第4節「さよならも言えずに……/その1」
登校してみると、予想だにしない出来事が起きていた。
「おはよ――あれ? 君って誰だっけ?」
「ようっ! んっと、名前……」
「アナタは確かチリ神……じゃないわ。巻神だったかしら……」
おい、これってまさか――いや、間違いなく物霊の仕業だ。
もはや物忘れとかそういうレベルじゃない。
会うヤツ全員が俺のことをまったく覚えちゃいないし、それどころか、みんなお互いの顔も名前も、いろんなことがハッキリしてないみたいだ。
どうして、こんなことになっちまったんだ?
もしかして、これが昨日大介のヤツが言ってた物霊の力が強まったってことなのか? もし、本当にそうなら、こんなに強力なモノだったなんて思いもよらなかった。
こりゃあ、ホントに退治するのを急がなきゃいけないかもしれねえな。
俺はケータイを手に取り、天坂に連絡を取った。
「天坂か?」
「……邑神君? いまどこ?」
「いまちょうど来た着いたところだ」
「じゃあ状況はもうわかってるだろうから、すぐに教室に来て」
「了解。そこで待っててくれ」
と、通話を終える。
それから、天坂の待つ教室へと急いだ。校舎に入るとあちこちで教師、友達、先輩後輩に恋人といった概念が完全に失われていた。
その様子はひっちゃかめっちゃかと言っていい。
誰1人として、、互いを認識できずにいた。
「ア、アナタ誰?」
「君こそ誰だよ……ってか、俺ら付き合ってたんじゃね?」
「そんなはずがないでしょ!」
なんだか信じられない光景だ。
それでも、教室へ行かねばならず、俺は足を止めることなく、自分の暮らすへと急いだ。
教室にたどり着くと、窓際で天坂が記憶をなくした連中を静かに見ていた。天坂の瞳は、まるでどうすることもできないと無力さに嘆いているかのように思える。
俺はそんな天坂に話しかけた。
「天坂、大丈夫か?」
「私は平気。でも、みんなが……」
「ああ、ここに来るまでいろいろ見てきたよ。どうやら、かなりヒドい状況だな」
「そうみたい。私も少しだけ校内の様子を見回ってきたけど、私たち以外の人間の記憶がおかしなことになっちゃってるみたいだね」
「なあ、これはもう物霊を退治するしか方法はないんじゃないのか……?」
「邑神君の言いたいことはわかるよ。でも、その方法も見つかってない。それと早村さんも探さないといけないし」
「……早村を?」
「言ったよね。早村さんがこの現象を引き起こしている物霊に関係してるって」
「ああ、忘れたわけじゃないけど、それなら直接物霊を倒す方が早くと思うんだが……」
「私だって、そうしたいのは山々だよ。でも、物霊の居場所を探すにはカギである早村さんを探して倒した方が早いと思うの」
「だったら、俺がサイコメトリーを使って早村を探すまでだ」
「仮にそうしたとして、どれぐらいで見つけられる?」
「……そ、それはわからねえよ。だけど、やってみねえとわかんねえだろ!」
「焦りすぎちゃダメよ、邑神君。そうやって探している間にも、みんなの記憶は徐々に失われていく。そうなったら、最後誰もが自分のことすらわからなくなって、記憶の喪失を機に暴動に発展する恐れだってあるんだ」
「確かにオマエの言う通りかもしれない……。でも、仮に早村を見つけたとして、それで本当に物霊が見つけられると思うか?」
「――それは心配しないで」
「どうして、そう言い切れる?」
「理由は簡単。私たちが記憶をなくさずにいることに関係しているからだよ」
「……記憶を……無くしていないことと関係してる……?」
「まだ確信があるわけじゃないけど、きっと物霊は早村さんの近くにいる。これは仮説だけど、なんらかの因果関係があると思うの。だから、早村さんをそばに置いておくことが最も早く物霊を見つけられるんじゃないかな」
「わかった、先に早村を捜そう」
「善は急げだよ。二手に分かれて、早村さんの居そうな場所を回ってみよう」
「ああ。しかし、早村はここ数日学校を休んでるらしいから、来ている保証はないぞ」
「登校していると願うところだね。一応、校内にいるかもしれないから探してみよ」
「……だな。とりあえず、俺はグラウンドへ行ってみる」
「それなら、私は屋上から蜘蛛たちに探させてみるね」
「頼むよ。もし、なにかあったらケータイに連絡をくれ」
それから、俺は早村と別れて一路グラウンドへ走った。
(……早村、無事でいてくれ)
その祈りが通じるかどうかはわからない。だけど、天坂の言うとおり早村が物霊と何らかの関わり合いを持っているとするなら、早村も記憶をなくしてはいないだろう。
