異世界転生―ヴァンパイアの秘密―
アウグスト家に戻ると、ニヤニヤと笑っているリーネとぶつかった。
俺は憮然としながら、文句を言う。
「お前、ハメたな!」
「何言ってるの?」
「ブラッドはいつも届けてもらっているそうじゃないか。買いに行く必要なかったんだよ」
「あらら、それは残念ね。でも良い経験になったでしょ。変態執事なんだから、これくらいしなきゃ」
リーネの中で、俺はどうやら変態執事になっているらしい。
それはショックだけど、俺がマリアの胸に触れてしまったのは事実だから文句は言えない。
「俺は変態じゃない……。まぁお前に言っても仕方ないかもしれないけど」
「マリアと蚤の市へ行ったのよね。どうだった?」
「どうだったって何が?」
「マリア、何か買ったの? まぁ多分いつもの通りガラクタを買ったんだろうけど……、それも膨大な値段で」
「買ってたよ。でも、俺の持っている機械を修理するためなんだ。だから大目に見てやってほしい」
「まぁ、あの子がお金を使うのは、これくらいしかないから、別に問題ないんだけどね。アウグスト家にはお父様の残した遺産があるし、大丈夫よ」
「なぁ。一つ聞いても良いか?」
「何よ」
「イリザって何をして働いているんだ? 少し聞いたんだけど、諜報局だって。そこに勤めているんだろ?」
「イリザ姉ぇのこと……。色々あるのよ」
「色々って何なんだよ。マリアも何か隠しているようだった。何かあるんじゃないのか?」
「あたしも詳しくは知らないの。だけど、諜報局にいるのは、それなりに実力がある証なの。イリザ姉ぇはまだ二〇歳。若いのに諜報局で働いているだけで凄いのよ」
「具体的に諜報局って何なんだ?」
「敵国の秘密を探る部署……。それくらいしか知らないわ」
「敵国? そういうやアルヴェスト王国は戦争をしているんだよな。シリルのクラスメイトのアレフって奴も確か言っていたよ」
「そう、アルヴェスト王国はスーヴァリーガルと戦っている」
「スーヴァリーガルと……」
「もう何年も戦っているわ。今は冷戦状態が続いているけれど、いつ攻撃が再開されても不思議ではない。そうなれば、ここも攻撃されるでしょうね」
スーヴァリーガルは地球のアイテムを数多く所持している。
そんな国と戦えば、決して文明レベルが高くないアルヴェスト王国はきっと負けるだろう。
「スーヴァリーガルって何なんだ?」
「新興国。別名魔法都市とも呼ばれているわ。マジックアイテムの多くはスーヴァリーガルからやってくるから、存在しない力を数多く保有するスーヴァリーガルは、アルヴェスト王国にとっては脅威なのよ。だから、なんとしても排除したい。でも、無理ね。戦闘が始まれば、きっとアルヴェスト王国は負ける。このまま冷戦が続くのを祈った方が良いわ。それか、戦争が終わるのを期待するしかないわ」
「そ、そうなのか……」
戦争なんて、お話の中の出来事だ。まさか現実に起きるとは思えない。
だけど、そんなありえない話が実際に起きているのだ。
不可解極まりない事実……。
大いなる謎が残されている。
「俺は近いうちにスーヴァリーガルへ行く。帰る手段を見つけないとならないからな」
「危険よ。それに申請が必要。でも今はほとんど通らない」
リーネにマリアがスーヴァリーガル行きの申請届を出したという事実を告げても良いのだろうか?
