ヴァンパイアの秘密
目を覚ますと、全く知らない天井が目に飛び込んできた。
(あれ、俺はどうしてこんな場所にいるんだろう?)
確か、学校を出て家に向かっている途中だったはず。
それなのに、どうして俺はベッドの上に横になっているのだろうか?
考えても埒が明かない。
部屋の中は広いようだけど、薄暗く、頭上を見ると、ろうそくの明かりのシャンデリアがぶら下がっているのが分かった。やはり、何度見ても不思議な光景。こんな場所、来たことはない。
俺はゆっくりと体を起こした。
部屋に誰かいるのなら、俺の居場所を教えてほしい。
服は俺の高校の制服のままだった。家に帰る途中に拉致でもされたのだろうか?
北朝鮮っていう危ない国も近くにあるくらいだから、もしかしたら、なんらかの事件に巻き込まれたのかもしれない。そう考えると、心の底がぐっと冷えてくる。とめどない恐怖が浮かび上がる。
「起きましたか?」
不意に前方から声が聞こえた。
俺は声の方向に視線を向ける。
ちょうど、入り口であろうトビラの前に、ほっそりとした少女が立っていた。
俺はハッと息をのむ。
なぜかって? それはその少女がとんでもなく美少女だったからだ……。
「き、君は誰?」
と、俺は入口へ向かい歩いていった。
少女は透き通るような白い肌に、銀色に近い白髪を持っている。
アンティークドールのような雰囲気があり、全体的に神々しい。
いや、なんというか人間離れしている。人間じゃないのかもしれない。そんな気さえしてくる。
「私はイリザ・ド・ラ・アウグスト。このアウグスト家の長女」
アウグスト家?
そんな家は聞いた経験がない。
そもそも俺は友達にだって外国人はいないんだ。
だから、アウグスト家と言われても全く見当がつかなかった。
「アウグスト家って何?」
俺がそう言うと、明らかにイリザと呼ばれる少女は不穏な目つきになった。
知らないの? とでも言いたげな表情だ。
「このトリステール地方を納めている公爵家の一族です」
「へ? こうしゃくけ?」
「トリステールの貴族です」
「ここは日本じゃないの? それにトリステールってどこ? フランスかな?」
「にほん? ふらんす? それは街の名前ですか?」
「いや、国なんだけど、俺は日本の東京に住んでいるんだけどさ……。あ、ごめん。俺さ底辺高校に通う鬼バカの高校生だから、世界情勢とか知らないし、国とか地方の名前もよく知らないんだ。トリステールってどこの国なの?」
「トリステールは、アルヴェスト王国の都市の一つです。どちからというと農業地帯が多いですが、アルヴェスト王国の中では中核都市の一つとして見られています。また、あなたの言う『とうきょう』がどこの街を指すのか分かりませんが、このアルヴェスト王国にはないと思います」
アルヴェスト王国……。
いくら世界各国を知らなくても、そんな名前の国は聞いた経験がなかった。
そもそも、ここは地球なのか?
