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砂漠の街のチェロンダ  作者: 佐木間
第一章
4/21

灰色の髪の青年

 青年が目を覚ましたのは、チェルが医療用パッチを替えようとしたまさにその時だった。


 青年に用意されたのは、店の上にあるチェルたちの家の客室である。

 チェルは店の準備の前に青年の様子を見にきていた。

 助けたのはジルコンであるが、自分が見つけたのだ。彼女は何となく責任を感じ、世話役を買っていた。


 青年は背中に怪我を負っているため、医療用テープが貼られた程よく筋肉がついた背中をさらして、うつ伏せに寝かせられている。

 昨日の夜、治療を手伝う際に見た前面を思い出して、チェルは一人赤面した。細身ながらもなかなか立派な肉体をお持ちだった。


 そんな青年の年齢は二十代前半ぐらいか。砂漠を旅している者なのだろう、特殊ガラスに守られたチェルと違ってよくやけた肌色をしている。色素の薄い頭髪が、窓から差し込む日の光で透き通るように輝いていた。

 顔立ちは可もなく不可もなく。あどけない寝顔だな、と思うぐらいで髪の色以外はあまり特徴のない男だ。

 灰色の髪なんて享楽都市(この街)でもあまり見かけない。他の街だったら余計目立つだろう。

 そんなことを思いながら彼を見ていたから、急にその黒い目が開いたことに驚いて、伸ばした手をひっこめた。


「あ、起きたの? 身体は大丈夫?」


 青年は頷き、身体を起こそうとして顔をしかめる。年頃の娘には刺激が強いその肉体がちらりと目に入って、チェルは視線をさまよわせつつも、彼を諌めた。


「駄目だよ。あなた、下手したら死んでるぐらい重傷なんだから。動かないで」


 額に浮いた汗を布で拭ってやり、有無をいわせない強い声でいえば、青年は大人しく頷いた。


「助けてくれてありがとう。ここは?」

「酒場ベナスタよ。私は店主ジルコンの娘チェル。あなたは?」

「シャルトリューという。巡回医師だ。シャルと呼んでくれ」

「わかったわ、シャル。よろしくね」


 手を差し出してきたから握手をすると、彼はほんの少しだけ顔を歪めた。


「……っ」

「ごめん、今貼るから」


 効果の切れたパッチを剥がし、新しいものをつけてやる。これには軽い麻酔効果があるのだ。


「ありがとう、これで少し楽になる」

「どういたしまして」


 ふふ、とチェルは笑い、彼の怪我の理由を問うた。


「それで、あなたが怪我を負ったのって、その、過激(アレウム)派のせい?」

「違うよ。今回は巷で話題の殺人鬼さ」

「えっ? 殺人鬼に会って死ななかったの⁉︎」


 事件が本格的に起こり出して一年近く経つが、一向に犯人の姿がわからないため、半ば怪奇伝説と化している。

 これは目撃者をことごとく殺しているからのようで、二、三件に一つは犠牲者が二人ないし三人以上であることがあった。


「必死に逃げたからね。大丈夫、あいつと出会ったのは南地区だから。南西地区(こっち)で襲われたわけじゃないよ」

「そうなんだ」


 チェルは知らずうちに緊張で凍っていた胸を撫で下ろした。その時、シャルの腹が遠慮がちに鳴った。あ、と二人が声を上げる。シャルは気恥ずかしげに笑って、肩をすくめた。


「お腹空いてるよね。今作ってくるわ。お粥でいい?」

「それで大丈夫。頼むよ」

「任せて」


 チェルは力こぶしを作ってみせる。シャルが無邪気な子どもを見たように笑うので、気恥ずかしくなった彼女は部屋から逃げだした。

 チェルはポケットに入れていた髪留めで髪をまとめながら、階段を降りていく。それは落ち着いた赤色の、細長いバレッタだ。端には金の蝶が羽をたたもうとしている飾りがある。ある男に買ってもらった、チェルの宝物である。


