異世界転生―ヴァンパイアの秘密―
巨大な黒い点は、やがて真っ赤な炎の塊となって、世界樹の真上に振り注いだ。
直径は計り切れない。無限に横に広がっている。恐らく小惑星くらいの大きさはあるだろう。
俺はその隕石を確かに両手で受け止めた。
「ドドドドド……」
正直、変な気分だった。
通常、いくら力があったって、小惑星程の大きさのある隕石を生身の人間(今はヴァンパイアだが)が止められるわけがない。だけど、その不可能がどういうわけか可能になっている。
事実、俺は隕石を受け止めている。
重みで体が地面にめり込んでいく。
だけど、骨は砕けないし、痛みもない。あるのは、この隕石を止めるという野望だけ……。
俺は何者だ?
ただのヴァンパイアじゃない……。
祖父は言った。
異世界転生したと……。
俺は異世界の異様な『ナニカ』に転生したんだ。
それが何なのか、今の段階では分からない。
神か……。それとも悪魔か……。
あるいは、全く違う存在なのか?
隕石を受け止めた衝撃は山を一つあっさりと砕いた。
山は陥没し、巨大なクレーターとなって消し飛んだ。
そのクレーターの中心部に、今、俺は立っている。
隕石はどこへ行ったのか?
俺が受け止めたことにより、跡形もなく消滅していた。
圧倒的な静寂が辺りを包み込む。
陽射しが顔を出し、俺の肌を焼く。
ヴァンパイアになった手前、陽射しには弱い。
(イリザは無事か?)
俺は自分よりもまずイリザを心配した。
今回の衝撃で、タイムムーンの辺りは消し飛んでしまった。
イリザもその衝撃に巻き込まれていたのだとすれば……。
だが、その心配は杞憂に消えた。
俺の後方に、祖父と横になったイリザがいたのだ。
「じいさん」
「止めたようじゃね……」
「助かったのか?」
「お前が世界を救ったのだよ。それだけは確かだ」
「俺が救った……」
正直、実感がなかった。ただ、辺りは焼野原のようになっており、隕石衝突の衝撃の高さがまざまざと感じ取れた。
祖父の体がみるみると変化していく。
最終的に、祖父はある人間と形になった。
それはクガサミだ。
あの老人と同じ姿なのだ。
俺があの老人を見た時、どこか懐かしさを感じたのは、祖父がそこに宿っていたからなのもしれない。
「じいさんはクガサミだったのか?」
「わしは昔、この世界にやってきた。どういう因果が分からないが、地球に隕石が衝突することを知り、それを止めるために、転生したのだ」
「転生?」
「そう。当時、力を持った地下世界にヴァンパイアがいるのをわしは知ったのだが、彼ら利用すれば、地球を救えると考えたのだ」
「亜種の力って意味か」
「うむ。亜種の力は強大だ」
「俺はどうなるんだろう。あのスーヴァリーガルの小屋にいたクガサミそっくりのじいさんから、得体の知れない何かを受け取り、それを飲んだから、こうしてヴァンパイアになってしまった」
「お前は転生したんだよ」
「ヴァンパイアにってこと?」
「そうじゃ。魁江。お前はヴァンパイアになった。そして、この世界を救ったんだよ」
「でも、誰も信じてはくれないよ。ここに隕石が落ちたことさえ、きっと知らないヴァンパイアが多いだろうから……」
それでも良かった。
すべては終わったのだろうか?
いや、まだ問題は残っている。諜報局という問題だ。イリザを解放するためには、諜報局の問題をクリアにしなければならない。隕石の衝突を回避し、今頃、諜報局のヴァンパイアたちは、禁断のトビラへ向かって進軍しているだろう。それを止める必要がある。
「じいさん。禁断のトビラに行かないと……」
祖父は、難しい表情を浮かべた。
ただ、そこで息をしているもの辛いという顔をしている。
しばしの間、居心地の悪い空気が流れる。
乾いた風が俺の頬を打ち、火照った体を冷ましていく。
「じいさん。何かあるのか?」
なかなか答えない祖父に、俺はしびれを切らした。
何か隠しているのなら、すべてを教えてほしい。それだけだ。
「禁断のトビラはない……」
「ない。嘘だったって意味か?」
「いや、現に存在はしていた。事実、わしは禁断のトビラを通って、再びこの世界にやって来た。しかし、今はもうないんだよ」
「ど、どうして?」
「隕石の衝撃がすべてを吹き飛ばしてしまった。これは神が下した審決なのだ。神はヴァンパイアが生きる道を選んだ。そして、過去の地球と永久に決別するため、禁断のトビラを砕いたのだ。故に、もう、地球は……」
祖父はすべてを言わなかった――。
だけど、言うべき内容は分かっていた。
つまり、地球はもう、元には戻らない。
圧倒的な事実が、俺を襲う。
細やかだったけど、楽しい日常が、幻想になってしまった。もう、二度と戻らないところに消えてしまったのだ。それは俺を絶望につき落とす。今まで積み上げてきたものが、ガラガラと音を立てて崩れ落ちてしまいそうだった。
地球は消滅した。いや、厳密には、ここも地球だ。
俺がいた時間から数千年先の世界だけど、禁断のトビラがある限り、過去に逆行できたのだ。しかし、今やそれができなくなってしまった。禁断のトビラは閉ざされ、先には進めない。残されたのは、ヴァンパイアたちが住む世界。そう、アルヴェスト王国……。そして、スーヴァリーガルという異邦の地。
