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砂漠の街のチェロンダ  作者: 佐木間
第一章
9/21

少年の死

 その後二人はいつも通りリンネやその他諸々の話をした。今日は何故かいつも触れないテリアの恋愛観に移っていき、最終的にチェルが彼の軽さを叱り、それを終えた、そんな時だった。


「……もう十年か」


 テリアがぽつりとつぶやいた。


「あなたたちがケモノビトになって?」

「今の人格になって」


 珍しくその顔を憂いに湿らせたテリアは、ガラスの向こうに目をやった。


「覚えてないけど、昔は同じ性格だった気がするんだ」


 軽薄なテリアと堅物なリンネ。同じ遺伝子を持って生まれたはずなのに、どうして自分たちはこんなに違っているのか。

 周りに似てないといわれると、そう思うのだと前に聞いた。


 話が途切れ、店の雰囲気に似合う穏やかな旋律が聞こえてくる。かつて歌姫と呼ばれ、今も絶大な人気を誇る歌手の曲であった。

 あなたは死んだ。あなたは生まれ変わった。けれどあなたはわたしを覚えてない。あなたは行ってしまった。わたしの手の届かないところへ。

 そんな悲しみから始まる歌詞が特徴の、歌姫のデビュー曲だった。


「聞くたびに思うけど、この曲はケモノビト施術の悲劇をよく捉えてる」

「実話を元にしてるらしいからね」

「それ初めて聞いたぞ」


 ケモノビトはケモノを移植された人間だ。

 移植されたケモノは被移植者の身体をかき回し、根を張り、脳を破壊する。

 その外道的特性より、対象が致命的な傷や病を持ち、なおかつ本人か親族の了承を得ることで、やっと施術が執行される。基本的に健康体や望まない者には執り行われないのだ。

 死にかけの人間を生かす唯一の方法。

 しかしそれには欠点がいくつかある。

 その一つに、施行された者は必ずそれ以前の記憶を失うというものがあった。

 リンネも、テリアも、ーー恐らくシャルも。

 皆等しく記憶を失い、新しい人生を歩んでいるのだ。


「過去を忘れないようにするってできないのかしら」

「多分無理なんじゃないか。聞いた話だと、ここに副脳と呼ばれるケモノの力を扱うための器官ができるから、記憶を失うらしいし」


 ここ、とテリアは頭を指差す。


「救いようのない話、なのかしらね」

「救いようのあるやつは、最初っからケモノビトなんかにならないさ」


 そういって彼は笑った。



 ◆



 それをリンネが見たのは偶然ではなかった。


 その時のリンネには何かの勘が働いていたのだろうか。出かけようとしている弟の背中を見て、ふと、思ってしまったのだ。

 ーーテリアの後を尾けようと。

 リンネは自分に何の疑問を持たずそれを行った。


 普段のリンネなら思いつかないことだ。そしてそれはテリアをも思いつかないことを意味する。

 リンネ以外の者が行ったなら見つかるだろうそれが、リンネだった故に危うげなく遂行されてしまったのが彼ら兄弟の、そして愛しき少女の運の尽きだった。


 テリアが向かったのは、おおよそリンネが入ったことのないような、洒落っ気の強い喫茶店であった。

 花の向こうで待っていた、弟の連れが目に入る。

 白を基調に仕立てた、女らしいデザインのワンピースを纏った想い人がいた。


 リンネは初めてケモノを前にした時以上の衝撃を感じた。


 私服を着た少女の色気と、それを着ようと思わせた男が実の弟であるという事実に。


 リンネは二人が中に入っても、しばらく動けなかった。


 昨日思ったことなんて自分を騙すための嘘だった。

 ……彼女の隣にいるのが弟であればいい、なんて。

 リンネは自分がそう思ってないのを初めて自覚した。


 彼女の隣にいていいのは、俺だけだ。


