第2節「我が愛しき乳房(マリア)/その2」
二十分後。
俺は屋外に出て、助けてくれた女の子に感謝の気持ちを伝えた。
「助けてくれてありがとう」
「ううん、こっちこそゴメンね。実は君が途中から付いてきているのに気付いてたの」
「えっ、気付いてたの……?」
「……途中からだけどね。でも、物霊をおびき寄せるために身を隠す必要もあったから、あえて囮に使わせてもらったわ」
「物霊って……。もしかして、さっきの宙に浮かんでたヤツのこと?」
「そうよ。あっ、私こういうことしてるの」
と言って、女の子がとっさに胸ポケットからなにかを取り出す。
俺はそれを受け取り、そこに書かれていたモノをマジマジと見てみた。
『――悪霊退治承ります。お祓い屋、御蔭堂』
なんかの業者の名刺らしいソレには、一緒に女の子の名前が記載されている。
清原美百合――それが女の子の名前らしい。
「……清原さんか」
「名前でいいわ。あとこの制服からもわかる通り、君と同じ永静高校の二年生よ」
「えっ!? 二年生……?」
「ええそうよ」
「ご、ごめんなさい! 清原先輩のこと、つい同学年かなって思ってしまって」
「ううん、気にしないで。むしろ、『美百合』ってフレンドリーにしてもらっても構わないわよ」
「いえ、そう言うわけにもいかないですし……あっ、俺は一年の邑神右近って言います」
「右近君かぁ~よろしくね!」
とっさに握手を求められる。
俺は一瞬その手を握ってもいい物かどうか迷ったが、ニコッと笑って見つめる先輩に根負けする形で恐る恐る握り返した。
すると、どうだろう……?
真っ白な先輩の手は驚くほど柔らかくてスベスベだった。滅多に女の子の手なんか握らないから、男としては役得だよな。
手を離し、美百合先輩が手にしているモノについて訊ねる。
「ところで霊をおびき寄せるっていう話といい、手に持ってるソレといい、いったいなにをしてたんですか?」
「手に持ってるソレって……これのこと?」
「はい、そうです」
と、先輩が手にした木槌を指差してみせる。
よく見ると、柄の部分には難しそうな漢字が一周するように描かれてるなぁ~。あと先端に取り付けられた打ち手の平たい部分になんか『封』とか文字が彫られてる。
見れば見るほど奇妙な木槌――俺は先輩にその正体を確かめてみた。
「餅つき……じゃないですよね?」
「こんなところで餅は付かないわよ。まあ名刺に書いてあるとおり、霊能力者としての仕事していたんだけれどね」
「霊能力者? それって幽霊と交信したりするアレですよね?」
「そうそう。でも、私の場合は『魔に対を成す』と書いて対魔士っていうお仕事なの」
「対魔士?」
「さっきみたいな霊を物霊っていうんだけど、その悪い霊を専門に退治することを生業としている職業なの」
「じゃあさっきのは除霊だったんですか?」
「除霊じゃないわ。私が行ったのは浄霊ね。除霊はあくまでも霊をどこかに追い払うだけ。浄霊は完全に滅することよ」
「違うんですか?」
「ええ。よく勘違いされがちだけど、除霊はまた別の場所に現れることもあるの」
「そうだったんだ……」
「ちなみに物霊というのは、物に取り憑く霊と書いて物霊。つまり、人がうつし世に打ち捨てた思念を媒体に大きくなった結果、その残留思念が形となって現れた霊なの」
「負の感情が悪霊になっちゃうんですか?」
「そうね。たとえば『悲しい』という感情を持った物霊が現れたとするじゃない?」
「悲しいという感情が……ですか?」
「その物霊はなんらかの悲しいという気持ちを込めた思念を周囲に伝染させるの。その影響を受けた人は意味もなく悲しくなって、一日中悲しい気持ちを抱くようになるのよ」
「祟り殺すとかではないにしろ、なんか微妙にイヤな霊ですね」
「……でしょ? 祟り殺されるようなことがない分、怨霊ほど強力な霊ではないわ。でも、放っておくと強い怨霊並に強い力を持つこともあるの」
「というと?」
「あくまでも聞いた話だけど、過去に物霊の影響を受けた全員が霊が放つ呪いの力で集団自殺しかけたことがあったらしいわ」
「それってマズイことなんじゃ?」
「だから、そうならないようにするのが対魔士の仕事なのよ」
「……聞いてるだけでも大変そうな仕事ですね」
「悪霊が相手だからね。最悪の場合を想定すると、どうしても早めに退治しなきゃっていうプレッシャーがあるのよ」
「そんな仕事を先輩はずっと続けてきたんですか?」
「ううん、私はまだまだまだ見習い。いまはお世話になってる霊能力者の方に悪霊退治のいろはを教わってるっての」
「大変そうですね」
「まあ誰もができる仕事じゃないから……で、物霊のことはだいたいわかってくれた?」
「ええ、なんとなくですが」
「よかったぁ~、右近君が理解ある人で」
「あの、それってどういう意味ですか?」
「だって、幽霊を信じない人だっているじゃない?」
「ああ、確かにそう言う人っていますね!」
「その点、右近君は霊を信じてくれた。だから、凄くうれしいの」
と言って、先輩は目の前で舞い踊るようにはしゃぎ始める。
そんな姿を見てしまうと、なんだか本音を言いにくい。本当は霊を信じる信じないの問題ではなく、あくまで非科学的なことが起きるということを信じられるって言いたかったのだ。