「ねぇ。変なこと聞くけど良い?」
「なんでしょうか?」
「ここって地球?」
「はい? ちきゅうって何ですか?」
「惑星のことだよ。太陽系とか宇宙とか、知ってるだろ?」
「いえ、知りません。わくせいなんていう単語、初めて聞きました。それにうちゅうも知りません」
愕然とした。
言葉は通じるのに、意志が通じないというか、不思議な感覚だ。
ここは異世界……。
だけど、言葉は通じる不思議な世界。
なぜだか知らないけれど、俺は異様な世界に足を踏み入れてしまったようだ。
俺はよろよろと、よろけた。立っているのが難しくなる。
いや、待て。外部と連絡を取る手段はまだある。
俺はスマホを持っている。それを使えば……。
ポケットの中を探るが、スマホは見つからなかった。その様子を訝しい視線でイリザが見つめている。
「俺のスマホ知らない?」
スマホと言っても意味が通じるかは疑問だったけど、とりあえず尋ねた。
「すまほですか。なんですか、それ?」
「四角くて薄っぺらい板みたいなものだよ。光ってると思うけど」
「マジックアイテムみたいなものですね?」
「まじっくあいてむ?」
「ここから遠く離れた異国の地、スーヴァリーガルに伝わる魔力を宿したアイテムのことです。あなたが持っていたマジックアイテムは、きっと『光』のアイテムなのでしょう。キラキラと光り輝いていました」
「それは今どこに?」
「マリアが持っていきました。興味があるからと言って」
「マリアって誰?」
「すいません。私の妹です。アウグスト家の四女です。マジックアイテムについて研究しています」
「その人に会わないと。どこにいるの?」
「案内します。ついて来て下さい」
イリザはそう言うと、俺についてくるように指示を出した。
部屋を出ると、長い廊下に出る。
壁際に点々と燭台が設置され、ろうそくの明かりが照らし出している。
どうやら、アルヴェスト王国には電気というものがないようだ。今時珍しいろうそくを明かりにしている時点で、たしかにここは地球の都市ではないのかもしれない。しいて言うなら過去にタイムスリップした感じだ。
廊下を端まで行くと、階段がある。横に二メートルほどある大きな階段で、この屋敷の大きさを物語っていた。いや、ここはもう屋敷というよりも、城と表現した方が正しいかもしれない。
階段を上ると、また長い廊下に出る。床には赤い絨毯が敷かれ、高貴な印象がある。だけど、この城全体からは何か寂しい雰囲気が感じられる。これだけ大きな城に住んでいるというのに、人の数が少ないのである。物音もほとんど聞こえないし、薄暗いから、廃墟に来たように感じる。
「ここです」
と、イリザは徐にとある一室の前で止まった。
「ここにマリアって子がいるんだね?」
「そうです」
そう言った後、イリザはトビラをノックした。
木製のトビラは良く響き、中からこちらに向かって歩いてくる音が聞こえた。
数秒後、トビラが押し開かれる。
「誰?」
そう言ったのは、イリザとは違い、金色の髪を持つ小柄な少女だった。この少女もイリザ同じでたいそう美少女である。パープルの瞳が煌びやかに光っている。
「マリア。あなたに貸したマジックアイテムを返してほしいの? この方の物だから」
マリアはじっと俺を見つめる。
こんな美少女に見つめられた経験がないから、俺はしどろもどろになる。
「あ、あの、スマホ返してもらえますか?」
「すまほ?」
マリアは眉根を顰め、そう言った。
「えっと、マジックアイテムのことです」
「あれ、どこで手に入れた?」
ビックカメラ……。といっても多分通じないだろう。
だとすると、なんと答えれば良いのか?
「大切なものなんです。返してください」
「分かった。入って……」
マリアは俺を部屋に入れてくれた。
彼女の部屋は、二〇帖の広々とした空間だった。部屋の隅に天蓋付きの豪奢なベッドがあり、中央にL字型に設置されたソファがある。後は大きな机があるくらいで、全体的にものが少なかった。部屋が広くて物がないから、余計に広く感じる。
よく見ると、イリザが入ってきていない。
部屋の前で待っているのだろうか? マリアと二人きりにされ、俺はどこか困惑する。
「これ」
と、マリアは俺のスマホを手に取り、渡してくれた。
「ありがとう」
「それ、明かりの魔法?」
「魔法じゃないよ。科学だよ」
「科学?」
「う~ん。なんて言えば良いんだろう。技術の結晶みたいなものさ。俺も詳しくないんだけどね」
「それ、私にくれない?」
「だめだよ。まだ支払いが終わってないし、使うから……」
俺はスマホを操作する。
半ば当然かもしれないけれど、ここは圏外だった。
つまり、外部と連絡するのは不可能。路頭に迷う……。
「姉様を救えるの。それがあれば」
「姉様ってイリザのこと?」
「イリザ姉様じゃない。リーネ姉様」
「俺はよく知らないんだけど、なんでこれがあれば救えるのさ?」
「リーネ姉様はもうすぐ結婚する」
「そりゃめでたいじゃないか」
すると、マリアは顔を左右に振る。
「めだたくない。相手が問題」
「DVでも酷いのか?」
「でぃぶい?」
「いや、何でもない。話を続けてくれ」
「アウグスト家は今、大変。父様が亡くなり、衰退している。だから、リーネ姉様はしたくない結婚を余儀なくされている」
「止められないのか?」
「今のままじゃ無理。だけど、そのマジックアイテムがあれば分からない」
「俺のスマホが……、いや、マジックアイテムがどうして?」
「リーネ姉様の婚約者は有名なマジックアイテムの蒐集家。だから、このアイテムを受け渡すのを条件にして、婚約を破棄させる」
果たして、婚約破棄なんて可能なのか?
