第4節「失意の中で……/その2」
青空の広がる屋外――。
特に屋上のような高いところに立てば、空が一層近くにあるように見える。俺はそんな場所で美百合先輩とともに空を見上げていた。
「んんっ~、気持ちいい!」
そう言って、先輩が背伸びをする。
なんだかそんな姿からは、まったく気落ちしているように見えないよ。むしろ、いつもの明るい先輩がそこに居るような気がする。
どうやら、天坂の杞憂も無用の長物だったらしい。しかし、万が一落ち込んでいたときのことを考えたら、ちょっぴり心配だなぁ……。
俺は恐る恐る美百合先輩に尋ねた。
「先輩、昨日はあれからどうしてました?」
「どうしてたって? もちろん、ウチに帰って、お風呂に入って、ご飯を食べて……それから、テレビを見ながらゆっくりしてたわよ」
「……それだけですか?」
「あっ、もしかして右近君。私がイヤらしいことしてたんじゃないかなんて、想像しちゃってるでしょ?」
「いえ、そういうことではなくてですね。昨日、大介さんにボロクソに言われて気落ちしなかったかってことです」
「なぁ~んだ、つまんない」
「真面目な話ですよ――で、実際のところどうなんですか?」
俺がそう言うと、美百合先輩は黙り込んでしまった。
そして、どういうわけか差し向けられる穏やかな笑顔。それがどういう意味なのかはわからないが、なんだか秘めた事情を話してくれそうな雰囲気だ。
「……ねえ、右近君。私とエッチしよっか?」
ところが先輩が漏らしたのはとんでもない一言。
エ、エ、エッチ? エッチってアレだよな、つまりはセ、セッ○スとか性行為とかそういうこと……って、そんなこと考えてたら、先輩が制服を脱ぎ始めた!
「ちょっ! み、み、美百合先輩なにを……?」
おもわず狼狽えちまったよ。
だって、目で覆おうとしたときには、すでにスカートとブラジャー1枚になって、俺の方に近づいてきていたんだぜ?
……んまあ、そのあとすぐに外されたブラジャーの中の生オッパイをチラ見できたのは眼福だったけどさ。
とにかく、いまは美百合先輩の暴走を止めないと。
「こ、こ、こんなのおかしいですよ!」
「おかしくないわよ。だって、私は右近君に初めてをあげてもいいってずっと思ってたし」
「そ、それはうれしいですけど……で、でも、いま先輩に俺の初めてを奪われるのは絶対にイヤです!」
狼狽して及び腰になった俺の上に覆い被さろうとする先輩。
全力で襲いかかろうとしているのか、なかなか押し戻せねえ……。
それどころか、せがむような目で見つめてきている。本来ならば、こんな状況うれしいのは当たり前なんだが、先輩の目の奥に潜むモノを感じたせいで、心から必死に拒否しなくちゃいけない状況だ。
やむなし。
俺はおもいっきり力を入れて先輩の身体を押しのけた――が、あまりに力が強すぎたためか、先輩を後方へ突き飛ばす形になっちまった。
「せ、先輩! 大丈夫ですかっ!?」
慌ててフォローを入れる俺。
すぐに美百合先輩が起き上がってくれたからよかったものの、これでサスペンスドラマみたいに頭卯って死んじまったらと思うとひやひやさせられたぜ。
立ち上がり、慌てて美百合先輩の側へと駆け寄る。
「大丈夫ですか……って、うわぁ~!」
よく見たら、オッパイが丸見えじゃん! このまま揉みしだきたいところけど、そんな場合じゃねえ!
俺は近くに落ちていた制服の上着を手に取り、起き上がった美百合先輩に手渡した。
「誰かに見つかる前に早く着てください!」
目を閉じて、顔を背ける。
そうでもしないと、俺の理性がどこかへ吹き飛んで言っちゃいそうだ。ただでさえ、股間に熱いモノを感じているというのに……頼む! 俺の理性よ、耐えてくれ!
「……やっぱり、私となんかじゃエッチしたくないの?」
途端にそんな声が聞こえてくる。
俺は薄目を開けて、チラリと美百合先輩の方を覗き見た。すると、先輩は上着でオッパイを隠して、悲しげな表情で見ていた。
しかも、目にはうっすらと涙が浮かんでいる。
なんだか信頼されていたのを裏切ったみたいで、物凄く後ろめたい。ただ俺は先輩のことが心配で内に秘めた言葉を聞かせて欲しかっただけなのに。
俺は慌てて先輩と向き合って、弁明の機会を求めた。
「……い、い、いや、そういうことじゃなくてですね」
「右近君は私なんかより、もっと可愛い女の子とエッチしたいんだね」
「ち、違います! 俺は先輩とエッチがしたいです――って、なに言ってんだ、俺」
「じゃあ、どうして私を突き飛ばしたの?」
「それはですね、なんというか、そのですね……」
「やっぱり、私なんかじゃ不満なんだ」
「――ですから、違いますって!」
ああ、どう繕ったらいいんだっ!?
