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宇良部本家の邸宅は地方都市の繁華な土地から外れること暫し、街中を生業の場とする人々の住む住宅地を抜け更に山沿いへ向けクルマを走らせ農地と緑が交互する辺りに存在している。
屋敷の背後に控える里山は自然林。最も緑濃いこの盛夏の時期の雑木林と、通年軽やかな緑色をした竹林の混在に包まれる屋敷建物は大きく、敷地面積は更に広大だ。
だが公道から辛うじて自動車の一台が通れる程度の細い私道の果て、そんな立派な家屋敷の存在はそれを知悉している人間でなければ思いもよらないに違いない。しかも宇良部家へ至る道は私道であり、公道から私道への入り口は金属性の門扉で隔てられていた。
別段公に侵入が禁止されているわけでもないが、大概の人間は用も無くクルマを降りて態々門扉を開ける手間などかけはしない。だから市街地からそう遠くないにも係わらず、屋敷の周辺はまるで喧騒とは無縁で人里離れた場所のような静けさにある。
空の青と周囲の緑をシルバーメタリックの車体に映し、センチュリーが一台、宇良部家へと至る私道の入り口へと向かっていた。
寡黙な運転手がハンドルを握る安定した走行の車内、後部座席に腰を下ろしているのは神代家の祖父と孫の二人。
古い時代から密かに続く『巫女』の血筋の大もと。この国の政治と経済の根幹をなす古い家系に庇護される異能の一族の本家となれば、どれほどそれらしい邸宅を構えているかと思えばさに非ず。敷地は広く家屋敷自体は大きいが、その外観は田舎の土地には割とありがちな豪農の邸宅の様相を呈する。
見た目に違わずその内実も宇良部家は土地持ちの名主の一族として昔からこの一帯に知られていた。
ただこの周辺の人々が知る宇良部家の他の豪農との違いと言えば、彼の家には珍しい古い神が祀られているらしいと言う事と、その世話を許されるのは女性だけであると言う事の二つだろう。
そのため宇良部家は代々女性家長制度を取っているのだと言うのが一帯の人々の認識だ。
如何に複数の有力者達に庇護されていようと一族全てが余人との交流の一切を排して生きるなど出来る筈も無く、だからこそ表面に見える部分には周囲をそれなりに納得させるべくこのような理由づけがなされている。
その甲斐あって、時折お偉方が宇良部の家を訪れるのも宇良部家が祀る神を拝しにだと周囲の人間は解釈していた。私道への入り口に門扉を設けているのもまた、どこからとも無く訪れる高貴な血を引く客人らの姿を人目に触れさせぬようにとの気遣いからだろうと、土地の古い住人らはそう受け取っている。
権勢ある複数の家による庇護の他、当たり障りの無い事実と虚偽。これらに護られ、宇良部の家はひっそりとこの現代日本に長らえているのだ。
───晴樹が知る宇良部家とは、自身の生家神代家を始めこの国で古くから権力を持つ家の者達が庇護する代わり、庇護の対価として庇護者達の家が歴史の流れの中に埋もれ消える憂き目を見る事無く、今の世にも確固とした権勢を誇れるように、過去や未来を見通す能力を持って導く巫女の血脈……と言うものだ。
神代家を継ぐ男児として生まれた晴樹は、物心ついた頃からかの一族とその一族がら生まれる『巫女』についてことあるごとに聞かされていた。
晴樹にとって彼ら神代家が庇護の一翼を担い、かつその能力を借りて恩恵を得る相手宇良部本家は、いずれ必ず訪れなければいけない場所ではある。ただ、その訪問はまだ幾年も先の話だとそう漠然と思っていたのが一転、次代の神代家当主である父ではなく自分がこのたび祖父に随伴して向かう事になるなどとは、彼にとって思いもしないことだった。
膝の故障が原因でずっと打ち込んで来たテニスを休止せざるを得なくなり、確かに晴樹には暇があった。だが、遠謀深慮。常に未来を見据えて動きを決める祖父が、意味も無く彼に同行をもとめるわけが無いとも思っている。
「祖父さん。どうしてここにオレ、連れて来た?」
迂遠な探り合いなど、この場合は時間の無駄と判じられだろう。そう状況を見切り、ストレートに問いを発せば
「今の宇良部には、お前と歳周りの見合う若い巫女がいる」
……と、晴臣は老い顔に悪戯めいた笑みをよぎらせた。
「それって……」
どう言うことなのか……などと問うほど少年は愚かではない。……ないのだが、ならどう言う反応をすれば良いのかの最適解を持つほど晴樹は人生を熟していなかった。