だけど、その言葉は先輩をヒドく傷つけるような気がしてならない。非科学的な能力を持つ人間にとって、同じ気持ちをわかり合える人間はそう多くはないはずだ。もちろん、俺もその気持ちがわかるし、逆の立場ならそんなことを言って欲しくないとも思う。
だから、先輩が落ち込むんじゃないかと不安だった。
しかし、そうも言っていられない。俺は意を決して、自分が超能力者であることを明かすことにした。
「……あの、ごめんなさい」
「どうしたの?」
「実はですね。いまの一言は非科学的なことを信じられるって言いたかったんです」
「例の存在を信じてくれたんじゃないの?」
「違うんです。信じていただけるか解りませんが、俺は超能力者なんです」
「超能力者?」
「ええ、具体的にはサイコメトリーというヤツなんですが……」
「サイコメトリーって、あの行方不明を探す番組に出てくる『自分は元FBI捜査官だ』なんて言う外国人が使ってるあの力のこと?」
「そうです」
チラリと右手を見る。
サイコメトリーの話をするのは、実に中学以来だ。
高校に入ってからは一度も誰かに話したことも見せたこともない。だから、俺は同じような力を持つ先輩に話せることがとても感慨深かった。
「正直、俺はこの力のことを快く思ってません。でも、清原先輩が霊能力者だって知って、なんかコイツも非科学的で似たようなモノだなって思ってしまって……」
「そうだったんだ」
「だから、単純に信じたと思わせてしまってごめんなさい」
「ううん。そんなことないわ」
「……でも」」
「私も右近君の話を信じるわ」
いま先輩はなんて言ったんだ……? なんか信じられない言葉が出たような気がする。俺の聞き間違いでなければ、先輩は「信じる」と言ってくれたような。
どうしてもそのことが確かめたくて、とっさに聞き返す。
「――いまなんて?」
「え? だから、私も邑神君の力を信じるって言ったんだけど……」
「……ホント……ですか……?」
「もちろんよ。非科学的なことが信じられるってことは、大きく解釈すれば幽霊も信じられるってことでしょ?」
「そりゃまあ……」
「だからさ、そこに問題なんてあるわけがないじゃない」
それを聞き、俺はおもわず飛び跳ねたくなった。
すげえうれしい。それはもう口から「やったぁ」と大声で叫んで、両手を挙げて大通りを走り回りたくなるぐらいにだ。
俺のそんな表情を見てか。先輩が不思議そうな表情で聞いてきた。
「どうかしたの?」
「いえ、なんというかうれしいんです……。ガキの頃、コイツのせいで友達を傷つけてしまったことがあったから、どうしてもこんな力なんてなければいいのにって思ってたんですよ」
「そっか。右近君は、サイコメトリーを誇りに思えないんだね」
「……ええ、残念ながら」
「でも、私は信じる。そして、右近君が私の話も信じてくれたことにも感謝するわ」
と言って、先輩がスケート靴を滑らせる。
帰るつもりらしい――そのことを察し、俺はもう少しいて欲しいという気持ちからおもわず呼び止めてしまった。
「――先輩、帰るんですか?」
「うん。きちんと浄霊したって話を事務所に報告しなきゃいけないから」
「あ、でもこのハンカチ……」
「君にあげるわ」
「いえいえっ、そういうワケにはいかないですよ!」
「別にいいわよ。今日は巻き込んじゃった私が悪いんだし」
「だったら、あとでちゃんと洗って返します」
「ホントに気にしなくていいわよ。私も人が持ってないような力を持ってる人と話せてうれしかったから」
「美百合先輩」
なんて優しい人なんだろう。
こんなに優しくされちゃったら、惚れない方がおかしいと思う。けど、美百合先輩にはそんな気はなさそうだし、言ったら言ったでなんか残念な結果に終わりそう。
そんなことを考えていると、先輩がスケート靴でゆっくりと滑りながら近づいてきた。
刹那、温かいぬくもりと共に左頬に柔らかいなにかが当たる――
それが美百合先輩の唇だってわかったのは、寸刻してからのこと。あまりの突然のことに驚き、俺は口づけされた部分を手でなぞって茫然と立ち尽くした。
「私からのおわびの気持ち……」
目の前で美百合先輩がつぶやく。
目と鼻の先で見合わせるその顔は、女神のような微笑みを見せていた。
俺は唐突なキスと美百合先輩の笑顔におもわず「カワイイ」と思ってしまった――むしろ、心を奪われるぐらい素敵だって言った方がい正解か?
とにかく、それが凄く凄く新鮮で、清原美百合って人の愛らしさに心を奪われてしまったんだ。でも、惚ける俺をよそに美百合先輩が「じゃあね」と声を上げて去っていく。
「嗚呼行かないで……!」
なんて叫んでみようとも思ったけど、先輩に俺の気持ちが伝わるわけがない。そんな気持ちなど露知らず、先輩は颯爽とスケート靴で滑りながら道の彼方に消えていく。
諦めた俺はキスされた頬をさすりながら、左手で愛しい人の背中を見送った。
不意にキスされた感触が思い起こされる。
よくよく考えると、これってスゴいラッキーなことだよな……っていうか、もうこのまま死んでもいいって思えるぐらいの夢心地。
それに俺は美百合先輩の能力に関する理解者となったんだし、ある意味特別な関係と言えるかもしれない。
よしっ! この勢いでハンカチを返しに行った際にさりげなくデートに誘ってみよう。
実現してもいない虚妄が俺の心を躍らせる。
しかし、現実に立ち戻ってみれば、登校時間はとうに過ぎていた。
気付いた俺は慌てて元の通学路へ戻っていった。