詳しくはないけど、婚約破棄で裁判沙汰になったという話を聞いたことがあるぞ。
「リーネって子は結婚を希望していないんだな?」
「うん。していない」
「そっか。なら良いよ。それやるよ。どうせここじゃ使えないから」
すると、マリアは意外そうに俺を見つめた。
「良いの?」
「だって必要なんだろ? やっぱり結婚は好きな人としなくちゃならないよ。俺の国だとそうだもん」
「あなたはどこから来たの?」
「俺は……。説明すると面倒なんだけど、日本っていう国から。だけど、それはこのアルヴェスト王国だっけ? ここにはない。簡単に言えば異世界だよ」
「異世界? スーヴァリーガルのこと?」
「よく知らないけど、そこかもしれないな」
俺はそう言うと、スマホをマリアに渡し、部屋から出ていった。
とにかく、帰る方法を探さなくちゃならない。
マリアの部屋の外には、いたはずのイリザがいなかった。だから、俺は屋敷内をさまよい歩くことになる。
如何せん、無駄に広いのだ。どこを歩いているのか分からなくなる。
ようやく階段を見つけ、下に降りる。その際、踊り場で立ち止まった。
カーテンはかかっているが、大きな窓がある。気になった俺は、カーテンを開き、外の様子を見つめる。
そこにはありえない風景が広がっていた。
外は暗闇が広がり、夜のようだった。問題なのは、今が夜ということじゃない。
夜空に浮かぶ月。いや、真っ赤に染まる月が二つ夜空を照らし出している。
ここは確かに日本じゃない。……、いや、地球でもない。
完全に異世界。それはもう、間違いないように思えた。
一階まで降りた時、後方から足音が聞こえてきた。
俺は咄嗟に振り返る。
マリア? それともイリザだろうか?
答えは違う。その二人ではない。だが、良く似ている少女が俺の前に立っている。
髪の毛はイリザと同じで白髪。透き通る肌を持ち、背が幾分か高い。
瞳の色がライトブラウンで、なんとなく妖精のように見える。
「あんた誰?」
そういえば、ここに来てからまだ名乗っていなかった。
「俺は轆轤川魁江です」
「ろくろがわかいえ? 変な名前ね。あんたね、マリアに余計なことを言ったのは」
「え? 俺は何も言ってないけど」
「マリアに婚約のことを聞いたんでしょ。それで不憫に思って、マジックアイテムを渡した。違う?」
「そうだけど、何か問題があるのかな?」
「大アリよ。あたしが結婚しなかったら、このアウグスト家は衰退してしまうの。だから、あたしは結婚する必要がある」
「だけど、君は結婚したくないんだろ。そのマジックアイテムがあれば、婚約を破棄できるっていう話だったけど違うのか?」
「そんなに簡単に婚約破棄なんてできないわよ。あたしの結婚は宿命なの。いくらしたくないっていっても、しょうがないんだから。勝手なことしないでよね」
そう言うと、少女は俺にスマホを突き返してきた。
「これ、あんたのでしょ。返す」
「良いのか?」
「良いって言ってるじゃない。あんたみたいな人間に憐れみを受けるほど、あたしは落ちぶれちゃいないわ」
「わ、分かったよ。じゃあ、返してもらう」
俺はスマホを受けとる。
相変わらず圏外だった。
スマホを受け取った俺が、一階のロビーらしき場所でうろうろとしていると、突然声が聞こえた。
「何をしていますですか?」
声の方を向く。
そこには金色の髪に、サファイヤの瞳を持つ少女が立っていた。
先ほど、俺にスマホを返した少女よりも背が小さい。姉妹だろうか?
