第3節「霊能力者と超能力者/その1」
進路調査というヤツは、苦痛のアンケート以外なんでもない。
将来の夢が決まってるヤツは向かうべき進路を口ですんなりと言えるかもしれないが、どうしたってそうじゃないヤツもいる。
……で、俺は後者だ。いま書かされている調査票は、ひょっとしたら強制的に補習を受けさせられているんじゃないかという気分になる。
もちろん、気分は駄々下がりだ。
だいたいこの学校はおかしいんだよ! イヤに学業熱心だし、一年生のときから将来を見据えた進路調査をするし。
理由は高校生活3年間のはじめから、一人一人に具体的なビジョンを持たせることらしいが。
しかも、全員提出が前提――
んなもん、1年生のウチから書かされたって、正直なにを書いたらいいのかわかんねえっつーの。まあ、そんなんだから時間ばっかり過ぎていくんだが……。
などと考え込んでいると、不意に頭の上になにかの影が差し込でいることに気付かされる。ふと顔を上げて見てみると、1人の女の子が机の端でじっと俺を見ていた。
鋭角を描くキリッとした瞳。
幼い顔立ちが赤毛のショートヘアと相まって、まるで子犬のような愛らしさを象っている。チラリと胸ポケットに身につけられたネームプレートを見るとクラスと名前が書かれていた。
天坂優――同じクラスの女子だ。
だが、名前は知っていても話をしたことはない。
なにせ天坂は、とても物静かで休み時間にはいつもなにかしらの本を読んでいる女の子だからだ。一応友達はいるらしく、ごく希にクラスの女子3人に囲まれて楽しそうに談笑している姿を見かける。
まあそうした存在であるがために野郎共の評判は上々――『大人しそうな美少女』とくれば、そりゃあギャルゲーじゃなくとも人気は出るわな。
要するにだ。
天坂と目が合えば、その静かな表情の中にある笑みにイチコロでやられちまって、毎日目で追わなきゃ済まなくなるような日陰に咲く花のごとき美少女なんだ。
……で、そんな可愛い子が俺になんだっていうんだろう?
俺はそのことを問いかけることにした。
「なにか用か?」
「…………」
「お~い、天坂さん?」
ところが天坂は俺の問いを聞いていないようだった。それどころか、俺の顔をじっと見ているように思える……な、なんか惚れられた?
勘違いもほどほどに再度呼びかけてみる。すると、ようやく天坂は気付いたらしく「あっ」と小さく驚いて謝ってきた。
「ゴメン。君がどんな進路を選んだのか、ちょっとだけ興味があって見てたの」
「あのな……。人の進路調査票を勝手に覗き見るのはやめてくれ」
「……気を悪くしたらのなら謝るよ」
と、あまり変化のない顔が淡々とした口調で言う。
なんか天坂の話し方って、緩んだ蛇口からコップの中に「ポツン、ポツン」と落ちる水滴みたいな調子なんだよなぁ~。容姿も含め、どこかミステリアスを醸し出しているし。
「その謎めいた雰囲気がいいんじゃん!」
などと、クラスの男子も力説してるし、ある意味こうやって対面してだけで人気の秘密がわかるような気もする。しかし、その反面淡々とした口調にあまり感情が乗らないためか、天坂がなにを考えているのかわからないという側面を持ち合わせている。
まあなんとか話のトーンに強弱が見られるし、そこから天坂が詫びているんだということだけは読み取れるんだけどな。
俺は嘆息ついて天坂に言った。
「まあいいよ、どうせ書くことは『特になし』だしさ――それより俺になにか用事があったんじゃないのか?」
「その進路調査票。私が集めているの」
「ああ、そういうことか」
「邑神君は将来のやりたいことってないの?」
「特にないね……。って、ぶっちゃけやりたいことが見つからないんだ」
「これと言って?」
「……そう。これと言って」
復唱するように答える。
正直、「じゃあいつ決めるの? いまでしょ?」などと言われるんじゃないかと思った。しかし、天坂は俺をた問い質すどころか、むしろ悩む俺の姿を見て面白がっているのかのような表情をうっすらと浮かべている気がした。
しかも、それが妙に艶めかしい上にミステリアスで口元に人差し指を当てて、「ふーん」などと怪しげな笑みを浮かべているし……ホント、この子なに考えてんだろうな?
