第4節「霊能力者と超能力者/その3」
ホームルーム終了のチャイムが鳴る。
それと同時に教室から一目散に駆け出した。理由は、急いで美百合先輩の元へはせ参じねばならないからだ。
「放課後に少し時間もらえるかしら?」
そう言われたのは昼休みのこと。
無論、美人の先輩のお誘いを断るはずがないじゃないか。
もしかして、これはデート? そう思うと「グヘヘ、ヌヘヘ……」などと、いらぬ妄想を掻き立てられちまう……まっ、これが男の性欲ってヤツさ。
思えば、美百合先輩と出会ってからいろんな事があった。手や顔、さらに胸まで触っちまって、正直これ以上ないぐらい猛烈に幸せだぜ。
じゃあ次はお尻と来てまさか……いやイカンイカン。いくら先輩がカワイイからって、あれこれとエッチな行為をすれば、信頼されなくなっちまうじゃねえか。
俺は次々と沸き上がる妄想を振り切り、二階から降りて昇降口へと向かった。
昇降口には、外へ出て行こうとする数人の生徒の姿が見受けられた。体育会系の部活のヤツ、なにもせずにそのまま帰るヤツ……などなど、幾人かの男女が靴を履き替えて出て行く。
その中に美百合先輩の姿を認めると、気分が高揚しきった俺は軽くステップを踏んで、その名前を叫ぼうとした。
「み、美……誰だっけ?」
ところが――どういうわけか、俺の口から『そこから先』の言葉が出なかった。
美波? 美月? 美由紀……なんて、名前だっけ?
とにかく思い出せない。
しかも、喉元まででかかったいるのに。どうしてこうも、大事な人の名前が思い出せないんだよ。
俺は思い出せないことに苦悶した。
しかし、とっさに「右近君」と自分の名前が叫ばれて、目前にいる髪の長い舟形の顔をした美人が「美百合」という名前の女の子であることを思い出した。
すぐさま応答して、そのそばへと駆け寄る。
「どうかしたの? 一瞬、そこで立ち止まったよね……?」
「い、いえ……あの、なんというか、急に美百合先輩の名前を思い出せなくなって」
「ヤダぁ~私って、そんなに印象薄い?」
「そうじゃないんですけど――あ、あの、先輩は清原美百合先輩で間違いないですよね?」
「もうっ、当たり前じゃない! 右近君もヒドいイジワル言うのね」
「ですよねぇ~」
「……大丈夫? ホントにどうしちゃったの?」
「アハハッ、面目ないです。なんというか、自分でもよくわからなくて……」
言い訳を作ろうにも、スゴく見苦しい。
さっきまであんなに思い描いていた人なのに、それを忘れるなんて今日の俺はどうしちゃったんだ?
とっさに気恥ずかしさを誤魔化そうとはにかむ。
それから、気まずい雰囲気をぶち壊そうと話題を変えることにした。
「それより、いまからどこへ行くんですか?」
やっぱり、デート? デートですよね!
