異世界転生―ヴァンパイアの秘密―
確かに一〇分ほどで森の中に入り、木造りの小屋が見えてきた。
これがイリシスという場所なんだろうか?
イリシスの中に入る。
「ギィ……」
(開いている……)
トビラが開いている。
誰か中にいるのか? ヴァンパイアのはずはない。何しろ彼らは日中に活動できないんだから……。
「ぐぐぐぐぅ」
唸るような声が聞こえてくる。
俺は意を決しトビラを強く開け放ち、イリシスの中に侵入する。
「誰かいるのか?」
俺はぼそりと言った。
瞬間、巨大な野人のような生き物が俺の前に現れた。
咄嗟に構えるが、野人は素早く、俺に対して攻撃を加える。
俺は腹部に一撃を食らい、堪らず倒れてしまった――。
目覚めた時、薄暗い洞窟の中のような場所にいた。
ゆっくりと起き上がる。
腹部に鈍い痛みがあるが、内臓に損傷があるわけではないようだ。
もちろん、骨が折れているわけでもない。
「目が覚めたかね……」
唐突に後方から声が聞こえた。
嗄れ声。
霞んでいて、老人が放った声のように聞こえる。
「ここはどこですか?」
俺は尋ねる。
老人はゆっくりと俺の前に進んでくる。
酷く小さな老人だった。
小人――。物語に出てくるドワーフのように見える。
「お前さんはヴァンパイアじゃないねぇ」
ドワーフは蓄えた白いひげを擦りながら言った。
「そうです。地球人ですから」
地球人と言っても意味が通じないのは分かっている。
半ば自棄になっていた。
だが、ドワーフは驚くべき事実を言った。
「スーヴァリーガルの先から来たのか。不思議な少年だ」
「地球を知っているんですか?」
「その名前は知っている。我々の宗祖、サダミチロクロガワが地球よりやってきたと言われている」
サダミチロクロガワ……。
日本人の名前だ。いや、まどろっこしい言い方は止めよう。
サダミチロクロガワ――。轆轤川貞道は俺の祖父と同じ名前だ。
轆轤川という名前はかなり珍しい。
だから、同姓同名の別人ではないだろう。俺の祖父はかなりの変わり者だったと言われている。
俺が幼い頃に亡くなったけれど、生前は自分を神だと言ったこともあるらしい……。
よって、長い間精神病院で闘病していたと聞いた。俺が会ったのも数回しかないし、ほとんど記憶にない。
「あなたは誰なんですか?」
「俺はヴァンパイアの亜種だよ。虐げられている」
「昼間でも活動できるヴァンパイアですね?」
「そう。知っているのなら話は早い。ラルゴがすまないことをしたね」
「ラルゴ?」
「イリシスの中で君を攻撃した亜種ヴァンパイアだよ。俺の仲間だが、人語を話せない。長く野生で暮らしていたから言葉を理解しないのだ。だが、気持ちは通じている。安心してほしい」
「そうなんですか。俺は地球から来たんです。そして、地球へ帰りたい。そのためにヒントを探しているんです」
「ヒントか……」
と、そこでドワーフの老人は遠い目をした。
何を考えているのだろう。
俺は堪らない不安を感じ始める。
「何か知っているんですか?」
「うむ。お前さんがどうして地球からやってきたのかは知らん。だが、きっと秘密があるんだろう。何か覚えていないかね?」
覚えていること……。
学校への通学路。俺は普通に歩いていたはずだ。
普通の何も変わらない日常。
(あれ? 何かあったような気がする)
記憶の中に異物が混じっている。
俺はあの日、ただ自宅への道を歩ていたわけじゃない。
何か別の目的があったはずなんだ。
それは何か?
(そうだ。じいちゃんの家に寄ってくれって言われたんだよ)
俺の祖父の家は、俺の自宅から近い。
徒歩で行ける範囲だ。学校から帰る途中、俺は祖父の家に向かっていたんだ。
腰の悪い祖母が一人で住んでいるから、庭の掃除を頼まれたんだ。
そう、庭の掃除をして……。祖父の仏壇に挨拶をして、そのまま帰ったんだ。
いや、待て。まだ何かあるぞ。
(ばあちゃんから何か貰ったんだ)
そう。祖父の仏壇に置いてあった、緑色の石……。
祖母の話では、生前祖父が気に入っていて持っていたものだと言っていた。
それを俺は譲り受けた。
いらないって断ったけれど、祖母が強引に持たせたのだ。
あれがトリガーか?