困惑と反発の狭間で言葉を戸切れさせた孫の青さに祖父は笑みを深め、少年を惑わす悪戯心をここまでと打ち切った。
「まあ……そこまで深く考える事も無い。お前にはまだまだ先の話だ。この先の人生で出会うだろうお前の嫁候補がちょっと増えた……そのくらいの気持ちでいればいい」
晴臣は若すぎる孫を慮ってか軽く言うが、万に一つの期待もなければそもそも晴樹を同行させようとはしなかったに違いないと晴樹は思う。
春からこちら彼の周りは女の子達で騒がしくはなっていた。だが、付き合う付き合わないの段階を越し、『結婚の相手』としてこれから会う異性を考えろと言われても、先ず現実感が湧かなかった。
親や家が決める結婚なんて時代錯誤も甚だしい。
そう心の底から反発するには彼の生家、神代の家は軽くない。
恋愛結婚だと言う晴樹の両親にしても結局のところ、家が認めた相手だからこそ互いの恋愛対象となったのだとの理解があり、恐らくは自分も同じように将来の相手を得る事になるだろうと言う漠然とした未来予想も晴樹にはあった。
だがしかし、だからと言って素直にそれに従うのも現代に生きる中学生にはまた難しい。祖父とてそれを理解しているからこそ晴樹に対して軽い言い方をしたのだろう。
「……理解った」
肯定と否定の狭間。是でも否でも無いそんな言葉を晴樹はなんとかひねり出す。
晴臣はまるでここまでの流れを予想していたかのように穏やかに笑んだまま一つ頷き、自分の意図した以上に物事を閉塞的に重く考えていると思しい孫に対し、追加の情報を提示した。
「巫女の方にしろ、神代じゃなく他家にも歳の合う男は何人かある。相手方も恐らくその程度の見方をするだろうしな」
「……そう、なんだ」
宇良部の家とそれを庇護する家の間には、これまでの歴史の中で幾度となく婚姻関係が結ばれている。
あの家の血統の性質を考えれば下手な家と縁を結ぶわけには行かず、かと言って分家、本家の内部で婚姻を繰り返せばやがて血が凝る。
事実、濃すぎる血が望まぬ結実を見たことも遥か過去にはあったと言う。
血を凝らせず存続させる為の庇護。そう言う意味でも、宇良部と神代家ら複数の家とのかかわりは続いて来ている。
被庇護者と庇護者の関係が結ばれた当時、神代や円山など複数の家がその庇護の座を得た理由の一つが血の問題だっただろうと晴臣は考察していた。
その時代は日本……いや、まだ日本が日本と名乗る以前の古い時代だ。宇良部の家は立ち回り次第では国家の最高権力者たる皇家にその庇護を求める事も出来ただろう。だがそうはせず権勢持つ複数の家に庇護を求めたのは、皇家の傀儡として自由の無い未来ではなく、ある程度の自由と安心して血脈の中に取り込める外の血を欲した為ではないだろうか、と。
庇護者を複数にすれば相互監視……有用な巫女の能力をどこか一家が占有しないよう互いにけん制し合う空気が生まれる。宇良部の家はそんな均衡の中心にあって時折彼らの血を取り込みつつ、今の世にまで健全な状態に血を護りつつ存続している。
「そう。……円山のところの孫も先日『異能の巫女』の力で命脈を繋いだとか。たぶんあれも年齢からすれば候補の一人になる」
───否。それとも、特異な能力を発現させる血を持つがゆえ、賢くならなければ生き残れない一族だったと言う事だろうか。
「円山って」
円山家の後継である少年がどういう状態にあったか聞いていた晴樹の口から、驚きの声が漏れる。
晴樹はいま改めて宇良部の家の『異能の巫女』の持つ恐るべき能力この世の理すら歪めるその干渉力の絶大さを思い知らされていた。
「……お前も円山のところのも長子だ。宇良部に入り婿などあり得ないし、別居婚となれば向うにとって候補の一人ではあっても有力候補とは数えられん可能性もある。……あれは賢い一族だからな」
だからそれほそ重く考えず、軽い気持ちでいれば良い。
そんな言い方をする祖父に対し、晴樹が
「とりあえず……縁がありそうなら、前向きに考えるよ」
と、先ほどよりも気持ちの上で一歩踏み出した言葉を返したのは、宇良部の巫女の力に対する脅威を覚えたからこそだ。
個人の感情などは脇に置いてでも宇良部の家とはなるべく強い縁を築くべき。いまの世に異能の巫女が存在するなら……殊更に。
まだ若いとは言えそこは千年を越えて続く神代家の長子として生まれ、育てられて来た少年だけあって状況を見る能力は持っている。
晴臣は年齢相応の緩みを俄かに薄れさせた孫のさまに、満足と寂寥を感じながら視線を車窓の景色へと移した。