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砂漠の街のチェロンダ  作者: 佐木間
第一章
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双子のケモノビト

 調理場の流しで椀を洗いつつ、シャルから一体どんな話が聞けるだろうかとわくわくしていたチェルは、背後に迫った気配に全く気づかなかった。


「チェールーちゃん!」

「ひわっ⁉︎」


 首筋に冷たいものを当てられたチェルは、思わず飛び上がった。


「ひわっ! だって! ひわっ!」

「なぁーー‼︎」


 不埒者に裏拳を繰り出すと、そいつはひょいと躱した。見ればチェルに押しつけたのであろう氷を弄びながら、にやにやと笑っている。


「チェルをからかうな、馬鹿」


 赤毛の無表情な少年がチェルに悪戯した少年を殴る。


「このっ、馬鹿といった奴が馬鹿だ馬鹿兄貴」

「お前は何回馬鹿といったか数えてみろ馬鹿弟」


 短く刈り揃えた赤毛に緑の目。筋肉のついたしなやかな長身に、色違いのタンクトップを着ている。彫りが深い整った顔立ちの彼らは、隣に並べば表情以外全く同じ。二人は双子であった。


「残念同じ数だ」


 ふん、と鼻を鳴らし、偉そうに腕を組む弟の頭に拳が落ちる。


「いったぁ! こんの馬鹿糞兄貴!」

「これでお前の方が一回多くなったな、愚かな弟よ」


 最終的に兄が勝ったらしい。いまいち表情が薄いままなので、喜んでいるようには見えない。


「両方とも馬鹿よ」


 力の抜ける罵り合いで怒りを失ったチェルは、想い人の前で変な声を出したという羞恥を忘れ、一瞬で溜まった披露で肩を落とした。



 チェルは双子の兄リンネに料理を提供するために、カウンターの中にいた。ケモノの多くは夜行性のため、必然的にそれを狩るのは夜になる。だから狩り人である彼らは朝の帰りにここにより、獲物を売ってそのついでに夕食兼朝食をとるのだ。

 気合を入れるために、チェルはできるだけ色っぽく見えるよう髪をまとめなおしておいている。勿論そこには彼の髪と同じ色のバレッタがつけてあった。


「南部の巡回を頼まれたんだ」


 彼は芋と燻製肉を卵でとじたものを食べながら、突然そういった。


「南部って、殺人事件の?」


 リンネは頷くだけで、言葉を繋げない。慣れたチェルは質問を重ねる。


「運営議会に頼まれたの?」

「ああ」


 今度は一言だけ返ってきた。兄弟喧嘩以外での彼の無口さをよく知っているので、チェルは怒ったりしない。そもそも彼は話したくなければ顔をしかめて何もいわないのだ。彼が自分から話を振ってくるのは珍しかった。