俺の祖父、轆轤川貞道が、ヴァンパイア亜種の神ならば、きっとここに来たはずなんだ。
よく考えれば、あの石は少し変わっていた。鈍い光を放つ緑色の石で、何というか地球の物ではないような気がする。あれはどこにやったんだっけ。俺が着ている服の中だ……。
だけどアウグスト家で気がついてから、俺は着替えていたはずだ。スラックスはクロードが用意してくれたものだろう。俺はポケットの中を探る。
『ゴリ……』
異物が当たる。
「緑色の石だ……」
俺は言った。
すると、その石を見ていたドワーフが食い入るように俺に視線を飛ばした。
当然、俺はその視線に気付く。
「その石をどこで?」
と、ドワーフは尋ねてくる。
「俺の祖父が持っていた石なんです。なんだか分かりますか?」
「始まりの石……。ヴァンパイア亜種の守り神だよ。我々が住む地下の階層でよく取れる石だ。ヴァンパイアたちも重宝している。お前さんの祖父の名前は?」
「実は……。あなたが言う神、サダミチロクロガワという名前です」
「な、なんと。いよいよ現れたか」
「現れた? 何がです?」
「我々を救う救世主だよ……」
目の前が真っ暗になっていく。
俺が救世主? このドワーフは一体何を言っているんだろう?
「どういう意味ですか?」
「この世界はね、元は一つの世界だったのだよ」
「地球とアルヴェスト王国が同じ世界という意味ですか?」
「そう。ここは地球でもある……。同時にアルヴェスト王国でもあるのだ」
「ここが地球……」
「サダミチロクロガワがこの世界を作ったとされている」
「そんなバカな……。俺のじいさんは少し頭の変わったただの人間だ。そんな力あるはずない」
「だが、事実は事実だ。お主の祖父がこの世界を作った事実は変わらない」
俄かには信じらない。
この世界を作ったのが、俺の祖父? そんな馬鹿な。
ありえない。だって、祖父はもう死んでいるし、ずっと地球の……。日本にいたじゃないか? それなのに、どうしてこの世界にやってきたのだろうか? いや、考えるべきはそれじゃない。どうやってこの世界に侵入できたのか? ということだろう。祖父は二つの世界を繋ぐ、移動手段を持っていた。
それは何か?
アルヴェスト王国と、地球が同じ世界であるならば、地球の歴史はどうなってしまったんだ。
二〇一七年の地球――。
それが確実にあったはずなんだ。だって、俺はその世界からやってきたんだから。
隕石――。
十万の犠牲者――。
世田谷区の事件――。
確かに地球では何かが起きている。
そして、それはアルヴェスト王国と繋がっているのだ。
嫌な予感がする。何か耐えようのない不安が、俺の頭をよぎる……。
「ここは地球なんですか?」
俺はドワーフに向かって尋ねる。
ドワーフは白い顎鬚を摩りながら、難しい表情を浮かべて答える。
「そう。元、地球だった場所。それがアルヴェストだ……」
「滅んだって意味ですか? そ、その地球が」
「地球が滅んだのは、もう何千年も前の話だ。これを知っているのは、アルヴェストの中でも少数のヴァンパイアだけだ。皆信じていないのだ。元、地球だったという事実を……」
「で、でも、アルヴェストにはアルヴェストの歴史があるでしょう。地球の人間だってそれこそ何万年の間に進化してきたんだから」
「アルヴェスト王国のヴァンパイアは、元は地球の地下に暮らしていた民族だ。だから陽射しに弱い。朝に活動ができないのだ。しかし、地球の表面が滅んだことにより、表の世界に現れた。それを導いたのが、サダミチロクロガワ。我々の神だ。だが、ヴァンパイアたちはサダミチロクロガワを裏切った。滅んだあとの世界に行き、そこで暮らし始めたのだ。だが、陽射しに弱い。夜に活動し、朝になったら眠るという暮らしを余儀なくされた」
「あの、赤い月は? 夜になると空に現れる星です」
「地球がなぜ滅んだのか? それを説明しよう。巨大な隕石が、地球のある都市に落下した。それは表向きには大きな事件にはならなかったが、実は落下した隕石は地球の深部に到達し、地球の表面を著しく変化させた。異常気象、巨大地震、津波。あらゆる災害が地球の表面を支配し、やがて飲み込んだ。その結果、表の世界に生きた人間たちは皆、死滅した。残ったのは、地下に生きていたヴァンパイアたちだ。まぁ、表の世界に生きた人間たちの中でも我々のように生き残った者はおるのだがね」
「じゃあ俺の祖父は何故、神になれたんですか? 地球が消滅してからすでに何千年も経っているのなら、祖父が神になれたはずはない」
「石を持っているだろう」
と、ドワーフは言った。
俺は持っていた緑色の石を取り出す。
祖父が残した形見……。
この石に何か秘密があるのであろうか?