「俺は帰れないのか?」
祖父は答えなかった
その代り、乾いた声が後方から聞こえた。
「帰れます」
その声はイリザだった。
イリザが意識を取り戻したのだ。あの薬は、それほど長い間効果を発揮するものではなかったようだ。
とりあえずは安心するべきなのか? 俺はイリザの方を向き、答える。
「どうして、そう言えるんだ? イリザ……」
「諜報局の中に、唯一、私の味方がおります。その方なら、きっと何かを知っているかもしれません」
「誰なんだ?」
「オーヘムナルス子爵。諜報局の局員で、スーヴァリーガルに精通した人物です。彼に会いましょう。今できるのはそれだけです。私は、カイエさんに命を救われました。今度は、私がその恩を返す番です」
「もう、充分すぎるほど恩は返してもらっているよ。この世界に来た時、助けてくれたわけだし、それに住む場所だって提供してくれた。だから、これ以上、恩を返すなんて言わないでくれよ」
「そう言うわけにはまいりません。さぁ行きましょう。今から戻れば、ちょうど夜にはアルヴェスト王国に辿り着けます」
「わしが送ろう」
と、徐に、祖父が言った。
彼の体は役目が終わりかけているのか、うっすらと透明に近くなっている。
あと少しで、完全に見えなくなってしまうだろう。
祖父との別れも迫っている。
俺たちは港へ戻り、そこから船に乗ってスーヴァリーガルを後にした。
船を出したのは祖父だった。どこからともなく持ってきた漁船のような船で、俺たちはアルヴェスト王国へたどり着く。
アルヴェスト王国の船場に着くと、最後に祖父が言った。
「わしはここまでだ。後は、君たち二人が進みなさい」
俺は答える。
「お別れって意味か?」
「そう。もう、永遠に会う機会はないだろう。でも、それが本来のあるべき姿なんじゃ。わしは既に死んだ人間。そんな人間が、この世界にいるのがおかしいのだ」
「でも、じいさんは神だった」
「いいや、神ではないよ。神になれきれなかった。愚鈍な人間。その末路がわしじゃ。わしはもう良い。既に終わった人間なんだから。だが、魁江。お前さんはまだこれからの人間だ。よく考えて行動するように……。これがわしからの最後の言葉だ」
そう言うと、祖父は船に乗り、そのまま沖の方へ消えて行った。
きっと、どこへも帰らない。アルヴェスト王国にも……、スーヴァリーガルへも……。
あの世。
そう――。祖父はあの世へ旅立ったんだ。別れの言葉を俺に託して……。
よく考えて行動する。
確かに、言う通りだ。
仮に地球に戻れたら、俺は戻るべきなんだろうか?
ヴァンパイアになってしまった手前、地球での生活は難しい。
何しろ、昼間動けなくなってしまうのだから。日常生活を送るのは限りなく不可能になるだろう。
なら、この世界に残るのか?
アルヴェスト王国に残れば、とりあえずの生活はできる。
アウグスト家へ戻り、そこで執事として暮らすんだ。
……。上手く想像できない。今までずっと帰るつもりだったけれど、今、改めて考えると、別に帰らなくても良いような気がしてくる。
両親や友人に会えないのは寂しい。
心が引き裂かれるくらい辛いものだ。だけど、この世界から旅立つのも同じくらい辛いような気がした。
俺とイリザが諜報局へ着いたとき、辺りは闇に包まれていた。
体は疲れ切っていたが、まだ、倒れるわけにはいかない。
この場で踏ん張って、状況を打開しなければならないのだから……。
オーヘムナルスという人物は、諜報局のとある一室にいた。
それなりのポストの人間のようで、個室を一つ与えられている。
「イリザです。入ってもよろしいでしょうか?」
と、部屋のトビラの前で、イリザはそう言った。
しばし沈黙があった後、トビラがゆっくりと開いた。
目の前に痩身の男性が立っている。イリザと同じ白い髪を持ち、オレンジ色の瞳をしていた。
「イリザか。助かったようだね」
「カイエさんのおかげなんです。彼がすべてやってくれました。この世界を救った英雄なんです」
と、イリザは高らかに宣言した。
面と向かって英雄と言われると、どこか気恥ずかしい。だけど、悪い気分じゃない。
「英雄か……。だが、誰も信じてはくれないだろう。いや、それ以上に悪鬼として扱われるかもしれない」
「どういう意味ですか?」
イリザの顔が曇る。
悪鬼として扱われる……。これは穏やかな表現ではない。
「禁断のトビラが砕かれた――。これを知っているね」
「ハイ」
「空から飛来物が禁断のトビラを砕いたのだ。これにより、別世界への進軍計画は白紙に戻った」
「では、戦争が起きる心配はないのですね?」
「異世界との戦争はなくなった。だが、亜種との戦いが我々を待っているだろう」
「亜種との戦い……ですか」
「つまり、スーヴァリーガルとの戦い。冷静状態が終わり、さらに戦いは激化している。スーヴァリーガルは亜種と結託したようだ。既に、我がアルヴェスト王国の軍隊がスーヴァリーガルに進軍している」
「そ、そんな、亜種と戦うなんて間違っています」
イリザの悲痛な叫び声が聞こえる。
その声をかき消すように、オーヘムナルスは言った。
「私も戦争を止めたい……。日中になると、活動が鈍る我がヴァンパイアたちにとって、長期戦は難しい。早期で戦闘を決めるつもりだろう。しかし、動き出した時を止めるのは、とても難しい……」
