異世界転生―ヴァンパイアの秘密―
俺とマリアはオークションが終了するなり、屋敷を出ようとした。
まさにその時、後ろから声をかけられた。
「待ちたまえ」
俺もマリアも立ち止まる。
声の方向に顔を向けると、そこには地図を落札した銀髪の紳士が立っていた。
薄暗い中だから良く分からなかったけれど、瞳は燃えるような赤い色をしている。
「な、なんだよ……」
マリアが無反応なので、代わりに俺が声を出す。
「少し話を聞きたい。良いかね?」
「どうする、マリア?」
俺が尋ねると、マリアは静かに答えた。
「問題ない……」
「話って何だ?」
俺は銀髪の紳士に向かって尋ねる。
「君たちはこの地図を落札しようとしたね。それはなぜかね?」
「まぁそれは色々あって……」
「君たちはアルスローン氏が書いた論文を見たんだね?」
アルスローン?
誰だそいつは。俺はマリアに視線を飛ばす。マリアはゆっくりと頷くと、次のように答えた。
「そう。アルスローンの論文を見た」
すると、銀髪の紳士は嬉しそうに顔をほころばせた。
「そうか。実はね、私がそのアルスローンなんだよ。あの論文を書き、論壇からは大分叩かれたがね」
「ムガンダの奥地にはスーヴァリーガルと繋がる場所がある。それは本当?」
「その可能性が高いと考えている。そして、スーヴァリーガルの先にある世界とも関係があるだろうね」
……スーヴァリーガルの先の世界。
それはつまり、地球のことだろうか?
俺のいた世界とアルヴェスト王国を繋げる、ムガンダの奥地に広がる一帯。
そこに行けば何か分かるかもしれない」
「これからこの地図を頼りにムガンダの奥地へ向かう。どうかね、君たちも一緒に?」
「行く!」
間髪入れずにマリアは答えた。
パープルの瞳が爛々と輝いている。普段はやる気のないような態度だけど、今のマリアは全く違う。身体の底からやる気が漲っているという感じだ。
「行くのか?」
俺は少し不安になる。
何か危険はないのだろうか? 危険があるのなら、そんな場所にはマリアを連れて行きたくはない。
たとえ、その場所が地球とつながりがあるとしてもだ。
危険を冒すのは俺一人で十分だ……。
だけど、マリアはそんな風には考えていないようだった。
ただ、俺の着ているジャケットの裾を握りしめると、
「カイエ、一緒行く」
と、だけ言った。
この状況では断りにくい。
「アルスローンさん。その場所に危険はないんですか?」
と、俺は念のため、アルスローンに聞く。
何が起こるか分からない。危険の芽は最低限摘んでおいた方が良いだろう。
「危険はないと思うが……。何かあった時の為に、従者を待たせておくようにしよう」
「は、はぁ……。まぁそれなら」
良いのだろうか?
ギリギリまで迷ったけれど、俺はアルスローンの意見を飲み、ムガンダの奥地へ向かう羽目になった――。
意気揚々と進むアルスローン。
陽気に鼻歌を歌っている。まだ若い印象がある。多分、三〇歳くらいだろう。
それなのに、しっかりと論文を書き、自分の地位を固めようとしている。研究者なんだろうか?