「すごいじゃない。それで犯人を捕まえられたら、大出世よ!」


 チェルが喜ぶと、リンネはかすかに笑う。


「そうしたら、お前に外の世界を見せてやれるな」


 彼はチェルがどれだけ外の世界に焦がれているのか知っていた。

 ただの人間であるチェルは特殊な装備なしでは街の外に出られない。ケモノの世界であるというのもあるが、強すぎる日差しや激しい寒暖の差に身体が耐えられないのだ。

 金があれば装備を買うことはできるだろう。しかしチェルは自由にできる金をそれほど持ってないし、父に頼むのもはばかられる。

 それを彼はどうにかしてくれようというのだ。ありがたさと愛しさで、チェルは胸がいっぱいになった。


「ありがと。でも、無理しないでね」


 相手は得体の知れない殺人鬼だ。多少丈夫であるとはいえ、愛する男に怪我をしてほしくないのが女心というものだった。


「わかってる」


 話が終わり、彼はもくもくと食べる。それをチェルはにこにこ笑いながら見ていた。


 他に客がいない店内は、日の光に照らされて静かな静謐を保っている。そんな中に、厨房からジルコンと弟の方テリアの価格交渉が聞こえてきた。


「シピキ鳥が四匹にミミク兎が二匹な。計六アーツだ」

「よく見てくれよジルコンさん。兎は二匹とも雌だ。一匹一アーツ半」

「腹が裂けてんだろ。一アーツ二十リル。これ以上欲しけりゃもっと綺麗に殺せ」

「じゃあそれで」


 納得のいく値段になったのか、カウンターに帰って来たテリアはほくほく顔だ。


「チェルちゃん一杯ちょうだい」

「はいはい」


 先に飲んでいた兄と同じものをついでやり、サービスで根菜の甘辛煮を出してやる。

 テリアは一息で酒をあおると、もう一杯と杯を差し出してきた。まいど、と注いでやる。


「ありがと。ウィーは仕入れ?」


 もう一人の店員が気になるのか、店内を見回しながら聞いてくる。


「今日は休み。妹ちゃん具合悪いんだって」

「へー、またか。一度医者に診てもらった方がいいのかもしれないね」


 そうね、と相槌を打ちつつ、脳内には一人の青年の姿が浮かんでいた。


「ちょっとつてが出来たから、頼んでみようかしら」


 巡回医師は医療院を運営している研究所に所属しているし、頼めばきっといい医者を紹介してくれるだろう。

 チェルがそう説明すると、双子は顔を見合わせた。


「……俺たちにも紹介してくれ」

「巡回医師なんて簡単に会えるもんじゃないしさ。明日の夜また来るから、相手の時間が空いてるなら伝えといて」


 リンネの足りない言葉をテリアが付け加える。


「わかったわ」


 全く同じ顔をしているのにも関わらず、二人の性格は正反対である。リンネは無口でテリアは陽気。双子らしさが出るのは兄弟げんかぐらいだ。

 そんなおかしな二人は若手一番のケモノビトだという。

 くすり、と笑みをこぼしながら、チェルは二人の頼みに頷いた。



 ◆



 騒がしい稼ぎ時の店内に、店主のため息が響いた。


「おいおい、そんな辛気臭い顔するな。飯がまずくなる」


 いつも通りジルコンの前の席を独占した盗賊面が毒づく。


「お前にゃいわれたくねぇな」

「俺がいつ人様の飯をまずくしたっていうんだよ」

「自覚なしか。つける薬もないな」


 なすすべなし、と緩く頭を振ってやれば、くだらないことを思いついたのだろう、嫌な笑みを浮かべられた。


「薬は高くていけないな。ああ、俺の毛の力をお前のハゲ頭にもわけてあげたいんだが、さて、そんな薬はあるのだろうか」

「余計なお世話だ。それにハゲてるんじゃない。剃ってるんだっ」

「世の中のハゲは皆そういう……。もう少し明るく前向きに丸く自分を認めて欲しいものだ。その頭のように」


 お、今俺上手いこといった! などとほざいている奴の前に、ジルコンはエミの実の細切りを炒めたものを置く。


「……押し売りはいけませんぜ旦那」

「常連様にサービスだ」


 震える手でそれをつまむと、嫌そうな顔で口に放り込む。


「……この、舌を汚染するがごとき苦味。どうしてこれが毒を持っていないのか、そして人類が食そうしたのか。永久に解けぬ問いというのはまさにこのものだ」

「地が出てるぞ」


 真顔で小鉢を見つめる盗賊面の前に、四つ折りに折った紙を置く。

 その紙を開いて読んだ盗賊面は、げんなりと適当にたたんで懐にしまう。


「エミの実よりは苦くない。だがラヌの実よりは、苦い」

「哲学的だな」

「もっと哲学的な奴が来るってか。ふざけんな。俺は二度と巻き込まれたくないぞ」


 紙に書かれていたのは、派閥争いで職を失った一人の男に対し、復職するよう促すものだった。

 ジルコンは複雑な事情からその職場に繋がりを持っていて、そのつてでこの盗賊面を説得するように頼まれたのだ。


「うちが繋がっているのを知ってて通うのやめなかったんだから、こうなってもしかたないよな」

「あーあー、やなこった。っていってもどうせ強制だしな。本当に嫌になる。若様が行方不明って噂があるし、殺人鬼がふらついてるし、何より火薬が近づいてきているし。火でもついて全部爆発しろ!」


