思いの残滓を収集する力(サイコメトリー)
俺には力がある。
と言っても、腕力だとか権力だとかそういったたぐいのモノではなく、人が半信半疑になってしまうような未知の力だ。
ソイツの名は『想いの残滓を収集する力』――いわゆる超能力だ。
特定の物体や場所に触れるだけで、そこに残された記憶の断片を読み取り、能力の所有者の脳内に映像として流す力のことである。
コイツを手にれたのは、黄色い帽子と水色のおべべを着ていた幼稚園の頃。
当時の俺は大人でもなんだかよくわからないことを言う子供だった。
どうしてかって言えば、そりゃあサイコメトリーで読み取った記憶の断片のせいで「ここで○○が起きた」なんて言ってたんだもの。大人だって、子供のごっこ遊びかなにかだろうぐらいにしか思っちゃいなかっただろうさ。
まあその後も色々あって、結局コイツは他人には見せないようにしている。
……とはいえ、自然発生的に発動しちゃうこともあるんだよなぁ~。
まあいいや、学校に行こう。
俺は考えるのをやめて、学校までの往路を急ぐことにした。
しっかし、周りは人だらけだよなぁ~。両側二車線の隣り合う町同士を結ぶ大動脈だけあって、車道も歩道も混み混みだ。歩道だって、同じ方向にある2つの高校の生徒で一杯なんだもん。
そのおかげで毎日近くの女子校に通うカワイイ女の子ペアが拝めるんだけどさ……って、そういえば妹に懸賞はがきを投函してくるように言われてたんだっけ?
「え~っと、ポスト……ポストっと……」
などと呟きながら、クリーニング屋の前のポストにたどり着く。
昨日遅くまで起きていたせいか、身体が鉛みたいに重い。おまけに頭もボーッとするし、なんだか歩くのも億劫だよ。
すぐさまポストに近寄り、ハガキを投函しようとする――が、投函口に手を入れた瞬間、唐突に「いてっ!」 という悲鳴と共に身体に電気が流れた。
これがさっき言ってた自然発生的にサイコメトリーが起きる現象。
すぐさま俺の頭の中を雑多なイメージが走馬燈のように駆け巡り、見たくもないモノを見せられてしまう。
「まったく……。なんだってんだよっ、いきなり」
おかげで、いつもボヤいてイヤな思いをするばかり。
なんで、神様は俺にこんな力を与えてくださったんだろうなぁ……ぶっちゃけ、俺にもわからん。
そうやって、力のことに気を取られていたせいか、ふとさっきまで前を歩いていた二人組の女子が立ち止まって不審そうに見ていることにも気が付かなかった。
ようやく気付いたのは、それから数秒後。
ハッとした俺はどうにか誤魔化そうと、ぎこちない笑顔を振りまいて、必死に事態の収拾を図ろうとした。
もちろん、そんなことをしたって無意味。
ときすでに遅しといった感じで、「変な人」というささやき声が聞こえてきた。そして、まもなく女の子たちは逃げるように去っていった。
その後ろ姿を見ながら、俺が大きな溜息をついたのは言うまでもない。
「……はぁ。なぜこんな思いをせにゃならんのだろう……」
おもわず愚痴をこぼす。
……ってか、なんで自分の中に宿っている力のせいで憂鬱な気分にならなにゃいけないんだ? さっきの不可思議な行動は、無意識に発動するサイコメトリーによる反射的な痙攣のようなモノだっていうのに。
とはいえ、毎回落ち込んでもいられないしな。いい加減忘れて、学校に行くとするか――などと思っていた矢先だった。
突如、耳に地面を「シャーッ、シャーッ」と滑走する音が聞こえてきた。
音はこちらに向かって、徐々に大きくなっている。寸刻立つ頃には、ハッキリと後方から近付いてきていることがわかった。
おそらくスケート靴だろう。
ちょっと前に靴底にローラーを埋め込んだ運動靴ってのが流行ったが、アレはわずかな距離を滑るだけでこんなにハッキリと長く滑走音なんてしない……というか、こんな時間にスケートしてるヤツもどうかと思うぜ?
