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魔女\巫女  作者: jorotama
石長姫巫女
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7

 蔦子はじめ年輩者が多い宇良部本家の朝餉は、油気の少ない菜食中心の献立になっている。

 ワカメと豆腐の味噌汁に青菜のお浸し、山菜の煮しめ、茄子の瑠璃漬けとアジの干物。

 成長期の美鈴と沙耶の膳にはこの他に卵焼きと炒めウインナーの皿がプラスされている。

 巻き目に香ばしい焦げ色をのせた甘い卵焼きをおおいに楽しんだ沙耶は、美鈴と並んで洗面所での歯磨きを済ませると午前の内に訪れる客人に備えて巫女装束に着替えに行くと言う従姉みれいと別れた。

 しばらくの間は屋敷の中をうろついたり借りて来た伝記をパラパラめくっていたが、それにも飽きて一人宇良部家の廊下を玄関へと向かって歩いて行った。


 長の年月人の足が行き来した廊下は古色を佩いて、その時代時代の女らの手により丁寧に磨き上げられ艶を帯びる。

 沙耶が広い三和土を持つ玄関の靴入れから自分の靴を取り出した時


「あら沙耶ちゃん、もしかしてお外に出るとこ?」


 と、声を掛けて来たのは、今この時代の廊下の清潔とその艶の担い手の一人である蔦子刀自の孫、秀子だった。


「うん。昨日イワナガ姫巫女にね、私の玩具(オモチャ)見せるって約束してたの思い出したから」


 孫と言っても高齢の蔦子の孫となればそれなりの年齢。巫女の能力を持たない秀子は宇良部本家の縁の下の力持ちとして家事や雑務を取り仕切る。今朝沙耶が美味しく食べた甘い卵焼きもまた、彼女がそのふっくりとした器用な手で焼いた物だった。


「あ、秀子おばちゃん……私のお洋服のケチャップ……」


 今現在は家に子供の年代の者が存在しないせいもあり、大人達は若い巫女二人……殊に、親を一度に亡くした沙耶に甘い傾向がある。

 昨日もオレンジ色のシミを盛大につけた衣服の洗濯を秀子は「あらあら」と嫌な顔一つなく笑いながら、頼もしく引き受けてくれていた。


「うんうん、大丈夫。食器用の洗剤でシミのとこちょちょっと揉み洗いしてから漂白剤かけたからね。ちゃんと綺麗になってるわよ。安心して。……んー……そっか。沙耶ちゃん石長姫巫女様とのお約束があるのねぇ」

「? ……うん。あの、お外……行っちゃダメ?」


 ワンピースの白さの復帰報告は喜ばしいが、秀子の言葉尻に普段にはない歯切れの悪さを感じ、沙耶は小首を傾げてこの親族の女を見上げた。

 客人を迎える為に着替えたのだろう、年齢相応に人間としての幅が物理的に出た始めている身体に盛夏らしい絽の着物を付け、数筋の白髪が混ざる髪を柔らかく結い上げた秀子の姿はしゃん(・・・)としてとても上品だ。

 

「あぁ……ううん。そんなことないんだけど……まあ、沙耶ちゃんまだ小学生だものねぇ。たぶん向うに丁度いい歳まわりなの美鈴ちゃんだろうし、おばあ様は何もおっしゃっていなかったし…、今日は正式にってわけじゃないんだから石長姫巫女様がお待ちなら、そっちに行った方がいいかしらね……?」


 ふっくらとした頬に手を当て口中小声で何やら呟きながらも秀子は石長姫に会うため野外を通る沙耶の腕や脚元、首回りに蚊除けのスプレーをたっぷりと吹きかけ、ついでに一度台所に戻って持って来た冷たい麦茶入りの魔法瓶を手渡すと、麦わら帽子の少女を


「いってらっしゃい」


 と、一声かけて送り出した。





「んー。……なんか、変」


 花期を終えて綺麗に刈り込まれた丸い緑のフォルムを見せるサツキに、梅、真夏の日差しにますます緑を濃くした松などの庭木の枝間をカサカサとくぐりながら、沙耶はどことなく普段とは違う屋敷の人々の様子に首を傾げる。


