熱
中間を従え、屋敷まで戻る途中、伊織は何度も息を吐いた。
孫四郎の姿はなかったが、なんとなく見張られているような心持ちがする。
何事もなく屋敷へ戻り、着流しに着替えた。
早いうちに辰之助に話しをしなくてはならない。
しかし、夜遅く会えば気持ちが高ぶるのは分かっていたので、明るいうちに彼に会いに行くことにした。
小暮を呼んで袴をつけると、これから話をつけに行ってくるとだけ伝えた。
小暮は何か云いたそうな顔をしていたが、ただ、中間を共に連れて行くように、とだけ云った。
中間を従えて外へ出ると、まだ、日は明るく人も多かった。しかし、伊織の足は重く、またもや、ため息が漏れた。
ようよう辰之助の屋敷に到着し、対面を願うと、辰之助本人がすぐに現れた。
居間に通されるなり、戸が閉まるや否や背後から抱きしめられた。まだ、挨拶もまともにしていないのに、口を塞がれる。
伊織は、心ノ臓が飛び出るかと思うほど驚いたが、辰之助の熱に浮かされそうになった。
ようやく口を離すと、辰之助はこちらをじっと見ている。
「ど、どうしたのだ?」
思わず尋ねると、一日でも離れたくなかった、と云われた。伊織はそれを聞いて、彼と別れることはできないと思った。
「ではなぜ、夕べは会いに来なかったのだ」
恨めしげに云うと、辰之助は苦笑した。
「あの男だ。谷村と云う男のことが気になって、一日置いたが、我慢できなかった。この際、お前の許嫁のことなどどうでもいい、俺はお前が好きなんだ、伊織」
辰之助の言葉に、息が止まりそうになる。
「俺が、江戸へ発った理由はそれだ。お前のことを諦めようと、一度離れれば気持ちが薄れると思った。文を無視したのもそのせいだ。しかし、こうして再会して、俺はお前なしでは生きていけないと知った」
ああ…。
伊織は、泣き出しそうになった。
辰之助も同じ気持ちだったのだ。
「お前が江戸へ行っている間、俺がどんな気持ちでいたか知っているか? 文を送ったのもお前の事をひと時も忘れたくなかったからだ」
伊織は必死で辰之助の着物にしがみついて云った。辰之助が目を見張る。
「では、俺たちの気持ちは同じだったということか…」
「辰之助、俺だってお前のことが好きだ」
「そうか…」
辰之助の顔がくしゃりと泣きそうになると、すぐに笑顔になった。
「そうか、俺はもう少しで間違いを犯すところだったのだな…」
「え?」
伊織が首を傾げる。
「お前が女と婚約をしたという文をもらってから、居てもたってもいられずに戻って来てしまった。俺は、その女の姿を一目見て諦めようと思っていたのに、お前はまだ一人だし、その女について誰も何も教えてくれない」
小園の話はどうしてもできなかった。
「辰之助、小園はもういない。彼女は流行り病で死んだんだ」
小園がもうこの世にはいないと聞いて、辰之助は一瞬、顔を歪めた。そして、小さく息を吐いた。
「そうだったのか…。愛していたのだろうな…」
「そうじゃないっ」
伊織は必死で首を振った。
「小園はそういうんじゃないんだ。俺たちは同志のようなものだった」
「同志? その女とか…?」
伊織がそれ以上は云えないのを辰之助は理解してくれただろうか。
彼は苦しそうな顔をしたが何も云わず、伊織をそっと抱き寄せた。
「いつか、話してくれるだろう?」
優しい声に胸が熱くなる。自分から辰之助にすり寄った。
「俺はお前を手放す気はない」
辰之助はそう云って、伊織を強く抱きしめた。




