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表情を取り繕う上手さは、沙耶が伯父の家に引き取られてからつけた技術だ。
形見の指輪を握りしめていた手を開き、空いた両手でこわばった頬をぐりぐりと揉み、
「さーや、笑って。……cui cui」
と、沙耶の父、ケネスがカメラを構えて娘に掛けた言葉を思い出しつつ真似れば、こわばっていた唇に条件反射で笑みが浮かぶ。
本家への連絡を済ませた圭司がクルマに戻った時、彼女は彼が後部座席に設置したチャイルドシートの上、細い両の脚をぶらぶらと揺らしていた。
「沙耶、大丈夫か。……少し顔色が悪いな」
思いがけず見せつけられた血なまぐさい未来の光景やそれに伴い小さな胸に抱いた決意は見透かされなかったが、表情の偽装も所詮は子供の浅知恵。血の気の引いた青白い顔までは誤魔化せず、しかし子供とは言え隠したい感情を隠す術はそれなりに鍛えられてもいる。
「えー本当? 平気だよ?」
そう言って、口許に笑みを湛えたまま小首を傾げる姪っ子の顔を、圭司は黙って凝視した。
彼女が両親を失ってから半年。幸いにして圭司の子供らと沙耶の仲は悪くはない。
海外で生まれ育った沙耶は多少語学能力に不安はあるが、生来の明るい性格もあり転入先の学校で友達も出来た。両親の死を完全に乗り越えるにはまだまだ時間はかかるだろう。しかし、最近は随分と表情にも明るさが蘇って来ている。
だがこの少女は健気と言う言葉を通り越し意地っ張りだった妹の娘。芯が強いと言えば聞こえは良くとも、辛い時にも笑顔で周囲に心配を掛けまいとするのはこの年齢の子供として褒める事は出来ない。
青ずんだ灰色硝子の沙耶の瞳は、圭司の凝視の五秒程度でフラフラと彷徨い出した。
「アーァ……。えーと、外、暑かったし……山だったし、歩いたし……すこーし、だけ、疲れちゃった……かも?」
普段は仕事に忙しく、家や沙耶の事をきめ細やかに見れていない自覚があるだけに余計、圭司には少しの違和感も気にかかる。
宇良部の家の巫女として生まれた者は、確かに覚悟と自覚を叩き込まれはする。巫女だけでない。宇良部の家に生まれた者はみな彼女らを支える為、そして次代生まれ来るかも知れない新たな巫女をを支えるため、それぞれが覚悟と自覚を叩き込まれて育てられる。
圭司も同じ宇良部の家の人間としてそれなりの覚悟は出来ていたのだが、それでも今しがた叶えられた願いの代価、山ひとつが死に絶える様は、心穏やかに見ていられるものでは無かった。
実際にはいささか的を外れた心配を胸に見つめる先、圭司の妹の忘れ形見は背中を丸めて項垂れると情けなさそうな表情で伯父を見上げる。
「あー……あとね……沙耶ね、その、お腹……すいちゃった……な」
力のこもらぬ声での白状に、言われた伯父は二度、三度と眼を瞬かせ
「ああ」
と一声、ぺチンと音を立てて自分の額を叩いた。
円山家の人々と合流する前、彼らは軽い食事を摂る予定でいたのだ。それが果たせなかったのは、沙耶が用意していた巫女装束を身に着けるのを嫌がったせい。
『異能の巫女』と名乗ってはいても、宇良部の家は実は特定の神への体系立った信仰は無い。
巫女が仲立ちとなり超心霊的存在から力を借りると言う意味ではシャーマニズム……つまり、彼女らが古い時代に言う『巫』であることに間違いないが、沙耶の中で巫女装束とは神道における巫女とのイメージが強いのか、その装束を身に着ける事に強い違和感を抱いているようなのだ。
「だって、なんか……観光に来たガイジンっぽいんだもん。ほら、センソー寺とかで見るでしょ? あれ、和服すてきだけど、今日はそういうノリで私がこんにちはーって出てくの、嘘っぽくて変だと思うの」
コスプレっぽい───言われてみれば確かにその通りである。
もともと信仰あっての装束と言うよりは、それらしいからと言う理由での巫女装束。その肝心のそれらしさが期待出来ない以上、無理に着なれぬ衣装で山道を歩かせるよりも、彼女に似合う白いワンピースと歩きやすいペタンコ編み上げサンダルの方がマシだろうと話し合いで決めたのはいいとして、お蔭で一食食べはぐれる結果になった。
圭司は運転席に腰掛けシートベルトを締めると、ダッシュボードから蜂蜜入りののど飴の袋を出して沙耶へと渡す。
「とりあえず、飴でも食べとくといい。どうしようか……どっかその辺の店か、高速乗ってSAで食べて帰るか?」
「あー、ありがと圭司伯父ちゃん。えーとね、私、コンビニのおぎにりがいいな……」
カサカサと沙耶が個包装の袋を破りのど飴を口の中に放り込むのを確認し、圭司は自動車をゆっくりと発進させる。
「なんだ、おむすび? ……安上がりだな。国道沿いに松茸御前食べさせる店もあったのに」
「マフハケ……って何? 分はんない。ほれにねぇ圭司伯父ひゃん。もうお昼過ぎてるから今は午前じゃないんらよ」
「いや……その『ごぜん』じゃなくてだな……おい、お前今さっき『おぎにり』って言わなかったか? 沙耶……お前学校でちゃんと国語の授業ついて行けてるか?」
「えー……うん、平気平気。大丈夫あよ。あのねー沙耶ね、カリカリ梅のおひにり……おにひり? 大好ひなの。ほれにね、寄り道ひててお祭りに間に合わなくあると困う。今日、美鈴お姉ひゃんがお祭りに連れて行ってうれるって言ってたんら。お姉ひゃん、沙耶に昔着てた浴衣くれうって。うふふ」
『占者の巫女』である圭司の長女、美鈴は沙耶を可愛がっていた。
その可愛がり方には人形を愛でる子供のような雰囲気がないでもないが、沙耶本人も七つ年上の従姉を慕っている。
バックミラー越し、口中に飴玉を転がしながらニコニコと笑う沙耶の顔色が先ほどより良くなっているのを確認しながら、圭司はふと口許を緩めた。
「そうか。じゃあコンビニ寄ったら急いで帰らないとな」
「うん。ねえ圭司伯父ひゃん、コンビ二に虫刺はれのお薬あるかな? さっきの山でカニに刺されへ足首が痒いの」
「え? カニに、刺された?」
「うん、カニに刺はれた」
「いや……沙耶、それは蟹じゃなく蚊じゃないのか。カニはあれだよ。スコーピオ……いや、キャンサー……? は、癌? かに座? いや、そうじゃなくて……ええと、ああ! クラブだ。チョキチョキ爪のついたクラブ」
「あー。crabe! カニカマ! 沙耶カニヒャマ大好き」
「カニカマって……いや、まああれも確かに蟹っぽく作ってあるけど。なんだ愛花、蟹食べさせてやってなかったのか」
「えーカニは食べられないよ。刺ふよ! うぐっ……ぐふっ!」
「飴玉舐めながら喋るから……っ。大丈夫か、沙耶!?」
「らいりょーぶ」
伯父と姪とは車中に騒がしくはしゃぎながら帰路に着いた。
沙耶の韜晦を許したことを圭司は気づかなかったが、帰国子女である沙耶の言語の乱れは許されず、『異能の巫女』には学習塾での国語能力の研鑽が圭司によって課されたのであった。