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ルジェの部屋は奥宮の3階、日当たりも景色も良い南東の角部屋にある。ルジェは既に侍女たちによって持ち込まれ整理されている荷物を確認していて、アルスは所在なく窓から絢爛な庭を眺めていた。奥宮は正宮に続く庭よりも一段高い場所にあり、人工滝と精巧に飾られた石段で繋がれていた。春になれば花が咲き乱れるのだろうが、今はまだ草木も寒々しい姿で味気ない地面をさらしていて、滝や泉の水は枯れている。庭の奥には塔や宮より装飾の少ない建物がいくつか見える。要塞のようなこの城は広大だった。城壁は遠く、侵入が難しいのはもちろん、外に逃げ出すことすら難しいだろうことが見て取れる。隙を見て城下を見に行こうと思っていたのだが、真正面から頼んで許されるだろうか。先ほどまでの悲愴な姿から一転して暢気に観光の予定を考えていたアルスは廊下の物音に気付いて部屋の扉に目を向けた。軽快なノックが聞こえたが、返事を返さないうちに扉はあっさりと開かれて男が入ってきた。アルスはさっと窓から離れてルジェを守れる位置に近づいたが、ルジェは嬉しそうに男を出迎えた。
「ベルフェルト叔父様! リンディも久しぶりだわ!」
男の後ろには侍女らしき若い娘もいて、ルジェに笑顔を向けていた。
「おかえり、私のお姫様。我が離宮の居心地はどうだったかな?」
「私にとっては理想郷だったわ。静かで、人に煩わされることもなくて」
「帰城は不本意だと言わんばかりだね。突飛なことをしでかすお転婆娘が目の届くところに戻ってきてくれて兄上と義姉上もさぞ安心だろう」
ルジェを抱きしめる肩越しに、ベルフェルトの瞳はアルスを見つめていた。一歩後ろに立つリンディという娘もルジェとの再会を喜びながらもアルスのことを気にしてチラチラと視線を向けてくる。若干の居心地の悪さを感じながらも当然の反応なのでアルスはルジェの行動を待つだけだ。
「紹介するわ。私の新しい従者のアルスよ。・・・セイレンの最期を看取ってくれたの」
目を伏せたルジェの頭をベルフェルトはそっと抱いた。
「そうか、セイレンの。だが、君はそれだけで彼を従者に?」
糾弾するような響きを持った言葉に、反射的にルジェが顔を上げると厳しい顔をしたベルフェルトがいた。ルジェは言葉に迷って視線をリンディに彷徨わせる。やはりリンディも困惑の眼差しでルジェを見ていた。ルジェは自分を抱きしめるベルフェルトから距離を取り、後退ってアルスの横に立った。
「それだけよ・・・・」
ルジェは口ごもった。外見とは裏腹に品位を感じさせる振る舞いと妖しい瞳に気を飲まれた。晒された本来の姿に目を奪われた。王城に来るまでの数日間を一緒に過ごして、意外と人懐こいところがあることを知った。柔らかい声と穏やかな笑顔に心を奪われた。亡国の民の中でもその黄金が輝かしい者は魔力を持つと、まことしやかに噂されている。ルジェは迷信だと思っていたが、ここまですんなりとアルスのことを信じてしまう自分は、まさかその魔力で操られているのだろうかという不安がよぎる。だが、ルジェはつい先刻に交わしあった手の温かさを信じた。
「でもこの|伏魔殿(王宮)で私を守って助けてくれるわ」
ルジェが強い気持ちでベルフェルトを見返すと、ベルフェルトは目を眇めてルジェとアルスを交互に見た。片手で顔を覆うとぶるりと身体を震わせたかと思うと大口を開けて大笑いしだした。アルスは困惑してルジェを見つめたがルジェも曖昧に目を泳がせるしかない。
「いや悪いね、ルジェ・・・ははっ! いやはや、君らしいと言うほかないな」
ベルフェルトはソファにひっくりかえるように腰掛けてもまだ笑い続けた。
「ルジェのそういうところは知っていたさ。自分の直感を確信しているというか、思い込みが激しいところ。そういう時は何を言っても梃子でも動こうとしないじゃないか。今までその直感が外れたことはなかったから今回も信じるけど、今回はいつも以上に思い入れが強いよなあと思ってさ。あまりにも絶望的な目で言うもんだから可笑しくて、ははは!」
アルスは呆気に取られ、ルジェは疲れたように溜息をついた。この叔父は昔からルジェが真剣に言っていることを大笑いする失礼な人だった。近年はようやく淑女として扱ってくれるようになったのか、馬鹿みたいに笑うことはなくなったと思っていたのだが久々に会ったらこれだ。信頼はできるがよく分からない人でもあった。一気に場を持って行かれてへたり込みそうになったが、気を取り直してアルスに向き直る。
「アルス、こちらはベルフェルト・ガレスディエリエル公爵よ。父の弟に当たる方で、月白城の城主でもいらっしゃるわ。私が信頼できる数少ない方」
ルジェと同じ亜麻色の髪は血の繋がりがあるためだと分かる。アルスは声を出すことを躊躇い、深々と頭を下げるだけに留めた。顔を上げるとベルフェルトは好奇を隠さない青い目でアルスを見ていた。
「なるほど・・・君は凡俗の者には見えないね。高貴な者の前に出れば誰だって普通は畏縮する。だが君はあまりに泰然としすぎてやしないかい? だからロシュフォールはランゼールに早馬を飛ばしたのかな」
ルジェはすぐに反応できなかった。
「知っていらしたの?」
「もう皆知っているんじゃないかな。君が奇妙な人物を連れ帰ってきたことも、ロシュフォールがランゼールに使者を出したことも。尤も、まさかその相手がブレンドレル辺境伯とは思いもしないだろうけどね」
あっという間に城中に噂は広まったらしい。だが、目下の問題は目の前にいる曲者の王弟だ。にこにこと優雅にお茶を飲みながら全て吐いてしまえと言っている。もしアルスとの経緯を全て話してしまったらどういう反応をするだろうか。ルジェは横目でアルスをちらりと見たが当然のことながらその表情までは窺えない。アルスもルジェの迷いを感じ取っていたが、この男の目的が分からず、決断しにくい。ベルフェルトはそんな二人の様子を見てか見ずにかティーカップを置いて、さて、と言った。何を言い出すのかと冷や冷やして待っていると、すっくと立ち上がった。
「君たちは小旅行で疲れているだろうからよく休むと良い。今日のところはこれでお暇しよう。私の大切な姫を頼むよ、アルス君」