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砂漠の街のチェロンダ  作者: 佐木間
第一章
3/21

二人の出会い

 地味な給仕服を纏った娘が、男くさい酒場の中を笑顔で行き来していた。


 少女の真っ黒な大きな瞳は猫のように悪戯げで、高い鼻梁の下の薄い唇は、彼女が意図せずにも上品な笑みを浮かべている。きめ細かな白い肌は照明に照らされて陶器のような輝きを持ち、それとは対象的な手入れの行き届いた闇色の髪は、編まれて赤のバレッタでまとめ、飾られている。

 まるで高嶺の花という言葉を体現したかのような娘だ。それでいて市民としてあくせく働く俗っぽい雰囲気を持っているため、望まずとも男たちの心を捉えてしまう少女であった。


 今宵もまた一人、彼女の美貌に心を奪われた男がいた。

 彼女が動くたびに、赤の髪留めについた金色の蝶がきらりと輝く。それを目で追っていた若者が、まるであの娘を模してるようだ、と比喩する。職場の上司に連れられ店に来た一見の客だった。彼は十九という若く美しい娘に一目惚れしたのだ。

 呟きを耳にした彼の上司が、苦笑しながら酒を注いでやる。


「見る目があるな、お前は。あれは彼女が愛する彼に買ってもらったものだよ」


 もう相手がいるのか、と若い男は天を仰ぐ。いるいる、お前じゃ勝てない相手だ、と聞き耳を立てていた周りがはやしたてる。

 曰く、少女に負けず見栄えがいいとか。

 曰く、闘技会の若手部門(マリーディ)優勝者だとか。

 曰く、寡黙であるが誠実で将来性があるとか。

 相手の男を立てる言葉の羅列に、もちろん若者は面白くない。彼は杯いっぱいに酒を注いで呷った。おおっ、と周りも負けじと杯を重ね、何事かと目を丸くする店員を尻目に刹那的などんちゃん騒ぎが巻き起こる。