「亜種の血を奪うためですか……」
「亜種補完計画……」
と、オーヘムナルスは言った。「これは私が君に教えたダミー情報だ。君に偽りの命令を下すことで、君の負担を減らそうと思ったのだよ」
「亜種補完計画は実際には存在しないのですか?」
「亜種の血を吸血することで、力が上昇するのは一定の種族に限られるようなんだ。つまり、すべてのヴァンパイアに起こる現象ではない。これを上層部は理解している」
「な、なら、なぜ戦争を……」
「亜種が力を高めているからさ。今までは虐げられた存在だった。それが亜種だ。だが、今では力を持った脅威として、我がヴァンパイアを制圧しようとしている。そんな亜種がスーヴァリーガルと手を組めば、どのような事態になるか、想像はつくだろう」
「この世界を掌握しようという意味ですか?」
「そう言っても過言ではない。事実、そうなりつつある。それを止めるため、アルヴェスト王国の軍隊は動きだした」
「そ、そんな……」
イリザは言葉を失っていた。
そんな中、俺はゆっくりと言葉を飛ばした。
「止めよう!」
オーヘムナルスとイリザの視線が俺に突き刺さる。
「止めるんだ」俺はもう一度強く言った。「俺たちならできる。止めるために立ちあがろう」
その時だった。
急に部屋のトビラが慌ただしくノックされた。
「なんだ。騒々しい」
オーヘムナルスが不満そうに言うと、外から衛兵が数名入って来た。
意外な人物たちを引き入れて……。
意外な人物――。
それはアウグスト家の姉妹たちだった。
リーネ、シリル、マリアの三名が衛兵に拘束され、部屋に入って来たのだ。
「お、お前らどうしてここに?」
と、俺は心底驚きながら言った。
俺の言葉を受け、オーヘムナルスはフンと鼻を鳴らし、
「アウグスト家の令嬢か……。丁重に扱いたまえ」
「は!」
衛兵の一人がそう言うと、リーネらの拘束を解いた。
解放されたリーネたちは、つかつかと俺とイリザの前にやってくる。
まずは、リーネが一言告げる。
「やっぱりここに帰ってたのね」
「ど、どうしてここだって分かったんだよ?」
イリザが黙り込んでいるので、代わりに俺が尋ねた。
その後、オーヘムナルスが意外な真実を告げる。
「リーネという少女。どうやら針を抜いたようだね」
リーネは顔を顰める。
「どう言う意味ですか?」
「王族であるアラベスト伯爵と上手くいくように、君に針を打ったのは私だ。しかし、どうやらその針を抜いた。自分で幸せを見つけたようだ。アウグスト家の繁栄のためにしたのだが、余計なお世話だったようだね」
「当たり前よ。二度としないでください。それより、今聞きたいのはそれじゃないんです」
するとリーネは悔しそうに口を曲げると、再び言葉を継いだ。
「今日、アルヴェスト王国の兵隊がスーヴァリーガルに進軍したというニュースが流れたのよ。それで、もしかしたら、イリザ姉ぇとあんたがここに戻ってきているんじゃないかって察したわけ」
「僕とマリアが察したのですよ」
と、横からシリルが言った。
顔は真剣な表情を浮かべている。
次に俺は、マリアの方を見る。マリアも黙り込んでいるが、神妙な顔つきをして、状況を見守っている。この二人なら、俺たちがアルヴェスト王国に引き上げた可能性があると、見抜くのは簡単かもしれない。どのような情報が流れたのか分からないが、確実にアルヴェスト王国はスーヴァリーガルへ進軍しているようだ。
「アルヴェスト王国は、このままじゃ破滅しちまう……」
と、俺は絞り出すように言った。
スーヴァリーガルとの戦争に入れば、日常生活は吹き飛んでしまうだろう。
いつどこで敵襲が来るか分からない。特にアルヴェスト王国には電子機器なんかないから、いつどこで敵が攻撃してくるのかを、事前に情報として察知することができないのだ。
「俺は、この国を救いたい……」
「カ、カイエさん。どうしてそこまで、アルヴェスト王国を?」
と、イリザが尋ねてくる。
問われるけれど、俺自身、どうしてここまでアルヴェスト王国が気になるのか分からない……。
いや、嘘だな。理由ははっきりとしている。
俺はイリザたちを救いたいんだ。それは自分が助けてもらったからではなくて、ただ、人として、彼女たちを好きになってしまった。だから、幸せな日々を送ってもらいたいんだ。そのためには、スーヴァリーガルとの戦争を止めなければならない。
「オーヘムナルスさん、何か言い手はないのか?」
と、俺は言った。
オーヘムナルスは難しい顔で俺を見つめる。
「確実とは言えないが、方法はある」
「どんな方法なんですか?」
「スーヴァリーガルに神を降臨させる。それができれば戦争を止められるかもしれない」
「神を……降臨させる?」
一体、何を言っているのだろうか?
神なんて本当はいない。そんな存在は幻想でしかないのではないか?
確かに俺の祖父は神として崇められていたけれど、実際には神じゃない。ただの地球人だ。
この世界に神はいない。いるのだとしたら、このような戦争を止める何かをするはずだ。でも、神は動かない。あくまでも沈黙を貫いている。それは神がいない大きな証明なのではないか?