 厨房に行くと、チェルが手を伸ばしてもその禿頭に届かないぐらい大きな体躯があった。ジルコンだ。


「父さん、彼が起きたわ」

「それはよかった。話も聞かなきゃいかんしな」


 声をかけると、ジルコンが根菜を切っていた手を止めて、浅黒い顔をこちらに向けた。


「ここに来たってことは、何か作ってやるつもりなんだろ。シピキ鳥を余らせたからいれてやれ」

「わかった」


 シピキ鳥は成人男性と同じぐらいの大きさを持つ怪鳥だ。

 飛べない鳥で、屍肉やミミク兎などの小動物を食べるらしい。らしいというのは、人間であるチェルは街の外に出られないため、肉を売りに来るケモノビトに又聞きしているからだ。

 彼らは狩った大物をつつかれるので嫌っていたが、チェルとしては淡白な味で食べやすい鳥、としか認識していなかった。


 米を研ぎ、朝作ったシピキ鳥のだし汁と共に鍋に入れる。蓋をして煮立つまでに、鳥と野菜を適当に切って入れ、後は待つだけだ。


 待ち時間に酒棚を軽く掃除する。ふっふっふーん、と鼻歌を歌いながら隙間を布で拭っていると、裏口から荷物を背負った少女がやってきた。ウィーが仕入れから帰ってきたのだ。ちょうどいいところに帰ってきてくれた。

 鍋が沸騰しかけていたので、チェルは手を洗って彼女に声をかける。


「ウィー、卵買ってある?」

「あるよー。はい」

「ありがと」


 渡された卵を割り、解きほぐして鍋の中に入れる。弱火にして、程よくとろとろになったら火を止めて完成だ。


「お粥? 昨日の人に作ってるの?」

「そうよ。あ、ウィーが持ってく?」


 昨日裸を見てきゃーきゃーはしゃいでいたのを思い出す。

 チェルが椀によそりながらいうと、ウィーは手と首を振った。


「あーあー、私はそういうのはいいよ。チェルじゃないんだから」

「年頃の女の子は皆こうです! ウィーが冷めすぎなんだから」

「はいはい。私は今生きるので手一杯で、男なんて作ってる余裕なんてないよ。ほら、冷めちゃうよ」

「もう」


 むす、としてみせると、どちらからともなく笑い出した。


「じゃあ、今日はこれで帰るから」

「妹さん?」

「そう。じゃね」


 手を振って彼女は帰っていった。

 チェルは粥の上に香味野菜の葉を乗せる。できた。小金色に光る卵に、緑の葉がよく映えている。味の方も鍋の底に残ったもので確かめる。


「うん、いい出来栄え」


 チェルは満足げに頷き、持っていく準備をした。



 粥の乗った盆を持って客室に入ると、驚いたことに青年は体を起こしていた。適当に置いておいた服を着ているため、チェルが赤面することはない。

 声をかけると、本を読んでいた彼は顔を上げる。客室には本など置いてない。ベッドの下に置いてある彼自身の鞄に入れてあったのだろう。


「ありがとう。そこに置いといてもらえるかな。あともうちょっとだけ読んだらいただくから」


 活字の世界に没頭するシャルに、チェルは呆れながらも言われたとおりにテーブルに料理を置く。

 ちらりと見える題名は『疫病と環境』。難しそうな本である。


「ねぇ、大丈夫なの?」

「ああ、僕はケモノビトだから」


 何でもないようにいっているが、さすがのケモノビトもあれほどの傷だったら三日は寝たきりだろう。馴染みのケモノビトが大怪我して帰ってきたときは大騒ぎだった。主にチェルが。


「もしかして結構上の位の方だったりする?」


 ケモノビトにはその能力により位が振り分けられる。

 同じケモノビトといっても、素体やケモノの違いで能力はピンからキリまである。下の方は下町に住みケモノ狩りなどでその日暮らしをしている者が多いが、上の方はお偉方や商隊の護衛など上職についていることがほとんどだ。

