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終転  作者: 久枠
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マキナが

彼女は仕方なしな状態を作るのが本当に上手かった。

女性に生まれたのも、歩けば誰かが振り返るその端麗な容姿も、人に与えられる程のその知性も、控えめでもなく嫌味でもないその胸も、まるで子鹿の様に力強くしなやかなその肘も、粒子の細かい砂浜に流れ着いた貝殻の様なその爪も、もしも被食者であるならばせめて彼女に齧られたいと思わせるその歯も、ゴッホの耳が彼女のそれであればあの自画像もまた変わったのではと誰もが思うその耳も。


彼女に関係してしまった可哀想なあれこれは彼女のどこかしらによって説得力を、または正当性を奪われ、彼女のものとされる。


彼女に向けられた悪意は本来の何倍にもなって跳ね返され、彼女に向けられる疑惑は胡散霧消どころか、疑惑そのものが彼女自身の糧となり、一層と輝かせるための砥石とされやがて擦り切れるのだ。


言うなれば許し、許される者。だから気になった、その命題にたどり着くのはそれこそ宿命。


『一体私はどこまで許されるのだろう?』


その日、渋谷区立上代小学校の職員達は朝からどよめいていた。

と言うのも学校側が情操教育の為にと飼育を決めた五羽の鶏の内、一羽が十日も経たぬ内に丸裸にされていた。

あのふさふさとした白い羽毛は一本残らず毟られ、まるで丸焼きにされる前のアレが蘇って歩き回っている様だった。まだ生徒達が登校してくるには少し時間がある。


「いやぁ、なんと言うか。正直ね、懸念されてた事項はいくつかあったんですよ。ほら、よく聞くじゃないですか。そういう残虐性の強い子供がいたずら半分に殺してしまうって言う類の。でもこれは…」


丸裸のまま餌をつつくそれを見ながら年配の男性教師が隣の若い女性教師にぼやく。


「おはようございます、先生方」


突然後ろから声をかけられ驚いた二人は一斉に声のする方向を向く。丁寧に頭を下げるその子供の首に巻かれた、ある物を見つた女性教員が思わず声が漏らす。

しかし、どこか腑に落ちた、むしろ安心した様な顔になったのだ。


「あっ…。マキナちゃん、真っ白でとってもかわいいファーね!買ってもらったの?」


その女子は女性教員の受け持ちの生徒で、名を細川巻那と言う


「いいえ、違います。そこの鶏から羽を頂いて作ったの」


そう言って、首に巻かれた真白なファーに口元を埋める巻那はその年では考えられない妖艶な目つきで丸裸の鶏を見つめた。

その様子を見た男性教員は突然に自身の小学生時代の淡い初恋を思い出してしまう。只々見つめるだけだった、叶わなかった初恋を思い出す。


「そうだったのね?でもダメよ、マキナちゃん。鶏さんが寒いもの」


惚けたままの男を放っておき、女性教師が人差し指を立て、メッ!とマキナを叱る。


「そのファーはとっても似合っているわ。でもダメなのよ、この鶏さんはみんなで飼おうって決めてみんなでお世話してきたの。ペットっていう感じかしらね。人のペットの毛を勝手に剃ったら怒られるでしょう?だからマキナちゃんが勝手に羽をとっちゃダメなの。それで、マキナちゃんはどうするの?」


女性教師は諭す様にもっともな事を言っているのに、何故かマキナからの反論を待つ様な良い草だ。


「佐藤先生、そうだったのですね。私はてっきり畜産のお勉強の一環として皆で飼っているのかと。確かに人様のペットを勝手にむしってはダメ、それに何より先ほど先生が仰っていた『鶏さんが寒い』と言うその言葉。大変胸に刺さりました」


マキナはそう言うと、そのファーをするりと首から外し鶏小屋に入っていき丸裸の鶏に優しく巻いた。


「偉いわ。マキナちゃん」


そう言って佐藤先生は鶏小屋の中のマキナに拍手を送る。


「いいえ、まだです。これは勝手に皆のペットを傷つけたせめてもの償い。寒い思いをさせた鶏さんにはまだ何も」


背負っていたランドセルを下ろし、その中からマキナはハサミを取り出す。


「これで許してもらえるかしら」


マキナは腰まで伸びた後ろ髪を左手で手繰り寄せ、右手に持つそのハサミで切った。

切り離された黒髪は引力に反する様にゆっくりと地面に落ちていく。

所々穴の空いた鶏小屋のトタン屋根から差す光がその一本一本を照らすとキラキラと全ての髪が輝いていた。


さっきまで惚けていた男性教師は突然起きたその出来事を飲み込めぬまま、とても貴いものが失われたと言う事実だけを目の当たりにし、今度は涙していた。


ファーを巻いた丸裸の鶏は突如降ってきた得体の知れない、しかしとても神々しいそれを恐る恐る口にする。


「良かった。許してくれたみたい」


自身の髪をつつく鶏を見て、マキナはニコリと笑う。 


「素敵よ。マキナちゃん」


情けなく涙する男性教師、何度も頷きながら拍手を送る佐藤先生にマキナは一礼するとその場を去った。


細川巻那は有名なカラクリ技師を祖先に持つ家柄である。

嘘か誠か、その男の作ったネズミのカラクリが本物の猫を噛み殺したという逸話まである。


細川範治のカラクリはどこまでも本物に近く、また本物よりもよく出来ている。

そう言わしめるほどの紛れもない天才であった。

しかしそんな彼が子供を授かってからと言うもの、カラクリを組み立てる事もなくひたすらに何かの図面をひいては破りひいては破りを繰り返す様になった。


誰もが気が触れたのか、はたまた才能が枯れたのかと噂していた。しかし死の間際、彼は誇らしそうに家族に伝えたのだ。


「本当に作りたいものが完成した。でもこれはまだ図面の状態。どうか代々引き継いでいってはくれないだろうか」と。


そして現在、細田家は日本でも有数の玩具メーカーとしてその名を広く知られている。それもまた、彼が綿密に計画してくれた政略結婚に則ってきたおかげであった。


何を以って完成とするのかは、人それぞれである。

例えば100年を計れる砂時計を作ったとしよう。それはどこで完成となるのか。

その形が出来上がった時なのか。その数字が学術的に証明されたらなのか。

少なくとも細川範治はこう考える。

『本当に100年でその砂粒が上から下に降り注いだら初めて完成をみる』のだと。

つまり、完成は100年後まで叶わない。

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