とっさに気になった俺は後ろを振り返った。
しかし、あろうことか見返ったところで、途端にすれ違いになってしまう。
目線で追いかけてわかったことは、制服を着た長い髪を後頭部で結った女の子がそばを駆けていったということだ……あっ、それと女の子とすれ違った際、かすかにいい匂いがした。
優しく包まれて、ずっと嗅いでいたいようなとても甘い香りってヤツ。
もうちょっとかいでいたかったな……って、俺は変態かよ。
とりあえず、女の子がどこに行ったのか確かめないと。
俺は再度身体を学校のある方角に向けた。
すると、約十メートル前方ですれ違ったらしい女の子が右に曲がって細い路地の奥に消えていくのを目撃する。
どうやら、女の子はどこかへ急いでいるようだ。
しかも、足下に音の正体であるスケート靴らしきものを履いている。
でも、なんでこんな時間にローラースケートなんだろ? 制服着て、鞄も持たずに朝っぱらからスケートなんざ、どう考えても学校をサボる気満々じゃないか。
まあいい、サボりたいヤツはサボらせときゃいいっか……と思い、女の子が曲がった細い路地の前を通り過ぎようとした。
だけど、途端に気になって足を止めてしまう。
「俺はいったいなにやってんだか……」
今日はなんだかつぶやきが多いな。
大方、あの優しく包まれそうな匂いに無意識にやられたに違いない。
俺は覚悟を決め、とにかく行って一言注意してやらろうと女の子のあとを追うことにした。
大通りを左に曲がり、女の子が入っていった細い路地をひた歩く。
確かこの先には、建設中になんらかのトラブルがあったとされるオフィスビルがあったはずだ。ここ二年ぐらい作業が中断していて、地主と建設主の間でいつ完成するのかという揉め事として、テレビでも取り上げられたこともある。
でも、そんなところになんの用があるってんだ?
最近じゃ薄気味がって、誰も近づかないという噂もある。俺だって、正直そんな場所に行きたくなんかない。だけど、女の子がそこへ向かったこと自体、気にならないわけがないじゃないか。
それゆえにビルに近付くにつれ、心臓の鼓動が高鳴るのを感じても「なにかいる」というような想像だけはしないようにした。……だって、怖いじゃん。
五分ほど歩くと、問題のオフィスビルが姿を現した。
しかも、閑静な住宅街からはずいぶんと離れてるんだよな、ここって。あと、周囲を防塵ネットに覆われていて、未だ建設中になってるし。
さらにビルの敷地はアルミ製の鉄柵に囲まれている。
けれども、その一角が扉のように開閉できるようになっていて、半開きの状態から察するに女の子が中へと入っていったは間違いなかった。
俺は鉄柵の扉部分からビルの中へと足を踏み入れた。エントランスホールの壁面には、三色のスプレー缶で意味不明な文字が書かれている。
女の子以前に誰かが立ち入ったのだろう。
ポップアーティスト気取りなんだろうけど、ぶっちゃけ見るのもツライぐらいの粗末な絵だ。
それを無視してホールの奥に進む。エントランスを抜けた先には、エレベーターがあった。確認のため、昇降用のボタンを押してみる。当然、通電はしていなかった。
ふと視界の左側奥に階段があることに気付く。
とっさに歩み寄り、俺はその段々をゆっくりのぼっていった。
そして、二階に到達する。
二階は周囲に間仕切りがないせいか、異様な広さを感じる。それと、内壁や窓、扉といったモノが設置されていないし、この階全体が大広間になっているように思えるよ。さらに長い間、建設工事が中断してるせいもあって、カビ臭さを感じるし……う~気味悪っ。
おまけにそれらに混じって、うっすら焦げ臭いにおいもすしやがる。
そういえば、二年ぐらい前にここで火災事件があったんじゃなかったっけ?
たしか夜中にコッソリ忍び込んだ数人の男女が火遊びをしていて、誤って張られていたブルーシートに引火させちまったというニュースがあったな。で、そのうち一人が火の勢いから逃れられずに一酸化中毒で死亡したって聞いた。
ヤヴァイ、想像しただけでも寒気がしてきた……早く女の子を注意して、とっとと退散するか。
俺はさらに上へと続く階段をのぼった。
ところが、最上階に上がった途端――そこに誰もいないことに気付かされた。目的の女の子もいないし、その痕跡もない。
部屋の作りは他の階と同じく間仕切りのない広いフロアが広がっているだけで、あとはなにもなかった。
女の子はホントにこのビルに入っていったのか?
もしかしたら、自分が見たモノは幽霊だったんじゃないのか?
そんな疑念が沸き立つ。
「おっかしいなぁ?」
奇妙で不思議な出来事――
もしかしたら、自分が間違っているのかもしれない……。
そう思って、あきらめた俺は引き返そうと元来た階段を下り始めた――が、突然背後に気配を感じて振り返った。
そして、階段の半ばで引き返す。
しかし、慌てて戻った最上階には怪しい人影はなかった。
けれども、俺の身体が危険を強く訴えかけてくる。手が汗ばみ、心臓の鼓動が意味もなく高鳴る。こう言うのを虫の知らせとでもいうのだろうか?
