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異世界転生―ヴァンパイアの秘密―

屋敷の外に出ると、クロードが馬を準備していた。

 二頭いる。つまり、俺に馬に乗れ……。ということだろうか?

「俺、馬に乗った経験がないんですけど……」

 クロードは朗らかに笑うと、

「問題ありません。この馬はとても人懐っこいですから。初めてでも安心です」

「は、はぁ。だと良いんですけど」

「しっかり手綱を持って、座骨をまっすぐにして座ってください。馬のスピードに合わせて、状態を前傾させれば、まぁ上手くいくでしょう」

 言われるままに、馬に跨り、そして手綱を握る。

 生まれて初めて馬に乗る。

 小さい時、父さんに競馬場に連れて行ってもらったことがあったが、馬を見るのなんてそれ以来だ……。

 確かに、クロードが言う通り、俺の乗った馬は人懐っこい馬だった。馬は人間を見ると良く言うけれど、初めて乗る俺に対しても、主人であると認めてくれたようである。前方を走るクロードの後を、颯爽と追いかける。

 しばらく乗っていると、乗るのにも慣れた。

 お尻が少し痛くなったけど、このくらいなら問題はない。

 話によれば、一時間でムガンダに着くそうだから、多分大丈夫だろう。

 夜の闇の中、俺とクロードは走り続ける。

 トリステール地方の都市であるムガンダは、人で栄えていた。

 アルヴェスト王国の人間はヴァンパイア……。

 だから皆、夜行性なのだろう。夜の街は、東京の新宿のように活気がある。

「すごい人ですね……」

 と、俺は言った。

 すると、クロードが答える。

「今日は祝日ですからね、出歩く人が多いのでしょう」

 やがて、馬を街のはずれにある馬小屋に止める。

 どうやら、ここで馬を預かってくれるようだ。

 金を支払っているクロードの姿が映る。

「ここからフランクリンさんの屋敷は近いんですか?」

「近いです。というよりも、この街全体がフランクリン様の屋敷のようなものです。この辺りを統治されている伯爵家の方ですから」

「そうなんですか」

 繁華街を抜けると、住宅街が見えてくる。

 その奥の方に一際大きな屋敷がある。ここがフランクリンの屋敷なのだろうか?

 アラベスク伯爵に比べると、幾分か小さいように感じる……。

 入口に立ち、玄関のノッカーを叩くと、中から初老の執事が現れた。

 痩身の男性で、如何にも吸血鬼と言えそうなくらい、真っ白な顔をしている。

「お待ちしておりました。クロード様でございますね」

 いつの間に連絡してたのだろう?

 このクロードという執事は意外と手回しが早い。

「丁寧な挨拶ありがとうございます。こちらは轆轤川様。フランクリン伯爵様に託を持ってまいりました」

「主より聞いております。ご案内いたしましょう」

 老執事は俺とクロードを屋敷の中に招き入れると、ゆっくりと歩き始めた。

 屋敷内はこぢんまりとしているが、豪奢だ。調度品や絵画などが置かれ、洗練された印象がある。

 やはり、伯爵家だけあって、それなりに裕福な暮らしをしているのだろう。

 玄関を抜けると、大きなロビーがあり、前方に階段がある。そこを上り、二階へ上がる。吹き抜けになっている部分があり、開放的な作りになっている。老執事は、二階の一番奥の部屋まで足を進めると、そこで一旦立ち止まった。