こうも変なことになるなんて思いもよらなかったよ。でも、だからといって先輩にこのままなにも聞かないわけにもいかないし。
俺は美百合先輩の前に正座をして、意を決して訊ねることにした。
「美百合先輩、誤魔化さずに本当のことを教えてください」
けれども、美百合先輩は答えない。
それどころか、俺から顔を背けてなにも答えないようなそぶりを見せている。これじゃあ話が進まないのは、目に見えている。
しかし、俺も諦めるつもりなんかない。
「どうかお願いします。俺は先輩のことが心配なんです」
その言葉に聞き入れてくれたのか。
美百合先輩は、ちょっとだけ俺を見て深く息を吐き出していた。
「右近君には叶わないなぁ……エッチなことして誤魔化そうと思ったけど無理だったか」
そんなことを口にする美百合先輩。
とっさに浮かべた苦笑いは、胸に突き刺さるような悲しげな気持ちが露わになっていて、同調するように俺の胸を締め付けた。
「当たり前です。先輩がわざとエッチなことしようとするのも、そういうことを誤魔化すためですよね?」
「……うん。なんか余計に心配掛けさせちゃったね」
「そのことは大した問題じゃありませんよ。ただあのとき先輩は、アイツのことをもっと怒ってよかったんじゃないかと思います……せっかく早村のために頑張ってるんだから」
「いいのよ、アレで。私は大ちゃんが言うことも、もっともだと思ってるから」
「だからって、『三流』だの『なり損ない』だの、そういう言葉を律儀に聞く必要なんかないじゃないですか。先輩は先輩なりにガンバるんですから、もっと自信持っていいはずです」
「アハハ……。なんだか私が後輩みたいだね」
「しっかりしてくださいよ、美百合先輩」
「うん、ありがとう――少しだけ元気が出たわ」
そう言って、上着を着る美百合先輩。
完全に着替え終えると、そのままネットフェンスの方へと歩き出した。でも、その背中は顔を見るよりも、ずっと悲しい感じがしてならない。
小刻みに震える両肩、荒くなった息を現すように動く背筋。
どれもこれもが美百合先輩の心境を表現しているように見える。どうして、これで隠しきれていると言えるんだろう? ウソっぱちな背中を見せられて、胸が締めつけられる思いがしないわけないじゃないか。
だから、俺は心で嘆きながら先輩の背中を見続けた。
「私の家ね、物凄く厳しい家だったの。お父さんも、お母さんも、唯一の兄妹であるお兄ちゃんも絵に堅いようなエリートで優秀なのは当たり前みたいな雰囲気があったの」
「先輩の家がですか?」
「ええ……。それでね、私だけが落ちこぼれだったのよ。だから、子供の頃はテストで悪い成績取るたびに怒られて、その代償みたいに毎日塾に通わされたの
」
「なんか、いまの先輩からは想像も出来ない話ですね」
「でしょ? 当時はフツーに勉強してエリートになるのが当たり前だと思ってた。でも、同じクラスの子から遊びに行こうって誘われるたびに『どうして遊んでられるんだろう』っていう疑問と羨望の念が心の奥に沸き上がってきてたの」
「じゃあ、いつからいまみたいになったんですか?」
「それは、中学に上がってからかなぁ~? 幽霊が見え始めたのも、ちょうどその頃」
「え? ってことは、美百合先輩が霊能力者になったのって……」
「ええそうよ。両親に反発して、幽霊が見えるなんてワケのわからないことを言いだしたことがきっかけ。そんながんじがらめの中で、私は遠戚である大ちゃんに出会ったの」
と、美百合先輩が語る。
そこからは、現在に至るまでの経緯を話してくれた。
高校に入り、両親と別れて一人暮らしをしていること。最初は幽霊が怖くて逃げてばかりいたこと。おしゃれし始めると、同時に男子から告白されるようになったこと。その際、初めてのことでドキドキしたこと。
聞いた話は、どれも先輩の思いが詰まった話だった。
背中を向いたままだから、笑っているのか、泣いているのかはわからない。だけど、こんなにいっぱい話をしてくれるということは、信頼されてるという証なのかも。
そして、振り返った先輩は末文に添えられた文章のように笑顔で言った。
「――だからね、私はあきらめないよ。最後までガンバっちゃうんだからっ!」
とても心に響く言葉だった。
でも、俺は本当に先輩を勇気づけるなにか言えたのだろうか……? 話を聞いてあげることは重要だったかもしれない。しかし、それは先輩を支えてあげるということとは無関係な気がする。
結局、俺は話を聞くばかりで、先輩になにも言ってあげることはできなかった……どうしたら、美百合先輩の心を救ってあげられるんだろうか。
悶々としながら、その日は一日中そのことばかり考えた。




