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異世界転生―ヴァンパイアの秘密―  作者: Futahiro Tada


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11/13

異世界転生―ヴァンパイアの秘密―

 これは夢なのか、それとも幻か?

 俺はぼんやりとした意識の中、白い霧が立ち込める森の中にいた。

 あたりは暗くない。だが、太陽の光があるというわけじゃない。ただ、白い霧が充満しており、全体的に白い世界が広がっている。ここはどこだろう? 少なくとも、アルヴェスト王国ではないような気がした。かといって、地球であるとも感じられない。

 まさかあの世……。

 そんな馬鹿な。俺は死んでいない。まだ生きている。

「魁江!」

 と、俺の名を呼ぶ声が聞こえた。

 懐かしい声。

 その声は、俺の祖父、轆轤川貞道のものだった。

「じいさん……」

 やがて、白い霧の中から貞道が歩いてくるのが分かった。

 ダークブラウンのジャケットに白いシャツ、そしてグレーのスラックスを穿いている。

 生前、貞道が良く着ていた服装だ。

「魁江。なぜここにおる?」

「それはこっちのセリフだよ、じいさんこそ、何でここに?」

「わしは死んだんだ。だからこの世界に漂っている。だが、やらなければならないこともある」

「何をするの? じいさんはアルヴェスト王国とどう繋がりがあるの?」

「アルヴェスト王国……。ヴァンパイアが住む世界……。あの世界がわしが解放したんじゃよ」

「なぜ? そんなことができるんだ。じいさんは普通の人間だったはずだ」

「わしは昔……、異世界に転生したんだよ」

「異世界転生?」

「そう。地球の地下にある異世界、ヴァンパイアたちが暮らす異世界に、わしは転生した。しかし、わしは地下の世界を飛び出し、地球に戻ってきたんだ。そして、地球人として普通に暮らす生活を送った。じゃが、地球には問題がある」

「問題?」

「そう。問題、それが何か? 魁江には分かるか?」

 俺は必死に考える。

 地球が考える問題は多くある。

『環境問題』

『人口爆発』

『戦争』

『核兵器……』

 他にもあるだろうけれど、地球には多くの問題がある。

 祖父は何のことを言っているのだろうか?

「地球では日々殺戮が行われている」

 と、祖父は言った。

「戦争って意味?」

「そう。核兵器を作り出し、その気になれば地球そのものが破滅する。その世界にわしは大きな危険を感じ始めた。だからこそ、ヴァンパイアを表の世界に登場させ、地球を一旦破滅させようとした」

「じいさんが隕石を地球に衝突させたの?」

「いや、それは違う、隕石の衝突は、地球に組み込まれた運命みたいなものなんだよ」

「運命?」

「傲慢になった地球人を神が諫めるために遣わした使途とも言えるね。わしにはそれが分かっていた。だから、このチャンスを利用して、ヴァンパイアたちを地下世界(異世界)から引きづり出したんだよ」

「だけど、ヴァンパイアたちはこのままじゃ地球人と同じ道を歩むよ」

「そう、その可能性はある……」

 祖父は哀愁を帯びた表情で言う。

 全体的に寂しい印象がある。この世を悲観し、嘆いている。

 不思議な感覚が俺を襲っている。

 今、目の前に立つ祖父は、一体何者なんだろうか?

 既に述べた通り、俺の祖父は亡くなっている。だから、この世界に現れるはずがない。

 これは、俺の夢だから……。夢の中限定の出来事として、祖父が亡霊として現れたのかもしれない。何かメッセージを携えて……。

「じいさん、一体、あなたは何者なんですか?」

 と、俺は問うた。

 祖父は視線を空に向けた。

 白い空間。どこまでも白い空が広がっている。昼なのか、夜なのかさえ分からない。そんな不可解な場所。祖父は一人、空を見上げて、そのまましばらく沈黙した。

 静かな間が流れる――。

 どう、答えるべきなんだろうか?

 もう一度同じ内容を繰り返し尋ねようかとも思ったけれど、俺は諦めて、祖父の反応を待った。

「わしは、既に死んでいるんだろう?」

「俺のいた世界では、じいさんは既に死んでいるよ。だけど、アルヴェスト王国では亜種たちの間から神として崇拝されているんだ。それを知っているんですか?」

「わしが神か……。わしは亜種を救えなかった。だが、救おうとしているヴァンパイアがいる……」

 それは誰であろうか?

