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「おい晴樹、魔女っ子なんて今時言わねーって。そのアニメも、カテゴリー的には魔法少女ってんだよ」
晴樹の背後、倒れかけた沙耶を支えようとした彼に咄嗟に突き飛ばされてしまっていた晴樹の連れ、眼鏡の少年が口を挟む。
過去の記憶に引きずられてぼんやりとしていた沙耶はその声で現実へと引き戻された。
先刻から晴樹の友人二人は、それぞれが顔を背けつつ難しい表情で自分の口許を激しく擦っているのが沙耶の目にも入っていた。
よほどガシガシと拭ったのか、眼鏡の少年も色黒でがっしりとした体格の少年も唇を赤く腫らしてたが、晴樹の下手な説明を見かねて『お詫び』を沙耶に受け取らせるための援護射撃に来たようだった。
「魔法……少女?」
聞きなれない言葉を耳に訝しむ沙耶の様子を見て、眼鏡ではない方のもうひとりの連れ……色黒でがっしりとした体つきの少年が、晴樹に対して呆れたように首を振った。
「魔女っ子なんて言葉、随分前から放送禁止になってるっつーの。晴樹、その子、親、フランスってったよな? フランスって言やカトリックの多い国だし、放送禁止もそーゆーキリスト教国に対する配慮的な。な?」
「ああ……そうか。だよね」
自分のアピールの仕方の間違いに気づき、晴樹は友人たちに向け小さく肩を竦めて再び沙耶へと向き直った。
「ええと、俺……いや、お兄ちゃんあんまり詳しくないんだけど、このアニメの主人公は悪者と戦う正義の味方……で───だよな?」
背後の友人らへ確認をとりつつ、晴樹は沙耶の手の上に玩具の箱を乗せ、不思議な力を使って戦う魔法少女について彼女に語った。
「まほう少女はね魔法みたいな力を使うけど、悪いことする魔女とはちがってみんなのために戦う女の子なの。この『ラブリーウイング・スティック&コンパクト』ですごい必殺技を放つんだよ。……沙耶、見たことないけんだど!」
車中、満面の笑みで玩具を指さし、沙耶は縁日で聞いた受け売りを語る。
変身に使うコンパクトと魔法攻撃を放つスティックが一体化した玩具のコンパクト部分の上部には、ハートを四つクローバーの形に配置した装飾部分があった。作中ではこれに仲間四人の友情の力を注ぎ込む事により、各キャラクターのスティックがワンランク上の強化をされるとの設定なのだ。
沙耶はそれを譲に説明しつつ、コンパクトの上のクローバーに配置されたハートボタンをひとつずつ指で押していった。
「見て、ほら!」
四つのボタン全てを押し込むと、コンパクトの裏からカチャッ……と、小さな音を立て銀色の翼が側面へと飛び出す。
「……なんだよ、こんな幼稚園の子供があそぶようなオモチャでなに興奮してんだよ」
はしゃぐ従妹の前に譲は渋面を作り、美鈴は玩具が人から譲渡されたと知って驚く運転席と助手席の両親に、それが彼女のオモチャをうっかり壊した少年の詫びの品だとの説明をした。
「それ、父さんてっきり沙耶が露店で買ったんだと思ってたよ。お詫びなだって言うのは分かったけど、相手変な子だったりしなかったよな……?」
二人に縁日における資金提供を行った圭司は改めて姪が手に持つ玩具を見て、買えば子供にとってそれなりの価格がしそうなそれに別の方向の危惧を抱いた様子だった。
「変って事ないでしょ。その子、新星大付属らしいし───ね、沙耶?」
「うん。ハルキ君、しんせい大ふぞく中学校の三年生なの」
「……新星付属の子か。なら、ちゃんとした家庭の子だよな」
県内一の有名中学の名前を耳にして圭司の眉間の曇りは晴れた。