 位は能力と、そしてそれに付随する権力を察する指標となっていた。


「いやまあ、一応巡回医師でもあるし」


 それなりにはね、といわれ、チェルは納得する。自然を渡ることを日常としている者が高い能力を持ってないはずがないのだ。


「そういえばそうよね。じゃあ、結構外のこと知ってるのよね?」


 巡回医師とは、各地を渡り歩いてケモノを調査することを目的とする旅人だ。何故医師と呼ばれるのかはチェルは知らない。

 ベッドに乗り出してまで食いついたチェルに、彼は面食らった顔をしていた。


「ま、まあ、それなりには知ってるけど……」

「じゃあ、教えて! 前から外に興味あったんだけど、そんなに本が手に入らなくて」


 チェルの自宅兼店は上層部、すなわち地上にある。地下である下層部よりも土地代や税金がかかるのだが、チェルたち家族はそこに店を構えられるぐらいには裕福ではあった。

 しかし、外に出られる人間には限りがあるため、本の絶対量が少ないのだ。


「わかったよ」

「ありがと!」


 にこりと笑って礼をいうと、シャルは頬を掻いた。

 そして再び本の世界へ戻ろうとする彼に、チェルは慌てて声をかける。


「冷めちゃうから、できれば早く食べてほしいかな……」

「そうだね。料理は温かい方が美味しいよね」


 当たり前のことをつぶやいて、彼はテーブルの椅子に座る。これだけ動けるのだから、本当に大丈夫なのだろう。


「ベナスタ特製粥よ。いってくれればある程度注文聞くわ。最後の締めにおすすめね」


 へぇ、といいながら、シャルは粥を口に運ぶ。


「確かに美味いな。麦種より米酒の方が合いそうだ」


 真剣に粥を見つめていうものだから、チェルは笑った。


「良いお酒もあるから、仕事終わりに寄ってくださいな」


 うんと頷き、彼はあっという間に平らげた。


「ごちそうさま。悪いね、応急処置といい、食事といい。おかげで助かったよ。それに医療院にも連れて行かないでくれて」


 一見皮肉にも取れる言葉だが、シャルは真面目にそういっていた。


「ある程度研究所の事情は知ってるわ。この近くの医療院は過激(アレウム)派のものしかないからね」

「本当に迷惑をかけた。多分明日には出ていけると思うから。君へのお礼は外の話でいいんだよね?」

「うん!」


 チェルは大きく頷いた。彼女は高鳴る期待を抑え込みつつ、シャルの膝上から盆を回収する。


「食べ終わったようだし、そろそろ行くね。あ、父さんが話を聞きたいっていってたから、その内来るかも」

「わかった」


 チェルが部屋の外に出ると、ちょうどジルコンが階段を上ってきたところだった。せっかちなことに、もう訳を聞こうというらしい。

 チェルは階段を下りていく。まだ知らぬ外の世界への期待が、その胸には膨らんでいた。



 ◆



「入るぞ」


 チェルが出て行った直後に浅黒い肌の大男が来たから、シャルは少なからず驚いた。


「ああ、ジルコンさんか。かなり久しぶりに見たからわからなかった」


 シャルの言葉にジルコンは眉を跳ね上げる。


「俺には覚えがないが、会ったことがあるのか?」


 とりあえず、とシャルは鞄から一つの封筒を取り出した。

 それを開いた大男はすぐに納得した顔になった。


「まさか、お前があの時のだとは思いもしなかったぞ」


 ジルコンが見ていた書状を折りたたみ、シャルに返してくる。


「僕がそれであることはくれぐれも内密に」

「わかっている。思い出させたくないしな」


 はぁー、とジルコンが息を吐いた。彼は禿頭に手をやり、ただでさえ厳つい顔をしかめる。子どもが見たら大泣きしそうだった。


「あれを預けられてもう十二年か。何とか違和感を与えないようにやってきたつもりだったが」

「ええ、現状に何の疑問も抱いてないようですし。相当気を配ったのでは?」

「まあな。いつだって悪いのは大人だ。子どもには罪はない」


 忌々しそうに彼はいう。彼もまた、かつて悪い大人に利用された子どもであったことを、シャルは伝え聞いていた。


「何かを知ってしまって、もしそれをどうにかできる力があったらやってしまうんですよ、きっと」

「それが実際に見てきたお前の見解か、シャルトリュー」


 そうですね、と青年は苦笑した。


「何はともあれ、彼女が幸いであれ。そう願うばかりです」


 窓に目を向けると、昼下がりの太陽がまぶしく輝いていた。

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