「う」


 首を傾げた拍子、麦わら帽子が引っかけた蠟梅の小枝がパキリと嫌な音を立て、ついで、振り回していた手提げ袋が中身(おもちゃ)と共にドウダンツツジの葉を盛大に散らした。


「ぎ……ぎりぎりセーフ?」


 折れてぷらりと垂れ下がった蠟梅の枝は沙耶がそっと伸ばせば殆ど元と同じ角度に戻ったし、魔法少女変身スティックが落ちたのは柔らかな庭土の上。ドウダンツツジの方は幸い葉が散っただけで枝までは折れていないようだ。

 拾い上げた玩具は小石一つなく整えられた庭土が衝撃を吸収してくれたらしく、表面に多少の土がついてはいたが、念のため押したスイッチに応えてキラキラしい変身SE(サウンドエフェクト)を再生した。


 玩具は壊れていない。

 麦茶入りの魔法瓶は肩から斜め掛けにしていたので落とさず済んだし、蠟梅の枝は折れはしたが折れているようには見えなく出来た。この分ならなんとか原状復帰は出来そうだ……と、沙耶はおろしたてのシャツワンピースの裾が地面に着くのもおかまいなし、その場にしゃがみ込んで不自然に散らかった木の葉を手の中に集めながら中断した思考を再開させ、なんとなく胸に覚えた違和感の正体はいったいなんなんだろうかと、今朝の屋敷の様子を思い出す。


 『占者の巫女』として客人を迎えるのに巫女装束になる必要があると言っても、普段よりやけに早く美鈴が部屋に引っ込んだのはどうしてか。

 秀子の和装もなんとなしいつもよりオシャレ度に気合いが入っていたような気がする。


 沙耶が伯父の家に引き取られて半年。日本で暮らすようになってからも殆ど同じくらいの期間しか経ってはおらず、この屋敷に滞在した期間もそれほど無いが、彼女の覚えている限りいくら客人───巫女への先読みの依頼の主が訪れると言っても、今日のようなどこか浮足立ったような落ちつかなさなど宇良部本家には無かった筈だ。

 この家の連綿と続く歴史の中、客人は訪れ、巫女は求めに応じて過去や未来(さき)を読む。それを淡々と繰り返しているのだから、これは普段通りではない何事かがあるせいだと考えて良いだろう。

 普段とは違うことと言って沙耶が思い出すのは、『占者の巫女』への依頼者として訪れる者の中にこれからはぽつぽつと孫や息子等の同伴者があるだろう……と、蔦子が言い出したこと。


 ……なんか、あれから美鈴お姉ちゃん変な感じだった、かも……?


 それは朝食時の事だったのだが、美鈴はそれを聞いた途端につまみ上げていたウインナーを箸から取り落し、普段は自分に出された物を残すような真似はしない彼女には珍しく、膳の上の物を食べきることなく朝食を終えてしまった。

 甘くておいしい卵焼きは沙耶がもらい受け、美味しく戴いてしまったのだが、そんな従姉の様子を見守っていた達郎も思えば嘘くさいほど穏やかな目をしていたような気もしている。

 その視線には沙耶も覚えがあった。

 例えば彼女が間違った日本語や言い回しを愛花に教えられ信じ込み、気に入って多用している時の父、ケネスが沙耶に向ける生暖かい『見守る』視線。

 大人が子供を「子供らしくて可愛いものだ」と言う余裕を持って見つめる時の、あの生暖かさが達郎と……それからいくぶん秀子の目にも表れていたような気がする。


 しかし分からないのは、その理由(・・)だ。

 そんな目を美鈴が向けられるのは何故なのか。


「うう……なんか、よく分かんないから、まあ……うん、いっか」


 場の雰囲気に敏感な沙耶にしても、巫女の客人が息子や孫を伴い訪れるその理由を察するのにはまだ幼過ぎ、無知に過ぎた。

 あっさりと思索を放棄し、早朝から達郎が木の葉一枚見逃さずに掃き清めた庭の原状復帰……自分が散らかしたドウダンツツジの葉を拾い集めながら呟く沙耶の耳に、屋敷へと近づいてくる自動車の走行音が聞こえて来た。

