザを追う。それしかない。
彼女は亜種の血を手に入れ、自らの能力を高めようとしている。
何のためにそんな馬鹿をするのか?
決まっている。きっとイリザはこの世界を救おうとしている。
諜報局が亜種の血を望み、俺のいた世界に時間ごと逆行すれば、必ず戦争になる。
そうなれば、多くの血が流れるはずだ。
地球には核兵器というとんでもない兵器がある。
まともに戦えば、アルヴェスト王国に勝ち目はない。
イリザはそれを知っている……。
なぜ、知っているのか? イリザは地球に行った経験があるのではないか?
俺の中で、そんな思いが風船のように膨らんでいく。
やがて、イリザはドワーフと話をするのをやめ、出口へ向かっていく。
俺は咄嗟にトビラをくぐり、洞窟の外に出て、イリザが出てくるのを待った。
彼女は暴走しつつある……。
一人ではこの世界を止められない。
だけど、俺がいれば……。こんな考えは傲慢か……。
それでも俺はイリザを救いたい。それだけなんだ。
時間がくると、クロードがこの場にやってくるはずであるが、イリザはそれを待たず、森の中を人で進んでいく。俺はその後を追う。森の草木がよい影になり、尾行はそれほど難しくなかった。ただ、森の中は夜の闇に包まれている。
赤く光る月明かりだけが頼りになる。イリザの足取りは重い。鉛の足枷をつけられているかのように、どんよりとしている。
森を抜けると、古城が見えてくる。こんな場所に来るのは初めてだ。城というと、王族であるアラベスト伯爵を思い出すけれど、これも貴族や王族の住まいなんだろうか? 問題は城の中に俺も入れるのか? ということだろう。これだけ大きい城ならば、きっと門衛はいるはずだ。そうなれば、俺が中に侵入するのは限りなく難しい。
尾行はここまでか……。
イリザに姿を晒すか? そして、自分の思いを告げるんだ。
イリザを救いたい。恐らく、イリザを救うのは、地球を救うきっかけにもなるはずだ。だから俺は、前方を歩くイリザに向かって声をかけた。
城の門の前で、俺の声がひっそりと響き渡る。
「イリザ!」
その声に、イリザの背中はハッと揺れる。
途端、振り返ったイリザは亡霊のように白い顔をしていた。
元から白い顔をしているから、余計に白く感じさせ、慌てているように見えた。
「カ、カイエさん。……ど、どうしてここに?」
「気になって後をつけたんだ。悪いとは思ってる。だけど、どうして言ってくれなかったんだ」
「すべて聞いたんですね?」
「あぁ。この世界と俺のいた世界は繋がっている。いや、厳密には一つの同じ世界なんだ。地球は滅び、地下の王国であったアルヴェストが繁栄した。そのきっかけになったのが、隕石の衝突なんだ」
「ちきう……。あなたがいた世界ですね。カイエさん。ロクロガワというお名前を聞き、私は魂が震えました。なぜだか分かりますか?」
俺には分からなかった。
轆轤川……。俺の苗字。
かなり珍しい苗字だから、俺は自分や家族以外の轆轤川に会った経験はない。
アルヴェスト王国には、当然いない名前だろう。
この国の人々の名前は、どちらかというと西洋的だ。
「轆轤川という名前を知っているのか?」
と、俺は尋ねた。
イリザはゆっくりと頷く。ほっそりとした首がしなやかに動く。
赤い月明かりに照らされたその表情は、どこまでも神々しく見える。
「サダミチロクロガワ……。実はアウグスト家と関係があります」
「な、なんだって……」
「カイエさんの祖父がサダミチロクロガワ……。ですが、実を言うと、私たちアウグスト家の姉妹の祖父もサダミチロクロガワさんなんです」
「お、俺のじいさんの孫なのか?」
「そうです。もう五〇年以上も昔の話ですが、サダミチさんはこの世界にやってきていたんです。いいえ、もっと前からこの世界にいた。この世界の始まりの時に……」
「じいさんはタイムスリップができたのか?」
「たいむすりっぷ?」
「え、ええと、そのつまり、時間を超越できたのかって意味だ」
「時間を操る秘術を心得ていたのは間違いありません。どうやったのかは分かりませんが……」
「じいさんはどんな存在なんだ? 知っているなら、教えてくれないか?」
「一言で言えば『神』。これがサダミチさんの存在です」
「じいさんが神。……そ、そんな馬鹿な」
もう、何度も聞いたけれど、やはり信じられなかった。
普通に生きていたはずの俺のじいさんが、異世界……で、神となっていた。これはかなり不思議であると思えた。なぜ、神として生きたのだろう。さらにいえば、その事実を誰にも言わなかったのはなぜなのか?