向かった先のグラウンドには、記憶と我を忘れて縮こまる生徒が複数人いた。しかも、見る限り記憶を失ったショックからストレスを溜め込んだらしく、様々な破壊活動を行うヤツも見受けられた。
だが、その中に肝心の早村はいない。
どんなに名前を叫んでも、早村は返事するはずが無く、むしろほかの連中から「誰?」と言わんばかりの視線が向けられる。
その威圧感を覚える視線はとても危いように思えた。
なんでかって? そりゃまあ連中が自分の名前すら忘れてんだ。きっと自分の存在を俺に確かめようとホラー映画のゾンビみたいに襲ってきそうな雰囲気だったんだぜ。
だったら、すぐさまその場を離れるっきゃ他にない。
「早村ァ~」
俺は大声で叫びながら、体育館の方に向かって歩いた。
にしても、いっこうに返事がないな。パニックのあまり、悲鳴を上げる連中の声も相まって、俺の呼び声もむなしくかき消されちまう。
「いったいどこに行っちまったんだよ……」
おもわずボヤいちまった。
やっぱり、通常の手段では見つからないか……。こうなったら、手当たり次第サイコメトリーを使って居場所を特定するしかねえな。
俺は校庭側の植え込みから生える1本に触れた。
途端にフッと記憶の断片がイメージとなって流れ込んでくる。まるでシネフィルムから映写機を通してスクリーンに現れた映像が脳内劇場で上映され始める。
けれども、俺が見たイメージはどれも以前と変わらず、なんの役にも立たない日常の風景ばかりだった。
その中に早村に関するイメージはない。
俺は深く溜息をつくと、再度別の場所で記憶の断片を集めることにした。
学校の東側から西側へと記憶の断片を集めながら、ゆっくりと移動する。その中で有力な記憶の断片と言えば、以前見た早村の泣いている姿。
どれもこれも見てきたモノばかりだ。
だけど、ある1カ所で足を止めて見た記憶の断片だけは違った。
それは唐突に呼び起こされた記憶の断片で、1人ボンヤリとたたずむ早村の姿を映し出すモノだった。どこか魂が抜けきったような顔つきで、校庭の方をボンヤリと眺めている早村。
しかも、おぼつかない足取りでどこかへ行こうとしている。俺は、その姿に引き寄せられるように記憶の断片の中の早村の跡を追ってひたすら突き進む。
――が、とっさに誰かの声が聞こえたことで目を覚ました。
同時にクラクションが鳴り響く。
その音に右手を振り向くと、車が激しいブレーキ音と共に迫ってきていた。どうやら、いつの間にか赤信号の横断歩道を渡ろうとしていたらしい。
車は俺の前まで来ると、何事もなかったかのように停車した。
「馬鹿野郎ッ、死にてえのか!」
車の運転手から罵声を浴びせられる。
その一言を聞いたとき、俺は自分が身を投げ出しそうとしていたことを初めて理解し、同時に怖ろしさに震え上がった。
深々と一礼して謝罪をすると、半ば渡った横断歩道を戻る。
「邑神君、大丈夫っ!?」
そんなことをいいながら、天坂が近づいてくる。
俺はボンヤリとする頭を必死に奮い立たせ、天坂にいま起きたことを訊ねた。
「――いまなにを……なあ天坂、俺いまなにをしたんだ?」
ダメだ、自分で思い出そうとしてもハッキリしねえ。それどころか、未だにサイコメトリーのイメージに引きづらレ手居るような気がする。
そんな俺を見かねてか、天坂が心配そうな声で答えてくれた。
「覚えてないの? いま自分から車道に飛び出していったんだよ……?」
「……ウソだ……そんなバカなことをするワケが……」
「どうしちゃったの? いったいなにがあったの?」
「……あ……いや……」
そう聞かれた途端、ようやく頭の中が鮮明になり始めた。
「そうだ……。俺は早村を探そうと思って、サイコメトリーを発動したんだ。そしたら、早村が泣きながらどこかへ行くイメージが浮かんできて……」
「……それで? それでどうしたの?」
「ボーッとしてたせいで、車に轢かれちまった」
ようやくそこまで思い出した。
俺は記憶の断片に映し出された早村をの姿を追っていったんだ。いや、正確に言うなら、俺が早村になりきって事故に遭う瞬間を再現しちまってた。
……ってことは、早村は? いったい早村はどうなっちまったんだっ?
やがて、俺の中で読み取ったイメージが鮮明になる。同時にある仮説が浮上して、全身から血の気が引く思いがした。
「……そんな……そんなはずは……」
信じたくはない――だけど、脳裏によぎったそのことをどう否定する?