「君は貴族のようだね。どこから来たのかね?」
と、アルスローンはマリアに尋ねた。
マリアは一言「トリステール」と答える。
「トリステールの貴族……。となると、アウグスト家か? いや、まさかな」
「そのまさか」
「なるほど、アウグスト家の令嬢がこっそりオークションハウスにやってきたというわけか。しかし良く入れたね。厳格なチェックがあるというのに」
「色々ある」
「君は、スーヴァリーガルに興味があるのかね?」
「ある」
「どんなところに……」
マリアが立ち止まる。そしてスッと深呼吸をすると、
「すべてに……」
と、答えた。
「君とは良い友達になれそうだね。私もスーヴァリーガルのすべてが好きだ。私も一応貴族だが、名のある貴族ではない。貧乏貴族だよ。だからこうして研究者として細々と生活している。もちろん、金だったあまりない。今回オークションでほとんど使ってしまったからね。でも、あの地図だけは手に入れたかった」
「私も欲しかった。見せて」
「構わないよ。古びているが、精巧な地図だ。アルヴェスト王国の物ではない。紙の質なんかも全く違うからね」
マリアはアルスローンから地図を受け取り、それをまじまじと見つめた。
目が光り輝いている。
何かに興味を持った時のマリアは、妙に心強い。
隣にいてもそれが手に取るように分かる。
「俺にも見せてくれ」
と、俺はマリアの横に立ち、地図を覗き込む。
地図は大きな一枚の紙でできたもので、良く見ると、東京都世田谷区と書かれていた。
俺がいた区と同じ。
「世田谷区……。う、嘘だろ……」
と、俺はぼそりと言う。
それを聞いていたアルスローンが訝しい視線を送る。
「せたがやく? 何かねそれは?」
「この地図の場所ですよ」
「君はこの地図に書いてある文字が読めるのか」
「まぁ、読めます……。俺の国の文字ですから」
「君の国……」
アルスローンの目が一層細まり強くなった。
前方を歩いていたが、歩くのをやめ、俺の手を取った。
「君はよく見ると、アルヴェストの人間じゃないね」
「はい。そうです」
「どこから来た?」
「言っても信じてもらえませんよ」
「言いたまえ。私はたいていのことなら信じられる」
「なら言いますけど、俺はアルヴェストっていうか、この世界の住人じゃないんです。つまり、異世界からやってきたんですよ」
「異世界?」
「そう。地球って言う星から……」
そこで、俺は自分の境遇をアルスローンに説明した。
ある日突然、この世界に紛れ込んでしまったのだ。自分でも気づかないうちに。
目が覚めたら、アウグスト家のベッドの上にいて、超絶的な美少女たちに出会った。
今のところ、帰る手段は分からない。
帰れる可能性はどのくらいあるのだろうか?
「何か証拠はあるかね?」
「あります」
俺はスマートフォンを見せる。
この世界ではまずお目にかかれないガジェット。
それが俺の持つスマホだ。きっと、これなら良い証拠になるだろう。
アルスローンは興味の視線を注いでいる。
赤い瞳。それがスマホに集中しているようだ。
「それは……、何かね?」
「スマホ。って言っても分からないと思いますけど、俺の国の通信手段段です。これで話したり、手紙を送れたりするんですよ」
「それはすごい。ちょっと見せてもらえるかね」
「良いですよ」
俺はスマホを渡した。
アルスローンはスマホを丁重に受け取ると、擦ったり匂いを嗅いだりしている。
「以前のオークションで、これに似たようなものが出品されたよ。物好きの富豪が落札していったがね。確かこんな四角い形状をしていた。光を放つオブジェと紹介されていたよ」
「多分、地球からやってきたんです。……そ、その、つまり俺のいた世界から」
「君はスーヴァリーガルの先に、どんな世界があると思う? そのちきうという国が広がっていると思うかね?」
「分かりません。でも、地球の物が紛れ込んでいる。きっと、どこかに二つを繋げる何かがあるとは思うんですけど」
「素晴らしい話だ。まだ見ぬ世界が広がっている。しかも、君のいた世界は、このアルヴェスト王国よりも数段上の技術を持っているようだからね。まさに魔法都市だ」
魔法都市……。
確かに、今の地球は魔法都市と呼べるかもしれない。
遠くにいる人間と話したり、車や飛行機を使って移動したり、アルヴェスト王国では考えられないことが、簡単にできる。蛇口をひねれば水が出る。それも今のアルヴェスト王国では考えられない。水瓶に水を入れて持ち運ばなければ、洗い物だってできない。面倒な国なのだ。
「魔法とは少し違うんですよ……」
と、俺は言った。
アルスローンは俺にスマホを返すと、再び歩き始めた。
前を歩くアルスローン。
それに続く俺とマリア。
マリアは相変わらず無言だったけれど、やる気に満ちた表情をしている。あの地球からやってきた地図と、ムガンダの奥地にある一帯が同じなら、きっと帰るためのヒントが隠されているに違いないのだ。だけど、同じなんてありえるのだろうか?