「時間を超越するという特殊な力が、彼にはあったのです。そして、その力が彼に神としての役割を伝えた」
「神としての役割?」
「アルヴェスト王国の復活です。地下で暮らしていたヴァンパイアたちを、表の世界に解放させる。それが彼の存在意義なんです。しかし、それは失敗しました。ヴァンパイアたちは、二つに分裂してしまったのです」
「ヴァンパイア亜種か?」
「そうです。亜種は、ヴァンパイアの純血種と『ちきう』の人々の混合種なのです。つまり、私と同じ……。私はアウグスト家という貴族という名目に守られていますが、亜種たちにはそのような守り神はいません。ですから、私が彼らを救う必要があるんです」
「たった一人で、そんなことができるのか?」
「たとえ、一人だとしても、やるしかないのですよ」
「この城は何なんだ?」
「諜報局の支部です。主にスーヴァリーガルとの外交を行っている部署になります」
「何をしに、ここに来たんだ?」
「スーヴァリーガルに行くためです」
「マリアが確か申請に出していたはず。それに今、スーヴァリーガルに行くのは難しいんじゃないのか?」
「マリアちゃんの申請は通りません。残念ですが、私がそう手配しました。マリアちゃんを危険な目には遭わせられません」
「スーヴァ―リーガルへ行く目的は?」
「亜種を救うためです……。亜種の血の話、聞いたのでしょう?」
「聞いた。特別な力が宿るとかなんとかって話だろ? でもそんなわけないだろ? 血は血だ。俺のいた国では輸血っていって、他人の血液を人に受け渡す技術があるけれど、力は宿らない。つまり、幻想なんだよ」
「私もそう思います。亜種の血には、そこまでの力がない……。ですが、事実は違うのです」
「違うのか?」
「亜種の血は純血種の力を大きく引き上げます。それが最近の研究によって明らかになっているんです。ですから、アルヴェスト王国は亜種を取り囲み、支配してその血を根こそぎ奪おうとしています。そうなれば、どうなるか想像するのは難しくありません」
血を奪われれば、人は死ぬ……。
それは奪う量にもよるだろうが……。
確か、俺に記憶が正しければ、一度献血をすると、数カ月は献血できないはずだ。一回の献血で四〇〇ml近くの血液を抜かれるから、あまり頻繁に血液は抜けない。血は生きるために大切なのだから……。
ただでさえ迫害されている亜種たちの血が利用されるとなれば、きっとアルヴェスト王国は容赦しないだろう。血があるだけ奪う……。つまり、亜種を殺す……。
「亜種が絶体絶命の窮地を迎えているということか?」
と、俺は言った。
イリザは深く頷く。
顔が僅かに上気しており、白い肌に朱が入っている。
「そうです。このままでは亜種は死滅します。いいえ、もう既に計画は進められているんです」
「計画?」
「亜種補完計画……」
不穏な響きのある計画。
俺はぐっと息を詰まらせ、イリザの表情をただ見据えた。
彼女はじっと何かに耐えるように、スッと空を見上げた。
「スーヴァリーガルの先に、亜種がいる可能性が示唆されています。つまり、カイエさんがいた世界です」
俺は答える。
「だけど、地球は滅んだんじゃないのか? 隕石の落下により」
「滅びました。その結果、生まれたのがアルヴェスト王国なんですから」
「じゃあどうやって、地球に行くんだよ。滅んだ世界に行くなんて不可能だろ」
「それが亜種補完計画によって可能になるんです。亜種の血を使い、スーヴァリーガルの先にある禁断のトビラを開ける。それができれば、時間が逆行し、カイエさんのいた世界に繋がるのです」
「そ、そんな馬鹿な……」
だが、一筋の希望が見えたような気がする。
それは、スーヴァリーガルの先……。亜種補完計画によって禁断のトビラが開かれれば、地球を再生させることができるかもしれない。その可能性が内包されている。もしかしたら、俺はもう一度地球の大地を踏めるのかもしれないぞ……。
「禁断のトビラ……」俺は言った。「確かに禁断だ。イリザは知らないかもしれないが、俺のいた地球は軍事力が凄まじいんだ。とてもではないけれど、アルヴェスト王国の力では太刀打ちできない。それを知っているのか?」