などと、そんな淡い期待を抱いた――が、その期待は美百合先輩が「ううん」と言って、首を振ったことでアッサリと崩れ去った。
「私がお世話になってる霊能力者の方に会いに行くの。差し当たって、右近君が手伝う前に紹介しておきたいし、色々と教えてもわらなきゃいけないこともあると思うから」
「ああ、そういうことですか」
……残念。
俺の思っていたことは、やはり幻想か。まあ、でも先輩は俺のサイコメトリーを必要としてくれてるんだし、ここは期待に応えないとな。
俺は美百合先輩との会話を続けた。
「じゃあ、いまからそこへ行くんですね?」
「うん、そうなんだけど……。実はこの学校にその人の妹さんが通ってるの」
「妹さんですか?」
「たぶん、もうすぐ来るはずなんだけど……」
先輩がキョロキョロとあたりを見回す。
どうやら、その子を捜しているらしい。
次々と出てくる生徒の波じゃ見分けが付きづらいだろうな――と思っていたら、数秒で見つけたらしく、大きな声で「優ちゃん」と手を振って叫んでいた。
俺もその子の顔を確かめようと、先輩が呼び掛けた方向を振り向く。ところが意外にも、その子が見知った人物であることには驚かされる。
なぜなら、振り返った先にいたのは、クラスメイトの天坂だったからだ。
俺は階段を降りて、目の前までやってきた天坂に話しかけた。
「天坂じゃないか」
「邑神君……? そっか、美百合ちゃんが会わせたいっていうのは、君だったんだね」
同じようにして驚く天坂。
当人もまさか俺だとは思ってなかったらしい。普段、あまり感情を表に出さないが、意外そうな目つきで見ている。
でも、すぐに俺だとわかって元に戻っちまった……それだけ俺の登場は予想外だったんだろうな。
ふと美百合先輩から「知り合い?」と訊ねられる。
その問いに対して、短く返事をして答えす。
「クラスメイトです」
「あっ、そうだったんだ!」
「俺も驚きました」
まさか天坂とは正直驚かされた。
もちろん、美百合先輩もそんな感じで、俺たちの関係にビックリしている。
俺は振り返って、再び天坂と会話をした。
「それじゃあ、天坂が美百合先輩の親戚なの?」
「私と美百合ちゃんは従姉妹だよ」
「へえぇ~意外だな」
「表だって、人に言うことでもないと思うよ。それにもう聞いたと思うけど、悪霊退治の仕事なんて誰彼に話すモノでもないし」
「たしかに……」
「だから、意外なんてことはないよ。たまたまそういう繋がりがあっただけ」
「なるほどな」
言われてみれば、たしかに納得できる話だ。それが自慢できる話ってわけでもないし、あまり意味のない話だとも思う。
だから、俺はそのことを踏まえ、あえて聞いてみることにした。
「なあ天坂」
「ん、なに?」
「美百合先輩の従姉妹ってことは、天坂も霊能力者なのか?」
と言った途端、天坂が意味ありげな表情で笑った。
……いったいなにがしたいんだ? その不敵で小さな笑みは不快さはなく、ただ単純に俺を試しているようにも思える。
「邑神君はどっちだと思う?」
そして、このワザとらしい問いかけ。
んなこと言われてもなぁ~。先輩から紹介されるぐらいなんだし、正解はきっと霊能力者だってことなんだろうけどさ。
俺は素直にそう答えることにした。
「フツーに考えれば、天坂も霊能力者なんだろ?」
「うん、まあそうなんだけどね」
「さんざん引っ張っておいてソレかよ」
「フフッ……。だって、その方がおもしろいじゃない」
「オマエが良くても、こっちはムッとするよ。できれば勘弁願いたい」
「ゴメン、ゴメン。でも、ホントに霊能力はあるんだ」
「やっぱりそうなのか?」
「――と言っても、私のはちょっと特殊だね」
「特殊?」
「霊能力には、霊視、除霊、浄霊、千里眼、幽体離脱なんかがあるんだけど、私のは先祖代々の宿獣と呼ばれる個々の能力によって動物と契約して使役する力なの」
「動物と契約……? それって漫画なんかによく出てくる陰陽師の式神だろ?」
「それとはちょっと違うんだけどね――で、私が使役してるのは……コレなの」
そう言って、天坂が左手を開いてみせる。
ところが、そこにはなにもいなかった。
見えたモノがあるとすれば、天坂の白くて小さな手のひらで、肝心の動物らしい動物はいなかった。矯めつ眇めつ見てみたが、それらしいモノはどこにもいない。
……もしかして、霊のような存在だから、俺には見えないとか?
とっさに天坂に確かめてみる。
「なあ、どこにもいないんだが……?」
「少し待って」
「ああ、わかった」
そう言われ、半信半疑で天坂の手を見続ける。すると、不意に腕の方から小さくうごめくモノが現れた。
それを見た瞬間、俺は大声を上げて驚いてしまった。
「わっ……く、蜘蛛だ!」
なぜなら、それがとても小さな蜘蛛だったからだ。
女の子には似つかわしくないウジャウジャと群れをなした蜘蛛――それが天坂の手のひらを這い、まるで黒くて丸い炭玉のように動いている。
フツーだったら、ここで「キャー」とか悲鳴上げるよな?