どう考えても、この国と地球は違う。
地球にいた時、俺はアルヴェスト王国の物を何一つ見た経験がない。そもそも、アルヴェスト王国という王国の名前さえ知らないのだ。地球ではアルヴェスト王国の情報が全くないのに、どうして、アルヴェスト王国には地球のアイテムがあるんだろう。これはかなり不思議だ……。
何か……ある。
そんな気がする。何というか、良くない気持ちが湧き上がる。嫌な気分だ。知ってはいけないパンドラの箱を開けてしまうのではないか。このまま何も知らずにいた方が、幸せなのではないか? だけど、いつまでもこの世界にいるわけにはいかない。地球では俺の帰りを待っている家族がいる。
絶対に失いたくない家族だ。アウグスト家の人たちには感謝しているけれど、あそこが俺の帰る場所でないのは分かり切っている。いつかは出ていかなければならない。それはそう遠くない日にやってくるかもしれないし、もしかしたら、やってこないかもしれない。
ムガンダの繁華街を抜けると、大きな森林地帯に入った。
辺りには当然であるけれど、街灯はない。アルスローンは持っていたカバンの中から小さなカンテラのようなものを取りだした、マッチに火を点け、それを明かり代わりにした。ぼんやりとしたオレンジ色光が、闇を放つ森林に浮かび上がる。
奇妙に影が伸び、三人の影が踊っているように見えた。
「この辺だが……」
徐に、アルスローンが呟いた。
そして、カンテラで地図を照らすと、辺りを良く見渡していった。
地図は東京の世田谷区の物だ。
世田谷は広いけど、こんな森があるような地区じゃない。
まぁ駒沢公園とか公園はあるけれど……。
東京で森や山にいくのなら、やっぱり奥多摩の方に行くしかないんじゃないだろうか?
あそこなら自然が溢れている。どちらかといと、アルヴェストに近いと言えるだろう。だけど、世田谷区は違う。もっと都会的でなんというか粗野な印象がある。
こんな落ち着いた森とは無縁の場所が広がっている。
車も多い。排気ガスは酷い。人で混雑していて、道も狭い。
「何かあるんですか?」
と、俺は尋ねた。
アルスローンは地図を見ながら、先に進んでいく。
やがて、小さな祠が見えてきた。
入れそうだが、魔獣でも棲んでいそうな雰囲気がある。
近づきたくない。……だけど、体は反応してしまう。
誘われるように、俺たちは祠の中に足を踏み入れる。
「違う……」
唐突にマリアが口を開いた。
何が違うのだろうか?
その声を聞いたアルスローンが進むのを止め立ち止まる。
彼の持つカンテラの明かりだけが頼りだ。ヴァンパイアは多少夜目が利くようだけど、俺は暗いところはさっぱりだ。明かりがなくては何も見えなくなってしまう。
「どうかしたのかね?」
「私は以前、ここに来た。だけど、その時はこんな感じじゃなかった」
「何をしに、ここに?」
「あなたの論文を見て、ここに異世界のトビラがあると察した。だから、私は一人でここにやってきた。その時、この祠を見つけた。何の変哲もない、ただの洞窟だった。でも今は違う……」
「うむ、確かに……。これを見たまえ」
アルスローンは壁に向かってカンテラを掲げた。
壁にオレンジ色の光が反射し、煌々と照らし出される。
壁は土ではない。
……。コンクリートだった。
「コ、コンクリートだ……」
俺は唖然としながらそう言った。
「こんくりいと?」
当然の疑問を吐くアルスローン。
それはそうだろう。この世界にはコンクリートなんでものはない。
なぜ、ないものがここにあるのか?
以前、マリアがここに来たときはこんなものはなかったという。
となると、今、ここで何かが発生したのだ。
ここは地球か? それともアルヴェスト王国のなのか?