「神がいるんですか?」
「いや」オーヘムナルスは囁く。「神など幻想だろう。だが、作り上げられる。それはできるだろう」
「偽物の神様を作り出すって意味か?」
「偽物とは語弊があるが、本物に近い、神の化身を作り出すのは、できないケースではない」
「どうするんですか?」
「マジックアイテムを使う」
マジックアイテム……。
つまり、俺がいた世界の電子機器か……。
「これですか?」
俺はそう言いながら、スマホを取り出した。この世界に来てから何度かピンチを救ってくれた俺のスマートフォン。未だに健在である。これを利用すれば、神を作り出せるのか?
半信半疑だったけれど、俺はその可能性に賭けるしかないように思えた。
「それは確かにマジックアイテム。それをどこで?」
オーヘムナルスは俺の素性を知らない。
そこで、俺は簡単に自分の境遇を説明した。彼は黙って聞いており、俺の話が終わると、スマートフォンを見せてほしいと言ってきた。俺は素直にスマホを渡す。
「これがあれば神の幻想は作り出せるだろう」
「どうやって?」
すると、オーヘムナルスは机の引き出しから、何やら小箱を取り出した。
その中には、モバイルルーターが入っていた。
電池が入っていないから、今は動いていないようだが、仮に動いても、電波は入らないだろう。
「それ、電波が入らないと使えないんです」
「でんぱ?」
「えっと、なんというのかな、光の波動みたいなものです。それが届かないと、使い物にならない」
俺が残念そうに言うと、マリアが重い口を開いた。
「でんぱが入る場所はある」
俺は咄嗟にマリアの方を向く。
「ど、どこだよ?」
ムガンダの奥地の祠の中……。
あそこは確か、俺とマリアとアルスローンが行った場所だ。言われてみれば、電波が一瞬入ったのはあの空間だったではないか。もしかしたら、電波があるのかもしれない。行ってみる価値はある。
「行ってみよう」
と、俺は言った。
「何だが良く分からないけど、ムガンダへ行くのね? なら早くいきましょ。戦争を止めるためにも」
と、リーネが高らかに告げた。
俺たちは、ムガンダの奥地の祠に向かうことになった――。
辺りはひっそりと静まり返っている。
赤い月が夜空にぼんやりと浮かび上がり、煌々と地面を照らし出している。陽気な印象のあるムガンダを抜けると、闇に覆われた森に入る。森の中は慌ただしいムガンダの繁華街とは打って変わり、しんと静まり返っており、不気味なくらいだった。
祠に向かうのは、俺と、イリザ、リーネ、シリル、マリア、オーヘムナルスの六人だ。あの祠に何か秘密があるのだとしたら、きっと戦争を止めるためのヒントだって隠されているはずなんだ。だからこそ、俺たちはここまでやってきた。
先陣を切って歩くのは、意外にもマリアだった。彼女はカンテラを掲げ、勇猛果敢に森の中へと入っていく。その後を、俺たちが追う。最後尾にオーヘムナルスとイリザが二人、横に並んで歩いている。イリザの顔はただでさえ白い顔をしているのに、余計に青白く見えた。高い決意が感じ取れるが、どこか自分を責めている印象がある。
イリザは何を考えているのだろう。自分一人ですべてを抱え込もうとしているのではないか? 俺にはそんな風に感じられた。俺はイリザの元へ向かった。
「イリザ、何を考えているんだ?」
と、俺は言う。
ハッと我に返ったように、イリザが答える。
「い、いえ、なんでもありません」
「自分一人で抱えることはないんだよ。ここには皆がいる。皆で協力すれば、何とかなるかもしれない。だから、そんな顔しないでくれよ」
「分かっています。ですが、本当に私たちだけの力で、戦争を止められるのでしょうか? 敵は一つの王国です。そしてアルヴェスト王国も王国なのです。国同士の戦いに、個人が介入していってどこまで役に立つのか? それが分からないんです」
言っている意味は分かった。
確かに、俺たち六人の力が、どこまで戦争に打ち勝つエネルギーがあるかというと、大きな謎だ。あっさりと消し飛んでしまうくらい、小さな力かもしれない。
それでも、留まるのは許されない。俺はもう、知ってしまったんだ。この国が戦争という馬鹿げた行いをしようとしている。俺は厳密にはアルヴェスト王国の国民ではないけれど、この国を救いたいという気持ちは人一倍あるのだ。
何しろ、今の俺はヴァンパイアになってしまったのだから。
もう、人間には戻れないのだろうか?
それに地球はどうなるんだろうか?
既に滅んだ地球。それを取り戻す手段は、スーヴァリーガルの禁断のトビラだったけれど、そのトビラも既にこの世界には存在しない。隕石の衝突と共に、消え去ってしまったのだ。
だから、地球はもう元には戻らない。
それは俺の中で柔らかいゴムまりのような心を酷く傷つけた。
一体、何のために戦うのか?
俺は、どこへ向かうのだろう。そもそも俺に未来はあるのか?