いや、今はまだ黙っておこう。実際に行けるかは分からないのだから……。
俺はリーネとの話を切り上げ、ブラッドを食堂に運び入れ、夕食の準備を始めた。
もう少ししたら、クロードが帰ってくるだろう。大したことはできないが、夕食で使う野菜なんかを洗っておけばきっと仕事がやりやすいだろう。俺は水場で野菜を洗い始めた――。
しばらく野菜を洗っていると、そこにイリザがやってきた。
白い表情。神々しい白絹のような髪がしなやかに揺れている。
「イリザ。どうかしたのか?」
と、俺は言った。
イリザは俺に気付くと、サッと顔を伏せた。
疲れているところを見せたくなかったのかもしれない。
「カイエさん。ここにいらしたんですね」
「ちょっと夕食の準備をな。もう少しでクロードも帰ってくるだろうし……」
「そうですか。今日の夕食、私はいりません。クロードには既に言ってありますが、カイエさんにもそう申しておきます」
「どこか行くのか?」
「はい。少し予定があります」
「仕事……か?」
仕事という言葉を聞き、イリザはサッと顔を歪ませる。
諜報局での仕事なんだろう。深く聞いても良いのだろうか?
気になって仕方がない。
「仕事のようなものです。それでは行ってきます」
「ちょっと待ってくれ」
「なんですか?」
俺はイリザに近寄り、そして頭を優しくなでた。
「俺にはこのくらいしかできない。仕事を手伝ってやれないけど、とにかく頑張ってくれ。何かあったら何でも言ってくれよ。俺はイリザの執事なんだから」
頭を撫でられ、イリザは頬を赤く染めた。
元から肌が白いから、赤くなると余計に目立って見える。
「ありがとうございます。カイエさん。そう言ってもらえると、本当に心強いです」
凛とした表情に戻るイリザ。
彼女は一礼をすると、足早に消えていった。
入れ違いになるように、クロードが帰ってきた。
「今日、イリザの夕食はいらないんですよね?」
と、俺はあえて尋ねた。
クロードは調理に取り掛かりながら、目線だけを俺に向け、質問に答えた。
「そうです。今日は必要ありません」
「何の、仕事なんですか?」
「それはイリザ様の職業柄、申し上げることはできません」
「クロードさんはイリザがどんな仕事をしているのか知っているんですか?」
「すべてではありませんが」
「教えてくれませんか?」
「……。カイエさん。それはできないのですよ」
「なぜです?」
「あなたを危険に晒すから……。さて、話はこれまでです。夕食の準備をしましょう。手伝ってもらえますか?」
クロードはそれきりイリザの仕事の件は話さなかった――。
イリザに関してはまだ何か秘密があるようだ。クロードは言っていた。知れば俺に危険があると……。
そんな身内を危険に晒すような仕事をイリザはしているのだろうか。
また、時間があったら、聞いてみよう。スーヴァリーガルに行くのも大切だが、俺を救ってくれたイリザもまた同じくらい大切なのだ。何かあれば放ってはおけない。
食事はいつも通り終わる。
給仕を終え、姉妹たちが食べ終えた食器を洗い場に持っていく。
そこで食器を洗うのだ。これは執事である俺の仕事になっている。
その前に、食後のブラッドを出す。鍋にブラッドを入れ、ホットにして出すのだ。
食後のコーヒーのようなものだろう。
一度飲んだ経験があるけど、血生臭くて俺は好きになれなかった。
こんなものを、よく平気な顔をして飲むものだ……。
日本で言えば『クサヤ』みたいなものかもしれない。臭いけど美味い。だけど、ブラッドは旨くない。
俺が食堂にホットブラッドを持っていくと、マリアが俺の元に駆け寄ってきた。
「どうかしたのか?」
「直った」
「直った? 何がだ?」
「例のマジックアイテム」