俺はあまりの不可解な表情に感想を訊ねてみる。
「なんだ。聞いてみて、なにか感想はないのか?」
「うん、人の道は人それぞれだから」
「そう言われると、なんか冷たくされてるみたいだな」
「冷たくしてるわけじゃないよ。私が邑神君自身で決めなきゃいけない問題に介入できるわけないんだし、将来の夢が決まったら決まったで応援しようかなって思ってるよ」
「そりゃどうも……」
「……ねえ? 回収したんだけど、あとどのぐらいで提出できそうかな?」
「う~ん、わりぃな……。どうやら、もうちっとかかりそうだ。提出期限って今日だっけ?」
「明日だよ。もし明日までに決められないなら、先生に話しておこうか?」
「そこまで気を遣ってもらわなくてもいいよ。結局提出できないでいるのは、俺自身の問題なわけだしさ」
「他の人のを回収するついでだから、私は構わないよ?」
そんな風に言われると気が引ける。
ともあれ、天坂は先生に提出期限を延ばすように進言してくれるみたいだし、その言葉を無下にはできないよなぁ~。
躊躇したあげく、俺は天坂の好意に甘えることにした。
「じゃあ、頼んでもいいかな?」
「うん、任せて――もし、将来が決まらないようなら『邑神君は、将来自宅警備員を嘱望された生徒なんです』って伝えておくよ」
「皮肉でも、それだけでは遠慮願いたいね」
淡々とした言葉の中から思わぬ言葉が出たことに苦笑いを浮かべる。
……というか、天坂が冗談を言うんだな。まあ、いままで接する機会が無かったんだし、その分意外と言えば意外だけど。
だが、当の本人は俺の反応がツボだったらしく、握り拳を口元に当てたまま小さく笑ってやがる。それがスゴくカワイイってのもあって、憎む気持ちも自然と薄れてしまう。
それだけ天坂には不思議な魅力があった。
「冗談だよ。ちゃんと期限を延ばしてもらえるようにするから安心して」
と言うと、天坂は去っていった。
その姿を観察してみると、どうやら提出してない他の連中にも声を掛けているみたい。言わずもがな、特に男子はクラスでも指折りの美少女が自分の目の前に来て話しかけてくることに興奮してやがる。
俺は天坂の後ろ姿をチラ見しながら、再び机の上の調査票に頭を悩ませた。
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いつも思うことだが、イチゴオレとイチゴミルクの違いってなんだ?
たまにイチゴラテなどという表記でも売られているな。しかし、ある意味カフェオレとカフェラテのような国によって言い方の違いまたは厳密に作成する課程でイチゴ果汁と牛乳の配分が違っていたりするのだろうか?
まあ、その辺の詳しいことは帰って調べるとして……。
いまはお昼だ。
午前中の授業も終わったし、頭を悩ます進路調査票の提出も済んだ。
もうなにも怖くない……もちろん、その後の展開で首が無くなることもないけどな。俺って、ほんとバカ。
まあとにかく一息つこう。
俺はそう思い、ストローの刺さった紙パックを片手に中庭のベンチでダラリと座り込んだ……にしても今日はずいぶんと暖かいなぁ~。
もう十一月の終わりだって言うのに、まるで初夏の日和みたいじゃないか。
眺める空も青々、進路という苦行を終えて晴々。
こりゃあ一句読めそうな気配だ――などと考えていると、唐突に視界の隅にあった植え込みの一部がガサガサとうごめいていた。
犬か? 猫か?
とにかくわからないが、なんか気になる。
俺はベンチから立ち上がり、茂みの方に向かって歩いた――そして、目の前で静止。
さらにジーッと凝視して、茂みの奥に隠れているモノの正体を確かめようとした。ところがソイツはモゾモゾと動く割になかなか出てこない。
「ええいっ、じれったい! こうなったら、おもいきり手を突っ込んでやる」
と思った瞬間だった。
刹那、茂みの中からなにかが這い出てくる。
俺はその物体に驚いて尻餅をついた。気付けば、手にしていたパックジュースが地面に横倒しになってこぼれていた。
……あぁ~もう飲めないじゃん。「俺にこのジュースをこぼさせたのは誰だ?」と思って、茂みから出てきたモノの正体を確かめる。
すると、そこには女の子がいた。
しかも、無数の枯れ葉を身体に纏わり付かせ、なにかを探しているように見える。さらに制服もホコリまみれで、時折「ないなぁ~」と声を上げているじゃないか。
よっぽど大切なモノを無くしてしまったのだろう。
気になった俺は女の子に声を掛けた。
すぐに女の子の顔がこちらを向く。
だが、あろう事か女の子は俺に驚いて、脱兎のごとく機敏な動きで逃げてしまった。果ては十メートル先にあった樹木の陰で睨み付けている。
……なんだ、この展開は? 別にやましいことをするつもりはないんだが。
一応悪意がないことをアピールみる。こういうとき、きちんと用心しないと俺がやましいことをしてるみたいに思われちまうからな。
俺は両手を大きく開き、動物園の飼育員になったつもりで女の子を呼び込んでみた。もちろん、その意味は女の子が小動物みたいに愛らしかったからだ。
だから、女の子が飼い主に呼ばれたペットのように一目散に駆け寄ってきたときは本気で抱きついてやろうかと思ったさ。
ところが実際には手前で飛び上がって、ドロップキックをかまされる始末。
当然、俺は女の子の攻撃を避けた……コイツ、殺す気か?