「フランクリン様。クロード様と、ロクロガワ様をお連れ致しました」

 しばらく間があると、中からくぐもった声が聞こえてくる。

「開いてるから入ってくださいでしゅ」

 でしゅ……。

 フランクリンの声。そこにいるのは間違いない。

 老執事はゆっくりと部屋のトビラを開けた。

 ふわっと煙のようなものが湧き出てくる。どうやら、お香を焚いていたらしい。エキゾチックな香りが充満している。なんというか、フランクリンという人間が読めない。

 彼は俺とクロードが入ってくると、座っていた書斎机の前から移動し、トビラまで歩いてくる。

 にんまりとした笑顔。すっと手を差し出す。

「ようこそ。ロクロガワしゃん。それにクロードしゃんも」

「私は部屋の外で待っております」

 と、クロードはフランクリンに挨拶だけすると、そう言い、部屋から出ていく。

 俺は一人残され、フランクリンと握手を交わす。

「ど、どうも、久しぶりっていうか、なんていうか……」

「リーネしゃんから伝書鳩で連絡を受けたんでしゅ。チミたちがやってくると。待っていたんでしゅよ」

「伝書鳩って速いんですね」

「空を飛べるでしゅからね、アルヴェストの鳥は命令に忠実で素早いでしゅから」

「そうなんですか。実は、リーネのメッセージを届けに来たんです」

「メッセージでしゅか? それは手紙でしゅか?」

「いえ、そうじゃないんです」

 俺はそう言うと、スマホを取り出した。

 そして、録音されているメッセージを再生する。

 リーネの声が淑やかに室内に流れる。

『フランクリン伯爵様。私はあなたに愛されるような女ではございません。愚かにも別の方を好きになっていたのです。しかし、その恋は破れました。元々、望みはないと分かっていましたが、こうして改めて考えると、すっきりした感じがします。こんな不埒な女のことなど忘れてください。愛される資格はないのです。フランクリン伯爵様には、きっともっと良い女性が現れます。ですから、私はあなたとの結婚を進めるわけにはいかないのです。お許しください……」

 メッセージはそれで途切れる。

 俺はこのメッセージを録音する際、聞いていたから、なんとなくリーネの気持ちは分かる。

 これは彼女の本心ではない。ただ、自分を戒めているのだ。フランクリンという婚約者がいながら、別の男性を好きになった愚かな自分を許せないのだろう。だから、婚約を解消してほしいと言っているのだろう。だけど、それは正しくない。俺はリーネに会ったばかりだけど、彼女には幸せになってもらいたい。

 俺がスーヴァリーガルから来たとして、今は帰る手段がない。そんな時、いつまでもアウグスト家にいても良いと言ってくれた優しい少女なのだ。不幸になるのは見たくない。

「一体、どんな魔法なんでしゅか? リーネしゃんの声がここから……、き、聞こえたでしゅ」

「まぁ魔法みたいなものです。これはリーネの本音じゃないでしょ。フランクリンさん。リーネを迎えに行ってあげてください。きっとそれを望んでいるはずです」

「で、でも、リーネしゃんには好きな男性がいるんでしゅ」

「アラベスク伯爵ですよ。俺はあいつが嫌いだ。それにあいつはリーネを何とも思っていない」

 俺はアラベスク伯爵のリーネに対する気持ちも、フランクリンに聞かせた。

 録音機能は便利だ。何よりの証拠になる。

 アラベスク伯爵の言葉を聞き、フランクリンはわなわなと身体を震わせる。

「し、しどい……。あ、あんまりでしゅ。これじゃリーネしゃんが可哀想でしゅよ」

「俺もそう思います。でも、フランクリンさんならきっとリーネを救えます」

「僕チンがリーネしゃんを救う……」

「そうです」

「カイエしゃん。君にメッセージを頼みたいでしゅ」

「分かりました。何でも言ってください」

「明日の夜、約束の場で待つと言ってくだしゃい」

「約束の場?」

「リーネしゃんなら覚えているはずでしゅ。きっと……」

 俺はメッセージをスマホに残し、そしてフランクリンの屋敷を出た。

 玄関ではクロードが待っていた。

 俺がやってくると、にっこりと笑みを浮かべて言った。

「終わりましたか?」

「まだです。半分ってとこですね。一旦帰ります」

「承知しました。私の用事はまたの機会にしましょう」

 俺たちは闇の中、アウグスト家を急いだ――。


 アウグスト家に戻ると、俺はすぐにリーネの部屋へ向かった。

 トビラをノックするなり、すぐに部屋に入ると、リーネがぼんやりと机に座り、何か本を読んでいた。

 俺の姿に気付くなり、サッと顔を赤らめる。

「リーネ。フランクリンのメッセージだよ」

「フランクリン様の……」

 俺はメッセージを再生する。

 リーネはそれを黙って聞いていた。一分ほどの短いメッセージ。

 それが終わると、リーネは俺から顔を逸らした。

「約束の場所……。知ってるんだろ?」

 すると、リーネは言った。相変わらず、視線は背けたままだ。

「し、知ってるわ。だけど、あたしには行く資格はない」

「なんでだよ。フランクリンは待ってる。行くんだリーネ。ここで行かなきゃ後悔するぞ!」

「だけど、あたしはフランクリン伯爵様がいながら、別の男性を好きになった愚かな女なのよ。資格なんてない」

「あのなぁ。隣の芝生は青く見えるって知ってるか?」

「何言ってるの?」

「他人の物ほど良く見えるんだよ。お前とフランクリンは実はすごく近くまで繋がりあっていた。だけど、近すぎて、その関係性が見えなくなっていたんだ。その所為で、お前は他人に惹かれた。だけど、ただ惹かれただけだ、何もしていない。それなら、フランクリンに会う資格はあるんだよ」