 どれぐらい経っていたであろうか。やがてのろのろと足を動かしたリンネの目は血走っていた。彼は決めた。自分こそが彼女に相応しいと証明することを。

 毅然と前を見据えた彼は、悠然に悲劇への一歩を歩み出した。



 ◆



 夜になり、初日の集合場所と指示された南地区中央広場に来た壮年の男は、他のケモノビトと共に説明を受けていた。


 巡回するのは南部だけといっても、全ての裏路地を回るとなると広いものである。

 実力者ばかりを集めた故に人数は十八人と少なく、一人一人分かれて回ることになった。


 ぱらぱらと東を担当になった集団が駆けていく中で、男は双子の片割れを見つけた。


「よう、また一緒になったなリンネ」


 返答が返ってくるのを期待せずに声をかけた男だったが、話しかけられた少年は苦笑いして手を振った。


「違う違う。弟の方、テリアだよ」

「あ? そうなのか。いや、テリアは西の方に行ったのかと思ってな。逆だったか」

「逆逆真逆。やだなぁ兄貴と間違えられるなんて」


 不満げにぼやく姿は確かにリンネのものではない。

 何回か彼らと共に仕事をしたことがある男は、自身の間違えを素直に認めた。


「すまんかったよ。まあお前らには期待してるんだ。頑張れよ」

「いわれなくても」


 二人は拳を打ち合わせ、道を別れた。

 男は長年戦いをくぐり抜けてきた勘で、少なくとも今日こちら側は何もないだろうな、と思った。

 何となく、危険から離れていってるような気がしたのだ。


「まあ、初日で出会うことなんてないだろうしな」


 しばらく路地裏を回った男は一人つぶやいた。

 殺人鬼の影響からか、路地裏には人っ子一人いない。閑散とした道を自身が持つ灯りがゆらゆらと照らしている。

 力はあれど臆病な気質がある男は徐々に不安になり、禁制品である煙草を取り出して吸った。


「あーあ、肝試しは嫌いなんだがなぁ」


 胸まで深く浸透する煙に安心しながら、男は気を入れ直して進む。


 この男の勘は半ば当たり半ば外れていた。

 確かにこの日、南地区東では何も起こらなかった。

 しかし双子の兄の方がいるとされる西で、それは起ころうとしていた。



「何で、何でだよ!」


 汗を垂らしながら逃げる少年を、異形が追いかける。出会い頭に土手っ腹に食らったのが、予想以上に少年の足を鈍らせていた。

 風を切る音。少年は素早いステップで叩きつけられるものを避けた。

 す、と引かれていくものは見慣れたケモノの攻撃器官。

 それを視認した少年の脳裏は暴力の色に染まり、本能的に反転しそれに肉薄した。


「っ、くそがっ!」


 しかし必死で放った蹴りも止められ、しなる触手で彼は建物に叩きつけられた。

 衝撃で呼吸が止まり、崩れ落ちた少年の胸に無慈悲にも鋭い黒の物体が突き刺さった。

 少年を突き刺したもの。それは虫の足と化した指であった。


「なぁ、何故……」


 彼は血を吐きながら、その指の持ち主を見上げた。


「何故お前が……っ」


 理性を残した少年の瞳が最後に見たものとは、一体何だったのだろうか。


 胸に突き立った虫の足が、ぐるりと捻じられる。


「があああああっ‼︎」


 ケモノビトの肉体は頑強なものである。実力者として選ばれた者ならそれはなおさら。

 心臓を破られ、腹を掻き回され、四肢を千切られ。それでも死ねずに彼の身体は生きようと回復する。

 だから最初に壊されたのは精神であった。


「ぁ……ぅ……」


 意味のない言葉が血液と共に口から漏れている。精悍な顔が白くなり、虚ろな緑の目が宙を見ていた。

 もし今助かったとしても、少年は日常に帰ることができないだろう。

 完膚なきまでにその心は砕かれていた。



 そんな哀れな少年を、それは見ていた。