 男の咲いた瞬間に散った恋心を慰めるという名目は当然であった。



 店の一角で自分を肴にした酒盛りが始まっているとはつゆ知らず、当の娘はカウンターの酔っ払いに捕まっていた。


「可愛いお姉ちゃんに酒をついでもらえる場所。そんなところってなーんだ?」


 ……またこの男は。


 くだらない冗談を向けてきた赤ら顔の男に、少女はため息を吐く。


「盗賊のねぐら」

「その心は?」

「鏡見れば分かるわ」


 心底呆れながらも常連客に酒をついでやる。ぼうぼうに髭を呼ばした盗賊面の男は、少女が物覚えついた頃からいたほど付き合いの長い客である。

 だから本当はこんな投げやりに扱ってはいけないのだろうが、どうもこの髭面を見ていると客として扱えなかった。


「かぁー、チェルは手厳しいねぇ。おいジルコン、お前の性格をよく受け継いでいると思わないか? なあ?」


 酔っ払った男は機嫌が良いのか。別の客と話していた禿頭の大男に話しかける。


「そう思うならもう少し身なりを整えろ」


 酒場の住人であるジルコンは、しっしっと手を振る。熱した油の前にいる彼は、つるつるとした浅黒い頭に汗を浮かべ、その輝きを倍増させている。

 彼は油の中に泳がせていた三角形を引き上げ、油取り紙の上に乗せる。じゃがいもがほっこり美味しいサモサだ。


「けっ、皆似たようなものだろ」

「下層部ならな。ここは上層部だぞ。お前が一番酷い」

「風呂は毎日入ってるから問題ない。大体お前は俺のおふくろかよジルコン」

「俺は店の雰囲気を壊されたくないだけだ」

「ちっ」


 ふてくされた男はチェルに視線を戻すことなく、もっとからかいやすい、もう一人の店員を探し始めた。

 解放されたチェルは目をつけられた相方に同情しつつ、サモサの皿を客に持っていき、店内を回る。


 接客業はもう板についたものだ。

 チェルは酒場ベナスタ亭の主人であるジルコンの娘である。十五までの義務教育を受けた後、すぐに家で働き出したから、もう四年はこの仕事をしている。


 別に勉強したくなかった訳ではない。学院でも優秀な方であったし、実力者なら誰であれ学び舎の門扉は開かれている。

 だけどチェルの興味の先は外界。人間である彼女にはほとんど見ることができない危険な地だ。

 将来性のない分野を学べるほど余裕はない。ゆえに書物や外を知る少数の者から話を聞くぐらいで、少女は自分を騙していた。


 ……明日の朝はどうしよう。F・ワーグナーの『旧文明史』でも読み直そうかな。でもリース兄弟の『ケモノの歩み』もまだ読んでないし。


 決してその美しい顔立ちからは想像出来ない趣味のことを考えながら、少女は普段通りにくるくると働く。白と青の素っ気ない給餌服を翻して。男に謳われたように、可憐に舞う蝶のごとく。


「だから、一番は女剣士エレークだろ! 達者部門(プリームス)の中でもエレークが出る試合は特に人が入る」

「いや、若手ながらルイズ兄弟も中々だ。この前ついに優勝したろ。お、姉ちゃん姉ちゃん麦酒(ビール)とポテト追加」

「麦酒とポテトですね」

「あ、俺も麦酒」

「麦酒二で」


 あまり見ない顔の二人組みは、闘技会で最も華があるのは誰か議論していたらしい。知っている名前も出ていたがチェルは笑顔で興味を隠し、淡々と注文を受ける。


 思考の中に嫌でも入ってくる客達の会話は、一番普及した娯楽である闘技会の他に、仕事、仲間、家庭が話題に上る。

 女好きの誰それが浮気がばれ修羅場になったやら、娘が男を連れてきたやら。

 そんなどこにでもある会話たちの中に、一つ物騒なものがあった。


 最近上層部南地区で頻繁に起こる、殺人事件だ。


 といっても、ここは享楽都市。そんなことは地上の上層部だろうが地下の下層部だろうが、どこででも起きている。

 治安の悪さは地方一なのだ。いくらクリーンに都市が保たれているとしても、閉鎖空間は精神に影をもたらす。

 行方不明者が出るなんてのはしょっちゅうだし、力を持て余した者が暴れることだってよくあった。


「こう、現場には肉片が転がってたんだとさ。まるでケモノが食い荒らしたかのようなな。トミーが見たんだってよ」

「肉食えなくなるからやめろ馬鹿!」


 ただ、今回の事件は異常だった。

 殺された被害者は原型をとどめることなく破壊され、まる食い散らされたような残骸が、現場に残っているらしかった。

 この街の殺人事件は大抵行方不明という形で行われる。各地区に設けられたごみ処理場直行のダストシュートがあるため、証拠を消すのにそれを利用するのが大半だからと聞く。


 無差別で猟奇的で隠しもしない。酒場の話題になるのも当然だ。

 しかも、殺されたのは人間だけでなく、強靭な肉体を持つケモノビトもというのが、街の人間の恐怖を強めていた。


 ケモノビトは、街の外に徘徊している、ケモノという生物を移植した人間である。

 彼らは普段は普通の人間と変わらぬ姿をしている。しかし戦闘時になると、いつもは身体の中にしまわれているケモノの攻撃器官と、その信じられぬほどの膂力を使って戦うのだという。