「言ってることがめちゃくちゃよ」

 確かにめちゃくちゃかもしれない。

 だけど、俺は感情を抑えられなかった。ただ、この二人には幸せになってもらいたいと、心の底から願っていた。

「リーネ。お前はアウグスト家の為に結婚すると言っていた。だけど、本当は違うんだよ。心の底ではフランクリンを好きなんだ。本当に嫌だったら、お前の性格上、婚約なんて破棄しているはずだよ。それをしていないってことは、お前がフランクリンを好きだっていう証拠だ」

「わ、分かったわよ。なんであんたにここまで言われなくちゃならないのよ。行けば良いんでしょ……。行けば」

 結局、リーネは納得する。

 だけど、条件が付いた。

 その条件とは、俺が立ち会うということだった――。


 翌日――。

 夜の闇が現れた。

 俺は今、リーネと共に思い出の場所とやらに向かっている。

 今回はアウグスト家の馬車を使う。

 馬車で二〇分ほど走ると、小高い丘に出て、その頂上に立派な大樹がそびえている。

「ここが思い出の場所?」

「そう、フランクリン様と会った場所よ。初めて会った時に、いきなり求婚されたの。もう、何年も前の話だけどね」

 いきなり求婚するとは……。

 いかにもフランクリンらしいやり方だと思った。

 やっぱり、俺は彼を嫌いにはなれない。

 大樹の前には、一人の青年が立っている。

 言わなくても分かるだろう。それはフランクリンだった……。

 フランクリンの目が、やってくる俺とリーネを捉える。

「リーネしゃん。来てくれたんでしゅね」

「フランクリン伯爵様……、あ、あたし」

「少し黙るでしゅ」

 フランクリンはそう言うと、リーネの額に手を当てた。

 何やら呪文のようなものを呟く。

 すると、途端リーネの額が輝き始めた。

「な、なんだこれ……」

 俺は開いた口が塞がらなかった。

 フランクリンがリーネの額から何かを抜き取った。

 よく見ると、それは小さな針だ。

 見えない針がリーネの額に刺さっていたのである。

 一体なぜ?