成り行きでヴァンパイアになってしまった。祖父の言葉を借りれば、転生というやつだ。
異世界転生……。
そんなわけのわからない状況に、俺は巻き込まれている。
もう、考えるのはよそう。
今、考えるべきなのは、ただ一つ。この国を……、アルヴェスト王国を戦争から救うということだけだ。それだけを考えれば良い。地球の件は後回しだ。まぁ、後回しにするから事態が解決に向かうかどうかは微妙なところだけど……。
「カイエさんはどうするのですか?」
と、イリザが尋ねてくる。
「俺か、まだ決めていないよ。でも、今は今後よりも戦争を止める方法を考えよう。それしかないよ。オーヘムナルスさん。ちょっと良いですか?」
俺はそこで、オーヘムナルスに話を振った。
悠然と歩いていたオーヘムナルスは、ピクッと眉間を動かすと、次のように答える。
「何かね?」
「神の件です。スーヴァリーガルに神を降臨させると、あなたは言いましたね。それは可能なんですか?」
「言ったろう。神はこの世にはいない。だが、作り出せるんだよ」
「どうやって」
すると、オーヘムナルスは俺のポケットを指さした。
ポケットの中には、スマホが入っている。
オーヘムナルスはそれを見抜いているのだ。
「私は昔、それに近いマジックアイテムを見たことがある。言葉を保存できるマジックアイテムだった。だが、今は壊れてしまい、使い物にはならないがね」
「きっと、それも俺の世界のものですよ。スーヴァリーガルの禁断のトビラは、過去の地球と繋がっていましたから、そこから俺の世界の物品が流れ込んだんでしょう」
「君がいた世界といのは、このヴァンパイアが支配する世界の前の姿と聞いたが……」
「そうです。ヴァンパイアの世界が始まった何年経ったのかは知りませんが、かつて俺がいた世界と、この世界は同じ世界なんです。異世界のような世界だけど、元をたどると一つの世界なんですよ」
「不思議な話だ……。ヴァンパイアの歴史は数千年だ。過去の資料はほとんどなく、ヴァンパイアが生まれた背景については、多くの専門家の間でも見解が分かれている」
「スーヴァリーガルには、禁断のトビラがありました。そこをくぐれば、俺は自分のいた世界に戻れたのかもしれない。だけど、今、そのトビラは壊れてしまった。だから、俺はこの世界で暮らしていくしかないんです。そんな理由で、俺はなんとしてもアルヴェスト王国を止めたい。そう思っているんですよ」
「なるほど、殊勝な心がけた。時代や身分が違えば、君は英雄になっていただろう。だが、状況が悪いな。それでも、こちら側にはマジックアイテムがある。それを使えば、神に似せた状況は作り出せる」
「例えば?」
「それは声を保存し、好きな所で発声させられるのだろう。その機能を利用するのだ。神の言葉として、ある人物の言葉を記録してもらいたい」
「その人物とは?」
俺は意を決し尋ねた。
やや間があった後、オーヘムナルスは言った。
「宗祖クガサミ……」
クガサミの名前が出て、俺は言葉を失う――。
あのじいさん、やはり何か秘密があったのだ。
俺が不意に黙り込んだものだから、イリザは不審に思ったようだ。鋭い感受性で、俺を見抜き、質問を飛ばしてくる。
「カイエさん。何か知っているのですか?」
「クガサミっていうのは、スーヴァリーガルへ行く船を出すところにいる老人なんだ。そして、俺のじいさんとそっくりだ。多分、クガサミと俺のじいさんは同一人物だと思う。でも、宗祖というのはどういう意味なんだろうか?」
「クガサミはこの世界を作ったと言われる、宗祖の家系の血筋を引いている。そして、宗祖の家系は、亜種の血を吸い取ると力が高まると言われているんだよ」
と、オーヘムナルスが呟く。
宗祖の家系。
俺の祖父が、ヴァンパイアを地下から解放したのは、どうやら真実のようであるが、その血を、クガサミは引いているらしい。となると、俺の祖父とは同一人物ではない。いや、待てよ。祖父の血を引く者は、クガサミだけではない。
俺と……。
そう、このアウグスト家の四姉妹。彼女たちもまた、俺の祖父の血を引いているのだ。
つまり、宗祖の血を引いているわけだ。
なんか、世間は狭いな。楽観的だけど、俺はそんな風に考えていた。
「イリザ。君は俺のじいさんの血を引いているんだよな?」
と、俺は唐突にイリザに尋ねた。
イリザは俺を大きな瞳で見つめると、確認するように首を動かし、
「そうです。サダミチさんは、私たちの祖父でもあります。もう、遠い昔に消えてしまいましたが」
「なら、君も俺も宗祖の血を引くんだ」
「宗祖の……、血、ですか?」
「そう。つまり、クガサミともどこかで繋がっている。だから俺は、彼には妙な親近感を得たのかもしれない」
「イリザが亜種の血を引いているのは私も知っている。しかし、宗祖の血が流れているのは驚きだ」
確かに驚くべき内容だ。急速に関係性の密度が濃くなっていく。
そんな中、前方を歩いていたマリアが急に立ち止まった。
「祠に着いた……」
暗闇が広がる世界。祠の中は、さらに深い闇に覆われている。
「入ろう。行けば何か分かるかもしれない」
と、俺は言った。
すると、リーネが口を開いた。
「なんか、魔獣でも出てきそうな祠ね。少し寒いくらい……」
「怖いなら、外で待っていても良いぞ」
「だ、だれが怖いなんて言ったのよ。問題ないわ。さっさと行きましょう」
ぷいと顔を膨らませるリーネ。
彼女の態度はいつも通りだ。それを見て、俺はどことなく安心する。
次に口を開いたのはシリルだった。
「カイエ。この先に何があるのですか?」
「う~ん、なんて言えば良いのか、電波っている波があると思うんだ」
「波、海のことですか?」
「空気の波って言えば良いのかな? それがあれば、俺の持っているスマホが本来の力を取り戻すんだよ」
「そうなのですか? なら、先に進むしかないのです。行くのですよ」
高らかにシリルは宣言する。その声からは恐怖は感じられない。
皆、この国を救いたいのだ。平和である……、いや平和だったアルヴェスト王国を取り戻すため、俺たちは動いている。微弱な力かもしれないけれど、何もしないよりかはマシだ。後悔するならば、やるべきことをやって後悔したい。何もせずに、後悔するのだけは絶対にゴメンだ。
俺たちは、祠の中に入っていった。
しんみりとした空気。皆の間に会話はなく、それぞれが持つカンテラの明かりだけが頼りだった。リーネの言うとおり、外に空気に比べると、祠の中は鍾乳洞にきたように冷え切っている。どれくらいだろう、先に進むと、マリアが立ち止まった。
「ここが前に着た場所」
つまり、スマホに電波が入った場所だ。
俺はスマホを取り出し、電波が入っているか確認する。
けれど、ここは圏外……。やはり、前電波が入ったのは、偶然なんだろうか?
