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「疲れたわ」
ベルフェルトを見送って部屋の扉が閉じられるとルジェは呟いた。アルスは答えない。まだリンディがいるから声を出すことを躊躇ったのだ。気付いてルジェはお茶を片づけているリンディを呼んだ。
「この子はリンディ。幼馴染で私の親友。私の乳母の娘で、今は侍女をしているの」
「リンディと申します。ルジスタ様の部屋付きになると思いますのでよろしくお願いします」
リンディは淡い茶髪、青い瞳に小麦色の肌という典型のガレスディエリエル人らしい容姿をした美しい娘だ。思慮深い性格をしているのか知らないが、挨拶をしたきりアルスをじっと見つめているだけだ。どう見てもアルスに不満であるようだったが、ルジェはそんなリンディの様子をそのままにアルスに話しかけてきた。
「ねえ、アルス。私、貴女のことを叔父様には言ってしまった方がいいと思うの。それからこのリンディにも。その、貴女のこととか本当のことを」
その言葉を耳にしたリンディはあからさまに表情を明るくし、アルスに痛いほどの笑顔を向けてくる。ルジェの知らないところで、いや、知られても構わないと思っているのかもしれないが、アルスに圧力をかけようとするこのやり方。あからさますぎて下手な抵抗や小細工をする気を起させず、どこかで憎めないと思わせる態度は先ほどのベルフェルトを彷彿させる。
「分かった。ルジェを信用しているから、したいようにしてくれていいよ」
日を改めてベルフェルトを呼び一緒に話をすると約束すると、リンディはお茶のセットをカートに乗せてにこやかに部屋を出て行った。ルジェとアルスは扉のない入り口で隔てられた寝室に引っ込み、行儀悪く二人で寝台に寝転がった。精緻な装飾の施された金箔張りの天蓋には青色の厚いビロードのカーテンが下がっていて外からしっかりと遮断してくれる。
「あのリンディって子・・・さっきのベルフェルトさんに似ているね」
「アルスもそう思う? 興味の対象が重なるとは思っていたのだけど。ベルフェルト叔父様もリンディのこと気に入っているみたいだし」
「ああ」
そういう意味でもお気に入りなのだろうとアルスは密かに確信した。
「アルス、・・・・・・・・・ごめんなさい」
いきなり謝られてアルスは首を傾げて考えた。
「嫌な思いをさせたわ。そして、これからもずっとこういう扱いは変わらないかもしれないわ。むしろきっと今はまだマシな方なのよ」
アルスは笑った。
「ルジェが謝ることじゃない。これくらい城に来なくても当たり前の態度で、こんなことを気にしていたら私みたいな者は生きてこれないさ。大体、ルジェみたいにいきなり見ず知らずの人間を自分の手元に引き入れようなんて物好きの方がおかしい。私が言うのも妙だけど、無防備すぎる」
「初めて会った日にも同じようなこと言っていたわ。でもアルスだって結局署名してしまったんだから他人のこと言えないわよ」
「そ、ちゃんと契約を交わしたからここにいる。私は私の都合でここにいるんだからルジェが気に病むことじゃないんだよ」
アルスは手を伸ばしてルジェの頭を撫でた。ルジェはくすぐったかったのかアルスの手を触って手に取ったので、そのまま二人で指をからめたりひっぱったりとじゃれて遊んでいると、主室のドアが叩かれる音がして二人は飛び起きた。
* * *
「ロシュフォール閣下から姫がお連れになった者を部屋まで案内するよう命じられました」という衛兵の言に従って、アルスは階段をルジェの部屋を出てきていた。従者の身の回りを気にする必要のない王女は部屋に残るのが当然であるはずなのに、ルジェもついてきていて、部屋を着くなり口を開いた。
「アルスは私の…従僕ですのよ。こんなに部屋が離れていては不便ですわ」
ルジェはおっとりとした口調で苛立ちを隠しながら言った。彼女の苛立ちは実に巧く隠されてしまったがため、結局その抗議が聞き届けられることはなかった。部屋を確認した後再び二人はルジェの私室に戻った。二人の部屋は外から見れば壁沿いに対角線上につながっているが、実際に歩いて行くとなると、どう歩こうと片道に5,6分かかる。
「第一、あんな部屋とも呼べないような場所だなんて」
自身の豪華な部屋の天井を仰ぎ見ながら溜息をついたルジェに苦笑しながらアルスは口を開いた。
「こんな豪華な部屋を貰っても落ち着けないし、屋根もないような生活に慣れた私には過ぎる部屋だったよ」
庶民ならあの部屋はごく普通の部屋だ。狭いとはいえ、寝台があって、通気口とも判別はつかないが小さな窓もついていて新鮮な空気が入ってくる。もちろん寝台とはいっても単に木を組み合わせただけの代物に見えないし、掃除をしなければおちおち眠ることもできなさそうなほど埃がうず高く積っているが。
「でもあの部屋は地下じゃない! しかも北東向きですぐ隣が小さな林で一日中日が当たらないから保管庫として使われていたはずよ。夏も冬もなく気温が低いの」
「もう冬は過ぎたんだから快適になる一方じゃないか」
「そういう問題じゃあ・・・」
「寒さには慣れてるから。それに下手に文句をつけて知らぬ誰かと相部屋にでもされたらかなわないし」
ルジェは不服そうに口を噤んだ。再び扉がノックされ、今度はロシュフォールが入ってきた。