「フ、フランクリン様、何をしたんですか?」

 キョトンとするリーネ。憑き物が落ちたかのうにすっきりとした顔をしている。

「やっぱりこれでしゅね」

 と、フランクリン。持っていた針を小箱にしまう。「秘術でしゅよ」

「秘術?」

「誰かがリーネしゃんの意思を操ろうとしていたんでしゅ。この針がその証拠でしゅ」

「誰がそんなことを……?」

「分からないでしゅ。でも、恐らくはアラベスク伯爵かもしれないでしゅ」

「アラベスク伯爵様がなぜ?」

「アウグスト家を手に入れるためでしゅよ。でも、もう安心でしゅ。危機は僕チンが取り除いたのでしゅ」

「フランクリン伯爵様。あ、あたしは……」

「リーネしゃん。僕チンと結婚してほしいでしゅ」

「良いんですか? 本当にあたしで」

「チミじゃなきゃダメなんでしゅ」

 フランクリンはリーネを優しく抱き寄せた。

 俺はこれ以上ここにいてもお邪魔虫なだけだろう。

 ゆっくりと丘を下る。

 二人はこれで結ばれる。もう大丈夫だろう。


 結局、リーネはフランクリンと結婚することになった。

 婚約破棄の騒ぎもあったが、最終的には結婚でまとまる。それは良かったんだけど……。

 俺は未だに帰り方が分からず、アウグスト家にいた。

 リーネは俺に帰れる日までいるように言ってくれたが、俺はそもそも異世界人なのだ。

 ここでいつまでもいるわけにはいかない。

 だけど、アウグスト家以外、行く場所がないのも確かだ。

「しばらくここにいてくれませんか?」

 と、言ったのはイリザだ。

「で、でも、俺は……」

「新しい執事として、アウグスト家で契約します。それでどうでしょうか? クロードも気に入っているようですし、考えてみてください」

 この屋敷で執事か……。

 まぁ、悪くはないんだろうけれど……。

「それに、気になることもあるんです」

「何がですか?」

「リーネちゃんに刺さっていた針の話です。あのような秘術を使える術者は限られます。どこでその術者に会ったのか、それが分からないことには対策が立てられません。しかし、轆轤川さんには、マジックアイテムがある。私たちを救ってくれませんか?」

「マジックアイテムと言ってもスマホだけですけど」

「そのすまほがあればを使って協力してくれませんか?」

 イリザの瞳が真剣に訴えかけている。

 できることはしよう。……帰る方法が分からない以上、今はここにいるしかないのだから。

 それに、針の謎に取り組めば、何か帰る手段が分かるかもしれない。

「分かりました。俺で良かったら協力します」

 そう言うと、イリザの顔が花が咲いたように明るくなる。

「ありがとうございます。では早速、契約書の準備を……」

 俺はこうして、アウグスト家の執事として、しばらくの間厄介になることになった――。

 果たして、帰れる日は来るんだろうか? それは誰にも分からない。


 アウグスト家に仕えて三日が経った。

 とはいっても、失敗ばかりだ。食事の給仕は上手くできないし、料理だって作れない。

 クロードの足手まといだ……。

「カイエ……、食後のお茶を持ってきて」

 と、リーネが言った。

「あいよ」

「あいよ。じゃなくて『ハイ』でしょ」

「はいはい」

「ハイは一回で良い」

 そんな俺たちのやり取りを四女のマリアが見ていた。

「仲が良い……」

 ぼそりと言った。

「仲なんて良くないわよ!」

 と、リーネはふくれっ面だ。

 そんな中、食堂に三女のシリルが入ってくる。

 疲れているのか、表情は鬱屈としている。

 無言で席に座ると「ふぅ」とため息をついた。

 すぐに俺は食事の準備をする。クロードが既に盛り付けていたから、俺は運ぶだけだ。

 前菜に海藻サラダとポタージュスープが出て、それを食べ終えたころに副菜を出す。メインはまだ先だ。しかし、シリルはスプーンでスープをかき混ぜるだけで一向に食べようとはしない。

「シリル姉様、どうかした?」

 と、マリアが尋ねる。

 シリルは「なんでもないのですよ」と、一言告げる。

 確かに様子はおかしい……。

 ここ数日、シリルの様子がおかしくなったのは俺も気づいてた。

 だけど、首を突っ込むもの悪いと思い、特に何も言わなかったのだ。

「元気ないけど、大丈夫か?」

 と、俺は言った。

 すると、シリルはにこっと笑う。しかし、引きつっている。どこか無理に作った笑顔だ。

 どうしてそんな顔をするのだろう?

「大丈夫なのですよ。今日はパンとスープだけで良いのです。ロクロガワ、パンを持ってきてもらえますですか?」

「あ、あぁ」

 言われるままに、俺はパンを持ってくる。

 クロードが焼いた自家製のパンは小麦の良い香りがして、見ているだけでよだれが出てきそうだ。

 パンを一つだけ受け取ると、シリルはそれを細かくちぎって口に運ぶ。あくまでも機械的に……。

 食事が終わると、学校の準備が始まる。

 今までは長期休暇だったらしいのだが、先日より学校が始まっているようだった。

 皆、夜に動くので、当然学校へ行くのも夜だ。

 何か不思議な感じがする。夜の学校というと、俺のいた世界では怪談話が多かった。怖くないのだろうか?