 いや、愚問だな。俺は答えを知っている。

 亜種を救おうとしているヴァンパイア。それはイリザだ。アウグスト家の長女であり、俺と同じ祖父の遺伝子を持った異世界の少女。彼女が立ち上がり、亜種を救おうとしている。そして、俺はそれを手伝いたい。少しでも、イリザの負担を減らしたい。そう思っているのだ……。

「じいさん。俺はこの世界に来て、アウグスト家という貴族の家に行ったんだ。そこに暮らす令嬢は、じいさんの孫だと言っていた。これは本当ですか?」

「わしがアルヴェストを解放した時、一人の女性に出会ったのは、間違いない。性的な関係もあったから、その時、その女性が身ごもっていたならば、可能性はあると言える」

「どうして、じいさんはこの世界にいなかったの?」

「隕石の衝突を止めるために、わしは地球に帰る必要があった。だがね、わしは地球を救うのを止めたんだ」

「どうして?」

「地球人があまりにも愚かだからさ。だから、隕石の衝突で滅ぶ道を進ませることに決めた。だが、今考えると、それが間違いだったのかもしれない。救えるチャンスがあったのに、そのチャンスを棒に振ったから、今度はヴァンパイアたちが愚かな考えを抱き始めている。人……、ヴァンパイア……。彼らの欲求は無限だ。何かを願うのは決して悪くはない。けれど、願いのために人が人を殺すのは絶対に間違っている」

「俺はどうしたら良いの?」

 俺はどうしたら良いのだろう?

 イリザを救いたい。だけど、その先に待っているのは絶望しかないのではないか?

 イリザをスーヴァリーガルから救ったとしても、根本的な問題は何も解決しない。

 ヴァンパイアたちが亜種を殺戮するのは、時間の問題であると言える。それを止めなければならないけれど、戦争以外に、止める方法はあるのであろうか?

「魁江。スーヴァリーガルの隕石を食い止めてほしい」

 と、祖父は言った。

 心の底から絞り出したような、か細い声だ。

 スーヴァリーガルの隕石を食い止める。でも……、どうやって?

「俺にできるのかな?」

「イスヒの石を持っているだろう。そして、お前がヴァンパイアに転生できれば、この世界に降り注ぐ隕石を止められる。お前にはそれができるんだよ」

「隕石を止めるなんて、俺にはできないよ。何の知識もないし、技術だってない。もちろん、生身でぶつかって対処できるほど、隕石は簡単なものじゃない」

「うむ。その通りだ。だが、切り札があるのだよ」

「切り札?」

「イリザという少女が……」

 イリザが切り札? 俺は混乱する。

 だけど、祖父は何か俺の手が届かない考えを持っているようだ。

 きっと、運命を切り開く大きな力が内包されているに違いない。

 白い空間の空気が、張り詰めていく。研磨された針で刺されるような棘のある空気。

「説明しよう……。この世界を救う唯一無二の方法を」

 俺はその話に耳を傾ける――。


 夢から覚めた時。船の動きは緩やかになっていた。

 何時間ほど眠っていたのだろう。

 体は若干の眠気があったけれど、体力は回復している。

 俺はすっくと立ちあがり、大きく伸びをする。

 階段を上り、運転室に顔を出す。辺りはまだ夜だった。薄暗く、ひっそりとした空気が漂っている。

 運転室には黒マントの男が一人、舵を握っていた。

「起きたのですか?」

 ガラスに反射した俺の姿を確認すると、黒マントの男はそう言った。

 俺は速やかに答える。

「もう、スーヴァリーガルについたんですか?」

「あと、五分ほどで着きます。もうしばらくですよ」

「そう、ですか……」

 運転室を出て外に出る。黒い海にぼんやり浮かぶ船。

 エンジン音と波の音が融合し、奇妙な音を上げている。地獄に近づいている。そんな気がした。

 全体的に薄暗く、良く見えないのだが、前方数百メートル先に島が僅かに確認できる。

 これが、スーヴァリーガルなのだろうか?