「この石が何か?」
「始まりの石と言っただろう。その石には力がある」
「どんな?」
「世界を変える……」
夜――。
俺はアウグスト家に戻っていた。
給仕を終え、大方仕事を終えると、シリルが俺のことを待っていた。
「今朝、どこへ行っていたのですか?」
と、シリルは不安そうに言った。
何か、話す気持ちになれない。
地球が既に滅んでいて、もうこの世界にないのだとしたら、俺は何を糧に生きて行けば良いのだろうか? 家族も友達も……。皆、死んでしまったのだ。
「ちょっとな……」
元気がなくうな垂れる俺。
それを見たシリルが意外な行動に出る。
なんと、俺の手を引っ張り、それを自分の胸に押し当てた。
柔らかい感触が俺の手のひらに広がる。
「な、何してんだよ!」
俺は慌てて言う。
しかし、シリルはやめない。
意を決した顔をして、ただ胸に俺の手を押し付ける。
「年頃の男子はこうすると喜ぶと本で読んだのです」
「はぁ? あ、あのなぁそう言うのは、子供がするべきじゃないぞ」
「僕はもう子供じゃないのですよ」
「でも学生だろ」
「それはそうです。でも僕はカイエに元気になってもらいたいのですよ。何かあったのですか?」
俺はシリルの胸の感触を味わいながら、どう答えるべきか迷っていた。
真実を語っても、何も変わらない。
だけど――。この押しつぶされる気持ちは、他人に思いを聞いてもらわない限りは、解き放たれることはないだろう。
「俺のいた世界。消滅したかもしれないんだ」
と、俺はぼそりと言った。
シリルは言葉を失っている。
ただ、優しく俺の顔を胸にギュッと押し付けた。
『むぎゅう……』
女の子の胸の中にいる自分。
本当なら小躍りするくらい嬉しい状況なんだろうけれど、今は虚しくなるだけだ。
このまま胸の中で眠り、世界が終わってほしい。
「良い子、良い子、なのです。カイエの世界は滅んでなどいないのですよ」
「でもドワーフは言っていたんだ」
「ドワーフ?」
「ヴァンパイア亜種の奴だよ。そう言っていたんだ」
「亜種に会ったのですか?」
「あぁ」
「亜種のヴァンパイアの中には、不思議な信仰を持つ者がいるのですよ。だから、すべてを信じてはいけないのです。嘘を言っている可能性もあるのですよ」
「だけど、あの亜種は俺のじいさんの名前を知っていた。これはありえないんだよ。そして、俺のじいさんが神とまで言ったんだ」
「落ち着くのです。大丈夫なのですよ」
俺はシリルの胸の中で泣いた。
しばらくそのまま泣いていると、マリアが現れた。
どうやら一部始終を聞いていたようだ。
「カイエ。これから良い?」
と、マリア言った。
俺はバッとシリルから離れ、涙を拭った。
「どこかに行くのか?」
「アルスローンのところ。行けば何か分かる」
「分かった……。行こう」
俺が言うと、横に立つシリルが不安そうな顔で俺のシャツの裾を引っ張った。
「大丈夫なのですか?」
「大丈夫だ。問題ない。きっと上手くいくよ」
果たして、上手くいくかなんて分からない。
本当に地球が消滅し、もうないのだとしたら、俺は天涯孤独の身になったのだ。あの亜種のヴァンパイアが嘘を言っている可能性もあるけれど、どうしてそんな嘘をつくのか分からないし、謎が深まるばかりだ。きっと、アルスローンなら何か知っているかもしれない。
俺とマリアはアルスローンの屋敷へと向かった。
アルスローンの屋敷はムガンダの住宅地の中にある。
貴族の屋敷だから、さぞ大きいところなのだろうと想像していたが、それは裏切られた。
屋敷というよりも、石造りのアパートのような場所で、数十名の貴族たちが共同生活をしている場所であった。貴族の住むアパートであり、それなりに外観はしっかりしている。