 それはただの食物を見る目で彼を眺めていた。


 そして、おもむろに。

 それは少年を食らった。



 ◆



 チェルはその夜嫌な夢を見た。


 数日前にシャルから聞いたような、チェルにとっては本の中の世界でしかない、緑の世界に彼女は立っていた。

 苔の生えた柔らかい土と、酩酊するような濃い植物の香り。砂漠の暑さとは違う、まとわりつくような空気に、蒸し暑いとはこういうものをいうのかと変に納得した。

 大きな大きな木に囲まれた世界。何百年もの時間を生きてきたのだろうそれらの幹には苔が生え、そのしっとりとした質感を視覚からでさえも認められる。

 そんな自然の雄大さを感じられる空間には、場違いな鉄のにおいが漂っていた。

 チェルが宿った身体の持ち主は、そんなことを気にせずどんどん進んでいく。まだ血のにおいが薄い方へ歩んでいくのだ。

 そっちに行ってはいけない、とチェルの精神が叫ぶも、身体はいうことを聞かず進む。


 何の声か、おぞけが走るような気持ち悪い鳴き声が森に響いている。


 少し進むと、開けた場所に出た。

 そこには白くて四角い変な建物があった。

 四角い出入り口から中に入ると、ひんやりとした空気が身体を包んだ。

 建物の中には下に降りる階段しかなかった。

 その前に立ったチェルは、何の躊躇もなく、跳んだ。

 危ない!

 精神が慌てるのとは対照的に、身体は落ち着いて数十段下の階段に着地。その瞬間、脚をばねにして更に加速する。

 何回繰り返されただろうか、終点に到達するまでにチェルの精神は困憊してしまっていた。

 音もなく降り立ったしたチェルは、勢いを吸収するため曲げた脚を伸ばして、ゆっくりと周りを見た。


 たくさんの人間がいた。

 いや、本当に人間なのだろうか。チェルが宿った身体の持ち主が見上げなくてはならないほど、男も女も大きい。


「……子ども?」


 間抜けな問いを発した男の腹に、腕が埋まった。その腕の持ち主はもちろん、チェルである。

 チェルの精神は悲鳴を上げた。体格差を嘲笑うように、身体の持ち主は細腕を払い、腕が抜けた男は壁に叩きつけられる。


「ぐはっ‼︎」

「カイルがやられたぞ! 敵だ! 殺れっ」


 身体のどこかからケモノの器官を出した彼らが、胸にも届かない小さな子どもに殺到する。

 チェルの意識が宿った子どもは、何でもないように大人達の間をすり抜ける。彼もしくは彼女が通った後は、倒れるかうずくまる者だけが残るだろう。恐ろしく速く、ケモノを身体に持つ者でも反応しきれない速度で、痛烈な一撃を加えていったのだ。

 首や心臓を穿たれた者はまだましだ。

 ある者は足をもがれ。ある者はケモノ化した腕を奪われ。

 悪鬼のように淡々と始末していく子どもに、彼らはいつしか怯えていた。


「チェ、チェロンダだ! こいつ、チェロがっ」


 突然叫んだ男の喉を、細く短い手がつかむ。

 指の先が肉に抉りこむほど強く掴まれ、男はもがこうとした瞬間、崩れ落ちる。気道を潰されたのだ。


「っーー! っ! っ!」


 虫のように暴れる男を子どもは蹴り飛ばした。その先には一人の女。急なことに驚いた女は、飛んできた男に反応することができず、押し倒され、頭を打って動かなくなる。

 男はあらぬ方向に首が曲がっていた。

 その間にも子どもは犠牲者を増やしていく。

 チェルの精神が磨耗しきった頃、子どもは動くのをやめた。

 血の海ができていた。


 子どもは一人一人息があるか確認し、あれば殺し、なければ放置した。


 全てを終えた時、子どもは真っ赤だった。胸につけた石と同じように。子どもは熱い血潮に塗れて立っていた。

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