「シリル、最近変よね」

 と、リーネが言った。彼女も姉らしく、一応心配しているようである。

「そうだな。何かあったのかな?」

 と、俺は言う。

「あの子、考えるとどこまでも考えちゃうから疲れないと良いけど」

「ちょっと話を聞いてみようか?」

「うん。お願い。それとなく聞いてみてあげてカイエ……」


 そうは言ったけど、なかなかシリルとの会話の機会はなかった。

 話そうとしても、シリルが「今忙しいのですよ」というだけで、取り合ってくれないのだ。

 しかし、チャンスは突然現れた。

「カイエさん。一つやってもらいたいことがあります」

 キッチンで俺が朝食の片づけをしていると、徐にクロードがやってきてそう言った。

「なんですか?」

「シリル様にお忘れ物があるようです。届けに行ってもらえませんか?」

「忘れものですか?」

「はい。勉学で使う教科書でございます。ないと大変でしょうから。お願い致します」

「分かりました。学校はどこに?」

「地図を書きましたから、こちらをご覧ください。ここからも近いので、迷う心配はありません。馬を使うと良いでしょう」

 俺はシリルの部屋に行き、机の上に出しっぱなしになっていた教科書を手に取る。

 急に学校が懐かしくなる……。

(学校か……。今頃、皆どうしているかな?)

 俺はふと、教科書をパラパラとめくる。

 書いてある文字は読めない。だがその教科書は異常だった。

 落書きが所せましとされているのだ。シリルは真面目な少女だ。こんな悪戯をするわけがない。となると、誰かがこれを書いたんだ……。

(まさか、シリルに元気がなかったのは、これが原因か?)

 つまり――。

 イジメ……。

 どこの世界でもイジメはあるみたいだ。難しい問題だ。イジメている人間を捕まえて、謝らせれば良いという問題ではない。むしろそんなことしたら逆にイジメが酷くなるかもしれない。俺の世界でもイジメはあった。俺はしていないけど、無視したり、物を隠したり、陰湿なイジメがあったのは確かだ。

 シリルの窮地……。

 助けたいけど、どうしたら良いんだろう。クロードに相談してみるか? 大人の意見を聞いた方が良いだろう。俺はクロードの元へ向かった。

「クロードさん。これなんて書いてあるんですか?」

 俺はシリルの忘れた教科書をクロードに見せた。

 彼は教科書を受け取ると、静かに中を確認していく。

「ばい菌と書かれているのでございます」

 と、クロードは言った。

 勘の良い彼のことだから、すぐに事態を察したはずだ。

 しかし、冷静さを取り繕っている。

「シリル。イジメられているんじゃ……」

「そのようですな」

「助けないと」

「カイエさん。お待ちください。もうしばらく様子を見ましょう」

「ど、どうして、すぐに助けないと」

「シリル様は強いお方です。自分でできることをまずやってみようと考えるはずなのです。我々が動くのは、それからです。シリル様が助けを求めた時、速やかに動く。それが鉄則です」

「でも……」

「まだ状況もよく把握できていません。とりあえず、この教科書を届けて頂けますか? それでシリル様もこちらが状況を知ったと推測されるはずですから、何らかの動きをするでしょう」

 冷静だったけど、それは本当に正しいのか?

 イジメを受けている人間が助けを求める時、それは相当に切羽詰まった状態であるはずだ。

 場合によっては手遅れになるかもしれない……。

 俺は気が気じゃなかった。

 教科書を持ち、俺は地図を見ながら馬を走らせた。

 クロードの書いた地図は分かりやすく、文字が理解できない俺でも、目立つ建物が記載されていたので、すぐに学校を見つけられた。

 アウグスト家は名家らしいから、学校もデカい。

 城のような立派な作りで校舎がいくつもある。俺の通っている高校とは天と地ほどの差がある。

 校門前に衛兵が立っていた。

 そこで、シリルの名前を言うと、待っているように告げられた。

 何分ほどだろう。待っていると、シリルがやってきた。

「ロクロガワ、どうしたのですか?」

 相変わらず、元気がないようだったけど、俺が笑ったら、合わせて笑顔になってくれた。

「これ、忘れものだよ。大切な教科書だろ」

 俺は教科書を受け渡す。

 シリルはそれを素早く受け取る。顔が蒼白に変わる。

「あ、ありがとうなのです」

「あぁ。大丈夫なのか?」

「教科書……、中は見たのですか?」

「実は少し……。俺文字は分からないけど、悪戯書きだよな。それ」

「心配しないでほしいのです。僕は大丈夫ですから」

 そう言うと、シリルは足早に消えて行ってしまった。

 ここで帰るべきなのか? いや、帰れない。シリルを救いたいんだ……。

 俺はこっそりとシリルの後を追った。

 シリルの教室はすぐに分かった。

 大学の講義室のように広い作りで、俺が通っている高校のような小さな机ではない。

 長い扇形になった机が並んでおり、中心に教師らしき人間が立ち、何かを話している。

 俺はしばらく様子を見ていた。

 シリルは一番前の席に座っており、俺の位置からだと遠くて何をしているかまでは分からない。ただ、動揺はしているだろう。きっとシリルは気づいている。俺がイジメの事実に気づいたと……。


