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魔女\巫女  作者: jorotama
異能の巫女
2/17

2

 緑に染まる山中、耳を聾する蝉しぐれを割り幼い少女の声が問いを発した。


「……本当に、いいの?」


 と。


 淡いピンクのリボンが飾る鍔広の麦わら帽子が作る影の下、年齢相応の造作が泣きそうな表情を作っていた。

 白いワンピースに麦わら帽子。帽子のリボンと同じ色の淡いピンクの編み上げサンダルの細い足には、愛らしい外見にそぐわず活発なやんちゃさを示す絆創膏が一つ。


 一体だれがこの目の前の少女の姿を見て異能の力持つ『巫女』だと思うだろう。

 先祖代々この一族とのゆかりも深い円山えんざん玄蔵でさえ世話役の連れて来た巫女を目に、彼女がかの(・・)宇良部うらべの一族で最も力持つ異能の巫女である事を俄かには信じられなかったほどだ。





 この国が『日本』を名乗る前の古い時代から、卜占ぼくせん、卜術をもって生業とする卜部うらべ氏は各地に幾つも存在していた。

 上古から鹿島神宮に仕える卜部は、大宮司職を世襲する中臣なかとみ姓鹿島氏として現代に後継を残し、伊豆、対馬、壱岐の有力な卜部氏は朝廷の神祇官として役職を担い歴史にその足跡を残している。

 彼らを始め国内の殆どの卜部氏を日の当たる卜部氏族するのなら、この少女が受け継ぐ卜部の血は、あまりに際立つ能力ゆえ時の権力者の手により存在を隠された陰の卜部氏と呼ぶのが相応しいだろう。


 ことわざに言う「当たるも八卦当たらぬも八卦」との言葉は、彼女ら宇良部の『占者の巫女』には当てはまらない。

 亀の甲羅や獣の骨を焼いて行う亀卜や太占を使う事なく、被占者から特殊な代償を得て占者の巫女が占う未来は、確実に訪れる現実(・・・・・・・・・)のみであり、占者の巫女が占う過去は確実に存在した現実(・・・・・・・・・)のみである。

 占いと言う言葉に含まれる曖昧模糊さを『占者の巫女』は決して許さず、彼女達に読み解かれる過去と未来は100%の真実以外の何物でもない。


 そんな『占者の巫女』を排出する血筋だけでも国の内外に秘匿される理由に十分であるのに、この一族───宇良部うらべの血は、時に占者の巫女以上の能力を持つ『異能の巫女』をもこの世に顕現させてしまう。

 『異能の巫女』の力……それは、願いと等価の代償と引き換えにあらゆる願い……世の理たる人の生死さえ覆してを叶える、人間ひとを超越した異能の力───





「本当にいいの? 取り返しはつかないよ……?」


 珊瑚朱の唇をへの字に歪めた幼顔に再度問われ、玄蔵は異能の巫女たる少女の容姿に我知らず緩みかけていた現実への認識……心のたがを締めなおさねばならないと、胸の中で己を叱責した。

 彼には巫女の能力を借りて救いたい命がある。壮年を越えてから生まれた一粒種。可愛い娘が一目惚れからはじまる大恋愛の末、婿養子を迎え入れたのは十五年ほど前の話。

 望まれつつもなかなか子宝に恵まずいた娘夫婦に待望の跡取り息子が生まれたのは八年前で、運悪く一人娘が婦人科の病に子宮を全摘したのはその翌年。

 正真正銘円山家のただ一人の跡取りとして祝福されて生まれた孫は、成人までは生きられないと医師に宣告されるほどに身体の弱い男児だった。

 玄蔵の時代であれば『腺病質』とでも表現しただろうその虚弱さは、小さな身体多岐に渡る不具合を連鎖的に併発させ、もともと弱い子供の健康を痛めつける。

 日本が「やまと」を名乗る頃から続く円山家の後継と生まれ落ち、国内外最高水準の医療を受ける人脈と経済状況に恵まれながら、玄蔵の孫はその恩恵に浴す強さすら持ってはいなかった。


 もっとも弱く問題ある臓器は心臓。その移植は国内ではほぼ行えず、だが国外へ旅立つだけの体力も培えないまま悪戯に時が過ぎ、身体の成長に伴う臓器の負担にギリギリに命を繋いで今が限界。ただ一人円山の家を継ぐべき正嫡は今にも黄泉路へ発とうとしている。


 少女から玄蔵の視線は、共にこの場へ臨んだ娘へと向いた。

 彼女が身に着けたペパーミントカラーのサマーニットは、彼女の年齢に相応しい上品な開襟タイプ。繊細な透かしの模様が入ったそれは本来肌うつりの良い色である筈だが、三十路の半ばを過ぎた瑛太の母、玄蔵の娘の肌の色は酷くくすんだ色をしていた。