何もかもが曖昧模糊に感じられる。必要な情報が何もない。
手がかりが何もないのだ。だけど、確かにコンクリートはここに存在している……。
「コンクリートは俺のいた世界の技術なんです。アルヴェストにはないはずだ」
「うむ。硬いな。岩のようだ」
アルスローンは壁をドンドンと叩いた。
「岩とは少し違うんです。砂をセメントで固めたものですから」
「せめんと?」
「俺も詳しくないんですけど、水と混ぜると硬くなる物質ですよ」
「そんな代物はアルヴェストにはないな……。となるとここは異世界。とうとう我々はやってきたのだよ。異世界のトビラにくぐったのだ」
「でも……」
ここは地球とは違うような気がした。
興奮したアルスローンは一人先に進んでいく。
明かりを持っているのは彼しかいない。俺とマリアは離れないように小走りで続く。
奥に進むと、門のようなものが見えてきた。
文字が書かれている。
その文字を見て、俺は驚愕した――。
『私立L学園高等学校』
俺の通っている高校だ。
その校門がなぜかアルヴェストの祠の中にある。
「異世界の文字のようだな。何と書いてあるのだろうか?」
と、アルスローンがカンテラで校門を照らし出している。
俺は文字を読んで聞かせた。
「俺のいた学校です。ここは学校の校門なんですよ」
「何だって……。君のいた学校?」
学校とはいうが、校門から先は見えない。
深い闇に覆われて、何があるのか分からない。
その時だった――。
俺のスマホが震えた。
咄嗟にスマホを掴む。
なんと電波が通じている。一斉にニュースが飛び込んでくる。
『世田谷区L地区にて巨大隕石の落下。十万人以上が犠牲に……』
隕石? 落下? 十万人以上が犠牲……。
何を言っているんだ?
ナニヲイッテイルンダ?
俺は何も考えられなくなった。
動こうと、なんとか体を振り絞った時、突如地割れのような巨大な地震が辺りを襲った。
「マズイ。一旦出るんだ」
アルスローンは俺たちにそう指示を出し、駆け出していく。
俺はマリアの手を掴み、まだこの場にいたいという気持ちを抑えながら、アルスローンの後を追う。
巨大地震は数秒で止まった。そしてもう一度校門の場所に行こうとしたとき、そこは大きな岩で塞がれてしまっていた。当然、電波も入らない。圏外のままである。
俺たちは祠から出た。
祠の中にいた時間は、恐らく長くても三〇分程度であろう。
しかし、浦島効果なのか、辺りは少しずつ朝靄に包まれ始めていた。
「朝が来る。参ったな。一旦帰ろう。君たちの連絡先を教えてくれ。何かあれば伝書鳩で手紙を送る」
マリアがアウグスト家の住所をメモに書いて渡した。
そして、俺とマリアはアルスローンと別れた。
朝を迎えつつあるムガンダは、人気がなくなっていた。
ヴァンパイアは朝日に弱い。それはフランクリンの件で知っていた。早くマリアを馬車に乗せないと……。
俺はよろよろとし始めたマリアを背負い、馬車に向かっていく。
「大丈夫か? マリア」
俺が声をかけると、マリアが小さな声で言った。
「大丈夫……。問題ない」
とはいうものの、問題は大アリのように見える。
小刻みに震えているし、ただでさえ白い顔がぼうっと赤くなっている。
やはり、ヴァンパイアは朝日が苦手なのだ。
馬車にマリアを乗せると、アウグスト家へ向かって走り出した――。
朝日が昇り、人気がまったくなくなった繁華街を走り、そしてムガンダを抜ける。やがてアウグスト家の敷地が見えてくる。入口の前で馬車を止め、マリアを背負い、屋敷の中に入る。
玄関をくぐると、クロードが待っていた。
「だいぶ遅いお帰りですね」
少し、棘がある言い方だった。
だが、今は言い訳している時間はない。マリアを部屋に運ぶの先決である。
マリアを部屋に運び、そして俺はクロードのところへ行く。
マリアは疲れが出たのか、ベッドの上に乗せるとそのまま静かに眠ってしまった。
「何があったのですか?」
と、クロードは言った。
俺はキッチンのテーブルの前に立つと、グラスに一杯の水を注ぎ、それを一口飲んだ。
「ちょっと、ムガンダへ行ったんです。その、マリアと二人で……。そこで、ある事件が起きまして」
「ある事件?」
俺は祠であった出来事と、オークションで出会ったアルスローンという研究者のことを説明する。クロードは黙って聞いており、話を聞き終わると、口を開いた。
「不思議な話です。祠の中は、別世界と繋がっていた。そして、その中にいると、時間の流れが進み、気づいたら朝を迎えようとしていたのですね」
「そうです。それに……」
俺はグッと詰まった。
俺のいた高校の校門が、あの祠の中にはあったのだ。
さらに言えば、一瞬だけ電波が入り、スマホが起動した。そこで見た、世田谷区に落ちた隕石騒動。
十万人に近い人間が犠牲になった未曽有の大災害だ。
本当にそんな恐ろしい事件が起きたのか?