偶然にしては、できすぎている。
「オーヘムナルスさん、持っているマジックアイテムを貸してください」
俺が言うと、オーヘムナルスは大事そうに持っていたモバイルルーターを俺に渡す。
持ってみて、電源を入れるが入らない。
電池が切れている。だけど、ここには簡易式の充電器がある。多少なら、動かすことができるだろう。「ケーブル……、紐みたいなものがついていませんでしたか?」
「紐、これかい?」
オーヘムナルスは小箱の中から充電コードを取り出した。これさえあれば、充電器につなげられる。
ケーブルを受けると、俺は素早く充電器にセットし、ペダルを回す。
ペダル式の充電器は、余程回数を回さないと、なかなか充電されない。
俺は五分程度ペダルを回し、モバイルルーターのスイッチを入れてみた。
「ブゥゥゥゥン」
起動した。
電池の残量は少ないが、少しくらいなら持つだろう。
俺はモバイルルーターを動かし、電波が入る場所を探す。
あの時、なぜ、電波が入ったのだろうか?
それさえ分かれば、ここでもきっと電波が入るはずなんだ。それはどこか? 俺は懸命に探す。俺の行動を見ていた、リーネが奥にある石碑のようなものを見つけた。
「これって石碑よね。なんでこんなところにあるのよ」
リーネは不思議そうだ。
俺は石碑を見つめ、ゆっくりと触れる。こういうものは、意外と隠し階段とかが隠されているものだ。俺は充電器とモバイルルーターを地面に置き、その後、石碑を横に動かしてみた。重たいが、全く動かないわけじゃない。
「私も手伝おう」
オーヘムナルスが力を貸してくれる。
すると重たい、石碑が横に動き、本当に地下へ続く階段が現れたのだ。
「階段です」
と、シリルが言った。「入るのですか?」
「もちろんだ。危険があるかもしれない。俺が先に入ろう」
俺は先陣を切って階段を降る。
階段は石でできており、急な作りになっていた。一歩一歩大地を確認するように降りていくと、やがて広々としたスペースに出た。何か、海のような潮臭い香りがする。こんな地下でなぜ海の香りがするのか分からなかった。だけど、その昔、ここは海だったのかもしれない。昔海だった場所は、俺が生きていた日本でもいくつか存在していた。隕石の衝突によって、海が割れ、時空が歪んだ。
その結果、人類は死滅し、やがて地下に住んでいたヴァンパイアが祖父の手引きによって、表の世界に現れた。その時の遺産なのかもしれない。
「カイエさん。大丈夫ですか?」
頭上から、イリザの不安そうな声が聞こえてくる。
俺は上を見ながら言った。
「大丈夫だ。危険はないみたいだ」
「私も降りて大丈夫でしょうか?」
「あぁ。そうだ、俺が地面に置いたマジックアイテムを持ってきてくれないか?」
「分かりました。今行きます」
イリザがゆっくりと階段を下ってくる。
イリザが地下に降りると、その後を三姉妹が追い、最後にオーヘムナルスが降りてきた。
カンテラで辺りを照らすけれど、何かあるようには思えない。
だが、俺は先に進んだ。煌びやかに光る一帯が目の前に広がった。
あたり一面星空のに埋め尽くされたような空間が、突如現れたのだ。
「こ、これは……」
俺は唸る。
この情景は、どこまでも幻想的で、今まで見た経験がないものだった。
墨を流したような黒に、光の粒々が無数に光って見える。それは星空のようにも見えるし、降りしきる流星群のようにも見える。
「な、なんなのよ、ここは……」
と、後ろからついてきたリーネが答えた。
こんな風景を見れば誰だって驚くだろう。
「イリザ、マジックアイテムを貸してくれ」
「分かりました」
イリザからモバイルルーターを受け取り、俺はルーターを見つめる。
なんと、ルーターに電波が入っている。
「ここなら使える。……」
俺はすぐにスマホを起動させ、ネットにつなぐ、モバイルルーターの電波が俺のスマホをインターネットに接続させる。
そこで、俺は衝撃的な事実を知る。
インターネットにつないだ瞬間、とある映像が流れた。
それは、隕石衝突により、破壊されていく地球が映りこんだものだった。
大地は割れ、巨大な津波が起こり、地球の建物を一気に飲み込んでいく。
未曽有の大災害だった。これだけの規模の災害ならば、生き残る人間は本当にごく少数だろう。いや、みんな死んだのかもしれない。ヴァンパイアの亜種が生き残った人間の血を引く者だとしたら、生き残った人間はいるのだろうけれど、俺には信じられなかった。
「カイエさん、どうかしたんですか?」
俺は動画を自分のスマホのがファイルに保存した。どういうわけか、自動的に保存されたのである。何か、大いなる力が働いているような気がする。
「これを見てくれ」
俺はたった今ダウンロードした、俺の世界の最後の日の映像を見せた。