俺は息を潜め、奥へと進む――すると、突き当たったあたりの場所でぼやけた何かが浮いているのを目にする。
あたりが暗いせいか、遠目からではよくわからない。
俺は正体を確かめようと目を凝らし、ゆっくりと謎の物体へと近付いていった。
刹那、俺の身体が唐突に動かなくなる――いや、誰かに羽交い締めにされたと言い表す方がもっともらしい。
とにかく、俺の身体は動かなくなり、膝から崩れ落ちるように床に脚を付いた。同時にノイズ混じりの動画が頭の中に流れ込んできて、まるで自分の身に起きた体験のように強い感情移入を強いられる。
それは悲しい映像だった。
誰か一人が泣いているというか、老若男女問わず複数の人間が泣いている映像。どうしてそんなモノが頭の中に入り込んでくるのかはわからない。
ただそれを見て、自分の人生を無価値に思えてしまうぐらい悲しくかった。誰かに傷つけられたワケでもないのにこんなに悲しいのは初めてだ。
「……もういい、死のう」
それからのことは、ぼんやりとしか覚えていない。その一言もどうして発したのか、よくわからない。いつの間にか地面に落ちていたガラスの破片を握っていて、いつの間にか左手首の脈の位置に合わせて真横に滑らそうとしていた。
ハッキリと意識を取り戻したとき、俺は自殺を図ろうとしていた。
白昼夢から目が覚めた――
そう表現するぐらい自分の行動は意味不明だった。慌てて手の動きを止め、無意識のうちに引き起こした自分の行動を戒める。
なぜ意に反した行動が起こしたのかはわからない。だが、そうしなければならないという衝動が心の奥底から沸き上がってきて、俺に深い絶望感を味合わせたのは事実だ。
だけど、なんで……?
頭がこんがらがる中、俺の身体からは冷たい汗が流れた。
自分でもわかるぐらい状況は究極的だ。心臓の鼓動が高鳴って、呼吸が乱れてるせいでかなり息苦しい。
(……こういうのを極限状態っていうんだろうな……)
俺は右手を握りしめ、自分の胸元に強く叩き付けて鼓舞した。
ふと、目線の先に半透明の何かが浮かんでいることに気付く。
じっと目をこらしてよく見てみると、その浮遊物に無数の黒い物体が張り付いていた。しかも、浮遊物はそれを振り払おうと必死に動き回っているように思える。
そのうち、黒い物体の一部が顔めがけてボトリと落ちてきた。俺はすぐに手で取り払い、握った拳を開いて確かめてみた。
すると、それは小さな蜘蛛だった。
「おわっ!」
驚きのあまり、蜘蛛を遠くに投げ捨てる。
そして、再び浮遊物に目をやるとそれが無数の蜘蛛の群れであることがわかった……まさか蜘蛛がぼやけたアイツに張り付いてるなんて思いも寄らなかったぜ。
だけど、なんで蜘蛛なんかが張り付いているんだ? そもそも浮いている物体はなんだ?
気付けば、その問いかけを口に出していた。
「……なんで蜘蛛?」
なにがなんだかよくわからない。
まるでジョジョに出てくるポルナレフになった気分だ。「あ、ありのまま今起こった事を話すぜ」なんてセリフがこのシチュエーションにはよく似合う。
などと思っていた、そんなときだった。
不意に大通りで聞いたあのスケート靴の滑る音が聞こえてくる――しかも、今度は真後ろからだ。
俺はその姿を確かめようと振り返った。
ところが女の子の姿は見えなかった……いや、正確には頭上を何通り過ぎようとしていたのだ。それを見たとき、頭上を見上げた俺はピンク色の布地を直視していた。
縦に二本のレース刺繍がなされたパンツ。
暗がりだが、直視せざるえないモノが、交感神経を刺激する代物が、頭上を飛び越えていく……まさかこんな形でお目にかかるなんて、空飛ぶパンツとはこのことか。
本題に戻ろう。
ただ膝を突いていたせいで、女の子の顔は確認できなかった。しかし、代わりにわかったことは女の子が目前の浮遊物に立ち向かっていこうとしていることだ。
俺はその姿を目で追い続け、最後まで勇ましく立ち向かっていく背中を見守った。
そして――
《――臨める兵、闘う者、皆陣烈れて前に在りッ!――》
と、大きな叫び声があがる。
さらにまばゆい光があたりを包んで、「滅せよ!」という声と同時に俺が見ていた視界が奪われた。
当たり前のことだが、すぐに手で覆って眩しさから逃れたのは言うまでもない。なにより、俺にはその後の記憶がいっさいないのだから。
ただ光の中で女の子の横顔をチラリと見た気がする……。