フェイクニュース? Twitterとかでたまに見る、嘘のニュースなのか?
いや、それはないだろう。あれは間違いなく本物のニュースだった。
俺がこの世界に来ている間に、俺が住んでいる世田谷区では事件が起きたのだ。
隕石衝突という衝撃的な事件が……。
そこまで考えると、堪らなく不安になる。
俺に記憶が正しければ、世田谷区には八十九万人の人が住んでいるはずだ。
その内の十万人が亡くなったとすれば、約九人に一人は死んだという計算ができる。
家族は大丈夫だろうか?
学校のクラスメイト達は……。
あの校門が祠の中にあったのは、隕石の衝突が、L学園の高等学校の近くであったからなのかもしれない。そう考えると、学校にいた人間の多くは……。
犠牲になった――。
嘘だ。そんなわけない。考えたくない。
すべては俺が見た幻だ。きっと今頃地球は……、日本の世田谷区は平和な時を過ごしているはずだ。
そうでないと、俺は頭がどうかしてしまう。
頼むから、誰でも良いから嘘と言ってくれ。
隕石衝突なんてなかった。それが分かればどれだけ安心できるか。
俺はきっと恐ろしい顔をしていたのであろう。
クロードは訝しい目線を俺に対して送っている。
「何か気になることでもあるのですか?」
言うべきなんだろうか?
宇宙と言う概念がないこのアルヴェスト王国の中で『隕石』の説明をするのは少し面倒だ。
どう説明するべきなんだろうか?
でも、何か人に相談しないと、俺は自分の精神を保てなさそうだった。
「俺のいた世界が危ないみたいなんです」
「ちきうのとうきょうという世界ですね?」
「そうです。大災害が起きた可能性があるんです」
「なぜ、そう思うんですか?」
「俺の持っているスマホ……。このマジックアイテムにそう連絡が入ったんです。このアイテムには、外部からの情報を得る機能がありますから、そういうのが分かるんです」
「便利な力です。しかし、まだ決まったわけではないでしょう。とにかく落ち着くのが大切ですよ」
「家族や友達が災害に巻き込まれたかもしれないんです。落ち着いていられないですよ。俺、もう一度、これからあの祠に行ってみます。夜には帰ってきますから、行かせて下さい」
「止めても聞かないでしょうね。あなたは日中に動けるようですから、私は何も言いません。しかし、危険な行為をお止めください。カイエさんに何かあれば、皆さんが心配されますから」
「大丈夫です。必ず戻ってきます」
俺はそう言い、アウグスト家を出て行った――。
不安になる気持ちを抑え、俺はムガンダの奥地に広がる祠を目指した。
馬を止め、祠の前に立つ。
中に入ると、少しだけ冷たい印象があった。入口付近は日差しが降り注いでいるから明るいけれど、中は酷く暗かった。参った。ライトを持ってくるのを忘れた。スマホの明かりを使うしかない。充電はフルではないけど、マリアが直してくれた充電器のおかけである程度回復している。多分、使えるだろう。
祠の中に入り、辺りを見渡す。スマホのか細い明かりだけが頼りだ。ゆっくりと着実に一歩ずつ進め、中に入っていく。数時間前来た時はどの程度奥まで入っていただろうか? それを思い出すように進んでいく。
大分奥まで入っていく。しかし、不思議なことに一向に校門は見えてこなかった。スマホも圏外のままでまったく電波を受信する素振りさえない。きっと条件が合致しないんだ。
この祠に、不思議な力があるのは間違いない。だけど、その力の恩恵を受けるためには、何か条件みたいなものがあるのかもしれない。それは何だろうか?
以前、マリアはこの祠に来た経験があると告げていた。だけど、その時はL学園の校門はなかったと言っていたはずだ。だけど、今回来た時はL学の校門とこの祠が繋がった。さらに言えば、アルスローンもこの祠に来たはずなんだ。彼もまたL学の校門を見たのは初めてだと言っていた。
となると、怪しいのはあの地図か……。
異世界を繋ぐのは、あのオークションで落札した地図なのかもしれない。
地図に不思議な力がるのか?
