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帰国

大人向けの恋愛小説にしました。割と強めの艶場のシーンを少しずつ入れていく予定ですので、同性愛が苦手な方はご遠慮ください。



「出世したな、広一郎こういちろう


 なつかしい幼名で呼ばれ、佐竹さたけ伊織いおりは立ち止まった。

 戸惑いながら振り向き、相手を見て息を呑んだ。


辰之助たつのすけ……」

「見違えたぞ」


 目を細めて笑う男から視線が外せない。


「若さま」


 草履取りの声に我に返る。


「あ、うん……。お前、先に戻ってろ」


 は、と頭を下げて去っていく。

 草履取りが去ったのを見届けると、浅黒に日焼けした大橋おおはし辰之助たつのすけが近づいてきた。

 目の前に迫ってくると、自分よりも丈の伸びた相手を見上げなくてはならなかった。


「広一郎、いや、今は佐竹伊織だったな。おい、どうした、舌でもひからびたか。なんとか云え」

「なぜ……、ここにいる」


 目の前にしても、信じられない。


「今朝、江戸より帰国した。一番に会ったのがお前でよかった」


 心の臓がうるさい。


 俺はこんなことでぐらつく男だったか――。


 下唇を噛み、相手を睨んだ。


「伊織と呼んでもよいか」


 辰之助は親しげに肩を抱き、耳に囁いた。

 伊織は顔を微かに動かして頷いた。


 会いたかった。

 死ぬほど会いたい男だった。


「泣きそうな顔をしている」


 辰之助の目がすっと心に差し込む。


 うろたえた伊織は、その目をねめつけた。


「ひどい男だ。俺にひとことも云わず江戸へ行った」

「ああ、そうだ。俺はひどい男で、お前を裏切った。だから、その償いがしたい」

「償い? なにをしてくれる」

「これから考えるさ」


 くくとのどで笑い、肩をぐいと抱かれた。


「細い肩だが、これで女を守れるのか」


 びくりと全身が震えた。伊織は何も云わず、口を噛んだ。


「だんまりか。婚約者がいると聞いたぞ」

「お前には関係ない」

「つれないな、教えてくれないのか」

「その話はなしだ。俺は帰る」

「せっかく会えたのに、酒でも飲まないか」

「結構だ」


 すげなく云うと辰之助は肩をすくめて、悪かったよ、と小さく呟いた。


「俺は平井ひらいに会ってくる。用事があればそちらへ来てくれ」


 背中越しに辰之助の声が聞こえたが、振り返ることができなかった。




 三年前、辰之助はけぶりも見せずに黙って江戸へ剣術修行に行ってしまった。あの時、裏切られたと思った。

 それが、突然戻って来て、償いをさせてくれと云う。


 辰之助に何度も文を送ったが、いちども返事がなかった。

 友だちの平井とは連絡を取り合っていたらしいが、自分だけなにも知らされず空しい三年を過ごした。

 けれど帰って来たら、もう一度、友達に戻ろうと決めていた。

 だのに、いざ、目の前になると、笑顔で迎えることができなかった。

 伊織は立ち止まり、辰之助が向かった方向へ顔を向けた。

 砂埃に町方の人が行き交うばかりで、辰之助の姿など見えない。

 伊織は肩を落として歩き始めた。


 小園こその、辰之助が帰って来たよ――。


 空を仰いで、白い雲を眺める。

 婚約者だった女に会うために、伊織は足を向けた。





 佐竹伊織は、旗本の家柄に生れた三男坊である。

 長い間冷飯であったが、一年ほど前に同じく旗本である叔父の家に養子に入った。

 叔父の役職は目付役で、その職を継ぐと同時に広一郎から伊織と改名した。

 目付は、若年寄に属し、旗本・御家人の行動を監視する役であるが、まだ、二十三歳の伊織は若輩でしかなく、先輩に叱られる日々であった。

 しかし、堅苦しく真面目な役職は、伊織の性分に合っていた。

 三男で冷飯が長かったせいか、厳しく躾けられたおかげで、目付という誰もが煙たがる職でも受け入れることができた。

 毎日、登城し、四角四面の生活を過ごしていたせいか、冷酷になっている自分を冷ややかに感じていた。

 そこへ、辰之助が現れた。

 彼を見た途端、心を大きく揺さぶられた。

 今まで静かに過ごしてきたはずの自分はなんだったのだろう。

 伊織は、深呼吸をして、辰之助の姿を思い描き身震いした。

 たくましくなって帰ってきた。

 以前より、声も太くめったに笑顔を見せなかったのに、少年のような笑顔で話しかけてくれた。

 笑顔で迎えることができなかった自分に臍を噛む。

 幼い頃からずっと好きだった。

 思いを隠すために友だちのふりをしていた。

 江戸へ旅立たれたときには、自分だけが友だちだと思い込んでいたのかもしれないと思って辛かった。

 そんな時、谷村たにむら小園こそのが現れた。


 小園は、一年前に婚約をした谷村家の次女である。しかし、小園は二十歳になる前に流行り病で死んでしまった。

 彼女だけが、伊織の気持ちを見抜いていた。


 知られたときは恥ずかしくて、縁談を断る事も考えたが、辰之助に裏切られ落ち込んでいた伊織を慰めてくれたのは彼女だった。






 小園が眠る菩提寺に着いた頃には、あたりは薄暗くなっていた。

 風が吹くたびにススキが揺れている。

 閼伽桶あかおけに水を汲み、樒に水をあげる。墓の前で手を合わした。

 辺りは自分の手も見えないほどに暗くなっていたが、かまわずに目を閉じた。

 辰之助が、小園の話を持ち出したときには驚いた。


 儚い命だった。


 小園が亡くなる寸前、彼女と約束をした。

 彼女の秘密を生涯、誰にも話さない。そして、小園の事は忘れない。

 月命日には必ず墓参りをする。だから、友だちの平井ですらも、伊織の縁談が駄目になったことは知らない。

 ひとしきり拝んでから身を起こしたとき、影が動いた。刀の柄に手を伸ばし、 暗闇に溶け込んでいる人影に目をやる。


「拙者だ、伊織」


 中間に提灯を持たせ、のっそりと現れたのは、小園の兄、谷村たにむら孫四郎まごしろうであった。


「孫四郎どの」


 辞儀をしてから、視線を落とした。

 小園の兄は苦手だった。ねっとりとした眼で相手を眺める。

 小園が死んでから彼は変わった。

 無役の旗本寄合で三千石の禄を食んでいるが、特になにをするわけでもない。 田宮神剣流の遣い手で、日が昇ると同時に道場に入り、日が落ちる頃にはいつの間にかいなくなっていると聞いている。


