06 野生の轍《わだち》
3台目のバイクを増車しました。
これからが楽しみです。
その日の空は相変わらずどんよりとしていて、梅雨明けがまだ先であることを私に思い知らせた。
窓を開けると、まだわずかに細かな雨粒が舞っている。
天気予報では埼玉県北東部の降水確率は70パーセント。
おそらくまた雨足が強くなってくるのだろう。
今の時刻は午前10時30分。
今なら行いけるか…
私はヘルメットを片手にぶら下げ、徒歩で家を出た。
線路と国道を挟んだ先にあるバイクショップの店頭で、待っているヤツがいる。
心持ち早足で歩きながら、空を眺めた。
つい空を見上げてしまうのは、バイクに乗るようになってからついたクセだ。
雨は小休止といった感じで、今は傘もいらない程度になっている。
およそ納車には相応しくない空模様だが、今の時期ではこれも仕方が無い。
バイクショップには、10分もかからずに到着した。
「おはようございます」
奥に声をかけると、
「ああ、いらっしゃい。出来てるよ」
と店長が笑顔で出てくる。
ショップの軒先で、そのバイクは私を待っていた。
無骨な外観を持ち、古い時代の空気を漂わせる歴戦の古強者。
そんな佇まいだった。
「キレイになりましたね」
私の言葉に店長が笑顔を返す。
ここで初めて見た時は、やはりというか、私が選ぶバイク達の例に漏れずというか、このバイクもホコリを被った状態だった。
1週間前、ほとんど乗っていなかったミニバンを処分した私は、普段使い用に中古の軽ワゴンを契約した帰り道で、フラリと近所のバイクショップを覗いた。
ちょうど1年前にアドレス110と出会ったショップだ。我が家から400mも離れていない。
店長とアドレスの調子はどう?などと世間話をしているうちに、1台のバイクに目が留まった。
そいつは私に何かを語りかけるでもなく、静かに、まるで遠くでも見ているかのように静かに、そこに佇んでいた。
「店長、アレは?」
「ん?」
古くなり、もはや黒に近くなったダークグリーンの車体、ホンダの翼のエンブレムを刻んだ白いレッグシールドも陽に焼けてクリーム色に見える。
それでも…‥彼は媚びるでもなく、うなだれるでもなく、まるで『孤高』とでも表現すべき様な空気をまとってそこにいた。
私が子供の頃から、いや私が生まれるよりもずっと前からほとんどその姿を変えず、この国どころか世界中の道を走っている、日本が世界に誇る名車。
ホンダ・スーパーカブ。
「ああ、それね。型は古いけど、国内生産だった頃のやつだから丈夫でパワーもあるし、良いバイクなんだけどね…‥今の人の好みじゃないのかな」
「ふーん…」
最近はカブをカスタムして乗る人も多いが、どちらかというとスタイリッシュな曲線を主体としたデザインのリトルカブや、ノスタルジックな外見の丸いヘッドライトのタイプが好まれるようだ。
しかし今私の目の前にいるのは、四角いヘッドライトに直線的なデザインの外観を持つ実にビジネスライクなスタイルをしたタイプだった。
「店長、コレ…‥いくらで出せる?」
思わずそう口にしていた。
「え? これ? 牧村さんなら安くしとくけど…‥」
店長も驚いている。
私はもう一度そのバイクを見た。
こちらのことなど気にかけるでもなく、ただ静かに通りを睨むように佇む1台。
「決めた。クルマを処分した差額もあるし、コイツは俺が乗るよ」
コイツを通りに連れ出そう。
いや、通りだけじゃない。
スーパーカブは昔から悪路の走破性も良い。なにしろ、道路のほとんどが未舗装だった頃から走り続けているんだから。
コイツと『遊び』の時間を過ごしたら、きっとまた面白い世界が見られる予感がする。
3台目の相棒。
長く、遠く、どんな場所へでもその刻む轍を伸ばしていくカワサキ・スパーシェルパ。
アスファルトの上を、荷物や大切な家族を乗せ、白煙をなびかせて加速をするスズキ・アドレス110.
そして…‥90ccのエンジンを積み、今までずっと社会や生活を支えてきたであろうスーパーカブ90カスタムという1台。
タイヤもサスペンションも変え、マフラーを変更し、ビジネスではなく楽しむことを1番に突き詰めたバイクにしてやろう。
それでも、きっとこの空気は消えないだろう。
それは、彼が刻み続けてきた時間によって作られたものだから。
新たな出会いとこれから増える楽しみを思って胸が高まる。
私は店長に整備と登録手続きを依頼し、家に帰った。
そして今日、キレイに整備されたスーパーカブが目の前にいる。
私はキーを受け取るとぶら下げてきたヘルメットをかぶった。
キーを挿し、エンジンをかける。
『CUB』という言葉には『獣の子供』という意味があるのだそうだ。
それは実用本位なスーパーカブというバイクの内側に秘めた、力強さを感じさせる。
今、エンジンは穏やかな音をたてて、私の足下で息づいている。
左足でチェンジペダルを踏み込んでギアを1速に入れ、ゆっくりとアクセルを開けた。
カブには自動遠心クラッチという独特の機構がついていて、クラッチレバーが無い。アクセルを開けていくことでクラッチはつながっていく。
90ccの老兵は、思った以上に力強い加速を見せた。
アクセルを開くと、マフラーからあがる咆哮もなかなか雄々しい。
さすがは獣の子だ。
これは、コイツの本性が見てみたくなった。
重いキャリアを取り外し、オフロードタイヤとアップタイプのマフラーを与え、しっかりとしたサスペンションとアンダーガードを取り付けてやるのはどうだろう。
獣にはアスファルトよりも草原が似合う。
獣の子供を原野に帰すのだ。
WILD CUBとでもいったところか。
さて、彼が刻む轍は老兵の最後の一本か、それとも野生の咆哮か…‥
世界の名車スーパーカブはやっぱり楽しいバイクです。
これから少しずついじっていく予定ですが、のめり込み過ぎないように注意しなきゃいけませんかね。
とはいえ、今後の楽しみが増えました。