 それも道理。一人息子が生まれてこの方ずっと生死の淵を漂い続けているのだ心労が溜まらぬわけが無い。

 一目惚れから強引に結婚に至った経緯を持つ娘家庭にこのところ不和が目立っているとは、玄蔵の耳にも届いていた。

 身体の弱い子供を産んでしまったとの負い目もあるだろう。家庭外に安らぎを求める夫に強く出る事も出来ず、一子瑛太をかすがいにと心に縋り、いましも消え果んとする命の灯を見守る日々にすり切れ、娘時代には玄蔵翁の手中の珠、円山の美姫と讃えられた面影も、今は虚しい有様だった。

 

 『異能の巫女』は死人をも蘇らせる力を持つ……とは、円山家のように力ある古い家系の知る人ぞ知ること。

 親馬鹿であるとは承知。そして娘の産んだ後継たる孫可愛さ。異能の巫女にどんな代価を求められたとしても、孫を救いたいと玄蔵は思った。

 瑛太が健康を手に入れれば娘の心痛は消えるだろう。ひょっとしたら冷え切った夫婦の仲も元に戻り、今は疲れと不安に曇った顔にかつてのような朗らかな笑顔を取り戻してくれるかもしれない。

 だから彼は、近年久方ぶりに『異能の巫女』の誕生をみたと囁かれていた宇良部家への縁に頼った。


 『異能の巫女』がまだ年若い少女であることは事前に知らされていた事。その幼さを理由にこの儀式の機会を一年も待たされていたのだから、忘れるわけがない。だが円山玄蔵らの前にいるのは孫と恐らく同世代……まだ十歳とおにも満たぬ子供。しかも、その白皙の顔立ちや髪や瞳の色を見るに異国の血混じりの娘らしいとなれば、普段は冷静な老人も驚きもする。


 宇良部の『占者の巫女』には玄蔵も幾度か対面したことがあった。彼女らはみな黒髪に鳶色の瞳、黄味を帯びた白肌を持ち、いにしへの神秘を扱う者らしく古式ゆかしい巫女装束に身を包んだ女性であった。それが儀式の待ち合わせの場所に訪れてみれば、現れたのは幼い少女。

 ワンピースの背を半ばまで覆い、渦を巻く茶を帯びた明るい灰の髪の色。青ずんだ灰色硝子の色をした瞳の愛らしい顔立ちは、西洋人形を想起させる。そんな少女が玄蔵の孫を、死の運命から救うなど現実の事と思えないのも当然だろう。


 ……実際、まともな頭で冷静に考えてみれば狂気の沙汰に違いない。人の生き死にまでもを動かす能力など、三文小説の中の幻想。もしも宇良部の『占者の巫女』を知ら無い者ならば、どんな世迷言かと眉を顰めるか一笑に付すかどちらかの話。


「……孫の命が助かるのなら、この老いの命も差し出す覚悟は出来ております」


 狂気のかけらも無く、巫女の力を信じる老人は少女の前にこうべを垂れた。

 巫女の世話役の男の腕には円山玄蔵の孫、瑛太が毛布に包まれ抱かれている。

 普段は病院のベッドの上に生命維持の為の装置に繋がれ横たわる少年は、呼吸の補助も輸液も無く、死相あらわに微かに喉を鳴らしていた。

 生まれつきにひ弱い身体は既に命を繋ぐ限界を越え、医療機器から切り離された今はただ、死の淵を滑り落ちる途上。


「あああ……瑛太。父さま、瑛太が……瑛太が……っ」


 やつれ細った両の手を揉み絞り、土気色の肌で小さく痙攣する少年を目の前、狂乱を抑えきれないその母親が老父と少女へ縋る目を向ける。

 もう後戻りなど出来ないのだ。

 巫女の外見や幼さを理由に現実感の薄さにふわふわと漂う余裕など老人には無かった。


「おじいさんの命はいらない。……それじゃあ足りない(・・・・)から」


 と、少女は言う。


「そう、ですな……」


 と、応える玄蔵の顔には微かに苦い色が浮かんだ。


 宇良部の『占者の巫女』に行く末を視る占いを依頼するには、代価を支払う必要がある。

 それは占の礼に支払う金銭とは別で、未来さきを視るのに必要な代償なのだと彼女らは言う。

 支払われるべき代償は巫女個人の能力によって微妙に違うが、『占者の巫女』への依頼であれば、大概の場合は己の記憶か寿命と相場は決まっていた。巫女の言葉によればそれは、未来の時間を手繰り寄せる為に必要なかてであるのだとか。

 結果が曖昧な世間の占いとは違い『占者の巫女』の能力は未来視(・・・)と称するべきものであるようだった。

 被占者が得たい情報が未来であれば未来である程に、支払うべき代償も大きくなる。

 この度『異能の巫女』が請け負ったのは、死ぬべき運命にあった少年の健康体での延命。

 人一人を病魔と死の顎門あぎとから救い出すには、未来さき読みの占いなどとはくらべものにならない莫大な代価が要求される。


「では、お約束通りこの山一つ。命のかたとして、どうか……どうか孫をお救いください」


 ───望むモノと同じだけの価値あるモノ。

 それが『異能の巫女』から彼が提示された代償だった。それならば……と円山玄蔵の脳裏に真っ先に、そして唯一思い浮かんだのが、この小さな山。


 古い古い昔からこの地を治める円山家は周囲に幾つもの山林を所有しており、現在の財の礎はその山林にある。

 今現在彼らのいるこの山は人の手の入らぬ自然の植栽を保っているが、周囲を取り囲む山々は、桧や杉など木材生産を目的とする植林がなされていた。

 代々円山えんざん家はこの山地から富を築き、国内木材生産が斜陽となる数十年前、玄蔵の采配のもと木材から貿易へ企業の主部門を移行するまでは、近辺の山々から伐採と搬出の喧騒が途切れる事なく聞こえていた。