とっさにそのことを抗議する。
「危ねえだろ!」
「ゴメン、ゴメン。君を見てたら、つい攻撃したくなっちゃって」
「いったい俺はなんだと思ったんだよ」
「……う~ん……的……かな?」
「『かな?』じゃねえよ。! つーか、ハッキリ言ってくれるよな」
「いや、ホントに悪気はなかったんだ」
「どこがだよ。全然そうは見えなかったぞ」
と反論する。
しかし、女の子のドロップキックは見事なまでにプロレスラー並のキックだったぜ。さすがにあんなの喰らったら、次に目が覚めたのは放課後だったろうけどな。
さらに本人も自覚なし。もうね、笑って誤魔化すあたりからして、明らかに狙って飛んだようにしか思えねえよ……まったくっ、どうしてこうも。
髪をかき上げながら愚痴をこぼす。
それから、女の子に状況を確かめた。
「で、こんなところでなにをやってるんだ?」
「ちょっと捜し物をね」
「捜し物?」
「ああ、個人的な事だから全然気にしなくていいよ。たぶん、そのうち見つかると思うし」
「なんだかよくわからんが……まあ頑張って」
と言うと、女の子が「ありがとう」と言葉を返してきた。
ちょっと素っ気ないが、気にするほどのことでもないか。本人も手伝いは不要らしいし、ドロップキックをかましてくる相手と関わりを持ちたいとも思わないしな。
俺は半身だけ茂みに身体を突っ込ませる女の子を気にすることなくベンチに戻った。そして、再び座ってパンをほおばる。
つーか、ここから見るとスゴく不格好だなぁ……まあ落とし物を一生懸命探そうとする熱心さは手伝いってやりたいという気持ちを掻き立てるけどね。
あと、少しスカートの中身が見えそうなのは、女の子としてはどうかと思うけど。あれは本人が気にしないなら、それはそれでいい気もするが。
(……ってあれ? なんかヘンじゃね? 普通なら、スカートになんらかの布地が見えるはずだ。なのに、スカートの中はそれらしいモノがないように見えるぞ?)
俺は立ち上がってそっと近づき、近くでしゃがみ込んでみた。
「ぶおっ!」
そして、案の定――アマゾンの卑怯が丸見えだった。
(……って、うおいっ、やっぱり履いてないじゃないか! 彦麻呂もビックリのエロス界のターコイズやん――これは、どう考えても危険すぎる。)
俺はすぐにむせる息を整え、女の子に声を掛けた。
「ちょっといいか?」
すぐに女の子が茂みの中から顔を現す。
「どうかしたの?」
「いや、どうかしたのじゃなくて……」
どうしよう、指摘しづらい。
ジェスチャーとかすれば、なんとか察してくれとは思う。だけど、女の子の様子を見る限りどうも鈍いような気がするんだよな~。
恥ずかしがりつつ、意を決して事実を告げる。
「ん?」
「……てないんだよ」
「え、良く聞こえないんだけど?」
「だから……ないんだって」
「ゴメン。もうちょっと大きな声でお願いしていいかな?」
「だから! パンツ履いてないんだってばッ!」
「えぇぇえええ~っ!?」
「驚くのはこっちの方だ!」
気付けよ!
っていうか、そのリアクションは女子としてどうかとも思うが……。しかも、慌ててスカートに手を当てる様子を見る限り恥ずかしさに逃げるわけでも、それを見て怒るそぶりもない。
むしろ、清々しく相づちを打って納得している……なんじゃこの展開?
「道理でスースーするはずだよ」
「普通は一回ぐらい確認するよね」
「言うとおりではあるけどね。なんかめんどくさくて……」
「……すげえ楽天的な発想だな」
「エヘッ、よく言われるよ」
「なぜ得意げに親指を突き出す……?」
しかも、「キラッ☆」とかやっちゃいそうな手の動きがむかつく。あまつさえ、○ゥべえが「わけがわからないよ」と言い出さんばりの台詞。
……腹パンしていいか?