息をのみ、映像を見つめるイリザ。いつの間にか、その後ろにはリーネ、シリル、マリアの姿があった。皆、食い入るように映像を見つめている。
「このマジックアイテムに映っているものは何なのですか?」
と、シリルが言った。
それを受け、俺は速やかに質問に答える。
「俺のいた世界の最後の日だよ」
「最後ですか?」
「そう。隕石……。つまり、空から飛来した巨大な石により、俺のいた世界は滅んだんだ。それは神の怒りとも言えるかもしれない」
「神の怒り? どういう意味?」
今度はマリアが尋ねてくる。
「俺のいた世界では、人間が傲慢になりすぎたんだ。人が人を殺し、大量の殺戮兵器を生み出した。俺の国では戦争はなかったけれど、世界では至るところで戦争が起きていたんだ。そんな愚かな人間たちを諫めるために、神が隕石という名の鉄槌を下した。そんな風に考えられる」
「カイエの世界はもう戻らないわけ?」
と、リーネが言う。
それは分からない。一度滅んだ世界が戻るのは、多分不可能なのではないか?
仮に、復活したとしても、今度は別の問題が発生する。別の問題、それはこのアルヴェスト王国はどうなるかということだろう。俺がいた世界が復活すれば、ヴァンパイアの歴史はなかったわけだ。ずっと地下で暮らしているのだろう。そうなると、今俺がいるこのアルヴェスト王国がどうなるのか? 考えるまでもない。パラレルワールドのように、ヴァンパイアが繁栄した世界と、そうでない世界に分かれるのか? それとも、未来を改ざんしたために、この世界はなかったようになるのか?
「戻らないと思う……」
と、俺は正直に告げた。
二度と戻らないとしても、それは仕方ない。
どういう因果なのか、俺だけが生き残ってしまった。たった一人の地球人。ここも厳密には地球なんだろうけれど、俺がいた世界とはまるで違う。
「ここは一体何なのでしょうか?」
と、イリザが言った。
ムガンダの奥地にひっそりと佇む謎の祠。そこには電波の流れがある。
なぜなのか? 考えられる理由は、ここが俺のいた世界と近いということだ。もしかしたら、ここにも禁断のトビラがあるのかもしれない。日本に繋がるトビラ。それがどこかに……。
「雰囲気は禁断のトビラに近いな」
と、オーヘムナルスが呟く。「ここは異世界と繋がっている。その可能性が高い」
「異世界と……。つまり、それは俺のいた世界。過去の地球ですか?」
「うむ、もう少し散策してみよう。何か分かるかもしれない」
俺たちは辺りを散策するため、四方に散らばった。
俺はイリザと二人、奥の方へ進んでいく。
気温は一層下がり、キリっとした空気が流れている。全体的に暗い。カンテラの明かりがなければ何も見えなくなってしまうだろう。だけど、今の俺はヴァンパイアだ、ある程度夜目を利かせられるだろう。暗闇に目が慣れると、岩壁にぶつかる。頭上を見上げると、針で突いたような白い穴が僅かに見えた。地上と繋がっている。急にあそこに登ってみたいという衝動に駆られた。岩壁を伝えば、登れるかもしれない。
「イリザ、ちょっと待っていてくれ」
俺が言うと、イリザは不思議そうな顔をした。
「どうかしたんですか?」
「あの光が気になるんだ」
「地上と繋がっているんですね。きっと、でもどうやって登るんですか?」
「岩壁を伝ってみる。多分大丈夫だと思う」
大丈夫という根拠はどこにもなかった。
ただ、漠然となんとかなるという希望があったのだ。
俺は岩壁に手を置き、その感触を確かめる。全体的に凸凹しており、手足を引っかけるとっかかりがある。ゆっくり着実に行えば、きっと登れるだろう。
「カ、カイエさん、危険です。考え直してください」
「俺は行かなくちゃならない。そんな気がするんだ」
俺はイリザの注意を聞かず、ただ一心不乱に岩壁を上り続けた。
少しずつ、白い点が大きくなっていく。
引力に逆らい、壁を伝う。壁はやや前傾に傾斜しており、体を預けられた。一歩ずつ、着実に登っていく。どれくらいだろう? 俺は岩壁を登って行った。白い光は、もう人の頭くらいの大きさがある。もう少しで、出口だ。たどり着ける。
俺は最後の力を振り絞って岩壁を登る。そして、とうとう、光が漏れる穴までたどり着いた。
穴から顔を出す……。
俺は見えた風景に愕然とした……。
そこは破壊された街が広がっていた。隕石が落ち、巨大な津南や地震が地球を襲い、そのすべてを飲み込んだ。その姿がまさに今、目の前に広がっているのである。
「こ、ここは日本なのか?」
俺は誰に言うでもなく、そんな風に呟いた。
見えるのは、分断された大地。そして建物の残骸……。
人の姿はまるでなかった。どこにいるのか、いや、この世界に人はいるのか? それさえも分からない。ただ、漠然と広がる廃墟のような風景を俺は黙って見つめていた。
「地球は滅んだのじゃよ」
と、唐突に声が聞こえた。