 島は船が進むごとに大きくなっていき、やがて、埠頭が見えてきた。

 埠頭の先端ギリギリまで船を近づけると、黒マントの男が運転室から出てくる。

「ここがスーヴァリーガルですよ」

 と、一言告げる。

「スーヴァリーガルは島なんですね」

「島……。奥地には禁断のトビラあると言われています。私が行けるのはここまでです」

「帰る時はどうやって帰れば良い?」

「埠頭の先に小屋があります。その小屋に、クガサミそっくりの老人がいますから、彼に頼むと良いでしょう。きっと力になってくれます。あなたが何を考えているのか、私には分かりませんが、無事を祈りますよ」

「ありがとうございます。気をつけて帰ってください」

 黒マントの男は優雅に礼をすると、運転室の方へ消えていった。

 俺は船を下り、スーヴァリーガルの大地を踏む。埠頭はコンクリートでできていた。

 アルヴェスト王国にはない技術で作られている。

 ここはもう、アルヴェスト王国ではない。……異世界と言っても過言ではないだろう。

 埠頭を抜けると、ぽつんとプレハブのような小屋が建っている。

 一応、挨拶をしておいた方が良いのか?

 どうするか迷った俺は、結局プレハブの中を覗いてみた。

 窓はなく、中の様子が分からない。簡素なプラスチック製のトビラをノックすると、中からくぐもった声が聞こえてくる。

「誰かえ?」

 確かに、クガサミの声に近い。

「アルヴェスト王国から来たものです。カイエと言います」

「入りなさい」

 俺はトビラを開け、室内に入る。

 室内は一〇帖ほど空間で、それほど広くない。全体的にものが少ない部屋で、部屋の中央に昭和の文豪が使っていたような、大きな書斎机が置かれている。そこに一人の老人が座っている。その姿は、完全にクガサミそのものだった。背中の盛り上がり具合や喋り方……、何から何まで似ているのだ。いや、似ているというか、これは本人……。

「あなたはクガサミさんですか?」

 すると、老人は答えた。

「クガサミだが、君が知っているクガサミではないのじゃよ。君が会ったのは、アレフッドのクガサミだろう。わしらは昔、一つのクガサミだった。しかし、今は違う。こうして二つに分かれ、アルヴェスト王国と、スーヴァリガールに分かれて暮らしている」

「分かれたって、人間が分裂するなんて可能なんですか?」

「『血』の力じゃよ」

「血?」

「ヴァンパイアはね、特定の人種の血を取り込むと、特異な力を発生させられる。これはごく一部のヴァンパイアしか知らない情報だったが、最近になり、諜報局も気づいたようじゃね。じゃから、不穏な作戦を遂行しようとしている。だが、すべては遅い。神の裁きが下されるからだ」

「神の裁き?」

「そう。はるか遠くから飛来した魂の一撃が、この大地に降り注ぐだろう。そうなれば、この世界は破滅する。アルヴェスト王国だとか、スーヴァリーガルだとか、それはもう関係がなくなる……」

 はるか遠くから飛来する魂の一撃……。

 それは恐らく――。

「隕石の衝突」

 俺は言った。

 老人には隕石という言葉が分からなかったようだ。ただ、何度か目を瞬いて、俺を見つめている。

「この世界はやがて滅ぶ。それはもう古くから決まっているんじゃよ」

「回避する手段はあります。俺はこれを止めるために、アルヴェスト王国から来たんです」

「少年、確か、カイエと言ったかえ?」

「そうです。轆轤川魁江と言います」

「ロクロガワ……。救世主か、いや、神か?」

「救世主でも神でもありません。ただの地球人です。俺は一人の少女を探しています。諜報局の人間です。あなたなら知っているんじゃないですか?」

 しばしの間があった。

 重苦しい沈黙を破るように、老人は語り始める。

「確かに……。一人の諜報局の局員がここに来た。美しい少女だ。まだ若いのに、大きな十字架を背負わされている」

 恐らくイリザだろう。

 それしか考えられない。

 彼女は確かに今、スーヴァリーガルにいるのだ。たった一人でここまでやってきたのだ。俺との約束を破りながら……。

 約束を破ったのにも理由がある。

 俺を争いに巻き込まないためだ。亜種補完計画に携われば、それなりにリスクは発生する。イリザはそのリスクから俺を遠ざけるために、一人でスーヴァリーガルへ来たのだろう。