ところがどっこい。なぜか天坂はいっさい動じなかった。むしろ、その蜘蛛が手のひらで動くのをいとおしそうに見ている。
……やっぱ、天坂ってヘンなヤツだな。
「へ、平気なのか……天坂?」
「大丈夫、この子たちはなにもしないよ」
「なにもしないって。ソレ、女子だったら気味悪がる蜘蛛だぞ?」
「邑神君が動揺しすぎなんだよ――そもそも蜘蛛は益虫」
「……益虫?」
「家や田畑を荒らす害虫を喰らうありがたい生き物として昔から珍重されてきたんだよ。それにこの子たちには毒なんてないし」
「ホントに平気なのか?」
「うんっ、この子は私の宿獣だもの」
「……マジか」
なんて言ってたら、どんどん集まってきた。
1匹どころか、2匹、3匹と……よくもまあこんなに集まれたなと言わんばかりにゾロゾロと手の中でをうごめいてやがる。
……ううっ、ここまで来るとさすがに男の俺でも引く。にしても、天坂はよく平気でいられるなぁ~思わず感心しちしまうよ。
「蜘蛛って、パッと見は怖いかもしれないけど、慣れてくると案外カワイイんだよ」
「いや、そう言われてもなぁ。フツー、女の子がイヤがるような生き物だろ」
というか、絶対飼わないペットランキングの上位に入ること、間違いなしだ。むしろ、不快な害虫として、すぐに殺虫剤を撒いてしまいそうなモノなんだがな。
でも、天坂はそんなモノを恐がりもせず、指で優しく愛でるように撫でている。
「私の能力はこの子たちを使った探査能力。一応除霊ができる程度の能力は有してるけど、完全な浄霊はできないの」
「探査能力ねぇ~? それって、霊感で霊を感じ取るのとどう違うんだ?」
「霊感はどちらかというと気配をたどっていくモノ。でも、この子たちを使った場合は、一匹一匹が私の手足になって、見たり聞いたりできるの。まさに『網を張る』って感じ」
「それは凄いな――というか、そんなにたくさん懐かれて気持ち悪くないか?」
「……そう?」
「いや、そう首をかしげられてもな」
と首を傾げる天坂の前で苦笑いを浮かべてみせる。
だけど、天坂にとってはそれが普通なんだろ? やっぱり、少しズレた感性をを持ちつつ、いつもの不思議なミステリアス感を醸し出している。
それが天坂優という少女の本質なのかもしれない。
「まあオマエがそういう毛色の昆虫の扱いに慣れてるってのは、よくわかったよ」
「理解が早くて助かるよ」
「理解せざるえないだろ?」
「……フフッ、それもそうかもね」
そう言った途端、天坂の手から蜘蛛にまるで命令されたかのように散っていく。
チラホラと帰路に就こうとしている連中を視認してのことだろう。
さすがに無数の蜘蛛が女の子の手に群がってるところなんて見せられた、それはそれでちょっとした大騒ぎだぜ。
だからなのか、天坂もそのことをわきまえてるらしい。
何事もなかったかのように、まるで「知らない人には言わないで」とばかりに口元で人差し指を突き立てていた。
「だいたいのところはわかった?」
ふと黙って聞いていた先輩から話しかけられる。
俺はすぐさま振り返り、美百合先輩の問いに答えた。
「天坂が先輩の親戚だってのは、よくわかりました」
「そのあたりを解ってくれれば問題ないけど、これから行くところも特殊と言えば特殊よ」
「……でしょうね。天坂を見てて思いました」
「大丈夫よ。右近君もある意味特殊だから臆することないわ」
そう言われてしまうと、元も子もないんだけども……とはいえ、先輩に向かって、そんなことは言えそうにない。
俺は角を立てないように笑って誤魔化した。
「よぉ~し。じゃあ事務所に向かってレッツゴー」
唐突に美百合先輩が腕を絡めてくる。
しかし、それは俺だけではなく、天坂も同じように右腕を絡まれており、半ば間に入る形で俺たちを案内しようとしているみたい。
……ってか、気合いを入れるのはいいんだけど、ホントに俺なんかが役に立つのか?
奥底に眠る不安感を感じつつも、俺は美百合先輩に付いていった。