「もう直したのか。凄いな。まだそんなに時間が経っていないのに……」
俺が褒めると、マリアは少しだけ照れくさそうにした。そして、俺の持っていたブラッドを受け取り、それを一口飲む。ホッと安堵した表情が俺の瞳に映る。
「直した。後で部屋に来て」
「分かった。仕事が終わったら行くよ」
俺はマリアと会う約束をして、洗い場に戻った――。
仕事が終わったのは、それから一時間ほどしてからだった。
大方片づけを終え、後は屋敷内の掃除だけど、これは後回しにしても良いだろう。
今は、マリアにある方が大切だ。
俺はマリアの部屋に向かった。
「マリア入るぞ……」
部屋に入ったら下着姿のマリアが……。
なんてことにならないように、入念にノックをし、きちんと「入って」の声が聞こえてから部屋に入る。ラッキースケベは嬉しいけれど、変な誤解をされるもの困りものだ。特にリーネは俺を変態執事と呼んでいる。こんな理不尽は他にない。
部屋に入ると、マリアが机の上に部品をたくさん集めて座り込んでいた。
研究者の机……。という感じがする。
卓上のろうそくの明かりがぼんやりと光っていて、マリアの顔に影を作っていた。
白い肌が、オレンジ色の明かりに照らされて神々しい印象を与える。金色の髪にパープルの瞳。精巧に作られたアンティークドールのような風体に俺は息をのんだ。
「こっち、来て……」
マリアは俺が部屋に入ってくるなりそう言った。
机の上にある、小型の充電器を俺に向かって見せる。
「直ったのか?」
「直った。試してみて」
俺がアレフに貰った充電器は簡易式の充電器だ。
ペダルが端末の横についていて、それを自転車を漕ぐみたいに回して電力を発生させる。
だから、それほど強いエネルギーを発せられるわけではない。
だけど、一応スマホを充電できるか試してみるべきだろう。
スマホの充電ケーブルは持っている。それはそれをマリアが直した端末に繋ぎ、ペダルを回した。
「ウィィン」
電子音が鳴り響く。
隣に立つマリアが、興味深そうに俺のスマホに視線を注いでいる。
スマホが起動する。動いたのだ。どうやら、この充電器は使えるようだ。
「動くよ。ペダルを回せば、きっと充電できる」
俺は興奮した面持ちで言う。
マリアもそれにつられて嬉しくなったようである。顔は無表情だが、スッと赤く朱が入る。
「じゅうでん?」
「つまり、エネルギーを蓄えるって意味さ」
「そう。そのマジックアイテム、また動くの?」
「多分ね。でもずっとペダルを回していないならないな。多分だけど、あんまり高い電力を作れないんだ。だから、エネルギーを満タンにするのは難しいかもしれない」
「良かった。直って」
「ありがとう。感謝するよ。何かお礼をしないとならないな。何かあるか?」
マリアは少し考える素振りを見せた。
「一つある」
「何だ? 俺にできるのなら、なんだってするぞ」
「一日付き合ってほしい」
「どこか行くのか?」
「行く」
「どこへ?」
「ムガンダ……。少し行きたい場所がある。でも私一人じゃ入れない。だから付き合ってほしい」
「別に構わないけど、どこに行きたいんだ?」
「スーヴァリーガルに関係ある場所」
「そうか、それなら、俺にも関係あるな。喜んで協力するよ」
「ありがとう……。カイエ」
お礼を言われる。
なんとなく照れる俺。
よく考えれば、マリアとデートするって意味だよな。
デートか……。
日本にいた時、俺はデートなんかした経験がなかった。
女の子と手を繋いだ経験だってない。学校でもそれほど積極的に異性を話すわけではないし、どちからというと男友達とばかり話していた。だから、街に二人で行くとなると、何をして良いのか分からなかった。
(一応……、俺がリードするべきなのか?)