「その少女、どこへ行ったんですか?」

 俺が問うと、老人は目を細めて答える。

 しわくちゃな顔面が、奇妙な形に歪んでいる。何歳くらいなんだろう。もしかしたら一〇〇歳を超えているかもしれない。それくらい、老人は年老いているように見える。クガサミと元は一つだった存在。だけど、分裂し、今はこのスーヴァリーガルで一人暮らしている。

 そこにどんな理由があったのかは、俺には分からない。

 通常に神経では計れない、何かがあったのは間違いないだろうが、ここでそれを聞いても、この老人は何も教えてくれないだろう。なんとなくだけど、そんな気がする。

 秘密は墓の下まで持っていく。そんな決意が感じられるのだ。

「ここから北へ向かうと、禁断のトビラがある」

「禁断のトビラですか?」

「正確に言うと、山だがね。タイムムーンという山だ。その山の頂上に向かったのじゃよ」

 そう言えば、昔亜種に向かってイリザがタイムムーンと言っていたのを思い出した。そこに行ったのは、間違いないだろう。

「な、何をしに、山になんて……」

「禁断のトビラを開けるためだろう。彼女は自分の運命に反抗しようとしている」

「俺、行きます。イリザを助けないと……」

「そうかえ。なら、早く行きなさい。手遅れになる前に……これを持っていくと良い」

 老人はそう言うと、木の枝のような手で小瓶に入った薬を取り出した。

「これは?」

 と、俺は尋ねる。

「秘薬。亜種をヴァンパイアにするためのね……。ヴァンパイアに使うと、急激な休眠作用がある。少女を助けたいのなら、これを使うがよろしい」

 老人は、細い目をゆっくりと閉じた。

 それきり何も言わず、黙り込んだ。

 これ以上、ここにいても何も変わらないだろう。俺は老人に軽く会釈をして、小屋の外へ出た。

 辺りは、まだ闇に覆われている。

 せめて日が出てから動きたかったが、あまり悠長なことは言っていられない。

 イリザがここに来てから、ある程度の時間が経っている。

 老人は、手遅れになる前に……。と言っていた。イリザが何かをしようとしているのだ。

 亜種補完計画に反抗しようとしているのか?

 でも、それをすれば、アウグスト家がどうなるか、それを知らないイリザではないだろう。アウグスト家のために、今まで人間とヴァンパイアのクォーターであることを隠し続けてきたのだ。真実を知っているのは諜報局、その弱みを握り、これまでイリザを良いように扱ってきた。

 だから、きっと今回の命令もイリザは飲むしかなかった。アウグスト家のために自分の身を削りながら、行動していたに違いない。

 そんなイリザが、命令に背くだろうか?

 きっと、何かイリザなりの考えがあるのだろう。

 アウグスト家を救い、そして亜種も救い、結果的に諜報局の命令にも応じる……。

 そんな神がかり的な内容が本当にあるのだろうか?

 考えていても埒は明かない。今は、とにかく行動するしかない。イリザを追い、彼女を助ける。それしかないのだから――。


 北にあるタイムムーンへ向かって俺は走り出す。

 走るなんて、学校の体育以外ではほとんど経験がない。

 運動部でもないし、特別走るのが速いわけでも、スタミナがあるわけでもない。

 息はすぐに上がる。

 慢性的な運動不足が、ここにきて一気に露呈する。

 それに寝不足や疲れが重なって、俺の体は露骨に重くなった。

(俺、何をしているんだろう?)

 こんな異世界にやってきて、たった一人、不可解な行動を行っている。

 別に、俺が動かなくても世界は回るだろう。

 もしかすると、イリザが上手くやるかもしれない。

 疲れが体を支配すると、心が楽な方に逃げようとする。

 俺はそれを懸命に押しとどめていた。

 動け! 体! ここで止まっちゃダメだ!