「道場からのお帰りですか?」

「ああ、そなたはなにをしておる」

「小園に会いに」

「そうか」


 谷村家とは縁が切れても、彼は伊織に付きまとう。

 伊織が他の者に懸想するのではないかと見張っているのだ。

 伊織はひそかにのどを鳴らした。

 辰之助の事は気取られてはならない。もし、孫四郎に気持ちを見抜かれたら、彼がなにをするか分からない。


「江戸から大橋辰之助が戻ったそうだな」


 出し抜けに辰之助の名前が出て、伊織はとっさに声が出なかった。


「そなたの昔馴染みであろう」

「ご存知ですか」

「知っておるさ。小園が噂しておったからの」

「小園が?」

「知らないか」

「知りませぬ」

「そうか。そなたにも知らぬことがあるか」


 目を細めて肩を揺らした。小園のことを思い出すとき彼はよく笑う。

 思い出に浸っているのだろうか。

 小園との思い出を語ることができるのは伊織しかいないから、小園の話題が尽きることはない。


「月が見えんの」


 星が見えない空は暗く、今にも雨が落ちてきそうだった。


「ここで結構です」

「そうか」


 同じ武家町に暮らしているので、どうしても同じ方向に屋敷があるが、叔父が嫌な顔をするので、できるだけ孫四郎には近づかないようにしていた。

 神経質そうに尖った肩を猫背にして、孫四郎が去っていく。いつでも抜き身にできるようにゆらゆらと揺れる手が不気味だった。

 誰に狙われるわけでもないのになにを恐れているのだろうか、と伊織は顔を背けるようにして屋敷の門をくぐった。



 屋敷に戻ってから着替えをしていると、若党の小暮がやって来た。


「若さま、平井どのがお待ちでございます」


 辰之助は平井に会いに行くと云っていた。もしかしたら、平井は気をきかせて辰之助が帰国したことを教えに来てくれたのかもしれないと思った。


「すぐ行く」


 着替えを手伝ってもらい、急いで次の間に行った。


「待たせたな」


 云いながら入ると、平井の隣に、徳利を片手に顔をほころばせている辰之助があった。


「お前ら……」


 呆気に取られその場に立っていると、平井が立ち上がって伊織の手をつかんだ。


「はやく坐れ、待ってたんだぞ」


 赤ら顔の平井は酔っている。二人はいつから待っていたのか。


「なにをしている」

「見て分からないか。久しぶりに三人が揃ったんだぞ、他に云うことがあるだろ」


 平井がにやにや顔で云った。


「俺は腹が減った」

「食ってないのか」

「まだだ」


 憮然と応えると、徳利を持った辰之助がすり寄って来て盃を差し出した。


「飲め」

「なっ」


 なにをする、と手を引こうとしたが、辰之助は真剣な目で伊織を見つめていた。平井も黙っていた。


 伊織は盃を受け取り、一気に飲み干した。

 平井が、はははと大声で笑いだすと、辰之助もまた笑い出した。その目じりは小さく光っていた。


「む、これはいかん、俺は帰らんと」


 突如、平井が立ち上がりどたどたと部屋を出て行った。代わりに夕飯を持って来た小暮がなにごとかとけげんな顔をしていた。


「大橋どの、客間に夜具の用意をさせてあります」


 小暮が云うと、徳利を置いて辰之助が姿勢を正した。


「それがしには構わないでくだされ」

「お殿さまから仰せつかっておりますゆえ」

「叔父上がそう申したのか?」


 伊織は目を見開いて、小暮を見た。


「は、大橋どのは江戸で免許皆伝を授かり、藩の剣術指南役に抜擢されたとのこと。江戸での話もお聞きになりたいと申されました」

「直心影流を教えるのか?」


 伊織はさらに驚いて辰之助を見る。辰之助は頭を搔いてから、