 しゃがんだまま顔を上げドウダンツツジの陰から透かし見れば、私道を抜けて駐車スペースのある裏手へ向かう銀色の大きな自動車が一台垣間見えた。

 昨日達郎から聞いた予定時間よりやや早いが、恐らく今日最初の『占者の巫女』への未来(さき)読み依頼の客人が訪れたのだろう。


 大谷石に御影石を刻んだ表札を掲げた大きな門柱を潜り抜け、シルバーメタリックのセンチュリーが敷地内へと入って来た。

 途中、竹垣に視線を遮られて既に車体は見えなくなったが、タイヤが敷き詰められた玉砂利を弾く音から察するに、玄関へと続く飛び石の前にゆっくり減速しながらクルマは停車した様子だった。


「ええと、……孫とか……息子?」


 どうやら美鈴が落ち着きを無くした原因であるらしい訪問客の連れ、孫や息子等と言うのはどういう人間なのか、それを自分も見てみようかと沙耶はドウダンツツジの陰から立ち上がりかけたのだが、挨拶や紹介やらの為に畳の部屋で正座をさせられるのでは……との警戒心が好奇心に勝り、沙耶はしゃがんだまま後ろへとにじり下がるとガクアジサイと石灯籠が作る死角へ回り込む。


 ……秀子おばちゃん、イワナガさまのトコに行っていいって言ったし……足、ジワジワと痺れちゃうの苦手だから、いいよね。


 運転手がクルマから降りてドアを開け、飛び石と玉砂利を踏む音が二人分玄関の方へと移動してゆくのを聞きながら、沙耶は身を縮めるように庭から屋敷の裏へと回り込み、裏木戸を抜けると屋敷の裏手の小道を進んで行った。


 屋敷の前面から見るとその背後に控えるように広がる竹林は宇良部家の私有地で、達郎や地域の人を雇っての手入れもマメになされているために下草も殆ど無く、青々と美しい節目を見せる竹林の小道は明るく歩きやすい。この道を辿った先にはポツンと土蔵が建っており、それこそが宇良部家の祀る『神体』の御在所である事は近辺では知られた話であった。


 度々補修や修繕の手を入れられている土蔵は古いが表面の漆喰もまぶしく、戦後に行われた改装で、現在は『土蔵』には本来ありえない窓が一つ側面に設けられている。


 きちんと油が差された金属の扉は鍵の一つも掛けられてはおらず、子供の手でも容易に開く。

 蔵の中を見通す窓を設け、こうして無防備に『ご神体』が扱われるのは逆説的な防犯の意味があっての事。

 土蔵の中にあるのは、きらびやかな細工の神像でも名のある仏師に彫られた仏像でも、神社に祭られるような宝刀や大鏡、ましてや磨かれた玉や法具などですら無く、この家の者以外には無価値な代物であると心無い人間の目にも明らかに分かるよう見せつける為。


 窓からの採光と扉を開けて差し込んだ陽光に晒されるのは、土蔵いっぱいに鎮座する大きな岩が一つ。

 ところどころ苔が生した大岩には太い注連縄がぐるりと巻かれていた。


「イワナガ様、おはようございまーす」


 軋み一つ立てず開いた扉から土蔵内へと入った沙耶は再び軋みも無く扉を閉めると、挨拶の言葉を口にしながら内側の扉際にある室内灯のスイッチを押して大岩へと向き直る。

 ちょうど土蔵の側面にある窓とは岩を挟んで反対側。そこに、まるで岩から湧き出すように小さな光珠(オーブ)が漂い出て、音も無く渦巻きながら寄り集まると、ボウ……と、大きな塊となった。

 瞬きの二つ三つの間に、それは仄光る一人の女の姿を形作る。


 天井からは蛍光灯の灯り。

 窓から差す日の光。

 その二つに照らされて尚、大岩の傍らに立つその女の姿がどこか現実感を失した雰囲気を漂わすのは、彼女の塗りの(くつ)に包まれる両の足が砂に満たされた土蔵の地面を踏んでいない為なのか。それとも、フワフワと宙に漂う領巾(ひれ)()と言った現代では見ないその装束のせいなのか。


 宇良部本家の聖地におわす、大岩に宿りし古の御霊。

 石長姫巫女(いわながひめみこ)

 そう呼ばれる存在(モノ)が、自分の遥か末の末裔の少女の前に目を細め


「沙耶か。よく参った」


 と一言。

 赤い唇に笑みを刻み、浮かんでいた。


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