 講義が終わると、教室から人が雪崩のように出て来る。

 俺は執事服を着ているから、制服姿の生徒に混じると、かなり浮いてしまう。

 どうするべきか……。

 迷っていると、急に腕を取られた。

「こっち……」

「え?」

 俺は腕を引っ張られ、階段の方に連れていかれた。

 誰が俺を引っ張ったのかというと、小柄な少年だった。

 多分、俺よりも年下。日本で言えば、中学生くらいかもしれない……。

「き、君は?」

 俺は混乱する頭をなんとか正常に保とうと、そのように質問をする。

「僕、さっき、見てたんです」

「見ていたって何を?」

「シリルさんに忘れものを届けたでしょ? それを見ていたんです」

「そ、そうなのか。まぁありがとうと言うべきなのかな。助かったよ」

「あなたはシリルさんの執事ですか?」

「一応」

「僕はアレフ・ド・ル・グルモンと言います。シリルさんのクラスメイトです」

「アレフ君か……。う、う~んとよろしく」

 俺はそこでアレフをまじまじと見つめる。

 水色の髪の毛に白い肌。眼はベージュ系の色合いをしている。

 こいつもなかなかの美形だ。ヴァンパイアには美形が多いのかもしれない。

 そんなどうでも良いことを考える……。

「執事さんにお伝えしたいことがあります」

「何かあるの?」

「シリルさん。イジメられているんです」

「うん。そうみたいだね」

「知っていたんですか?」

「教科書に悪戯書きがされていたからね。それで何となく。でもどうして?」

「実は、数日前レオガルド伯爵の長女イザベルさんの身に着けていた宝石が無くなったんです」

「宝石。まだ学生だろ」

「伯爵家の中にはステータスとして自分の娘に宝石を持たせることはよくあるんです」

「宝石がなくなったってことは、もしかして、その犯人としてシリルが挙げられているんじゃ……」

「察しが早くて助かります。その通りなんです」

「でも、どうして? シリルがそんなことするはずないだろう」

「僕もそう思います。ただ、アリバイがないんです」

「アリバイがない?」

「そうです。宝石が盗まれた時、僕らのクラスは体育の授業でした。通常なら体育中も宝石を肌身離さず持っているべきなんでしょうけれど、イザベルさんは少しだけ、教室に宝石を置きっぱなしにしてしまったらしいんです。その瞬間を狙われて盗まれてしまったんですよ。そして、その時間帯アリバイがないのが……」

「シリルってことか?」

「そうなります」

「でもシリルが盗むなんて、そんな馬鹿な」

「僕もそう思います。でもイザベルさんはそう考えていないんです」

 きっと、イザベルという少女は、この学園のスクールカーストで上位にいるのだろう。

 だからこそ、自分の宝石を盗んだとしている人間を、頭からシリルに決めつけているんだ。

「僕はシリルさんの汚名を晴らしたいんです。そのため、策略を練っています」

「策略?」

「これです」

 そう言うと、アレフは制服のポケットから緑色の綺麗な石を取り出した。

「それは何?」

「翡翠の石です。結構高かったんですよ。僕がこの翡翠を持ってきたのをクラスメイトは知っています。犯人がクラスメイトにいるのなら、この翡翠を奪いに来るはずです。次の時間は体育」

「罠を張るってことか」

「そうです」

「危険じゃないのか?」

「多分、大丈夫です。それで執事さんには手伝ってもらいたいんです」

「何をすれば良いんだ?」

「教室の中で隠れていてください。そして犯人を見てほしいんです」

「お、俺が……。で、でも」

「シリルさんを救うためです。こんなことを頼めるのは執事さんしかいないんですよ」

「そう言われてもなぁ……。分かったよ。とにかく次の時間に教室内を見張っていれば良いんだな?」

「そうです。お願いします」

 安請け合いしてしまったが、仕方ない。

 これもシリルのためだと思ってやるしかないだろう。

 俺はアレフに言われた通り、体育で人気がなくなった教室内に身を潜めることになった。

 机の下に隠れる俺。

 しばらく間、まったく動きはなかった。本当に泥棒なんているのだろうか?