イリザは顔を曇らせていた。
恐らく、この事実を知らないのだろう。知っている人間は少ないはずだ。いや、いないのかもしれない。だからこそ、無謀な亜種補完計画なんていうものを立てたんだ。
「カイエさんは普通のヴァンパイアではない。昼間に生活できます。私たちのように夜型ではない。夜目も利かないし、夜に対する耐性もない。亜種とはそう言う弱い存在ではないのですか?」
「亜種が弱い? そんなわけあるか? 俺のいた世界じゃ、その気になれば世界を根こそぎ吹き飛ばす核爆弾なんてもがあるんだ。アルヴェスト王国が地球に行ったところで逆に返り討ちにされるのは目に見えている」
イリザは青ざめている。俺の話が信じられるといった素振りを見せている。
それはそうだろう。地球の力は、地球にいた人間じゃなければ分からない。ヴァンパイアには分からないのだ。
「スーヴァリーガルに行くんだろ? イリザ?」
……。
しばしの間があった。
ハッと我に返ったイリザが答える。
「は、はい。そうです」
「俺も一緒に行けないか? スーヴァリーガルに……」
「カ、カイエさんが? き、危険です。そんなのダメです」
「危険な目に、イリザを合わせるわけにはいかない」
「私は良いのです。諜報局に魂を売ったのですから……」
「何か弱みを握られているんだな」
「そ、そ、そういうわけでは……」
イリザは貴族であり、令嬢だ。だから嘘がそれほど上手くない。
すぐに表情に出るのだ。
諜報局に弱みを握られている……。
その弱みとは何か? きっと、アウグスト家の姉妹が亜種の混血であるということだろう。祖父が俺の祖父と同じ。となれば、イリザたち姉妹には俺の血が、少なくとも四分の一は流れていることになる。姉弟といっても不思議ではない。姉弟が困っているならば、それを助けなければならない。
俺は決意を固める。
「スーヴァリーガルに行く。多分、禁断のトビラの先には、俺を待っている人がいるはずだ?」
すると、イリザはおずおずと尋ねる。
「そ、それは誰ですか?」
「轆轤川貞道……。つまり、俺のじいさんだ。イリザ、お前はじいさんに会いにスーヴァリーガルに行くんじゃないのか?」
これは俺の推理だった。
既に滅んだはずの地球に行けるのなら、きっと俺のじいさんが生きていた時代にも行けるはずだ。
俺のじいさんに会いに行く。それがイリザの目的であると思えた。
「カイエさんには隠し事はできませんね」と、イリザは言った。「その通りです。私は貞道さんに会いに行きます」
「それは可能なのか?」
「可能であると、私は信じています。事実、貞道さんは時を超えてこの世界にやって来たのですから……。それと逆の方法が、私にもできるはずなんです」
「なら、俺も行く。俺だってじいさんに会いたいんだ。それに、俺が地球に帰るきっかけになるかもしれない。まだ隕石の消滅する前の地球に戻れるのなら、きっと隕石の衝突を食い止める方法だってあるはずだ。頼む、イリザ……。俺も連れていってくれ」
俺は必死に懇願した。
このくらいしかできない。
俺に、地球が救えるのかは分からない。いや、やらなくちゃならないんだ。地球は二〇一七年の夏、隕石が衝突し、破滅した……。その結果、地下に暮らしていたヴァンパイアたちが表の世界に出てきた。そこで神として信仰される俺のじいさん。貞道……。
祖父が神として崇拝されたのは、きっとヴァンパイアたちに何かしたからではない。地球を守るために何かしたんだ。
祖父は亜種たちには信仰されているけれど、表の世界に生きるヴァンパイアたちには信仰されていない。
というよりも、知っているヴァンパイアたちの方が少ない。俺の祖父が神としてヴァンパイアたちを解放したという事実は、ヴァンパイアの中で、ごく少数の人間しか知らないのだ。
なせ、祖父は地球を救わなかったのか? どういう経緯があるかは知らないけれど、祖父は地球に隕石が衝突するのを知った……。知ったが、彼は動かなかった。彼がしたのは、地球を救うのではなく、ヴァンパイアたちを解放させることだった。
不可解……。
自分が住んでいる地球。
それを救わず、ヴァンパイアのために骨を折る。何故なのか?