「君は?」
「僕はシリル。アウグスト家の三女なのです。リーネの会話は聞いたのですよ。マリアは誤解しているのです」
「リーネ?」
「アウグスト家の次女なのです。フランクリン公爵と婚約しているのですよ。本当は良い人なのです。ただ、マリアは少し誤解しているのです。僕はフランクリンとリーネが結婚してほしいと思っているのです」
「さっきの少女か……。リーネって言うんだな」
「そうなのです。君はロクロガワというのですよね?」
「う、うん。そうだけど」
「僕にマジックアイテムを見せてほしいのです」
「構わないけど……」
俺はスマホをシリルに渡した。
シリルはそれを興味深そうに見つめている。
果たして何をしようとしているのか?
気になった俺は、シリルに声をかける。
「何か分かるのか?」
「ロクロガワはどこから来たのですか?」
「言っても分かんないと思うんだけど、東京っていう街から来たんだよ。でもこの国にはそんな街はない。いや、この国っていうか、この世界には存在しない街かもしれないんだ」
「存在しない街……。異世界ということなのですか?」
「そうかもしれない。俺は異世界からやってきたんだ。どうしてかは分からないけど……。気付いたらこの屋敷のベッドの上で寝ていたんだ」
「イリザが発見したのですよ」
「どこで?」
「領地の森の中でです。放っておけばオオカミに食べられてしまうところなのでした」
オオカミ……。
異世界だとしても、その生物はいるのだなと感じた。
違う世界ではあるようだけど、ところどころ共通点はある。言葉は通じるし、赤くて二つあるけれど、月もある。月があるのなら、きっと宇宙もあるんだろう。ただ、科学技術の方は地球の方が進んでいるようだ。何しろ、アルヴェスト王国のトリステールには『電気』というものがないのだから。
未だにろうそくを使っている時点で、文明のレベルはかなり低いと言える。
「俺、どうしたら良いんだろう。帰る場所ないんだよ」
「もう少しで休みの時間になるのですよ。少し休んでいくと良いのです」
「休みの時間?」
「そうなのです。もうすぐ朝になるですから、皆休む時間なのです」
普通、朝になったら起きるものじゃないのか?
俺はそう考えた。確かに今は雰囲気的に深夜だ。なのに、皆こうして起きている。夜更かしにしては行き過ぎているような気もするし、昼夜逆転しているニートみたいなものか?
「朝になったら起きるんじゃないの?」
と、俺は尋ねた。
すると、シリルは円らな瞳を大きく見開きながら、質問に答えた。
「朝になったら眠るものです。ロクロガワは違うのですか?」
「あ、えっと……。俺のいた国っていうか場所では、夜寝て朝起きるんだよ。夜働く人もいるけど、たいていの人は、夜寝て朝になったら学校へ行ったり、仕事へ行ったりする」
「スーヴァリーガルには、そのような生活をしている人がいると聞いたことがあるです。ですが、アルヴェスト王国の人々は皆、朝になったら眠るのですよ」
「そ、そうなのか……。ちょっと、夜風に当たってきて良いですか?」
「外は危険がいっぱいなのですよ。屋敷にいた方が良いです」
「危険か。俺はどこにいたら良いのかな? 自分がいた部屋が分からなくなっちゃったんだ」
「案内するのです」
そう言うと、シリルはつかつかと歩き始めた。
薄暗い屋敷内を歩いていくと、やがて長い廊下に出て、その突き当りの部屋の前で止まった。
「ここがロクロガワの部屋なのです。昔の使用人が使っていた部屋なのですよ」
「ここには君たち姉妹しかいないのか?」
「執事のクロードがいますですが、今は用事で出ているのですよ。もう少ししたら帰ってくるです」
「分かった。ありがとう。少し休むよ」
俺がそう言うと、シリルはにっこりを笑みを浮かべ、元来た道を戻っていった。
俺は一人になる……。
部屋の中に入ると、やはり薄暗い。
ベッドは俺が起きた時と同じ状態になっており、シーツがはがれかけていた。
部屋の中を散策してみる。
確か、使用人の部屋だと言っていた。
だけど、その使用人は今はいない。執事が一人いるだけで、他には誰もいないようだった。ベッド脇に棚があり、そこに何冊か本が入っていた。気になったから、俺は本を手に取る。言葉は通じるけれど、文字は通じないようだった。見たこともない文字がぎっしりと並んでいる。英語やフランス語ではない。というよりも、象形文字に近い。
本を元に戻し、俺は窓辺に向かう。深紅のカーテンがかかっており、華美な印象がある。
カーテンを避け、窓を開ける。
今は春か秋なのか、心地の良い風が頬を打った。
わずかに草木の香りがする。自然がついそこまで迫っている。周りは暗く生い茂った草木に覆われており、東京で見る風景とはまるで違う。田舎に来たような感じだ。
本当に、ここはどこなんだろう。
異世界転生……。
小説でよくこのジャンルを読んだけど、まさか自分の身に起きるとは思わなかった。
この世界に地球人以外の人間が住んでいるなんて、なかなか信じられない。
でも、事実は事実だ。アルヴェスト王国は確かに存在している。
真っ赤な月を見上げる。
赤く光り輝いているから、不気味な印象がある。
遠くからオオカミの遠吠えが聞こえてくる
「ワォーン」
外は危険だ。
かといって、朝になったらみんな眠ってしまう。
いつ、屋敷の外に出るのだろうか?