高偏差値な上に裕福な家の子弟が多い新星大付属中学校・高校は、近隣の子供を持つ親にとって憧れの学校だった。譲も現在この新星の中受目指し、夏冬の長期休暇も関係なく、ずっと塾に通っている。
「いくら新星でも中学生が小学生に物くれるとか、ロリコンかよ。……おい、沙耶、それちょっと見せてみろって」
文句を言いつつぐいっと自分の前へ手を差し出す譲に、沙耶は首を傾げながらも言われた通りに玩具を「はい」と手渡した。
この従兄は多少言葉や態度に乱暴なところはあっても、なんだかんだと自分に優しい事を沙耶は知っている。今も渡された玩具をあちこちひっくり返し、電池の入れ口を見つけてくれた。
「やっぱり。……ほらここ、電池入れると光るようになってるじゃないか。相変わらず間抜けだなオマエ」
「わぁ……すごいそうなんだ。光るの、これ?」
「ん。たぶん音も鳴るぞ。音が出るスピーカーの穴がぷつぷつってここ開いてるだろ」
「ええー光って音まで出るんだ! すごいねー!?」
「……しかたないな。ボク持ってるから、後で単三2本入れてやる」
「うわぁ……うわぁ! ありがとう譲くん」
無邪気にはしゃぐ沙耶の様子に譲はドヤ顔をこらえて唇を結び鼻の頭をカリカリと掻いたが、大人たちはこれにまた不安を抱いたようだった。
「お詫びって言っても、結構立派な玩具なのね……」
そんな品物の子供同士でのやりとりは感心出来ないと言いた気な表情の遼子に、美鈴がフォローを入れた。
「沙耶が輪投げで取ってたの大きな貯金箱だったって言うし、それももともとは射的の景品だって」
壊れたのが縁日の景品であれば、わざわざ購入した品物で補填を受けるのはいくら『詫び』とは言ってもやり過ぎだと思ったようだが、返された物も同じく景品と言うのなら、なんとなし、多少の価値の格差には目をつぶって良いように感じられるもののようだ。
「そうなの? そうならまあ、いいのかもしれないけど……」
助手席の遼子は顰めた眉根から力を抜き、後部座席へ向けていた顔を前へと戻した。
「え~? どんくさい沙耶がそんな物、取れたとか嘘くさー……」
多少盛って語られた沙耶の説明をすんなり信じた美鈴とは違い、譲は従妹に疑惑の色を隠さない視線を向ける。
「えと、ほ……本当だよ~? ポイってなげたら、スポってばっちり入っちゃったんだから」
「本当は落ちてたの拾ったとか……取ったの指人形みたいなチンケなやつだったとかじゃないのか?」
「───ぅ……ううん、そんなことないよ。こんな……こぉんなにすっごいヤツだったんだもん」
一生懸命両手を一杯に広げる沙耶に、美鈴と譲は思わず笑う。
彼女の言うような大きさの景品などフラフープの輪でも使わなければ入りそうもない。
「明日の塾午前中だから佐藤のケンと斎藤のユウとお祭り行くし、ボクも輪投げやるかなー」
「……えー……えー。……だけど、私の取ったちょきん箱、あれでさいごの一つだって言ってたから、きっともう同じのは残って無いよ。あれはげんぴん限りの超とっかしょぶん品だよ。……そうだ、譲くん輪投げやるよりお昼に行くなら『炎のすもう大会』に参加して来なよ。お昼からあるって帰りに放送してたの聞いたんだ。ゆうしょう者にはごうか商品が出るんだって」
「は? ……誰もしょぼい貯金箱欲しいなんて言ってないだろ。しかもなに……その激く暑苦しい名前の相撲大会」
「さ……沙耶……それ、『炎』じゃなく『奉納』相撲……」
「ぶふっ」
沙耶のボケた言動により、車内にみんなの笑い声が満ちた。
帰宅後、沙耶が風呂や歯磨きを済ませパジャマに着替えて部屋へ入ったのは、普段の就寝時間よりもやや遅めの時刻になっての事だった。