デート読本などの情報誌は、この世界にはないだろう。
なんとか、自分でデートプランを作る必要がある。
「どうかした?」
俺が考え込んでいると、ふとマリアがそう言ってきた。
パープルの宝石ような瞳が、俺に向かって注がれている。
「あ、いや。これってデートになるのか?」
「でーと?」
「そう。つまり、男女が一緒に街を歩いたり遊んだりする意味だよ」
「そう考えても良い。私は特に意識していない……」
「ま、まぁそうだよな。でもせっかくムガンダに行くんだ。楽しもうよ。それで、いつムガンダに行くんだ?」
「早い方が良い。できれば次の休みの日に行きたい」
次の休みの日。
となると、明後日か……。
意外と早いな。
「分かった。じゃあ明後日に行こう。馬車を使えるか、クロードに聞いておくよ」
「そう。お願い」
俺はこうしてマリアと別れた――。
屋敷の掃除を終えると、一通りの仕事は終わる。
自室へ戻り、ベッドの上にごろりと横になった。
心地良い疲れが、少しずつ抜けていく。
マリアとデート……。
何を話そうか? 何か考えておかないと、無言状態になるから、気をつけないとならないな。でもマリアって何に興味があるんだろう。やっぱり機械いじりが好きだから、機械関連を話せるようになっておくと良いのかもしれない。だけど、俺……。機械音痴なんだよな。
スマホだってギリギリ使いこなしている感じだし。今時の若者としては、かなり機械には弱い方だ。
第一、アルヴェスト王国と日本の機械のレベルは全く違う。日本の方が二〇〇年くらい先を進んでいるくらいだ。だから、機械で話を合わせるのは難しいかもしれない。とはいっても、この国で何が流行っているかなんて、俺は知らない。
部屋から出て、一階のホールへ向かった。
無人。
頭上のシャンデリアの明かりだけが、ぼんやりとホールを照らし出している。
しばらく中心に立ち尽くす。
そういや、イリザは今、仕事をしているんだよな。
大丈夫なんだろうか? 危険はないのだろうか?
何となくだけど、そんな不安に駆られる。俺が心配したところで、どうにもならないのは分かっている。だけど、どうしようもなく不安になるのだ。諜報局……。諜報ってことは、スパイとかそっち関連の仕事なのかな? だとすると、結構危ない匂いがするっていうか……。
俺がホールに立っていると、コツコツとコンクリートを杖で突くような音が聞こえてくる。
音の方向に目を向けると、シリルがこちらに向かって歩いて来ているのが分かった。
「カイエ。ここで何をしているのですか?」
「いや、ちょっと、部屋にいると落ち着けなくて、屋敷の中をうろついていたんだ」
「そうなのですか。ちょうど良いのです。何か話をしましょうです」
「話か……。なんでも良いけど、そうだ。アレフはどうなっている?」
「アレフとは友達になったのですよ。イザベルと一緒です。よく三人でお昼を食べるようになったのですよ」
「それは良かったな。やっぱり友達って大切だよな」
「そうなのです。カイエには友達はいるのですか?」
友達……。
日本には友達がいる。
今頃何をしているだろうか? 俺が突然消えたから、驚いているかもしれない。もしかしたら探してくれているかもしれないけれど、俺には本当の意味で親友と呼べる人間はいない。
親友とは何だろう。自分の悩みや思いなんかをぶつけられる相手だろうか? 時には喧嘩をしぶつかり合うけれど、お互いを高めるために必要な人間だろうか? そうだとすると、俺には親友はいない。俺にはぶつかり合うような友達はいないからだ。皆、表面上だけの付き合い……。
学校で喋り、休日になれば、一緒になって遊ぶ。
そんな友達は俺にはいなかった。作ろうとしたけれど、不器用な俺はどうして良いのか分からなかったのだ。そのまま人と距離が生まれ、いつしか教室で一人でいるようになった。それでも話をする相手がいないわけじゃない。話しかければ反応はある。だけど、それだけだ。少し寂しいけど仕方ない。ずっとそう思って生きてきた。
だからこそ、こうして本当の意味で友達を見つけたシリルの姿がとても羨ましい。
羨望の眼差しを送る俺。
俺に瞳に入る力をシリルは感じ取ったようであった。
「俺、そんなに友達いないんだ。だから、シリルが羨ましいよ……」
「カイエには僕がいるのですよ。それにアレフやイザベルだっているのです」
「俺、シリルの学校の生徒じゃないぜ」
「それは関係ないのです。本来、友達に身分は必要ないのですよ。ですが、この世界では身分がありますです。高い身分の人間は高い身分の人間と集まり、低い身分の人間は低い身分の人間同士で集まるのです。それはすごくもったいないと思うのですよ。本当は皆仲良くできるのです。それができれば、きっと戦争だって終わるはずなのです」
確かに言うとおりだ。
戦争は人間が作り出した最大級の愚かな行為だ。
人が人を殺す……。こんな世界があって良いのだろうか?