ぼんやりとベッドの上で、圏外になったスマホを弄っていると、やがて朝日が差しこんできた。
いつの間にか赤い月は姿を消し、太陽みたいな星が光り輝いている。
カーテンを開け、俺は深呼吸をする。
外に出てみようか……。
そう考え、俺は再び、部屋の外に出る。
広すぎる屋敷の玄関がどこにあるのか分からないが、適当に歩けば辿り着くだろう。
まずはココが何階なのかさえ分からない。
階段を発見したが、降りられないので、一階なのだろうか? それとも地下か?
とりあえず階段を上る。大きな広間のような場所に出る。相変わらずカーテンが閉じているので、外からの日差しはほとんど入ってこない。
なぜだろう? 本当に夜行性なのだろうか?
俺がそう考えていると、後方から声が聞こえた。
「あんた、こんなところで何してんの?」
俺は視線を向ける。
リーネだった。透き通るような白髪。相変わらず神々しい印象を与える。
「いや、外に出ようと思って」
「もう朝よ。寝なさいよ」
「俺は朝になったら起きるんですよ」
「は? 何言ってんの?」
「信じてもらえないかもしれないけど、俺の国じゃ夜に寝て朝に起きるんだよ」
「あんた、どこから来たの?」
「東京……」
「とうきょう? それはどこ、遠いの?」
「多分、すごく遠いと思う」
「スーヴァリーガルのことを言ってるの?」
また、その名前が出てきた。
どうやら、スーヴァリーガルという都市は、アルヴェスト王国の中でも異質の空間のようだ。
「違うと思うけど……。面倒だから、スーヴァリーガルから来たことにするよ」
「あたしも少しだけなら、スーヴァリーガルを知ってるわ。ララポルド様に聞いたから」
「君の婚約者か……。だけど、結婚したくないんだろ?」
俺の言葉に、リーネは目の色を変えた。
どんよりとしている。分かりやすい変身だ。リーネの印象を見る限り、俺と同じくらいの年齢だろう。つまり、十七歳くらい。日本だと、女子は十六歳から結婚できるけど、今はそんなに早く結婚する人はいない。かなり稀だろう。十七歳といったら、学校へ行って、運動したり勉強したりする時期だから、結婚なんてまるで考えない。俺の周りの人間だって、そりゃ将来的に結婚は考えているけれど、今すぐ結婚をするなんて考えを持つ人間はいない。
だから、いくら家柄を守るためとはいえ、若くして結婚したくないのに、結婚するという宿命を背負ったリーネが不憫に感じられた。
「仕方ないのよ……。あたしが結婚しないと、アウグスト家は滅んでしまうから」
「滅ぶって大げさだよ」
「大げさじゃないわ。アウグスト家は一〇〇〇年続く伝統的な家柄なの。それを私の代で潰すわけにはいかないわ」
「イリザじゃダメなの?」
「何が?」
「だって、イリザは君のお姉さんだろ? 年齢的なことを考えると、先に結婚するのはイリザなんじゃないかって思って……」
「イリザ姉には、別の役割があるから……」
リーネはそう言うと、遠い目を浮かべた。
「俺の国じゃさ、だいたい好きな人同士で結婚するんだよ。昔は色々あったみたいだけど、今は違う。だから君の境遇がすごく可哀想だと思う」
「同情しているのね」
「そう言うわけじゃない。ただ、結婚をしたくないのに、結婚をするのが異常に見えるんだよ」
「そんな生き方ができれば、あたしだって苦労はしない。だけど、アウグスト家に生まれちゃったんだから、その使命は全うしないとならない」
それはすごく殊勝な心掛けだ。
まだ若いのに、どうしてそんな考えができるのだろう?