後ろから聞こえたのだ。俺は咄嗟に身を翻す。
そこには、クガサミの姿があった。せむしの老人であるクガサミ。せむしであるのを除けば、その容姿は俺の祖父とそっくりだった。
「じ、じいさんなのか?」
と、俺は尋ねた。
「ここは死の世界。滅んだ地球が残した記憶の世界だよ」
「記憶の世界?」
「そう。地球は滅んだ。住んでいた人間たちの多くは死滅し、地下にいたヴァンパイアたちが生き残った。少数の人間たちは亜種と呼ばれ、蔑まれる。ヴァンパイアの歴史が始まろうとしている」
「あんたは何者なんだ? 俺のじいさん、つまり轆轤川貞道なのか?」
「ロクロガワサダミチ……。懐かしい名前だ。ロクロガワサダミチ……、クガサミ。何か気づいたことはないかね?」
「気づいただって? 何が?」
「知らぬなら良い。ただ、私は昔、ロクロガワサダミチと呼ばれていた。それは間違いない」
「じいさんはやっぱり神だったんだ。神なんていないとオーヘムナルスは言っていたし、俺もそう思っていたけれど、やっぱりいるんだ」
「わしは神ではない。ヴァンパイアを導いた統率者だよ」
「じいさん、俺はどうしたら良い?」
「お前はどうしたいのかえ?」
「どんな選択肢が残されているんだ?」
「選択肢は二つ。一つはアルヴェストを捨て、地球を再生させる生き方。もう一つはアルヴェストの戦争を止め、アルヴェストに身を捧げる生き方。どちらか一方しか選べない。だとしたら、お前はどうするかえ?」
「どちらしか……、え、選べない」
究極の選択だった。
できるのなら、どちらも同じくらい選びたい。でも、それができないらしい。
なら、俺が取る道はどっちなんだろうか?
日本か? アルヴェストか?
多分、どっちを選んでも、必ず後悔するだろう。後悔なしではこの選択はできない。地球を滅亡から救う手段が残されるのは嬉しいのだけれど、このアルヴェスト王国を失うのはもっと寂しい。俺はアウグスト家の人々が好きだ。だから幸せになってもらいたい。それに戦争を止めたい。
今の俺なら、それができるかもしれないんだ。
日本にいた頃の俺は、正直何のために生きているのか分からない、十七歳の少年だった。
それがアルヴェスト王国に来て、少しずつ変化していった。誰かに頼られ、成長したのだ。大人になったとは言えないかもしれないけれど……。
「アルヴェストを救うよ……」
と、俺は口にした。
日本を捨てる。その覚悟が一〇〇%あったわけではないけれど、俺はアルヴェスト王国を見捨てられなかった。すべてを無しにして、日本に帰るのは、俺にはできそうにない。日本に残してきた家族や友人は気になるけれど、皆、隕石で消滅してしまったんだ。この世界は、やはり今、生きているものを中心にして動かさなければならない。つまり、アルヴェストを優先させる。
「それで良いのかえ?」
最後通告のようにクガサミは言う。
俺は意を決し答える。
「構わない」
「なら、わしの声を届けなさい。争いを止められるだろう」
「クガサミの声を……」
「録音できるデバイスがお主にはあるだろう。それを使うんだ。古の言葉をお主に授ける。それを使えば、ヴァンパイアや亜種たちの高ぶった神経を鎮静化させられる」
「分かりました……。今から録音します」
俺は古の言葉をスマホに録音した――。
気が付くと、俺は暗い穴蔵の中にいた。
横には、イリザがいて、涙ながらに俺を見つめている。
「カ、カイエさん。良かった。どうなるかと思いました」
「お、俺はどうなったんだ?」
「岩壁を登っていき、ある程度の高さから落ちたんですよ」
「お、落ちた……」
そんな記憶はなかった。
ポケットの中に、スマホを見つめる。
確かに動いているし、先ほど録音した古の言葉のデータも残っていた。
あれは、夢や幻ではない。現実で起きたのだ。だが、少し改ざんされている。クガサミの仕業なのか?
「とにかく俺は大丈夫だ。それより、この世界を救う方法が分かったんだ。手伝ってほしい」
「救う手段ですか?」
「マリアはいるか?」
俺が問うと、後方から声が聞こえる。
「いる」
マリアの声だ。
それを聞き、俺は答える。
「ムガンダでスーヴァリーガルの渡来品を売っている場所があるだろう。そこで手に入れたいものがある。すべての商品を見られるか?」
「可能」
「よし。なら、今すぐ行こう」
「い、一体何をするのですか?」
そう尋ねたのはイリザだ。全体的に不安そうな顔をしている。また俺が無理をしないか、確認したいのだろう。
「スピーカーを探すんだ」
「すぴぃかぁですか? それは一体?」
「このスマホの録音した声を、みんなに聞こえるように大きくしてくれるんだ。それがあれば、戦争を止められる」
俺はそう言い、ムガンダの繁華街の奥にある、スーヴァリーガルの渡来品を扱う店に赴いた。