「そんなにたいしたものじゃない」


 と謙遜した。



 国許にいた頃、直心影流の師範代を務めていたが、さらに腕を上げて戻って来たのだ。


「すごいじゃないか」


 同じ道場に通っていた伊織は、目録を授かるまでには至ったが、師範代までのぼりつめることも叶わなかった。


「俺にも稽古をつけてくれるか?」

「当然だ」


 辰之助の目が生き生きと輝いている。三年前に戻ったような気がして、伊織は胸がつまった。

 小暮が退室して二人きりになったとたん、心の臓がうるさいほど鳴り出した。


「だんまりになった」


 それを知らない辰之助がにやりと笑って、酒を注いだ。


「云うな」


 あんなに焦がれて会いたかった相手だ。なにを話せばよいのか分からない。

 酒がまわってくるとぐったりして壁に寄りかかった。

 辰之助は酒に強いのか、顔色一つ変わっていない。

 ぼんやりとした伊織をじっと見つめている。

 なにか云わなくては、と伊織は呟いた。


「叔父上は遅いな」

「そんな姿を見られると、叱られないか?」

「叔父上は心の広いお方だ。俺のわがままを聞いてくれる」

「お前がわがままを云うのか。聞いてみたいものだ」

「俺はわがままだ」


 伊織は目を閉じた。

 辰之助に触れたい気持ちでいっぱいになる。

 叶わない夢なのに、こんなに近くにいると錯覚してしまいそうになる。

 不意に障子の向こうから声がした。


「失礼いたします」


 小暮は、叔父が用事で来られなくなったから今夜は休んで欲しいと伝えに来た。

 江戸の話がいろいろ聞けるだろうと楽しみにしていた伊織は肩を落とした。


「仕方ない、寝るか。俺が案内するよ」

「かたじけない」


 堅苦しい言葉に苦笑する。


「よせよ、友だちじゃないか」


 客間に入り、浴衣に着替えるのを手伝った。


「若さまにこんなことさせてかまわないのか」

「なにを云ってる」


 奮然として睨むと、辰之助がこちらを見ていた。


「昼間話したことだが、今かまわないか?」

「なんの話だ」


 伊織が首を傾げると、辰之助は、深呼吸をすると静かに云った。


「償いがしたい」

「償い…?」


 伊織は眉をひそめた。何を云い出すのだと思った。


「そうだ。黙って江戸へ行ったりして悪かった」


 辰之助はしおらしい顔で伊織を見ている。


「なにか事情があったのか」

「事情といえば、そうだな」


 辰之助が頭を掻いた。じれったくなり伊織は正面から辰之助を睨んだ。


「文は読んだか?」

「読んだ。うれしかった」


 辰之助が、うん、と深く頷いた。


「では、どうして便りをよこさない。俺は心配したぞ」

「暇がなくてな、毎日稽古ばかりしていた。すまん」


 暇がないと云われては、云い返せなかった。


「……そうだろうな」


 江戸には遊びに行ったのではない。

 当然だ。文をくれなかったことを根に持っている己のほうが浅ましい。

 伊織は、ふっと体の力を抜いた。


「理由が分かればいいよ。償いなんて、そんなのいい」


 首を振ると、辰之助は真剣な顔をした。


「それでは俺の気がすまない」

「いいよ。戻って来てくれただけで。これからは国許にいるんだろ?」

「それなんだが、実を云うと、また江戸に行きたいと思っている」


 目を伏せてぼそぼそと云う辰之助を見て、伊織は愕然とした。


「そ、そうなのか」


 あまりのことで頭がまわらなかった。


「今すぐではない。しばらくはこちらにいる」

「うん……」


 鼻の奥がつんとしてきて、涙が出そうになった。


「そうか、仕方ないな」