「ここにアルスローンがいるのか?」
俺は馬を下り、近くに止めると、マリアに向かって言った。
マリアはゆっくりと頷きながら、
「そう。ここ。手紙が届いたから……」
そういや連絡先を交換したんだよな。
ここにアルスローンがいるのは間違いないようだった――。
アパートの入り口を入ると、左右にいくつか部屋があり、一番奥の部屋がアルスローンの自宅のようであった。
トビラをノックすると、すぐにアルスローンが出た。
「やぁ。待っていたよ」
「実は、聞きたいことがあるんだ」
「何かね? まぁここで話すのなんだ。中に入りたまえ」
アルスローンの手引きで、俺とマリアは室内に入る。
全体的にこぢんまりとしたアパートである。
部屋数は二つしかなく、キッチンやバスなどはないようであった。共同なんだろうか? 貴族にも色々な種類がいるのかもしれない。確か、会った時、アルスローンは自分が貧乏貴族であると言っていたはずだ。貴族は皆、金持ちだと思われるけど、実はそうでない。アウグスト家が特別なんだろう。
アルスローンは俺とマリアをリビングのソファに座らせ、自分は書斎机の回転椅子を持ってきて、それに座り込んだ。しんとした空気が流れ、俺は徐に言った。
「ヴァンパイア亜種についてと、アルヴェスト王国の歴史についてを知りたい」
アルスローンは難しい表情を浮かべた。
どうやら、通常のヴァンパイアにとって、亜種のヴァンパイアは避けたい問題であるようだ。顔を曇らせるアルスローンの姿を見て、俺はそう察した。
「亜種か……。彼らについて何が聞きたいのかね」
「亜種が信仰している神について、何か知らないか?」
「神? そう言えば、亜種は神を信仰しているな。詳しくは知らないが」
「実はその神が、俺のいた地球の人間かもしれないんだ」
「何? どういう意味だ?」
俺はそこで、自分の祖父の境遇を説明した。
つまり、祖父が亜種の間で神として信仰されてると話したのである。
その話を、アルスローンはマリアと共に聞いていた。
俺が話し終えると、アルスローンはゆっくりと口を開いた。
「君の祖父が亜種の神……。俄かには信じられぬ話だ。それにそれが正しいとすると、時間の概念がめちゃくちゃになる。君の祖父が生きていた時代にも、この世界はあったはずだからだ」
「となると、亜種が嘘をついているのか?」
「結論は急ぐべきじゃない。第一、亜種がそんな嘘をつく意味はどこにある。何のために神を作り出し、それを君に言ったのかが不明だ。となると、これは真実である可能性が高い」
「でも、それじゃ時間が……」
「確かに時間はおかしい。となると、君の祖父は時間を超えてこの世界にやってきたのではないか? こう考えられるのではないか?」
時間旅行……。
いわゆるタイムスリップというやつだ。しかし、それが不可能な技術であると、俺は知っている。タイムスリップはSFの話の中での限定的な技術だ。現実世界では起こらない。第一、タイムスリップが可能になるとしたら、この世界はもっと混沌として……、いや、めちゃくちゃになるだろう。
「時間を超えるなんて不可能だよ」
俺は言った。しかし、それを聞いていたマリアが唐突に口を挟む。
「可能性はある……」
「え?」
「時間を超える可能性。それは異世界を繋げることと関係がある」
「それは一体?」
「異世界を繋げるとき、きっと時間が切り離される。だからカイエのおじいさんは時を超えられた」
「じゃあ、俺がこの世界に来たのも、時間を超えた可能性があるのか?」
「ある」
そんな馬鹿な……。
俺は知らぬ間に異世界に来て、時間をも超越してしまったのだ。
なぜなのか? 考えるのはそればかりだ。
普通に暮らしていたはずの日常が、どうしてこのように変化してしまったのか?