 それさえ危うい。まぁいない方が良いんだろうけれど、そうなると、シリルの汚名を晴らすのは難しくなる。俺はスマホを開いた。この世界にいる限り、電話やメールはできないし、当然だけど、ネットにだって繋げない。だから、持っている意味はあまりない。それに電池だってもうすぐなくなる。

 こっちの世界では充電器がない。……いや、というよりも電気自体が通っていないから、充電するのは不可能だ。このマジックアイテムがマジックアイテムでいられるのは、あと少しの間だろう。電池が切れれば、ただの板切れになってしまうのだから。

 はぁ……。

 俺はため息をつく。なんでこんなことになっているんだろう。なんか、異世界に紛れ込んでから、途端にやることが増えたような気がする。執事になって……、忘れ物を届けて……。

 そして、泥棒を見つける。こんなのは、地球ではありえない。

 東京にいたころは、何となく生きていたし、何かに巻き込まれる必要がなかった。

 だけど、人から必要とされるのは嬉しい。

 誰かに頼られるのは、決して嫌な気持ちにならないし、協力したいという気持ちになる。

 アレフとシリルはどういう関係なんだろう……。

 ただの友達か?

 まだ、シリルに会ってから日が浅いから何とも言えないけれど、結構特徴的な喋り方をする女の子だからな。

(自分を僕って呼んでるし……)

 だから、不思議系で通っているかもしれない。

 俺のいた世界じゃ、そういう人間はたいてい弄られキャラで、場の空気を和ませていた。

 けれど、シリルにはそんな雰囲気がない。

 あまり、弄っていも良いような感じではないのだ。

 それ故に、イジメの標的になってしまったのかもしれない。

 だけど、これだけは言える……。

 シリルは決して人の物を盗むような子じゃない。それは確かだ。

 アウグスト家という良家の令嬢なのだ。盗みなんてするはずがない。

 俺がそう考えていると、ふと「ガラッ」とトビラが開く音がした。

 瞬時に警戒する俺。息をひそめ、机の下からこっそりと顔を出す。

(おいおい……。嘘だろ)

 俺は我が目を疑った――。

 教室に入ってきたのは、なんとシリルだったのだ。

 当たりをキョロキョロと見渡しながら、教室内に入ってくる。

 制服姿ではなく、体育の服装をしている。だけど、見間違うことはない。

 これは正真正銘シリルだ。

(何をしているんだ……。シリル)

 そう考えていると、シリルはある机の前で止まり、机の中を物色し始めた。

 その席が誰の席なのか? 俺には分からない。

 流れから見ると、恐らくアレフの席なのかもしれない。

 となると、あの机の中に翡翠が隠されているはずだ……。

 俺は証拠としてスマホで動画を撮影する。

 まさかシリルが盗むとは思わないが、証拠を残しておくのは大切だ。

 机の下から覗いている関係上、上手くシリルを把握できない。

 何をしているのか、イマイチ理解できないのだ。

 やがて、シリルは机を物色するのをやめると、そそくさと教室内から出ていった。

 その姿を俺は黙って見送っていた。

 撮影した動画を再生する。

 目では見れなかった箇所が、いくつか鮮明になって見えた。

 なんと、シリルの手には翡翠の石が握られていた。

 盗んだのはシリル……。絶対に信じたくない現実が、今目の前で起きてしまった。

 なぜ?

 シリルがこんな行為をするはずないのに……。

 だけど、現実は違っていた。確かにシリルは翡翠を盗った。それははっきりと動画に撮影されている。

 決して拭えない証拠として残ってしまったのだ。

 どうするべきか?

 俺は考える。一応、アレフには言った方が良いだろう。翡翠はアレフの物だし、何よりもそれなりの値段がしたと言っていたからな……。

 やがて、外がざわざわと騒がしくなる。

 このまま教室内にいるのはマズイ。そう考えた俺は、足早に教室から出た。

 そのまま階段の方に向かい、姿を隠す。後は、アレフがやってくるのを待つだけだ。

 早く来てくれ! 俺はただひたすらに念じた。

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