 何度も自分を鼓舞する。

 足は棒のようになっていたけれど、俺は走るのをやめなかった。

 人は、誰にだってマラソンを走るくらいの体力はあるらしい。

 問題は力の使い方だ。普段は眠っている力を、上手く呼び覚ませれば、俺だってイリザの役に立てる。俺はよろよろと走り、やがて山道に入った。傾斜が急になり、心臓は口から飛び出そうなくらい早鐘を打っている。

 全身から汗が噴き出す。執事の上着を脱ぎ捨て、ワイシャツ一枚になる。シャツの腕をまくり、額の汗を拭う。道はぬかるんでいないが、デコボコ道であり、通常の革靴ではひどく滑る。こんな執事の恰好をしてきたのを、堪らなく後悔する。けれど、今更それを言っても遅い。

 暗闇が広がるタイムムーンの中。空を見上げると、少しずつ朝日が顔を出してきている。

 もうすぐ夜明け。

 ヴァンパイアの時間が終わる……。

 頂上が見えてくる。

 頂上には、天まで伸びる巨大な樹が聳え立っている。

 まるで、おとぎ話の中に足を踏み入れた感じである。

 世界樹……。そう形容してもおかしくはない。

 そして、その巨大な樹木の根元に一人の少女の姿がある。

 白い髪に、白い肌。朝靄が立ち込め始めた幻想的な雰囲気の中、イリザは立っていた。

「イリザ!」

 俺は叫んだ。疲れで上手く声は響かなかったが、それでも確かに言葉は届いた。

 ハッとイリザは驚きながら、俺の方を見つめる。

「カ、カイエさん……。ど、どうしてここに」

 俺は頂上にようやくたどり着く。

 肩で息をしながら、汗まみれになった体を揺り動かす。

「お、追ってきたんだ」

「なぜです。あれだけ危険だと言ったではありませんか」

「危険だからだよ」

「え?」

「危険なところに、女の子を一人で向かわさせられない。なんとかして、助けなくちゃって思ったんだよ。だから、俺はここにやってきたんだ」

 俺の言葉を聞いたイリザの顔に、軽く朱が入る。

 年相応のあどけない表情が一瞬見えた。

 しかし、その表情はすぐに消し飛ぶ。

「お気持ちはありがたいです。しかし、これは私の任務です。私が遂行しなければならないのです」

「アウグスト家のためか?」

「……」

 イリザは黙り込んだ。

 俺はポケットの中から、スマホを取り出し、リーネ、シリル、マリアのメッセージを再生された。

「あ、あ、えっと、イリザ姉ぇ。あたし、リーネだけど。イリザ姉ぇは何でも自分で抱え込んじゃうから、すごく心配なんだけど……。まぁ、あたしがこんなことを言っても仕方ないかもしれないけど、もっと、あたしを頼ってほしい。辛かったら、辛いって言ってほしい。アウグスト家のために、イリザ姉ぇが苦しんでいるのをあたしは知ってるよ。だから、あまり無理はしないでよ。カイエが会いに行くって言ってる。カイエと共に、絶対に帰ってきてよね。カイエ、あんたイリザ姉ぇを必ず連れ戻してくること!」

 と、リーネの言葉が辺りに流れる。

 それから、別の声が始まる。

「イリザ。シリルなのですよ。イリザがアウグスト家のために、一生懸命頑張っているのは知っています。でも、もっと自分を大切にしてほしいのですよ。諜報局の任務が辛かったら辞めてしまっても良いのです。それで、アウグスト家に何かあったとしても、僕たち姉妹が力を合わせれば、きっとどんな困難でも解決できるのです。それに、今はカイエだっている。カイエは僕を救ってくれた。きっと、イリザも救ってくれうはずなのですよ。イリザ、カイエと共に絶対に帰ってくるのです。僕らは待っているのですよ」

 シリルの熱烈な言葉が、淑やかに広がっていく。

 最後に、マリアのメッセージが再生される。

「姉様。約束して……。絶対私たちの元に帰ってくると。私には姉様を救えないかもしれない。だけど、できる限り協力はする。家族……。私たちはずっと一緒。どんな困難にも立ち向かえるはず。カイエと一緒に必ず帰ってきて」

 普段はほどんど喋らないマリアにしては、長台詞だった。

 それだけ、イリザに対する思いが激しいのだろう。

 俺はメッセージを聞かせると、イリザのすぐそばまで近寄った。

 イリザは言葉を聞いて泣いていた。

 とめどない涙が、イリザの頬を伝う。

 俺はそっとその涙を手ですくいとる。

「帰ろう。一緒に……」

 と、俺は言った。

 そして、優しくイリザを抱きしめた。

 俺の胸の中でイリザは小さくなっている。

 けれど、意を決したかのように言う。

「私の役目。それが何であるか分かりますか?」

 俺は分からなかった。

 ただ首を左右に振り、

「分からない。何なんだ?」

 と、尋ねた。

 すると、イリザは涙声で呟く。

「私は今日、ここで死にます」

「な、なぜ? ……死ぬってどういう意味だよ」

 イリザの言っている内容が、ほとんど理解できなかった。

 死ぬって言うのは、命が尽きるって意味か?