俺を異世界と結び付けたモノ……。
俺がこのアルヴェスト王国に迷い込んだ日、俺は祖父の家で石を受け取ったんだ。
やはり、あの石に何か秘密がある。
俺はそっとポケットから石を取り出す。鈍く緑色に輝く石。まるで隕石のような感じだ。
いや、隕石というか、異世界の石なのかもしれない。
俺が取り出した石をマリアとアルスローンが興味深そうに見つめている。
「君はこれをどこで?」
と、アルスローンが言った。
俺はすぐに答える。
「俺のじいさんが持っていたものなんだ。俺が、この世界に迷い込んだ日、俺はじいさんの家でこれを貰ったんだよ」
「この石、何か知ってる?」
と、マリアが言う。
もちろん、石について詳しくない俺は、当然だけど、この石が何なのか知らない……。
「分からない」俺は答える。「何か特別な石なのか?」
「イスヒ……。アルヴェスト王国の国石。この国を象徴する石」
「アルヴェストの石……。だけど、これは俺のじいさんが持っていたんだぜ」
「カイエのおじいさん。やはり、この世界に来た。間違いない」
「いつ来たんだろう。それに亜種の間で神と呼ばれているくらいだから、きっと何か特別な事情があったはずなんだけど……」
もちろん、その理由など誰にも分からない。
あのドワーフに聞くのが一番良いかもしれないが、亜種とヴァンパイアは仲が悪いようである。マリアを連れてはいけないだろう。また一人で時間を見つけて行くしかない。
ただ一つ、確かなのは、アルヴェスト王国の国石を、俺の祖父が持っていたということだろう。持っていたのなら、やはりこの世界にやってきたのだ。どうやってきたのかは知らないが。秘密があるとしたらこの石だろう。イスヒと呼ばれる不思議な石。この魔的な力が潜んでいるのだろうか?
「イスヒは主に、亜種が生産している。掘削作業をするのは、主に亜種のヴァンパイアだからね」
と、アルスローンが言った。
「じゃあ、亜種のヴァンパイアがこの石を持っていても不思議ではないわけですね」
「そうだ。君も気づいていると思うが、どうやら異世界への移動はこの石が深く関係しているようだ。私も少し調べてみよう。何か分かれば連絡するよ」
「ありがとうございます。俺も何か分かれば良いんですが」
「諜報局あたりに知り合いがいると良いのだがね」
諜報局?
「何でですか?」
と、俺はアルスローンに向かって言った。「どうして諜報局が?」
「簡単な話だ。諜報局が亜種を管理しているからだ。管理というか、差別しているといっても過言ではない」
「諜報局……」
ふと、マリアが言った。
マリアが言いたいことは分かる。恐らく、イリザだろう。
彼女は諜報局で働くヴァンパイアだ。きっと、何か重要な秘密を知っていても不思議ではない。だけど、イリザの仕事に触れるのは、どこかイリザを危険に晒すようで、あまり積極的になれなかった。
「何かあるのかね?」
勘の鋭いアルスローンはマリアのセリフから、何かあると察したようだ。
マリアは少し考えていたが、ゆっくりと答えた。
「諜報局に知り合いはいる」
「本当かね?」
「本当。でも……。協力してくれるとは思えない」
「確かに、諜報局は謎に包まれた部署だからな。裏で何をしているのか、全く予見できん」
「それに、危険もある」
「まぁ、ここで話していても何も始まらん。お互い、できることをしようじゃないか。私の方でも、何かあれば連絡しよう。マリア君。それで良いかね?」
「良い」
「よろしい。では今日は解散しよう。もうすぐ朝になるからね」
俺たちは一旦別れた――。
それから、数日が経った――。
依然として、アルスローンからの連絡はない。やはり、この問題は謎が大きすぎる。容易には解き明かせないだろう。俺が執事としての仕事を終え、自室で休んでいると、不意にトビラがノックされた。
「カイエさん。イリザです」
「開いてるよ」
イリザが部屋に入ってくる。
部屋着である軽いドレスを着用している。アウグスト家の令嬢は、家にいる時でもドレスを着るから、いろいろ大変だと感じる。これが名家に生まれた者の宿命なのかもしれない……。
「何かあったのか?」
と、俺はイリザを招き入れるなり、そのように言った。
すると、イリザは丁寧に頭を下げる。
イリザの行為に、俺は困惑する。なぜ、頭を下げられているのだろう? 何かしたのか? 俺……。