日本は平和だったけど、世界に目を向ければ至るところで戦争は起きていた。
そこには身分の違いや宗教上の考えの違いなんかがあったはずだ。
皆、平等になるのは難しい……。
人は、人よりも優れようとして、陥れたり、ハメたりする。そんな負の連鎖はなかなか止まるようなものじゃない……。
何か、しんみりとしてしまった。
話を変えないと。
「なぁ。シリル。今アルヴェスト王国では何が流行ってるんだ?」
「流行ってることですか? なぜ聞くのですか?」
「実はさ、今度マリアと二人でムガンダへ行くんだよ。マリアって結構無口だろ。だから、話を盛り上げるためにも何か流行っているものとかあれば押さえておきたいんだよ」
「マリアと買い物に行くのなら、スーヴァリーガルの話をすると良いのです」
「スーヴァリーガル? だけど、俺はあんまり詳しくないし」
「カイエには大きなアドバンテージがあるのです」
「俺に、アドバンテージが?」
「そうなのです。すまほっていうマジックアイテムを持っていますです。それがあれば、話のネタに尽きる心配はないのですよ」
「スマホっていっても、マリアは詳しくないし……。それに今はほとんど使えないし」
「色々見せてあげると良いのですよ。マリアが人を買い物に誘うのはすごく珍しいことなのです。だから、カイエにはマリアを楽しませてほしいのですよ」
「それができると良いんだけどな……」
「カイエにはできるはずです。大丈夫なのですよ」
そう、励まされる。
スマホがあれば話のネタには尽きない……。
俺は決してトーク術があるわけじゃないけど、スマホならいつも使っていたから、ある程度は話せるだろう。とはいっても、電話とかメールとか言っても仕方ないよな。……この世界には当然だけどネットだってないし。そうなると、話せる内容は限られてくるな。
少しの間黙り込む。
そんな俺の態度を見たシリルは、やや不安そうな顔になり、俺の手を取った。
「流行ってるゲームがあるのですよ」
と、徐にシリルは言った。
「ゲーム?」
「ムガンダに行けば売ってると思うのです。カードゲームなのです」
「カードか……。トランプみたいなものかな?」
「とらんぷですか? それはなんですか?」
「あぁいや、知らないなら良いんだ。俺のいた世界のカードゲームで『トランプ』って言うのがあるんだ。色んなゲームがあって、一人でも楽しめるし、大人数でもできるんだ」
「それに近いものと考えてよいのです。僕もとらんぷを見てみたいのですよ」
「もしかしたら、スーヴァリーガルの渡来品を扱う店に行けば売っているかもしれない。今度行った時に見てみるよ。ありがとう。何となくヒントを得たよ」
「カードの名前はケロットというのです。ケロットゲームというゲームができるのですよ」
「分かった。参考にするよ」
俺はシリルと別れ、再び自室へ戻った――。
マリアとのデートの日――。
俺はいつもの通り執事服に身を包み、馬車を準備していた。
前、ブラッドを買いに行った時は、二頭の馬を準備したけど、今回は重たいものを持つわけじゃないから、一頭だけでも問題はないだろう。馬小屋から、体つきの立派な馬を選び、そして馬車につなげる。準備は完了。後はマリアを待つだけだ。
しばらく待っていると、玄関のトビラがゆっくりと開いた。
いつものマリアは学校の制服を着ているが、今日は違う服装をしている。フリルがふんだんにあしらわれたドレスを着用している。貴族の令嬢だから、私服も華やかなのだ。あれじゃ少し動きにくいだろうけど、オシャレをしているんだから、文句は言えない……。
「ちょっと変?」
と、マリアは言った。
「いや、似合ってるよ。行こうか」
俺はそう言い、マリアの手を取る。そして馬車に乗せ、俺は運転席に座り、馬に鞭を与える。
パカパカとゆっくり馬が歩き始め、俺とマリアはムガンダへ向かう――。
車内では、やっぱり無言状態が長く続いた。