「そうなのか……」
「じゃあ、あたしは寝るわ。カイエ、あんたも早く寝なさい。森で倒れていたんだから、休んだ方が良いわ」
「ありがとう。休むよ」
そう言い、俺たちは別れた――。
とはいうものの、俺は眠る気にはなれなかった。
眠くなかったし、何より、ここまで光が照らしているのに、眠るのはもったいないと思えた。
皆が朝になったら眠るのなら、ちょっとくらい外に出ても問題ないだろう。
俺は何とか屋敷の入り口を発見し、外に出てみる。
屋敷の外は、うっそうと茂る草木に囲まれて自然が溢れていた。
森の中は燦々と日光が降り注ぎ、気持ち良い。
俺が歩いていると、前方からふらふらと歩いて来る人影が見えた。
痩身の男性のようだが、足取りが酔っぱらいのようにふらついている。
「目がやられるぅ……」
痩身の男性は、甲高い声を上げると、その場にばたりと倒れた。
それを見た俺は慌てて近寄る。
「だ、大丈夫ですか?」
すると、痩身の男性は息も絶え絶えに、
「た、たしゅけて……」
「とにかく屋敷に運びますから、掴まってください」
俺はひょいと男性をおんぶする。細い人だったから、何とか俺でも背負えた。
屋敷の中で把握しているのは、自分の部屋くらいだ。運ぶなら、あそこしかないだろう。皆、朝になり眠っているのだとしたら、起こすのは忍びない。
俺の部屋のベッド上に寝かせると、痩身の男性はようやく落ち着きを取り戻したようだ。
「あ、ありがとう。たしゅかったよ」
「は、はぁ。酔っぱらったんですか?」
「違うでしゅよ。朝日の中、歩いてきたからこうなったんでしゅ」
でしゅ……。
何というか変な喋り方だ。
「朝日を浴びたからってあんな風になるなんておかしいですよ」
「そういや、君はどうして朝日の中、歩いてこれたんでしゅか?」
「どうしてって、あなたこそ、何でそんなフラフラなんですか?」
「ヴァンパイアは朝日に弱い……。鉄則でしゅよ」
「ヴァ、ヴァンパイア。それって吸血鬼ですよね?」
「そうでしゅ。君もアルヴェスト王国の国民なんだから、ヴァンパイアのはずでしゅのに、どうして日光に強いんでしゅか? 体質でしゅか?」
「お、俺はヴァンパイアじゃないですよ」
「へ? 何を言ってるんでしゅか? 僕チンをからかっちゃいけませんでしゅよ」
「からかってませんよ。俺は、なんて言えば良いんだろう。この国の人間じゃないっていうか……。あ、そうだ、スーヴァリーガルから来たんです」
スーヴァリーガルと言っておけば、話がうまくいくと思ったのだ。
この場で『東京』といっても理解されてないのは目に見えている。
だけど、これがよくなかった。
痩身の男は跳ね起きるように顔上げると、俺の顔にこれ以上ないくらい近づく。
男同士だけど、キスができるくらいまで距離が近まる。
よく見ると、女っぽい顔をしているよな……。この人。
いやいや、俺は何を考えているんだ。こいつは男だぞ! いくらキレイな顔立ちをしているからと言っても。
「は、離れてくださいよ。近すぎます」
「今、何と言ったんでしゅか?」
「何って、特になにも……」
「スーヴァリーガルから来たと言ったじゃないでしゅか」
「い、言いました。はい」
「僕チンはスーヴァリーガルを研究してるんでしゅ。良かったら話を聞かせてくだしゃい」
本格的に参った。
まさかここまで食いつくとは思ってもみなかったのだ。
今更、スーヴァリーガルから来たのは嘘だとも言えそうな雰囲気ではない。
というよりも、この痩身の男性は一体誰なんだろう。
金髪で左右が違う名の色をしている。グリーンとブルー。翡翠とサファイヤのような瞳だ。
なんというか精霊のような雰囲気があるよな。
話し方はかなり変わっているけれど……。
「あの、あなたの名前は?」
俺は尋ねる。
痩身の男性は、そこでようやく俺から離れる。そして、ベッドの上に胡坐をかくと、次のように言った。
「僕チンはフランクリン・デ・ル・ララポルド。こう見えても伯爵なんでしゅよ。エッヘン!」
胸を張るフランクリン。
ん。……待てよ、ララポルドって言う名前、どこかで聞いたような。
そうだ。リーネの婚約者の名前もララポルドだったはずだ。
もしかしてこいつが婚約者なのか? いや、単に名前が同じだけだろうか?