話を戻そう。
それから、俺は女の子に注意するよう言い聞かせた。
「とりあえず、その格好で捜し物をするのは危険だぞ?」
「ご忠告ありがとう。すぐに更衣室でスパッツを履いてくることにするよ」
「あのさ、男の俺が言うのもヘンなんだが……どうしたら、女の子の大切な貞操をないがしろにできるわけ?」
「そう言われると答えに困るけど……実は露出狂?」
「自分で言う台詞じゃないだろっ!」
「まあいいじゃない。履き忘れてたのは事実なわけだし、一応お礼は言っておくよ」
「礼はいい。とにかく履くモノを履いてくれ」
「わかってるって。でも、ちゃんとお礼は言わないとね。少なくとも、君はボクの『貞操の守護者』なわけだし」
「その禁書目録に出てきそうな通り名なのに、凄く残念な名前はやめてくれ」
「えぇぇぇ~駄目なのぉ~?」
「駄目に決まってるだろ」
ホントに付ける気だったのかよ。
……つーか、ツッコミが追いつかない。
俺がそうやって苦笑してると、気持ちを切り替えた女の子が唐突に話しかけてきた。
「まあいいか……ボクは早村夢。水色のネクタイから察するに同じ一年生だね」
「俺は邑神右近」
と俺が名乗った直後。
なぜか早村のポケットからメモ帳を取り出された。
(なんでメモ……?)
それの必要性はよくわからない――ただ1つ言えることは、早村が挟んであったペンを使って真剣な表情で俺の名前を書き始めたことだ。
その間、俺の名前をブツブツと念仏のように唱えている。
「えっとクラスは?」
「D組」
「……D組っと……」
「そんなに忘れっぽいのか?」
「うん。よく会う人のことは覚えてるんだけど、学校でも少ししか会わない人とかだと全然覚えてないのさ。案外、顔と名前が一致するまで時間がかかるんだよねぇ」
「ああ、それはなんとなくわかる気がするな」
俺も初めて会った人の顔を覚えるのが苦手なので、強烈なインパクトでもない限りは覚えていることはないからなぁ~。
だから、早村の特徴やらクラスを書き込んでおく方法は、案外理に適っていると言えそう。
「だからさ。こうしてメモ帳に名前とクラスだけでも書いておくことにしてるの」
「けど、それで顔は一致するのか?」
「あくまでも、どんな人間だったかを想像するためのファクターだよ。一応に特徴となるようなモノも書いておいて、それで思い出せるようにしてるし」
「へえ、結構念入りにやってるんだ」
なんか思っていたよりも常識的な面もあるみたい。
ただのズレた子だったら、それはそれで可愛らしい容姿ももったいない残念な美人だ。そう考えると、早村も早村なりに努力してるんだな。
ふと予鈴が鳴っていることに気付かされる。
「あっ、やべ! もう次の授業始まっちまう!」
「急いだ方がいいよ? ボクは更衣室によって教室に帰るから」
「ああ、サンキュな。オマエも、他のヤツに見られないように気をつけろよ」
「大丈夫だって。君みたいな変態さんにのぞかれないように気をつけるから」
「……その一言は余計だ」
「フフッ、冗談だよ。次からは見られても困らないような格好をしておくよ」
「そうしてくれ」
「またね」
「ああ、またな」
俺が言うと、早村は笑いながら手を振って去っていった。
強烈な印象を残した早村夢という名の女の子。
捜し物といい、スカートの中といい、妙に忘れっぽい感じの子だったなぁ~。あんな感じの子なら、生涯忘れないと思う。
まあ同じ学年だし、そのうちまた会えるだろう……さて、ゴミを捨てて急いで戻るとしますか!
俺は花壇の隅にあったゴミ箱にゴミを入れ、中庭を後にしようとした――が、フッと目の前を小さな球みたいなモノが横切った気がした。
瞬時に立ち止まって、その正体を確かめる。
「なんか通った……?」
キョロキョロとあたりを探る。
けれども、目の前を通り過ぎたそれの姿はどこにもなく、昼休みが終わり誰もいなくなった中庭の光景だけがあった。
(目の錯覚か……?)
そんな風にも思えた。
でも、目の前を何かが通ったのは確かだ……どうしよう、幽霊とかだったらしゃれにならん。とにかく、こんなとこにいても怖いだけだから早く戻ろう。
俺はそそくさと昇降口に向かって走った。