関東の夏の夜は湿度も気温も高く不快だが、快眠モードで稼働するエアコンが室内を快適な状態に保ってくれている。
伯父の圭司宅に与えられている彼女の部屋の家具は、カントリー調に揃えてあった。これが今はゴシック系の趣味に傾倒してしている美鈴が以前使っていた物なのだとは、伯母による溜息混じりの情報から知ったことだ。
白雪姫の童話に出て来そうな筐型ベッドへ向かう途中、沙耶は机の上から両親の写真入りフォトフレームと従兄が電池を入れてくれた『魔法少女』のオモチャを手にし、ベッドパットとタオルケットの間へと潜り込む。
枕元に置いた照明器具のリモコンを操作して部屋の明かりを落としはしたが、眠りの波が自分を攫うのには少なくない時間を要するだろうと就寝に対して諦めの気持ちが強い。
今日彼女は『異能の巫女』として初めて依頼を引き受けた。
たぶんそれだけでもこの夜の眠りは遠い物になったに違いないのに、望みもせずに垣間見る事になってしまったあの少年の未来の姿。
『……あくま! ……まじょ! あいつらが来たの。あたしが……あたしがそうお願いしちゃったからっ! まじょがあの子を連れていっちゃったのよ!!』
幼友達、明るい赤毛の少女ルイーズが叫ぶ声が、不意打ちのように沙耶の耳の奥に蘇る。
彼女の髪の色とよく似たオレンジ色の子猫の絶命にルイーズの祖母が気付いたのは、沙耶の力が行使された直後の事。
ソファの上によじ登ろうとぴょこぴょこ跳ねるオレンジ色の子猫の姿は、くす玉台のすぐ下、青々と茂る芝生の庭に腰を下ろして話していたルイーズや沙耶からもベランダ窓越しに見えていた。
それまで元気に跳ね跳び、ありとあらゆる相手にじゃれついていた子猫が何の予兆も無くパタリと倒れて動かなくなる様はあまりにも異様で、猫の異変に気付いたルイーズの祖母が思わず上げたと思しき驚きの声が、庭にいた子供達の耳にも届いていた。
一体何が起きたのかと部屋の中へ目を向けた友人の視線の先、妻の声に慌てて子猫を抱き上げその小さな身体を調べたルイーズの祖父が、信じられないと言う表情で子猫の死を呟く声は庭の子供達の耳朶を打つ。
「ぁ……ああああああ………あ、ぁ……! い、やぁぁあ……ああ……ああああああああああぁぁあっ!」
壊れたケトルのような空気が震わす擦過音と悲鳴の混合がルイーズの喉の奥から発せられた。
いつも健康的な血色に頬を染めていた幼い友人の顔が、まるで紙のように真っ白に代わるのを沙耶の灰色硝子の瞳は映しだした。
子猫の名前を叫びながらウッドデッキをよじ登り、ベランダから部屋の中へと赤い髪をなびかせ飛び込む友人の後ろ姿に、それを目で追う沙耶の顔からもザッとばかりに血の気が引いた。
ルイーズの子猫は動かない。
彼女の祖父が再びの心臓の鼓動を促すため子猫の細い胸郭……心臓の辺りに幾度もマッサージを繰り返しているが、もう二度とあの猫が愛らしい声でオヤツやミルクをねだって鳴く事はないと言う事を沙耶は知っていた。
ルイーズの悲痛な叫びが耳殻を震わせ、顔色を失くした沙耶の心を激しく切りつけた。
───あの子猫はもう動かない。
二度と可愛い声で「ニャー」と鳴くことはない。
僅か四年分の沙耶の幼い世界と人生に、これまで一度も『死』が身近だった事は無く、狂乱の態で泣き叫ぶ友人の声を耳に生まれて初めて彼女は『死』と言うものの齎す悲惨を知った。
あの悲惨を作り出したのは、沙耶の使った異能の力。
子猫を殺したのは魔女なのだと叫ぶルイーズの声が、沙耶の魂へと深く深く刻み込まれていた。