「ど、どうしたんだよ。あ、頭上げてくれよ」
「お礼を言いたくてここに来たのです」
「お礼? 何の話だ?」
「カイエさんが、このアウグスト家へやってきて、妹たちが変わりました。リーネちゃんは無事婚約し、来月には結婚します。シリルちゃんも学校で人間関係を上手く築けました。そして、マリアちゃんも最近笑顔が増えています。何か目標ができてやる気になっているのでしょう。これは、今までを考えると、驚くべき進化です。このような状態に導いたのは、他でもないカイエさんですよ」
褒められて嬉しくない人間はいないだろう。
でも、普段褒められるなんて経験しないから、俺は逆に照れてしまった。
「な、何もしてないよ……俺は」
クールぶってそう言う俺。
だけど、イリザはそう思っていないようだった。
「いいえ。謙遜しないでください。カイエさんが来たから、行動したから、妹たちが変わったのです」
「じゃあ、イリザは変わったのか?」
「わ、私ですか……? な、なぜそのようなことを?」
「皆、良いように変わった……。かもしれない。だけど、俺にはイリザが良いように変わったとは思えないんだ。何か、前よりも悩んでいるように感じるし……」
「わ、私は良いのですよ……。私はアウグスト家の長女です。この家を守らなければならないのです」
確固たる意志を持った声。
その声が、ひっそりと室内に染み渡る。
姉妹の為に、身を削っているイリザ。それは誇らしいかもしれないが、見ているこっちは助けたくなる。他の姉妹を幸せに導けたのなら、きっとイリザだって幸せに導けるはずだ……。
俺はそう考え、イリザに向かって尋ねた。
「諜報局、大変なのか?」
「仕事はどんなものでも大変です」
「俺がイリザを救う。お前の笑顔も取り戻して見せる」
「カ、カイエさん……」
イリザの瞳に涙が浮かび上がる。
女の子をこんな状態にして、ただで返すわけにはいかない。
俺は黙ってイリザを抱きしめた。
決して下心があるわけではない。ただ、彼女の苦しみを少しでも取り除いてやりたかったんだ。
そのために、俺ができるのは何か?
それはきっと、諜報局について知ることだろう。
祖父の石の件もある。ちょうど良い機会なんだ。諜報局に関する情報が欲しい。
俺はイリザを抱きしめながら、彼女の肩を抱き、
「諜報局について教えてくれ」と、囁いた。
しかし、イリザは答えない。
固く口を閉ざし、貝のようになっている。
「イスヒの石。知ってるだろ?」
「アルヴェスト王国の国石です。それが何か?」
「俺のじいさんが持っていたんだ。その石を……」
俺はそこで亜種のヴァンパイアに出会った事実を告げた。
そこで、聞いた話が真実かどうかは分からないが、とにかくイリザには隠していたくなかった。
……。
緩やかに時が流れる。
ひっそりと静まり返る室内で、俺とイリザは二人、恋人のように抱き合っている。
ふと、イリザが俺の胸から顔を離した――。
「亜種のヴァンパイアに会ったんですね」
と、イリザは言う。その言葉には、どこか哀愁めいたものがある。
「そう。そこで、俺のじいさんが亜種の間では神様として扱われている事実を知ったんだ。諜報局にいるのなら、亜種について、……、いや、彼らが信仰する神について何か知っているんじゃないのか?」
「……」
イリザは沈黙する。
その沈黙は、何か知っていると言わんばかりに意味ありげなものだった。
つまり、諜報局は亜種やその歴史、神について何か知っているに違いない。そして、それを巧妙に隠している。なぜ隠す理由があるのか? 亜種を虐げるためか? 亜種が人種差別より迫害されている事実を俺は知った。それにイリザも加担しているのだろうか? だとしてら、俺にできるのは暴走しつつあるイリザを止める。これに尽きるだろう……。
「正直に言ってくれ。俺は、イリザを助けたい」
「……その気持ちだけで十分です」
「なぜだ? 俺はそんなに頼りないか?」
「いいえ。そうじゃありません。ただ、あなたを巻き込みたくない。それだけなんです」
イリザはそう言うと、バッと俺から離れた。
そして、足早に立ち去っていく。俺は何も言えず、その姿を見送ってしまった。
圧倒的な後悔が俺を襲う。同時に、俺は決意する。イリザを救おう……。それができるのなら。