そうは思えない。……俺が見た感じでは、あの地図はただの日本にある地図だ。
書店に行けば売っているような地図で、魔力を宿しているようなものではない。だけど、それ以外に何かこの祠と地球を繋げるものがあるのだろうか?
考えれば考えるほど分からない。
スマホの明かりを頼りに、俺はどんどん奥へ進んでいく。
気持ちは焦るばかりだ。家族が心配。
仮に本当に隕石が落下したのなら、L学の付近に住む俺の家族は……。
皆、死んだ――。かもしれない。
信じたくない。そんな馬鹿な話があってたまるか。
皆、俺の作り出した幻想にすぎないだろう。
嘘であってくれ。もう、何度もこう考えた。やがて、祠は行き止まりになってしまった。そう言えば、岩で閉ざされてしまったんだよな。これ以上先には進めないようだ。
先に進めない。そしてL学の校門はない。
来た道が間違っているのか?
それはない。前来た時は一本道だったし、今回も同じ道順で来た。
記憶はそれほど時間が経っていないから鮮明だし、迷うはずがない。
なぜ、あの時にだけ、L学の校門が見えたのか?
謎で仕方ない……。
行き止まりの中、俺はその場でへたり込んだ。ぼんやりとしたスマホの明かりが辺りを照らしてる。何をしているだろう。遠くから風の音が聞こえてくるだけで、ここには何もない。せめてもう一度スマホに電波が入ってくれれば、ニュースを見れるのに……。電波が入った時に画面を保存しておくべきだった。
自分の行動力のなさが悔やまれる。だとしても、今更言っても仕方ない。
俺は立ち上がる。充電はフル充電状態ではない。ある程度使えば直ぐに電池はなくなってしまうだろう。そうなる前に、この祠から出ないとならない。
よろよろした足取りで、俺は祠の出口へ進む。
祠を出た時、太陽は燦々と日差しを降り注いで、それが場違いなように思えた。
空はこんなにも穏やかなのに、どうして俺の心はこんなにも晴れないんだろう。
決まっている。
隕石の所為だ……。
あのニュースが今も俺を縛り付けているんだ。
スマホを見つめる。依然として圏外。まったく電波が入る気配がない。なぜ、あの瞬間だけは電波が入ったんだろう? この世界と、地球を繋げる何かが起きたのは間違いない。理由は分からない。しいて言えば、アルスローンがオークションで落札した地図だ。
やはり、あの地図に何か秘密があるのだろうか?
アルスローンと連絡を取りたいけど、今は日中。
連絡しても会えるのは夜になってからだ……。
昼夜逆転生活が続き、朝になったら寝るのに慣れ始めたから、体がすっかり疲れていた。
足は重い。体もフラフラする。
一旦帰るべきか? 体力を回復させないと、次動けなくなるかもしれない。
(戻ろう……)
俺は馬に乗り、アウグスト家へ戻った――。
屋敷内はひっそりとしていた。
日本で言えば深夜の時間帯だ。皆眠っている。
……はずだった。
けれど、食堂の方から物音が聞こえてくる。クロードがまだ起きているのだろうか?
屋敷内の時計を見つめる。
既に日中の二時。普通だったら誰も起きてこないはずなのに。
誰がいるんだろうか?
俺は食堂へ向かった。疲れた体は悲鳴を上げていたけれど、誰がいるのか確認しておきたかった。
「誰かいるのか?」
俺は食堂に入る前、そう言った。
すると、中からガサゴソと音が聞こえてくる。
「カ、カイエさん」
イリザの声。
イリザが一人、食堂のテーブルに座っている。
グラスにブラッドを注ぎ、それを一人で飲んでいるようだった。
「イリザか。眠れないのか?」
と、俺は尋ねる。
イリザは少し恥ずかしそうに顔を背けると、ブラッドを一口飲んだ。
「ちょっと、色々ありまして……」
この少女。いや、もう少女じゃないか。
イリザにも何か秘密があるようなのだ。諜報局で働いている時点で、普通の二〇歳とは少し違うのかもしれない。貴族の暮らしは良く知らないけど、俺が本で読んだ貴族は皆、悠々自適に生きているように見えた。
働いている……。これ自体が稀なのかもしれない。
「寝なくて良いのか? 明日も仕事なんじゃ?」
「え、えぇ。大丈夫です。カイエさんこそ、こんな遅くまで大丈夫なんですか?」
イリザは俺とマリアが遭遇した事件を知らない。
話すべきか?
