胸騒ぎ
一日の仕事を終えて、下城途中、またしても平井に会った。
中間も従えず一人の平井は、どうやら伊織を待っていたらしかった。
伊織は、平井の顔を見て眉をひそめた。
「どうした?」
「ま、歩きながら話そう」
平井は、伊織の肩を抱いて歩き始める。伊織は胸騒ぎがした。
まさか、平井まで自分と辰之助の関係に気付いたのだろうか。
背中をいやな汗が滴る。
「要件があるならさっさと云え」
こちらから問いかけた。すると、平井が急に足を止めた。
「谷村どのが気にしておったぞ」
「なに?」
孫四郎の名が出て伊織は思わず顔をこわばらせた。
「気にするとはどういうことだ」
「うん」
平井のとぼけた顔を見て、伊織は眉を吊り上げた。
「おぬし、まさか、ありもしないことを話したんじゃないだろうな」
「失敬な」
平井はわざと顔をしかめたが、それを見て悟った。
なにか云ったのだ――。
平井の悪いところは口が軽すぎる点である。
考えもせず思ったことをかまわず話す。
谷村孫四郎と平井は同じ田宮真剣流の道場に通っていた。
平井は、再び伊織の肩を抱いて歩きだすと小さい声で囁いた。
「聞いたか」
「なにをだ」
伊織は、だまされんぞ、と身構えながら耳を澄ます。
「辰之助だ。あやつ、江戸に思い人を残して来たらしい。江戸に行きたいと志願しているのはそのためだそうだ」
伊織は一瞬、息をするのを忘れた。声が出ずに、体が凍りついた。しかしすぐに眉一つ動かすことなく相手を睨みつけた。
目付として一年間の賜物であった。
「文にもそう書いてあった」
極めつけに、伊織にはいちども呉れなかった文の内容を明かす。
ひくひくと頬が引きつったが、平井には気づかれなかった。
無表情の伊織を見て、平井が拍子抜けした顔をした。
「あれ、貴公、知っていたかの」
「黙っておれ」
「ふむ、当てが外れたの」
「なんだと?」
「その町娘、面白いことにお前によく似ているそうだ。辰之助は血迷うかなと」
この男、なにが云いたい。