 そんな人にして人にあらぬ存在までもが殺されているとすると、チェルたちのようなただの人間は無力すぎた。


 噂の一説には、その正体は街に入りこんだケモノだというものがある。

 また一説には、たがが外れたケモノビトというものがある。


 どちらにしても、対処が遅れ被害が拡大しているのは変わりなく、早くどうにかして欲しいというのが街の住人の本音だった。



 店の客がまばらになってきた頃、ジルコンに呼ばれた。


「そろそろごみを捨ててきてくれ」

「はぁい」


 軽く返事をしてごみをまとめる。

 衛生管理のため、区画ごとにダストシュートが設置されている。運がいいことにチェルの店はそのすぐそばに位置しているので、その日の内にその日のごみを出せるのだ。


 殺人事件があるといっても、その現場は南の地区。だから客はいつも通り来るし、深夜であるにもかかわらず、ジルコンは娘に外にごみを捨てさせる。

 放り投げられた鍵を受け止め、チェルはごみを持って裏口に行く。扉の鍵を開け、ダストシュートの開閉ボタンを押そう……とした。


「……?」


 そこに何かがいた。それは人間の形をしていた。倒れているから酔っ払いだろうか。確かめようとチェルが近づいたその時、雲が切れ、さっと月の光がそれを照らした。

 灰色の髪。腕や端の方が白い、染めるのに失敗したような変な赤い服。顔の色は土気色で、とても不健康そうに見えた。


 そして漂う、濃い血のにおい。


 チェルは固まった。目の前の人間が纏っているのが血にまみれた白衣であると悟るまで、幾ばくかかったろうか。


 チェルは尻もちをついた。その痛みで我に返ると、たまらず大きな悲鳴を上げた。



 ◆



「ほらっ、ミタノさん、帰らないと奥さん怒るよ!」

「わっはっは、ウィーちゃん、……あの女はとっくの昔に実家に帰ったよ」

「なら尚更でしょ! ちゃんとして戻ってきてもらわないと!」


 おさげ髪の娘が客を追い出している。またごねてんのかあの馬鹿は。ため息を吐きながらジルコンが売り上げを数えていた時、裏からチェルの悲鳴が響いてきた。


 思わず手を止め、彼女と顔を見合わせる。気の利く店員はすぐ頷きを返してきた。

 売り上げを任せ、裏口に回る。外に出ると、ぷん、と漂う血の匂いに気づく。扉の前にはチェルが腰を抜かしていた。

 こちらに気づいた娘は震える手を伸ばし前を差す。


「あ、ああ、ひ、人が、人が」


 その方向を見ると、倒れた人影が微かに見えた。運悪く厚い雲に月が隠れている。

 じりじりと近寄り、目を凝らす。

 どうやらその人物は白衣を身につけているようだ。ジルコンは舌打ちした。よりにもよって、一番厄介な職種が訪れた。

 うつ伏せに倒れた身体を仰向けにする。呼吸が浅い。失血死してもおかしくないほど血を流している。

 ジルコンは素早く耳、首、胸、と何もないことを確認し、最後に白衣の裏側を見る。

 そこには青空のような色の石が縫いつけられていた。

 ジルコンはほっとした。どうやら見捨てないですむようだ。


「チェル、包帯と湯とサファリ草を用意してくれ。まだ大丈夫だ。間に合う。早く!」

「あ、う、うん、わかった」


 発破をかけると、チェルはぎこちないながらも戸口に引っ込んだ。

 ジルコンはその間白衣を脱がし、傷口に巻いて身体を持ち上げる。

 軽くない成人男性の身体を抱え起こすのに、ジルコンは顔を歪めた。四十半ばを過ぎて一気に老いがやってきた肉体には辛いものだった。


 ……俺も歳だな。


「……ンダ」


 嫌になる現実への感慨に浸りかけた時、耳のすぐそばで声が聞こえた。

 青年の顔を見やれば唇が動く。


「チェロンダ……」


 つぶやかれるのは一人の女の名前。

 ジルコンも知る、女の名前だった。


 ……どうしてお前はその名を知っている。


 問い詰めても答えは返らない。それを分かっているから、ジルコンは自然と口を開いた。


「チェロンダは死んだ。今いるのはチェルだ」


 呻くようにジルコンは告げる。相手が意識を失っているのを理解していても、返さずにいることはできなかった。


「チェロンダ……」


 名前が繰り返される。

 その声には並々ならぬ感情が宿っているような気がして、ジルコンは目を伏せた。


「生き返らせるな。死なせたままにしてやれ」


 懇願に答えるように、それ以上青年はその名をつぶやかなかった。


 用意が終わったのだろう、中から娘がジルコンを呼んでいた。

 ああ、今行く、と返して、傍らに転がっていた鞄を拾い、ジルコンは真っ暗な空を見上げた。


「今更何でその名前が出てくんだ……」


 光一つない空に、疲れの滲んだ声は吸い込まれていった。

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