俺には考えても分からなかった。
もともと、頭の良い学生じゃないし、考えるのは苦手なんだ。俺の祖父が何を考えて、ヴァンパイアたちを解放したのかは、きっと考えても埒が明かない。
その秘密を知るには、やはり、祖父に会うしかない。知っての通り、既に祖父は死んでいる。だから、通常の方法では会えない。今時、幼稚園児だって死人と会話できないことくらい知っている。
だけど、スーヴァリーガルに行けば、その理論が覆る。スーヴァリーガルの先にあるトビラには、時間を逆行させる秘密がある。そのトビラさえ開けば、きっと祖父がいた時間に俺を導いてくれるはずだ。
そして、それができるのは諜報局の人間であるイリザしかない。今の俺にできるのは、イリザと共に、スーヴァリーガルに渡るということだろう。それができれば、きっと何もかもが上手くいく。
……そんな気がした。
「イリザ。頼むよ。俺は地球を救いたいんだ」
と、俺は言った。
かつてない程、緊張した時間が流れる。
暗闇に染まる森は、どこまでも不気味で、俺を恐怖につき落とす。
空を見上げると、真っ赤な月が煌々と光っている。地球が滅び、月は二つになり、赤く変化した。
夜にしか活動できないヴァンパイア……。
彼らは愚かにも地球に戦争を挑もうとしている。
それがどれだけ恐ろしいことなのか、きっとヴァンパイアたちは理解していない。それはそうだろう。誰だって地球の軍事力を想像なんてできない。
仮に十六世紀の人間が二十三世紀を想像したとしても、現実と想像では大きな隔たりがあるだろう。今の俺が例えば三〇世紀を想像しても、実際の三〇世紀は、俺が想像した世界とは全く違う世界が広がっているはずだ。
……だから、ヴァンパイアたちを責められない。彼らは自分たちの欲望に取り憑かれている。
亜種の血を奪うことで、自らの能力を高める。
よく考えると、地球にいたころのヴァンパイアの話に似てきたように思える。お話の中のヴァンパイアは人間の良き血を吸い、生気を養う。生きるためのエネルギーなのだ。
それが『血』だ。
血には大きな力が込められている。
亜種の血に……。
力があるのだとしたら、それは一つの可能性を意味している。
俺は亜種だ。
地球人なのだから、亜種といっても過言ではない。日中に生きられる人種。それが亜種の定義だとしたら、俺は亜種と分別できるだろう。
つまり、何を言いたいのかというと、俺の血を使えば、イリザは力を高められるのではないかということだ。
一体、どれくらいの力が高まるのだろう?
人の十倍強くなる。
そのようなものだろうか?
