04 雨の歌を聴きながら
雨の日はバイクに乗らない。
これが正しい判断だと思います。
でも雨を楽しむことだって出来ちゃうのがバイクだと思います。
もちろん、安全には充分に注意しましょうね。
梅雨入りのニュースが流れてからは、さすがに雨の日が多くなった。
今日はどうだろう?と思いながら毎朝カーテンを開ける。
その朝は、カーテンを開け、さらに窓を開けても、外から雨の音が聞こえてこなかった
庭先へ出て空を見上げる。
相変わらずどんよりとした雲が広がっているが、雨粒は落ちてきていない。
頼りない太陽の光が雲の向こうに薄っすらと見えているが、「今日は梅雨空は一休み…」となってくれるのだろうか?
私は新聞を読みながらヒゲを剃り、朝食を食べ、大きなゴミの袋とバイクの鍵を左右の手にそれぞれ持って玄関の扉を開けた。
「あれ?」
道を歩く人達が傘をさしている。
私は空を見上げながら手の平を上に向け、ゴミ集積所まで歩いた。
思ったよりも大粒の雨が、傘をささなければならないくらいの勢いで落ちてきている。
「…‥」
私は空を見上げたままゴミを集積所に出し、駐輪場のバイクの前に立った。
手の中の鍵は2本。
カバーをかぶったバイクは2台。
もう一度空を見上げてから、右の車体のカバーを外した。
スカイブルー・メタリックの車体が顔を出す。
110ccのスクーター、スズキ・アドレス110<サマーバージョン>。
雨は相変わらず降っているが、もう頭の中からはクルマで出勤するという選択肢は消えていた。
梅雨に入ったのだから、雨が降るのは当たり前だよな…‥とカバーをたたみながら肩をすくめる。
基本的には『朝、雨が降っていなければバイクに乗る』というのが私の中でのルールなのだが、『朝、雨が降っていたらクルマでないとダメ』という意味ではない。
ルールは迷った時の基準であって、『乗りたい』と思った時にはいつだってバイクは応えてくれる。
乗り物を運転する者として、自制しなければいけない時はきちんと自制するが、今はそこまでの天候でもない。
重いチェーンロックを解除し、駐輪場の屋根の下でいつでも出られるように準備をする。
一度家に戻った。
仕事へ行く格好に着替える。
アドレス110で出勤する時は、スーパーシェルパで出勤する時よりも軽装で家を出る。
Yシャツにスラックスと革靴。
クルマで出勤する時と変わらないが、スクーターの時はYシャツの上に薄手のパーカーかライダースジャケットを羽織る。
今日はカッパを着るので、パーカーは小さくたたんでバッグの中に入れてあった。
「いってきます」
言って家を出る。
「いってらっしゃい」
玄関まで見送りに出てくれた妻は、きっと私がクルマで出勤すると思っているだろう。
手を振りながら玄関の扉を閉め、クルリと駐車場とは逆方向の駐輪場へと歩き出す。
「♪~♪~♪~」
思わず鼻歌が出た。
『雨に唄えば』
指先でスクーターの鍵をクルクルと回しながら、バイクの元へと歩く。
ザーと音をたてている駐輪場のスレート屋根の下で、リアBOXを開けてカバンを放り込み、車体脇の鍵穴にキーを挿し込んでシートを開けた。
カッパを取り出し、手早く着込む。
ヘルメットを被ってバイクを屋根の下から出す。
途端にヘルメット、バイク、カッパそれぞれの表面に無数の雨粒がしがみつく。
タシ、タタシと小さく軽やかな連続音がヘルメットの中で響いた。
シールドもメーターパネルもすぐに水玉模様になっていく。
買い換えたばかりのカッパはとても快適で、雨の冷たさも内側の蒸れもまるで感じなかった。
ヘルメットの中の音を聞きながら路肩までアドレスを押し、スタンドをかける。
キーをONに回し、スタートボタンを押した。
グキュキュキュキュキュ……バパッ、パパパパパ…
セルモーターが長めに身震いし、すぐに軽やかな音でエンジンが回り始めた。
雨の中でマフラーから白い煙が流れ、オイルの焼ける匂いと雨の匂いとが混じり合っていく。
「さぁて、行くか…」
シートに跨ってスタンドを解除し、ゆっくりとアクセルを開いた。
体にあたる雨の音がカッパの内側に響き、2サイクルエンジンの軽い鼓動音と重なる。
水玉模様になったヘルメットのシールドが、風を受けて後方へと水滴を飛ばす。
足下ではタイヤが濡れた路面の水をかき上げ、シャーという音を鳴らし始めた。
スピードは抑え目に、マンホールや横断歩道などの滑りやすい部分を避け、いつも以上に早目のブレーキと予測の運転を心がける。
普段の通勤路より遠回りだが交通量の少ない道を選んで、のんびりと職場を目指した。
途中、雨の中に淡い水色のかたまりが浮かんでいるのをシールドの向こうに見つけ、スピードを落とす。
路肩にバイクを止め、カメラを取り出した。
手早く構図を決めてシャッターを切る。
雨の中のアジサイとアドレス110。
どちらも同じように雨粒をまとった姿は私の心を和ませた。
カメラをしまってシートを跨ぎ、また走り始める。
梅雨の雨は冬と違い、刺すような冷たさがない。
私は均一な音で日常を覆い隠すやわらかな雨の中を1人、スクーターで走っていく。
すれ違う車もあまり無い。
雨に煙る世界はまるで私の貸切りになったように静かに、シールドの向こう側にある。
私は田んぼ道でバイクを路肩に止め、エンジンを切った。
サーという音だけが残り、緑色の田んぼの上に白い霞が漂い、その中にアドレス110が佇む。
私はまたカメラを取り出してシャッターを切った。
液晶画面の中には緑色の絨毯と白いカーテンをバックに、水色のスクーターが静かに雨粒をまとっている。
さて、そろそろ仕事に行こうか…
いつだって雨はバイク乗りを悩ませるものだけれど…‥たまにはこんな風に楽しむのも良い。
世界とつながったまま走るのがバイクなら、雨に覆われた世界ともまたつながっている。
静かな、少し走るのに気を使う、白く煙った世界。
でも、今は私の貸切りだ。
雨音とエンジンの鼓動が歌を歌っている。
私も小さく鼻歌を歌いながら走り出した。
雨に唄えば…‥梅雨空もまた心地良い。
雨の中をわざわざバイクで走っていると変わり者扱いされます。
それが嫌なヒトは雨の日に乗るのは辞めておきましょうね。
私は変わり者なのでまたやろうかな。