 だん、と力強く杯を置くものだから、近くにいる奴らがこちらを見た。


「おい、どうしたんだぁ? あいつ」

「振られた女から復縁迫られてるんだとさ。しかも親父の手引きで」

「ああ、それは同情する……」


 他の馴染みの問いに答えてやりながら、慰めるようにミミク兎の内臓をじっくり煮込んだものをよそってやる。

 ミミク兎の内臓はくせがあり、やや食べづらいものである。加えて雄の内臓には毒があり、食せるのは雌だけであるから、なかなか食えないものだ。しかしこの店のように直接ケモノビトと取引があり、調理法がわかっているのならば、リピーターがつく食材でもあった。

 残念なことに、今回は腹をかっさばかれて殺されたせいで、使える部分が少なく、おかげで売り物としてだせなかったのだが。


「ほら、復職祝いだ。あと例の若様の心配はないぞ」

「お前が優しいなんて気持ち悪いな」

「ならいいが。さて、ミミク兎の内臓が好きなのは誰だったかな。せっかく今日新鮮なやつが手に入ったのに、食うやつがいないとは、ああ、残念だ」

「い、いただきますいただきます!」


 何もいわず食えばいいのに、と思うが、まあそういうやつだからしかたない。


「そういや、また新しく殺人鬼の被害者出たんだってな」

「最近多いな。今月でもう六件目か?」

「そのぐらいはあんじゃないか」


 ジルコンは嘆息した。いくらなんでもこれは多すぎる。

 そんな彼に向かって、盗賊面はにやりと笑う。いかにも不幸のお裾分けをしてやろうと考えている顔だった。


「近くの都市に例の朱石付きの巡回医師がいるらしいし、そのうち議会が打診するかもな」

「これ以上面倒ごとが増えられてもな」


 ジルコンの耳には平和が壊れ始めている音がかすかに届いていた。

 それがどういう形で自分の元に訪れるかは、彼は知らなかった。



 ◆



 夢の中にそれはいた。

 哀れな獲物を食いちぎり、存在の尊厳を侵し、命の冒涜を行っていた。

 今宵の獲物はただ一人。

 食事の最中に現れた別の獲物は、残念ながら逃がしてしまった。だが大丈夫。とっさに伸ばした腕には確かな手応えがあった。かなり深く抉ったはずだ。どれだけ頑丈であれど、生き残るはずがあるまい。


 その時はそう思っていた。


 においだって濃く残っているはずだ。己はそれを辿って、力尽きたそれを食えばいい。

 簡単なことだ。簡単なことだ。

 だからゆっくりと獲物を食う。蹂躙し、侵略し、強奪した。


 その時は自分の愚かさに気づかなかった。


 一時間ほどかけて思うがままに堪能したそれは、先ほどとは見間違えるほど素早く、追跡を始めた。

 追う、追う、追う。

 あっという間に追いついたそれは、獲物に手を伸ばす。

 その時、獲物が振り返り、手に持った何かをそれに投げつけた。

 もう少しで捕まえられる。そういう距離だったため、それが避けることは叶わず、綺麗に顔に当たった。


「がぁぁぁぁぁっ‼︎」


 顔が焼ける。肉が爛れ落ちる。

 それは痛みに悶え、獲物が逃げたこと、いつの間にか血のにおいが消えていたことに気がつかなかった。


 今となっては腹が立つことだ。

 それは夢の中で考える。

 早く、奴を消さなければならない。しかし、今は嗅覚に頼れない。

 どうしようか。どうしようか。

 夢の中で考える。

 目が覚めるまでに答えを見つけようと思いながら。

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