03 轍《わだち》を刻むもう一つの鼓動…
3話目です。
今回は三人称の視点からもう1台の相棒を描きました。
駐輪場の隅で、彼はいつも自分の体に掛けられた銀色のカバーが外されるのを待っている。
彼の相棒は毎日の様にこの駐輪場にやって来る。
しかし、カバーを外されるのはだいたい彼の隣でカバーを被っているもう1台のバイクの方だった。
それでも1週間に1度は、相棒は思い出したように彼のカバーを外し、エンジンに火を入れ、その背に跨る。
自分の背に相棒を乗せ、軽やかなエンジンの音を響かせつつ、オイル混じりの白煙の尾をひきながら加速をする時、彼はいつも背中越しに楽しげな相棒の気持ちを感じとることが出来た。
彼の名はアドレス110。2000年式の、スズキの2サイクルエンジンを積んだちょっと古いスクーター。
彼と相棒が初めて会ったのは、2014年の梅雨だった。
彼は現在定位置となっている駐輪場から直線距離でわずか350m先にあるバイクショップの隅で、ホコリを被っていた。
相棒となるその男は、その店に50ccのミニバイクに乗ってふらりと現れた。確か…‥ホンダのXR50モタードだったと思う。
店の前にXRを停めると、並べられたバイク達を1台1台楽しそうに眺め、店の奥に入っていって店主と何か話し始める。
しばらくして男と店主は奥から出てきた。
店主がXRをあちこち確認しながら男と話している。
「コレならプラス3万で先週入ったアドレスV125と入れ替えで良いよ」
「アドレスか…」
店主が店の最前列に並べられた黒く真新しいスクーターを男に見せる。
そのスクーターは先週この店に来たばかりで、年式も新しく、距離もそれほど走っていない、この店のバイク達の中では期待のルーキーといったところだ。
男はそのバイクを見ながら難しそうな顔をしていた。
「プラス3万ね…」
呟きながら他のバイク達をグルリと見回し、ふとホコリだらけの彼に目をとめる。
「このスクーターは?」
男は彼のところへゆっくりと歩いてきた。
「…ああ、それなら追い金は無しで良いよ…‥と言うより、少しコッチで払うようかな」
「ふうむ」
男は彼を見ながら腕組みをする。
「これ、グリップとかミラーは普通のに戻せる?」
男が店主を振り返ってそう訊いた。
え? と彼は自分の耳を疑った。
その時の彼は社外品の派手なオレンジ色のグリップにシルバーのミラーを付けていて、彼自身それがちょっぴりキライだったのだ。
「出来るよ。でも、その古いので良いの?」
店主があきれたように聞き返すと、
「キマリ。コレにする」
と男は答え、彼も店主も驚いた。
同じアドレスでも10歳以上も若いV125ではなく、古いくさい2サイクルエンジンの110を選ぶなんて。
「…じゃあ、グリップとミラーを普通のに戻せば良いのかな? サービスでタイヤも新品にしておくよ」
「ありがたい。それでよろしくお願いします」
2人は店の奥にまた戻っていった。
他のバイク達に囲まれたままのアドレス110はまだちょっと何が起きたのか信じられなかった。
彼はXR50と入れ替えで、あの男のところへ行くことになったようだ。
真新しいV125ではなく、彼、アドレス110が。
少しずつ状況が理解出来てきてくると、彼は今度はドキドキし始めた。
随分長いことこの店の端っこにいた気がするけれど、自分はこれからあの男のところへ行くのだ。
店の隅ではなく、路上でまたガソリンとオイルを燃やしながら走ることが出来るのだ。
嬉しくて叫び出したいくらいだった。
男が店主と一緒に店の奥から出てきて「じゃ、また」と言って歩いて通りの向こうへと消えていく。
歩いて帰るようだ。
そんなに近くなのか…‥
彼はそのことにもちょっと驚いた。
売られることになるとしても、どこか遠くだろうと思っていた。
でも、歩いていけるくらい近くで新しい生活を始められる。
意外なことだらけだった。
その後、彼は店主の手によって久し振りに整備を受け、グリップとミラーを落ち着いた黒い色の汎用品に付け替えられた。
2週間後、その男は歩いて彼を迎えにやってきた。
キーを捻ってセルボタンを押すと、気持ち良くパララララとエンジンが目を覚ます。
アドレス110は男を乗せて走り出した。
2サイクルエンジンの軽やかな音とオイルの香りが混じった白煙が軌跡のように漂う。
彼は新しい轍を刻み始めたのだ。
…あの日から1年が過ぎた。
相棒は相変わらず隣りのもう1台に乗ることが多いが、今日は特別だった。
土曜日。天気も梅雨の晴れ間が覗き、青空が気持ち良い。
彼を駐輪場から引き出す相棒の隣りには、少し緊張した面持ちでヘルメットをかぶった、小さな男の子がいた。
Sサイズのヘルメットが大きく見えてしまう。小学校1年生くらいだろうか。
彼は少年の前で誇らしげにたたんでいたタンデムステップを出し、エンジンを始動させた。
相棒が跨り、その後ろに少年がよじ登る。
少年が身につけていたタンデム用のベルトを相棒が装着する。
準備が出来たようだ。
相棒がアクセルを開くと、彼は110ccの2サイクルエンジンを軽やかな音で回し、いつもの白煙をたなびかせてゆっくりと加速を始めた。
相棒と少年がヘルメットにつけたインカムで楽しそうに会話する。
彼はとても嬉しく、そして誇らしかった。
少年は相棒の息子だ。
少年が相棒を『パパ』と呼んでいたのですぐに解った。
彼は少年の初めて乗るバイクに選ばれたのだ。
背中に跨る相棒はいつものように、いやいつも以上に楽しげで、タンデムシートに跨る少年の気持ちも緊張から興奮へと変わっていくのがシートを通して伝わってきた。
彼は走る。
再び彼を路上へと連れ出してくれた相棒と、その大切な家族を乗せて。
彼の刻む轍はオイルの香りと…‥幸せに満ちている。
初めてのタンデムで息子にとっては初めてのバイクとなります。
思い出に残ると嬉しいな……とエピソードの後半に簡単に入れました。
タンデムについては別のエピソードとしてまた描きたいと思っています。