「伊織……」


 辰之助が信じられないという顔で見ていた。

 気がつけば、涙がこぼれていた。



「なぜ、泣く」

「これは、なんでもない」


 ぐいと頬をこすって涙を拭いた。しかし、涙は溢れ続けた。


「お前がまたいきなり江戸に行くなんて云い出すから驚いただけだ」

「伊織っ」


 そのとき、ぐいと肩を引かれ辰之助に抱きしめられた。


「た、辰之助…」


 首筋に辰之助の息がかかる。全身が燃えるように熱くなった。

 辰之助の力はいっそう強まり、身動きが取れない。もの凄い力ですっぽりと腕の中に閉じ込められた。


「すまん、伊織」


 小さく謝った辰之助の体温を感じていると、なにが起こっているのか分からなかった。

 そのうち、辰之助の下半身が硬いのに気づいた。あっと顔を上げると、酒を飲んでも変わらない顔が首筋まで赤く染まっていた。

 なぜ反応しているのか訊ねることもできず、伊織は自分から腕を伸ばし辰之助を抱き返した。

 驚いた辰之助が顔を覗き込む。


「いやじゃないのか」

「聞くな」


 背筋が震える。

 辰之助が欲しいと全身で訴えていた。

 辰之助はなにを思ったか知れないが、伊織の帯をほどきにかかった。


「やめるなら今だぞ」


 辰之助は手を休めずに云った。


「なんのことだ」


 とぼけて聞き返すと、眉をひそめながらも辰之助は手を止めなかった。


 帯をほどき終えると下帯に手を伸ばした。

 思わず手で押さえようとするが、あっという間にほどかれる。

 手際のよさに呆然としているうちに、布団の上に寝かされていた。

 辰之助は前かがみになって伊織に覆いかぶさった。あまりのことで、思わず声が跳ね上がりあわてて口を押さえた。


「きれいな肌をしている」


 耳を塞ぎたくなる言葉に強く目を閉じた。

 初めての経験にめまいがした。


「よせ、や、やめろ」

「いいから、お前は黙ってろ」


 慣れた手つきでまさぐられながら、目を開けると辰之助と目があった。


「感じてくれているのか」


 辰之助がそう云って、自分の着物も脱いだ。

 浅黒い肌は無駄な肉をすべてそぎ落としたように硬く、筋肉が盛り上がっている。割れた腹筋に指先で触れると、弾力のある皮膚に押し返された。

 下帯もさっさと取り払ってしまうと、貫禄に圧倒された。

 辰之助は、仰向けに寝ている伊織に覆いかぶさり額に口づけを落とした。

 閉じた瞼に優しく触れ、それから頬、頬骨とゆっくりと下りていくと、唇にそっと触れた。

 上唇を吸われてから、深い口づけにうっとりと目を閉じた。

 自然と唇を動かした伊織の中に、辰之助の舌先が侵入してくる。

 舌が絡み合いいつまでも口づけを交わした。

 頭の芯がぼうっとしている。


 もう、なにも考えられない。


 不意に廊下を歩く衣擦れの音がして、二人して我に返った。

 一瞬で体が冷たくなる。

 二人とも全裸で抱き合っていた。

 息を荒くして顔を合わせると、辰之助が浴衣を取り上げた。


「すまん……」


 裾の内側で辰之助の体は激しく脈打っている。

 伊織は行燈の火を吹き消した。


「伊織」

「そのままではすまないだろう」


 掻巻かいまきをたぐりよせ、もう一度横になるように促した。

 その上に掻巻をかけて二人で潜り込む。


「おい、なにを……」


 戸惑う辰之助に覆いかぶさり、口を塞いだ。


「伊織……」


 どうなっても知らないぞ、と囁いた辰之助の声を境に、二人は狂ったように求めあった。





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