 俺はイリザの肩を両手で激しく掴み、左右に揺さぶった。

「今日、後数分後、ここに神の鉄槌が下ります。空より、巨大な岩の塊が降り注ぐのです」

「い、隕石か……」

 そう言えば、俺の祖父も言っていたような気がする。

 この世界にも隕石が降り注ぐのだ。

 俺がいた世界を吹き飛ばしたように、今度はスーヴァリーガルやアルヴェスト王国を吹き飛ばすのだろう。しかし、それがイリザの死ぬとどうリンクしてくるのか?

 イリザは肩に下げていた小さなバッグの中から、瓶に入った液体を取り出した。

 辺りは徐々に光に包まれていく。

 赤い月が少しずつ、その姿を消していく。

 その液体は、真っ赤な血だ。

「血か?」

「そうです。亜種の血です。これを飲むと、ヴァンパイアの力は飛躍的に上昇します」

「それがどうしたんだ? 隕石とどう関係があるんだ?」

「空よりの飛来物を止める。それが私に課せられた使命なのです。私には、生まれつき強い力があるそうです。それを諜報局は見抜いていました。だから、私を教育し、今日のための駒として育てたのです」

「隕石を止めるなんて不可能だ。巨大なんだぞ。分かってるのか?」

「私の命を懸ければ、止められます。私がいなくなった後、すべて諜報局がやってくれます。アウグスト家は永遠になるでしょう」

「それは嘘だ。イリザ、君は諜報局に騙されている。君を平気で捨て駒にするところだぞ、そんな場所が、君が死んだあと、アウグスト家を保証するわけない」

「そ、そんな……そんなはずは?」

「戦わなければだめだ。そのためにはここから生きて帰るんだ」

「ですが、私が止めなければ、世界は破滅します」

「俺も手伝おう」

「止めてください。危険です」

「俺の血を使うんだ」

「え、カ、カイエさん何を言っているんですか?」

「ヴァンパイアは亜種の血を吸うと覚醒する。それが正しいのなら、俺の血だって使えるはずだ。俺は厳密にはこの世界では亜種と呼ばれる人種だからな」

「カイエさんの血を吸うなんてできません」

 頑なに拒絶の意思を見せるイリザ。

 だけど、俺は懸命に彼女を説得する。

 隕石が衝突するのなら、それを防がなければならない。

 それでも、俺にはできない。俺には隕石を止める力がないからだ。しかし、イリザには止める力があるらしい。その力は亜種の血を使った時に発動される。なら、俺の血を使ってほしい。……そんな風に感じる。

 空が明るみを帯び、多分東だろうけれど、太陽が昇ってくる。

 朝日が眩しく感じられると同時に、空に一つの点が見えてきた。

 黒々とした異様な点。

 まだ距離はある。だが、地表に落下するのはそう遠くはないだろう。

 まさか、あれが隕石なのか?

 二度目の隕石の襲来……。

 一度目は地球人が滅んだ。その結果、地底人であったヴァンパイアが、俺の祖父の手引きの元、解放された。

 それから、何年経ったのか分からない。

 多分、何千年と経っているのだろう。

 ヴァンパイアたちは正規種と亜種に分かれ、過去に戻り、地球を侵略しようとしている。

 禁断のトビラが開かれ、時間が逆行すれば、俺は元いた世界に戻れる。

 隕石が衝突する前の世界だ。

 だが、そこに平和はあるのだろうか? ヴァンパイアが俺の世界に侵入すれば、何らかの争いがおこる。ただでさえ、人間は人間同士で争っているというのに、異世界の生物が来襲したら、それはパニックになるだろう。核兵器を使うかもしれない。

 それは地球にとっても、ヴァンパイアにとっても、プラスにはならない。

 だから、神はこの世界に隕石を降らせたんだ。

 戒めのために……。

 ヴァンパイアたちを駆逐するために……。

 それを、諜報局はいち早く見抜いていたのだ。

 だからこそ、イリザを利用し、彼女に隕石の衝突を回避させる役目を担わせた。

 アウグスト家の繁栄と引き換えに、イリザはその条件を承諾したに違いない。

 俺は、どうするべきなんだろうか?

