助太刀
このまま、ただ斬られて死ぬつもりはなかった。
孫四郎は鋭い目でこちらを見ている。全く隙がない。
背中を汗が伝っていく。辰之助のように毎日、道場へ通っているわけではなく、しかも、伊織のような細腕で、孫四郎の剣に立ち向かえるかどうか、あやしい。
伊織はごくりと息を呑んだ。相手は、微動だにせず静かに見つめている。だいぶ辺りも暗くなり、相手の顔がようやく見えるくらいなのに、孫四郎は不敵に笑っている。
どちらが先に動くか。動けばやられると分かっていた。
その時、ジャリと小石を踏む音がして、伊織はハッとした。孫四郎も一瞬、顔を動かした。
「誰だ…?」
すると、暗闇の中から、一人の男が現れた。孫四郎は剣先を変えて相手を睨んだ。
「それがしでございます。若さま」
伊織は目を見張った。佐竹家の若党の小暮だった。
「小暮、どうしてここに…」
伊織が驚愕すると、小暮は静かに動いて伊織のそばに来て鯉口を切ると、すらりと刀を抜いた。
「加勢致します」
「よせっ」
伊織が叫ぶと、孫四郎が目をすっと細めると、刀を鞘に納めた。
「命拾いしたな」
それだけ言って、去って行った。
伊織は茫然とその後ろ姿を見送り、目の前に立つ小暮を叱った。
「なぜ、こんなむちゃな事をするんだ」
「なぜですって? 若さまこそ、供をつけずこんなところに参られて、危険なのをご承知ですか?」
伊織は、逆に叱られてわけが分からなかった。
「お前の命が危なかったんだぞ」
「それがしではなく、若さまの方が危なかったではございませぬか」
小暮は呆れたように云う。そして、伊織が脱いだ履物を手に取って、前にしゃがんだ。履物を履くよう促し、すくっと立った。
「いったい、何があったのです?」
小暮は何だか怒っているように思えた。伊織は唇を噛んでだんまりを決め込もうとしたが、無駄だった。
「黙っておられるつもりであれば、旦那さまにご報告いたしますよ」
伊織は目を逸らしたが、小暮の視線からは逃れられなかった。
仕方なく、事の顛末を全て話すと、彼はからかいもせず深く息を吐いた。
「大橋どの仲がよろしいのは知っていたが、まさか…」
「すまぬ……」
恥ずかしさに身がすくむ。小暮は首を振ると、仕方ありませんね、と云った。
え? と伊織が顔を上げる。
「谷村孫四郎さまには、それがしの方から話をつけます」
「ま、待て、お前には関係のないことっ」
伊織が慌てて云ったが、小暮の決心は変わらないようだった。
「若さま、谷村さまは何をするか分かりません。もしかしたら、お命を狙われるのは、若さまお一人ではないかもしれませんよ」
小暮の云うとおりだった。
自分が狙われたとなれば、辰之助も同じ立場となる。
しかし、辰之助と離れたくない。
伊織は、こぶしを握りしめた。
「若さま」
「分かった…。お前に頼むよ」
力なく云うと、小暮がほっとしたように頷いた。
「さ、今日の所は帰りましょう」
小暮が促す。伊織は項垂れていた顔を上げた。空には月が出ていたが、黒い雲に半分覆われていた。
「そういえば、どうしてここが分かった?」
「若さまが行く場所など、知れておりまする」
小暮が苦笑する。
そうか――。
酒も飲まない、女も買わない。自分が行く場所なんて、皆に知れているのだな。
「助かったよ、本当にありがとう」
お礼を云うのが遅れてしまったが、小暮は嫌な顔ひとつせず穏やかに笑っていた。