まぁ、隠しておいても仕方がないし、別に話しても問題ないだろう。
俺は掻い摘んで今日の出来事を話して聞かせた。
イリザは真剣な瞳で俺の話を聞いている。
吸い込まれるような瞳。
そして、白い髪の毛が、俺をたまらなく誘惑する。
もっと近くに寄りたい。だけど、そんなことをすればきっと警戒される……。
だけど、人の温もりが感じたかった。
「カイエさんのいた世界が危ない……。それが本当なら、恐ろしい話です」
と、イリザは言った。
俺も頷く。確かに、恐ろしい話。あってはいけない。
だけど、隕石が落ちた可能性は限りなく高いのだ。
「俺、どうしたら良いだろう?」
イリザに言っても、彼女には何もできないだろう。
帰る手段など……。誰にも分からないのだから。
「カイエさんは帰りたいのですよね?」
「もちろん、そりゃ帰りたい……。でも、その方法が分からない」
「ここに来る前、カイエさんは何をしていたんですか?」
「学校から帰る途中だったんだよ。そこで気を失って、気づいたらアウグスト家のベッドの上にいたんだ。なぁイリザ、俺はどこで倒れていたんだ?」
「アウグスト家の敷地から少し離れた森の中です。私が屋敷に戻る途中、倒れているカイエさんを発見したんです」
「その付近には何かあるか? 例えば祠とか?」
「ええと、神様を祀ったイリシスという建物があります。建物というか、小屋のようなものですが、石でできた神様を祀ってあります」
「そこはどこだ? ちょっと気になるんだ。行ってみようと思う」
「今は日中ですよ。夜になってからの方が……」
「俺はヴァンパイアじゃないから、昼間でも大丈夫なんだ」
「ヴァンパイアじゃない……?」
キョトンとするイリザ。
「俺は異世界から来た人間だ。言ったろ。だからヴァンパイアじゃないんだよ」
「そ、そうですか……なら、もしかすると」
イリザは口ごもる。
急な変身だったので、俺は訝しい視線を送る。
何か隠しているように感じたのだ。
「何かあるのか」
「イリシスに祀ってある神様もヴァンパイアじゃないそうです」
「なぁ、アルヴェスト王国にはヴァンパイア以外の人間はいるのか?」
「えぇ。確認されています。ですが……」
「何だ?」
「迫害を受けています。神聖な夜に活動できない亜種と呼ばれるヴァンパイアは、ヴァンパイアとみなされていないのです。ですから、人里離れた場所で暮らしています」
「そ、そうなのか。その人たちが暮らしている場所は分かるか?」
「分かります。でも、カイエさん。会いに行くんじゃ……」
「何か帰るためのヒントになるかもしれない。俺はそこに行ってみるよ。場所を教えてくれないか」
「危険です。亜種のヴァンパイアは私たちを憎んでいます。行けば何をされるか分からない」
「大丈夫だよ。俺だって亜種だ……。みたいなものだ」
「いえ、違います。あなたは亜種ではない。見た目は完全にヴァンパイアなんです」
「亜種の見た目は違うのか?」
「……違います。全く。だから危険です。居場所を言うことはできません」
頑なに拒絶される。
どう足掻いても教えてもらえるとは思えなかった。
なら、今できるのは一つだ。
「じゃあ、亜種には会いに行かないよ。その代り、俺が倒れていた場所を教えてほしい」
「そ、それなら……。分かりました。地図を書きましょう」
そう言うと、イリザは一旦食堂から消え、やがて紙に書いた地図を持って現れた。
「ここから歩いて一〇分ほどです。イリシスは行けば分かると思います。本当なら私が案内するべきなんでしょうが、今は昼。外へは出られません。ですから、夜まで待ってほしいのが本心です」
「大丈夫だよ。すぐに帰ってくる」
「分かりました。では気を付けて行ってらっしゃいませ」
俺はイリザと別れ、イリシスとやらに向かった――。