 人工林の山並みの中ただ一つぽっかりと自然林に覆われたこの山は、円山家にとっては特別な場所だ。

 広大な所有地をぐるりと見渡す中心地であり、ここには代々当主が家の末永い繁栄と山々の安全を祈って守った祠が一つ据えられている。玄蔵の少年時代にはこの山中に小さな別荘があり、しばしば祖父や父の狩猟の供に駆り出されて訪れたものだった。

 撃った雉は母か祖母が手ずから羽をむしって捌き、誂えられた料理が食卓を飾った。

 笑顔と会話の溢れる和やかな夕餐の記憶が老いの胸へと蘇る。恐らくは父や祖父、その前の世代の男達も同じようにこの場所を大切にし、この場所に幸せなひと時を過ごした筈だ。

 その別荘も今は取り壊され、切り開かれた林間の空き地が昔日の面影を残すだけになっているのだが、年に数度祠の世話に訪れるため山道は整えられ、かつては庭の一角にあった祠の周囲も雑草が綺麗に刈り取られている。


 円山家の一族にとって、ここは繁栄の根幹をなした場所であり、心の故郷とも呼べる聖地だ。

 だがきっと、たった一人の孫を……円山家の唯一の後継たる男児を生かす為ならば、祖霊もこの美しく命溢れる土地を差し出すことを許してくれるに違いない。そう信じ……いや、そう信じようと(・・・・)決め、玄蔵は自分の命よりも大事にしていたこの山を孫の命の代償として巫女の手に委ねる決意をしたのだった。


「父さま……父さまっ。瑛太が……瑛太が……っ」


 巫女の世話役として同行する男の腕に抱かれた少年に取りすがり、女が泣きながら自分の父と少女へと助けを求める声を発する。


「巫女どの……っ」


チアノーゼにより唇を紫色に変じさせた少年の顔が毛布の中から覗き、酸素の欠乏に力なく唇を痙攣させながら光の無い瞳を少女へと向けているのを目に、玄蔵もまた縋る表情を彼女へ向けた。


「そう……本当に、いいんだね。……わかった」


 在りし日の庭、林間の空き地で少女は老人とその娘らを泣きそうな顔で見ながら頷く。

 少女は空き地の外れから一本の枯れ枝を拾いあげると、地面にガリガリと一本の曲線を描き始めた。

 空き地の一角に集まった人々を取り囲むように描かれたのは、よれていびつな円の形だ。


 線の端と端を合わせ閉じ、円の内と外とを区切り分け、『異能の巫女』は顔を上げて一同を見る。


「大丈夫。この山の命をもらうから、死んでも(・・・・)生き返えらさせられる(・・・・・・・・・)」


 語りながら自分も円の中へと踏み入る少女の瞳は、透き通った灰色の硝子。

 今しも泣き出しそうに見えていた表情は消え去り、今は感情の見えぬ顔で老人と少年の母を静かに見つめた。


「……今からこの山はその子の代わりに死ぬよ」


 描かれた円の中から出てはいけない。出たら死んでしまうから……と、少女……『異能の巫女』が告げた瞬間に、空き地の中を冷たい風が吹き荒れた。


 夏の盛り。山の中とは言え汗ばむ陽気。

 そんな中を吹き抜ける湿度を含んだ冷たい風は、夏の驟雨しゅううの予兆にも似て。

 ……しかし決定的に違うのは、空の明るさ。

 遥か遠くに入道雲は望めるけれど、彼らを取り巻く景色は晴天のまま。冷たい風がゴゥ……ゴゥ……と吹きすさび、雲の影さえ差さぬままに空が決壊する。


 明るい空。蝉しぐれ。虫の音、野鳥の鳴く声。

 視界の中に溢れかえらんばかりの緑はこの山のあまたの命を内包し、豊かにこの場に存在した。

 ───そこに、雨が降る。姿の無い幻の雨が、明るい視界を歪めながら、一滴の飛沫すら飛ばすことなくザァァアァ……と。

 天の底が抜けたかのような轟音が人々の耳朶を打つ……いや、打つように感じられたが、実際には何の音も無かったかもしれない。ただ、皮膚を震わす豪雨の気配だけは確実に一同も感じていた筈だ。

 その場の人々の感覚を狂わせながら降ったのは、死の雨。


「その子が歳を取って死ぬまでの間は、草も木も生えない。虫も生きられない」


 蝉しぐれも無く、木の葉のざわめきも無く無音。

 『異能の巫女』が言葉を発した時には、既に彼らの周りの世界は一変していた。




2004/10/12

第二話と第三話を統合

内容に変更はありません

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