 ここで隕石を止めたら、ヴァンパイアたちは、禁断のトビラをくぐり、俺のいた時代の地球にやってくるだろう。それを防ぐ手はあるのか?

 ……分からない。俺には都合の良い一手がまるで思い浮かばない。

 完全に詰んでいる……。

 なら、今できることをしよう。

 この世界が隕石衝突によって消滅してしまうのは、防がなければならない。

 この時代を幸せに生きているヴァンパイアたちも、少なからずいるのだ。

 そのような人たちを犠牲にしてはならない。

 俺はイリザに右腕を差し出した

「イリザ。俺の血を使って隕石を止めよう。俺も協力したいんだ」

 イリザは苦悶に満ちた表情を浮かべている。

「た、確かに血は多い分には困りません。ですが、カイエさんの命の保証はできません。どれだけ血を吸い取るのか、私自身にも分からないのですから……」

「大丈夫だ。メッセージを聞いただろ。俺はイリザをアウグスト家に戻す役目がある。それを破ったら、俺はリーネたちに殺されるよ」

 俺はスーヴァリーガルの港で老人から受け取った小瓶を取り出した。

 それをイリザに嗅がせる。すると、イリザは憑き物が落ちたように、その場に倒れた。

「な、何をしたんですか? カ、カイエさん……」

「俺に任せろ! 何しろ、俺はアウグスト家の執事だからな。女の子に危険な目を遭わせるわけにはいかないんだよ」

「カ、カイエさん……」

 イリザの声が遠くなり、やがて、聞こえなくなる。

 その場で倒れ、そのまま眠ってしまった。俺はイリザを世界樹の木の根元から起こすと、少し山を下り、途中にあった樹のそばに寝かせた。ふと、空を見上げると、黒い点は巨大になっている。あと少しでここは地獄と化する。そうなる前に、手を打たなければならない。

 俺は小瓶に入った液体を飲んだ。

 酷く苦い味がする。すると、途端、体が焼かれるように熱くなった。

 小屋にいた老人は、これを飲むと亜種がヴァンパイアになると言っていた。だから、朝日が昇り始めたこの時間帯、ヴァンパイアになった俺には都合の悪いことになったんだ。

 それでも、もう賽は投げられた。

 俺はよろよろと世界樹の根元まで向かうと、地面に転がった亜種の血液を一気に飲み込む……。

 ヴァンパイアになった俺。その状態から亜種の血液を飲めば、俺に強大な力が手に入るだろう。その力で隕石を止めるんだ。

「じいさん! どこにいる?」

 俺は叫んだ。

 この状況を、神である俺の祖父が見ていないわけがない。どこかで隠れて見ているはずだ。

「ここにおるよ……」

 声が後ろから聞こえた。

 俺は咄嗟に翻る。

 祖父の姿を確認すると、俺は言った。

「隕石を止めたい。そのために俺はヴァンパイアになった」

「異世界転生……」

「え?」

「魁江は今、異世界の生命体に転生したのだよ。覚悟はあるのかね?」

 覚悟はあるか?

 自信は揺らぐ……。

 だけど、ここま決意を固めるしかない。

「覚悟はあるよ。異世界転生。上等だよ!」

「なら、わしは何も言わん。後、数分で隕石はこの世界樹に向かって落下する。それを止めるのだ。それができるのは、亜種の血を得たヴァンパイアだけだ。今度こそ、地球を救ってくれ。わしにできなかったことを、魁江に託す。頼んだよ」

「じいさんは神なんだよな?」

「そう呼ばれた時期もあったねぇ」

「なら、その神の血を引く俺も、神になるのかな?」

「少なくとも、この隕石の衝突を防げれば英雄にはなれるだろう。ただ、誰も認めようとはしないがね」

「隕石を止めたら、諜報局は地球を侵略するために動くだろうよ」

「いや、それは分からぬ……」

 俺が次に尋ねようとしたとき、巨大な隕石が頭上に迫っていた。

 もう、会話をしている余裕はない。

 俺は手を空に向かって掲げた。

 なんとなくだけど、この世界樹のそばに立っていれば、自動的に隕石が吸い込まれるような気がした。後は止めるだけだ。今は、それに集中しよう。

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