多分だけど、マリアはこの状況を何とも思っていないだろう。変に意識しているのは俺だけなのかもしれない。必死に会話を探す中、俺はシリルが言っていたゲームを思い出した。
「なぁ、マリア。ケロットカードって知ってるか?」
馬車の中に向かって俺は尋ねた。
しばしの間があった後、マリアが答える。
「知ってる。今、流行ってるゲーム」
一応、流行は知っているんだな。
まぁ当然か。……俺はそんな風に考える。
「俺のいた世界ではさ、トランプって言うゲームがあるんだよ。もしかしたらスーヴァリーガルの渡来品の中に紛れ込んでいるかもしれない。前言った店に行ってみても良いか?」
「良い」
「そうか、じゃあマリアの用事が終わったら、店に行こう」
「分かった……」
ムガンダに着く。
馬車を止め、俺たちは繁華街を歩く。
夜の空気が辺りを覆っているが、活気が溢れている。
果たして、マリアが行きたい場所とはどこなのだろうか?
俺はマリアの後に黙って続いた――。
「ここ……」
唐突にマリアが立ち止まり、そのように言った。
目の前にはやや大き目な屋敷がある。
フランクリンの邸宅に比べるとやや小ぢんまりとしているが、貴族の家のなのかもしれない。
「ここがマリアの来たかった場所なのか?」
「そう。男性の付き添いがいないと入れない」
「へぇ。普通のお屋敷に見えるけど、何かの店なのか?」
「スーヴァリーガルの情報を持っている運営会。一度来てみたかったの」
スーヴァリーガルか……。
遠い異国。そして、俺のいた世界、地球と何か繋がりがあるかもしれない国。
ならば俺にも関係がある。覗いてみるのは、決して無駄ではないだろう。
屋敷の入り口をくぐろうとすると、門衛のような人間がいて、俺とマリアを止めた。
「ここは子供の来るところじゃない」
門衛は鋭く言った。
だが、マリアは負けていなかった。
「確かに子供。だけど、スーヴァリーガルの情報が欲しい」
「帰んな。来ても無駄だ」
「カイエ、この間のマジックアイテム。今ある?」
問われた俺は、すぐに答える。
「あるけど、どうするんだ?」
「この人に見せて……」
言われるままに、俺はスマホと簡易式の充電器を取り出す。
異形のガジェット……。
この世界ではまずお目にかかれないフォルムや形状だから、門衛はすぐに目の色を変えた。
「これをどこで手に入れた」
俺が答えようとすると、マリアが遮って言った。
「この人はスーヴァリーガルから来た。だから持ってる」
「スーヴァリーガルから?」
門衛の鋭い視線が俺に向かって注がれる。
品定めをしているような目。何となく居心地は悪い。
「まぁ良い。入りな」
すんなりと門衛は俺たちを屋敷の中に入れた。
とりあえず第一関門はクリアした、というところか……
屋敷の中は薄暗く、それでいて香でも焚いているのか、強烈な甘い香りと、煙が充満していた。
玄関を通されると、ホールがあり、そこで多くの人間がグラスに注いだ何かを飲みながら談笑していた。
何かこう、異様な雰囲気がある。
「怪しい場所だな。大丈夫なのか?」
少し不安になった俺は、マリアに対してそう言った。
マリアはあまり気にしているような感じではなく、毅然とした表情を浮かべている。
「大丈夫。問題ない」
「ここで何があるんだ?」
「スーヴァリーガルの商品のオークションがある」
「オークション……」
しばらく待っていると、ホールの先にある壇上にタキシードを着た人間が現れ、声を上げた。
「これより、オークションを開催いたします。参加者は前の席にお座りください」
壇上の向かい側に、椅子が設置されている。
今まで談笑していた連中が、ぞろぞろと動き出し、そして椅子に座っていく。
マリアもそれに倣い、俺の手を引き席に座る。
どうやら、このオークションに参加するのが目的だったらしい。
でも、金あるのか? ヤフオクとかとは規模が違うだろうし、やっぱり子供が参加するような雰囲気ではない。何か目当ての品があるのだろうか?