浮かび上がった仮説を必死に否定し続ける。けれども、それ以外の推論が浮かばず、俺は心の中でもがき苦しんだ。
不意に身体が激しく揺れ動く。
気付けば、またしてもボーッとしていたらしい。制服の袖を引っ張って、天坂が呼び掛けていた。
「……ああ、スマン」
「ホントに大丈夫? 車に轢かれそうになって気が動転してるんじゃない?」
「いや、動転はしてるが大丈夫だ。そんなことより、さっき見たサイコメトリーのイメージがどうしても気になって」
「どんな内容なの?」
「それは……」
ハッキリここで言ってしまおうか? そうも思ったが、いまそれをここで言うべきではないという思いから口を閉ざした。
だから、その意思を伝えようと天坂に話しかけた。
「スマン、天坂。ここじゃなくて、別のところで話をさせてくれないか」
「なにか話しづらい理由でもあるの?」
「話しづらいってワケじゃないんだが、もう1人話さなきゃいけないヤツがいるんだ」
「それって、もしかして……」
「ああ、ソイツにもこの話を聞く権利がある。だから、いまは黙って付いてきてくれ」
俺がそう言うと、天坂は無言で頷いて快諾してくれた。
その期待を裏切らないためにも、とっとと当の本人のところへ行かないとな。イメージ通りなら、おそらく『アイツ』はあの場所にいるはずだ。
俺は天坂を連れて、再び横断歩道を渡る。
道中、通りすがる女性がキョトンとした顔で突っ立っていた。それが物霊の影響だったのかはわからないが、なにかを思い出せずにいるようなそぶりを見せている。
(――徐々に学校の外にまで被害が広がってるのか?)
俺は女性の様子がおかしなことに焦りの思いを募らせた。ホントに急がねえと、町中の人間が記憶のない連中だらけになっちまう。
そう思ったら、動かす足が自然と早足になっていた。
やがて、たどり着いた雑木林――言うまでもなく、ここは以前美百合先輩たちと訪れた場所である。
俺は林の中に踏み込もうと、草むらの中に足を踏み入れた。
「邑神君」
ところが後ろから天坂に呼び止められる。なにかと思って振り返ると、天坂が神妙な面持ちで立っていた。
「この中にいるんだね……?」
と、天坂に問われる。
俺は真剣な表情を見せる天坂に対して、「ああ、間違いない」と答えた。
それから、二人揃って奥へと進んだ。
雑木林の中は、以前来たときよりもドンヨリとした重い空気が張り詰めていた。しかも、人を寄せ付けまいとする恐怖心が精神を圧迫してきている。
俺はそれをモノともせず、林の中を歩いた。
やがて、視線の先にポツンと小さく開けた広場が見えてくる。
広場の周りには、杉や竹が避けて通るように円形に生えて広がっており、それらを従えるように中央に1つだけ小さな影があった――早村だ。
10メートル先のところで、まるで空を仰ぐように背を向けた状態で顔を上げながら、その場に突っ立っている。
そんな早村を見て、俺は声を張り上げて名前を呼んだ。
いままでと違って見える早村は、ホントに別人かと思ったぜ。なんつーか、ここから見てても感じる雰囲気というか、空気感というか、そんなモノが違って見えたんだと思う。
だから、振り返って微笑みを見せられたとき、背筋がゾクッとする思いがした。
すぐに早村も俺の声に気付いて、振り返って微笑みかけてきた。けど、その顔は俺がよく知る早村の顔じゃあなかった。
急いで早村の元へ駆け寄り、怒りにまかせて口火を切る。
「オマエ、いったいいままでどこに行ってたんだよ!」
「エヘヘ……。見つかっちゃった」
「見つかっちゃったじゃねえよ。いままでどんだけ心配したと思ってるんだ?」
「ゴメン、ゴメン。でも、まあちょっと思うところがあってね」
「なあ早村。オマエはどうして、そう人の気持ちをないがしろにするんだ」
「別にそんなつもりはないよ。邑神君がちゃんと僕の記憶を取り戻そうとしていることには感謝してるし」
「感謝してるなら、なぜいなくなった? ホントはとっくに記憶を取り戻してるんじゃないのか?」
「やだなぁ~そんなはずないよ」
「なら、泣いてるのはなぜなんだよ……」
と顔を見つめながら、涙が溢れ出ていることを指摘する。
途端に早村がキョトンとした顔をして動かなくなった。けど、俺の前には確かに涙を流して立ち尽くす早村がいる。
とてもつらそうなのに必死に我慢して、どうにか笑おうとする早村。でも、それとは真逆に涙は正直に頬を伝って流れ落ちていく。そんなのを見せられたら、早村の本心がどこにあるかなんて丸わかりじゃないか。
でも、本人はそれを隠しているつもりなんだろう。
いままで見てきた記憶の断片という名のパズルが頭の中で一枚の絵を組み上げる。
その画には、早村の真実の記憶が描かれていた――とはいえ、それらの半分は俺が記憶の断片から考察した推論でしかない。
俺はそれが事実がどうかを確かめるために口を開いた……秘めた悲しみと共に。
「早村、もういい――もういいんだ」
「なんで? どうしてそんなことを言うの?」
「だって、俺たちが探している物霊なんて最初から存在しなかったんだよ」
「……アハハッ、やだなぁ~。邑神君はなに言ってるのさ?」
「最初から物霊なんていなかった……。いや、オマエが記憶を失ってしまった原因も、みんなの記憶がおかしくなっている、いまの現状もすべてオマエ自身の問題だったんだよ」
「それじゃ意味がわからないよ。いったいなにが言いたいわけ?」
「簡単な話だ――つまり、『オマエ自身が物霊』だったんだよ!」