日本でも太郎とか健太とかありふれた名前なら被る場合だってある。
フランクリンがありふれた名前かどうかは知らないけれど、その可能性はないわけじゃない。
「あの、一つ聞いても良いですか?」
「なんでしゅすか? なんでも聞きなしゃい」
「あなたには婚約者がいるんじゃないんですか? そ、その、リーネっていう」
「リーネしゃんを知ってるんでしゅね。そうです。リーネしゃんは僕チンの婚約者でしゅ。もうすぐ結婚するのでしゅよ。今日はプレゼントを持ってやってきたんでしゅか、途中で馬に逃げられて歩く羽目になってしまい、あやうく死にかけたんでしゅ」
確かにフランクリンは美形だ。
少し痩せているけれど、顔は良い。
金髪だし、オッドアイだし、モテル要素は十分にある。
だけど、壊滅的に話し方が終わっている。
でしゅ……。
僕チン……。
こんな話し方をする親父だったら、子供は絶対グレる。
というか、親父としての威厳が保てないだろう。
何なんだろう。この人は?
「プレゼントって何ですか?」
俺はとりあえず聞いてみた。
一体、何を用意したんだろう。
「これでしゅ」
そう言うと、フランクリンは上着のポケットから桐の小箱を取り出した。
結婚指輪でも入っているんだろうか?
小箱を開けると、USBメモリーが入っていた。
なぜ、こんなところにUSBがあるのだろう? アルヴェスト王国の文明レベルを考えると、USBなんてものは存在しないはず。何しろ電気だってない世界なのだ。
そんな世界にPCの関連機器があったところで、何の役に立つというのだろう。
まさに猫に小判だ……。
「USBですね。これをどこで?」
と、俺は言った。
すると、フランクリンはキョトンと俺を見つめた。
「ゆうえすびぃでしゅか? 何を言ってるんでしゅか。チミは……」
「それUSBって言うんですよ。それよりもどこでそれを?」
「これはスーヴァリーガルからやってきた渡来品でしゅ。結構高かったんでしゅよ。僕チンだから手に入ったんでしゅ。きっとリーネしゃんも気に入ると思って……」
リーネは多分、こんなものを貰っても喜ばないだろう。
だけど、フランクリンは悪い奴ではなさそうだ。人を喜ばせたいという強い決意が垣間見える。
「スーヴァリーガルにはどうやって行けば良いんですか?」
「チミはさ、どうやって来たんでしゅか? 来た道を戻れば良いだけの話でしゅ」
「そうなんですけど、なんでアルヴェスト王国に来たのか、俺が知りたいくらいなんですよ。これを見てください」
俺はスマホを取り出し、それをフランクリンに見せた。
フランクリンは異様な目つきでスマホを見つめると、それに飛びついた
「こ、こ、こ、こ、こ、これはすごいでしゅ。こんなマジックアイテムはみたことないでしゅ。チ、チミ、これをどこで?」
「コレは俺のです。スマートフォンって言うんですよ」
「すまーとふぉん? へんな名前でしゅね。一体何に使うんでしゅか?」
「まぁ電話とかメールとか、言っても分からないと思いますけど、電波が通っていれば、離れたところにいる人間と会話したり手紙を出せたりするんです」
「うううむぅ。チミはますます不思議な人間でしゅ。実は今、スーヴァリーガルへの渡航は難しいのでしゅ。名前のある貴族や研究者でないと、渡航の申請が下りないのでしゅよ。僕チンも何度か申請を出したんでしゅけど、ダメでしゅた……。見たところ、君は貴族でないでしゅね。なぜ、スーヴァリーガルから出てこれたんでしゅか?」