「まずは一品目。スーヴァリーガルからの渡来品である、謎のオブジェでございます。こちたは一〇〇〇〇キルツから始めさせていただきます」
謎のオブジェ……。
それはオブジェではなく、折りたたみの携帯電話だった。
少しデザインが古いから、多分四、五年ほど前のものだろう。
やはり、スーヴァリーガルと地球は繋がっている。
「あれを買うのか?」
俺は問うた。
しかし、マリアは首を左右に振る。
「あれが目的じゃない……」
「何が目的なんだ?」
「もう少しで分かる……」
結局、例の携帯電話は二十五万キルツで落札された。
異様な値段。
そして次から次へと出てくるスーヴァリーガルの渡来品。
それは電子機器をはじめ、プラモデルや書籍なんかもあるようであった。遠目から見る限り、英語で書かれた書物が一五〇万キルツで落札されていた。流石に、この値段になると、手が出ないだろう。アウグスト家が名家なのは分かるが、ただの本に一五〇万キルツもつぎ込む時点でどうかしている。
「次の商品はこちらでございます。異世界の地図。状態が悪いので、こちらは一〇〇〇キルツから始めさせていただきます」
その時だった。マリアが動いたのである。
「一〇〇〇〇キルツ!」
うぉと息が漏れる。
あの地図に一〇〇〇〇キルツも出すのか?
そんなに欲しかったのかな……。
司会の男が言うように、地図は状態が悪く、破れている箇所もあるようだ。
マリア以外の人間は誰も入札しない。
無事落札か? オークション落札の証であるハンマーが叩かれる寸前、遠くから声が聞こえた。
「十万キルツ」
……。
あたりが一瞬沈黙し、すぐにざわついた。
マリアの顔が曇る。
十万キルツは流石に出せないようだ。
俺は声の方に視線を向けた。
痩身の男性で、銀髪の紳士が後ろの方で立っていた。
この男が入札したのか……。
「十万キルツ、これ以上の価格をつける方はおりますか?」
司会の男が確認する。
しかし、誰も反応しない。
銀髪の男が十万キルツで古びた地図を落札した。
マリアは心底残念そうだった。
その後、魂が抜けたようにオークションを見守っていた。
「あの地図が欲しかったのか?」
俺はギュッと手を握っているマリアを見ながら、そのように尋ねる。
「そう」
「地図なら、俺のスマホにも入っているぞ」
マリアの目が輝く。
「ホント?」
「あぁ。でもこの世界の地図じゃない。だから意味ないと思うけど。あの地図はどこの地図なんだ?」
「わたしの予想では、スーヴァリーガルの先にある世界の地図」
「俺が来た世界の地図って意味か?」
「その可能性はある」
「でもなんでその地図が……」
「気になる論文がある」
「論文」
「そう。ムガンダの奥地にある森に、スーヴァリーガルから渡来した地図に酷似している場所があるという話がある。それが論文で発表された」
今、俺たちがいるのがムガンダだ。
この都市の奥地に、地球の地図と似ている場所がある……。それは俺の中で一筋の希望となって光輝いた。だけど、不安もある。
なぜ、繋がっているのか? 異世界同士を結ぶには、何か重要な意味が隠されている。そんな気がしたのである。