登城
目が覚めると、辰之助の姿はなかった。
彼は、ことが済むとできるだけ早く居なくなってしまう。面倒なことが起こる前に消えるのだろうが、手際のよさに思わず苦笑した。
伊織は起き上がって、節々が痛いのに気付いた。
「あのやろ、めちゃくちゃをする…」
思わず汚い言葉が口を出た。
本音を云うと、辰之助の心が見えず不安は募るばかりだった。
最初はうれしさのあまり、抱き合えるだけでよかったが、最近、こうして朝一人で目覚めると空しさが心を塞いだ。
奴は何を考えているのだろう。
償いの話しをしていたのに、いつの間にかこのような関係になってしまった。
あれ以来、償いの話もないし、江戸での話しも聞いたことがない。
伊織は肩を落としたが、大きく息を吐きだすと、着替えるために重たい体を起こした。
朝餉を済ませ、屋敷を出る。
登城の途中に、道場へ向かう孫四郎に会った。
「おはようございます」
孫四郎は、いつも以上に鋭い目で伊織を見ていた。城へ向かうと、孫四郎もついて来た。
「城へ上がるのか」
「はい」
目を合わせるのが恐ろしかった。おのずと早足になると、孫四郎の冷たい声がした。
「最近、毎日のように大橋辰之助と会っておるの」
「昔馴染みですから」
すぐに答えられたことが驚きだ。伊織は、緊張したまま孫四郎の言葉に神経を注いだ。
「昔馴染みか」
ふむ、と孫四郎は呟いた。
「はい」
「そうだの、せっかく江戸から戻って来たのだからの」
のんびりした口調だったが、どこか棘があった。
「それが何か」
伊織は足を止めてすっと顔を上げた。
孫四郎の顔は冷たく能面のようだった。
「小園には会いに行っているのか」
「もちろんでございます」
再び歩き始める。孫四郎ものんびりと歩き始めた。彼は背が高いので簡単に追いつかれてしまう。
伊織の背中はじっとりと汗ばんでいた。
気付かれている。
孫四郎は、自分と辰之助の関係を見抜いて、こうして現れたのだ。
「では、ここで」
登城口で孫四郎と別れた。
孫四郎は、くるりと振り返ると再び、町の方へ戻って行った。
袴もつけず相変わらずゆらゆら揺れる手が不気味だった。
目を閉じて、小園を想った。
小園の秘密。
それは、彼女が心から愛した相手は、実の兄、孫四郎であった。
彼女はその秘めた思いを伊織にだけ打ち明けて亡くなった。
孫四郎も、おそらくだが小園を心から愛している。
二人の関係を伊織は詳しくは知らない。しかし、小園が自分の想いに胸を痛め、そのせいで死を早めたのは気がついていた。
孫四郎は、小園の死によって壊れてしまっていた。
彼は危険だ。
伊織は、顔を引き締めると城へと急いだ。