それとも、頭が飛躍的に良くなるのだろうか? 考えたところで意味はない。なら、試してみるんだ。今、ここで……。
「イリザ。一つ良いか?」
と、俺は問うた。
すると、イリザは煌びやかに光る瞳を俺に向けた。まるで吸い込まれるというのはこのことで、神の化身と言っても良いくらい、美しい色の瞳をしている。
「何ですか? カイエさん」
と、イリザは言った。
「俺の血をやる。吸ってくれ。君は能力を高められるはずだ」
「そ、そんな、なぜ?」
「能力を高める必要があるんだろう? スーヴァリーガルに行くためには……」
「た、確かに、スーヴァリーガルの先に行くためには、力が必要です。でもカイエさんの血が必要になるというわけではありません」
「誰の血を利用するんだ?」
「そ、それは……」
「きっと、諜報局では既に生贄となる亜種を用意しているんだろう。その血を使うんじゃないのか?」
「そ、そうです」
「どのくらいの血が必要なんだ? 大量なのか?」
「あるだけ……」
と、イリザは言った。
何となく覚悟をしていた。
献血する程度の血で良いのなら、亜種たちだって協力したはずだ。だけど、アルヴェスト王国はそれをしなかったし、亜種に隠している。その理由は、血が大量に必要になるからだ。
死ぬかもしれないくらい必要になる『血』。
だけど、それで地球を救うために何かできるのなら、俺の中での選択肢は決まっている。
そう、喜んで血を供給しよう……。
例え、死ぬことになったとしても……。
よく考えれば、短い人生だった。
十七年――。
たったそれしか生きていない。
まだまだこれからだ。人生を終えるには早すぎる。未来は限りなく広がっている……はずだった。
あの日が来るまでは……。
あの日――。
つまり、地球に隕石が衝突し、それが原因で地球の表面が滅んだということだ。何の因果か分からないけれど、俺は助かった。イスヒの石を持っていたからなのか分からないが、俺はこのアルヴェスト王国に飛ばされ、地球人としては恐らく、唯一助かった。
厳密に言えば、助かった人間たちも少なからずいたのだろう。だが、ヴァンパイアたちに支配された。その根源の渦の中心に、俺の祖父、轆轤川貞道がいる。
彼の思惑が知りたい。
なんとしても……。
きっと、何か考えがあって、祖父は神として選ばれる道を進んだんだ。亜種たちの神……。そしてヴァンパイアを止めるために重要な因子……。
それが祖父だ。
やはり、会わなくてはならない。
会えば、きっと何か分かる。
地球を救うための手段だって判明するだろう。そのくらい、祖父は重要なトリガーとなっている。スーヴァリーガルへ行こう……。
俺の中で決意は固まった。
だけど、その前に乗り来なければならない障害もある。
障害――。
それは『血』をどうするかということだ。
俺の血がすべて奪われてしまったら、当然だけど、俺はスーヴァリーガルへ行けない。この世界には輸血なんて便利なものはないし、血を奪われれば、きっと死ぬんだろう。
まだ、死ぬわけにはいかない。
それでも、亜種を犠牲にはできない……。
何とか『血』なしでもスーヴァリーガルに渡る方法を探さなければならないのだ。
「イリザ。少し俺に時間をくれないか?」
と、俺は提案した。
イリザは真剣な瞳を俺に注いだまま、静かに声を重ねた。
「何を、考えているのですか?」
「スーヴァリーガルに行く方法だよ」
「亜種の血を使い、能力を高めて渡航するのです。それを諜報局は私に望んでいます」
「だけど、君はそれをしたくない……。違うか? イリザは優しい。それは俺も充分に分かっている。そんなイリザがどうして亜種を犠牲するなんて言うんだ? 何か秘密があるんだろう。いや、君は非合法にスーヴァリーガルに行こうとしている。……。だから、俺を拒絶するんだ」
簡単に言えば、イリザは亜種を犠牲にしないために、単身、スーヴァリーガルに乗り込もうとしている。それはきっと諜報局の命令に背く行為だろう。
それだけの覚悟が、イリザにはあるのだ。
その覚悟の高さを、俺も少しずつ感じ取っていた。そして、もちろんだけど協力したいと思っている。何をするべきか、俺は迷った。故に、時間が欲しいと言ったのだ。可能性はある。それに賭けたい……。
「イリザ。一日待ってくれ。明日の晩、君に答えを示す。今日は一緒に帰ろう……」
難色を示すイリザ。
最終的に、イリザは折れた。
一日だけ猶予を与えると、納得したのだ。
馬の元へ戻り、俺はイリザを乗せてアウグスト家へ急いだ――。