「こんなことを言っても信じてもらえないかもしれませんが、俺、実はスーヴァリーガルからきたわけじゃないんです。多分ですけど、この世界とは違う世界……。つまり、異世界から来たんです。地球って言う星から……」
フランクリンは唖然としていた。
それはそうだろう。異世界から来た人間なんて言っても、そんなに簡単に信じてもらえるとは思えない。だけど、フランクリンは少し変わっているようである。俺の話を否定はせずに、持論を展開した。
「異世界でしゅか……。スーヴァリーガルの伝説によると、あの都市は元々アルヴェスト王国の都市ではなく、異世界の都市が突如現れたという話でしゅ」
「信じてもらえますか?」
「チミが持っているすまーとふぉんがそれを証明してるでしゅ。僕チンは信じましゅよ」
「ありがとうございます。誰に言っても信じてもらえなくて……、そ、その、不安だったんです」
俺はフランクリンの白く透き通った腕を取り、手を握りしめた。
フランクリンはニコっと笑みを浮かべるが、すぐに元気がなくなる。
「ど、どうかしたんですか?」
フランクリンは急にベッドに額を押し付け、おいおいと泣き始めた……。
「チミが悩みを告げたついでに、僕チンの悩みも聞いてほしいでしゅ」
「良いですよ。ど、どんな悩み何ですか?」
「リーネしゃんでしゅ。実は、リーネしゃんは僕チンとの結婚にそれほど前向きじゃないんでしゅよ」
それはそうだろう……。
とは言いたくても言えなかった。
その代り「どうしてでしょうか?」と、オブラートに包むように尋ねた。
「見ていれば分かるでしゅよ。リーネしゃんは、アウグスト家を守るために、僕チンと結婚するんでしゅ。僕チンが好きだから結婚するわけじゃないんでしゅよ」
「あなたはリーネのことが好きなんですね」
「そりゃそうでしゅ。小さい頃からリーネしゃんを知ってましゅから」
「フランクリンさんは今いくつ何ですか?」
「僕チンは二十二歳。リーネしゃんは十七歳。年の差は五歳でしゅから、問題ないはずでしゅ。でも僕チンは愛されていない。こんな気持ちのまま、結婚しゅるのは、お互いの為に良くないのでしゅよ」
通常、伯爵という地位を持っていれば、傲慢な態度を取るのが普通かもしれない。
権力や地位は人を変えるから、上から目線になってもおかしくないのだ。
だけど、フランクリンにはそんな嫌味がまるでない。本当、単純にリーネを好きでいるのだろう。いや、愛しているのかもしれない……。
「チミ……。名前はなんというのでしゅか?」
「あ、あぁ。俺ですか、俺は轆轤川魁江です。呼びづらいんで『カイエ』って呼んでください」
「カイエくん。チミに頼みがありましゅ。リーネしゃんの本心を聞いてもらいたいんでしゅ」
「そ、それはまぁ構いませんけど……。でも、もう二人は結婚するんですよね? 今更、婚約破棄とかできるんですか?」
「実はね……。リーネしゃんにはもう一人、許婚のような人がいたんでしゅ」
「誰なんです?」
「王族の一人であるアラベスト伯爵でしゅ。リーネしゃんはそいつが好きなのかもしれないんでしゅよ」
「とにかく、一度リーネに聞いてみますよ。俺で良かったら協力しますから」
すると、フランクリンは涙ながらに俺の両手を掴むと、必死に「ありがとう、ありがとう」と繰り返した。




