3
あまりに無鉄砲な話だということは自覚していた。
王宮に戻るときには護衛が必要になるから一緒に来てほしい、陰謀渦巻く王宮で王女の手足となって働く気はないだろうか、などという申し出は身元も不確かな得体のしれない輩にするものではない。王家関係者の騎士になれるのは、騎士の中でも王に選ばれた一握りの者にすぎないし、おそらく姫自身が騎士を決めるということは前例にないことだ。
尤も、そんな事情を知るのは王家や騎士など関係者だけで、この盗賊のような下賤の者の知るところではないはずだったが、そんな事情を知らずとも十二分に突拍子もない話に侵入者は困惑したようで、驚きとも呆れとも何ともつかない左目でルジェを見つめていた。
「城に住まう姫というのはこんなにも世間知らずなのか? 私が貴女を害する危険を想像することもできないほどに? 貴女は良くても、こんな罪人紛いのごろつきを周囲の者が受け入れるわけがないだろう?」
「貴方に興味を持ったの。私、城では変わり者で通っているし、お父様もお母様も私には甘いからちょっとわがまま言うだけで済むわ」
だから一時的にであってもこんな辺鄙な城に住まう事を許された。
「他のことならいざ知らず、さすがにこんなことが我儘でも通るものか? 第一私は騎士ではないし、人を守れるほど腕が立つわけじゃない。侵入することはできても、逃げることが得意なだけだ」
「騎士であるかどうかなんて瑣末なことよ。でも、その否定の仕方、叶うなら私の護衛をしてもいいという口調ね? 私のことを考えろなんていう人が私を襲うとは思えないし、それだったらこんなところに入ってきた時にやっているんじゃない?」
「貴女に危害を加えなくとも、物を盗ってとんずらすることなら簡単にできる」
「別に構わないわ。この城には大したものはないし、別に貴方を失ったとしても私にそこまで損はないもの」
「評判が落ちるだろう」
「それで王宮を追われてこの城に戻ってくることができるなら万々歳だわ」
ルジェはにっこり笑った。反論できるネタが尽きてきたらしく、相手は口ごもった。
「それに考えてもみて? 貴方はさっき生活に困っているようなことを言っていたけど、私の側で暮せば一生そんなことには困らないはずよ」
最後のダメ押しが効いたのか、侵入者は観念したように両手を掲げた。
* * *
「では契約を交わすからそこに掛けて」
ルジェは机の引き出しから契約用の羊皮紙を取りだし、お気に入りの羽根付き万年筆をインクに漬ける。
「ガレスディエリエル王女、ルジスタ・ガレスディエリエルと騎士の契約を交わす、でいいかしら?」
「何度も言うようだが私は騎士ではない」
この侵入者は妙に生真面目を通り越して頑なだ。
「でも護衛以外のことをお願いする方が多いと思うの。強さよりも貴方の不思議な存在感と能力を買っているんだもの」
「ならば傭兵か、そうでなければ僕で構わない」
「そんな適当な・・。でもそうね、では従者ということにしましょう」
「・・・別に大した差はないだろうに」
「期限は・・とりあえず半年でいいかしら?」
「分かった」
はずした手袋の下から見えた指は、節立ってはいるが白く、細くまっすぐ伸びていて女の指のように美しかった。手には年齢が出やすいと言うし、そういえば声も少し高いから、この侵入者は意外と若いのかもしれないと思った。サインをする手前まで完成したところでふとあることに気がついた。
「ちょっと待って。契約はその汚い体を清めてきてからだわ。騎士の誓いは神聖なものだもの」
舌打ちをして左目でルジェを軽く睨んできた。
「従者の契約だろう」
「仕事の内実は騎士と変わらないし、貴方次第ではもっと濃いことをしてもらうことになるかもしれないわ」
騎士云々の話以前に、その姿は見ていて愉快なものではない。犯罪に等しいことをしでかしているというのに、さらに浮浪者のような姿で人前に立てる神経が信じられない。だが、湯を浴びている間に人を呼んで捕らえさせようとしているとでも疑っているのだろうか、と思うほどに酷く渋った。
「契約のことがなくたって、ひどい臭いまでするもの。なぜ堪えられるのか理解できないわ」
そう言ってルジェはごく近い未来の自分の騎士を強引に浴場に押し込んだ。部屋に臭いが残っているような気がして、ルジェは使い道のなかった香水を撒き散らした。
「そういえば着替えを用意していなかったわ」
ルジェは慌ててクローゼットの中を探したがここには男物の服などあるはずもなく手ごろなものが見つからない。身長はルジェよりも少し高い程度に思えたので、ルジェがこっそりと街に出るときに使う長めの白いシャツとキュロットを出して持って行く。10分も経っていないから平気だろうと脱衣場の扉を開けるのと同時に浴場の扉が開いた。
ルジェは扉を閉めなければならないと思ったが動くことができなかった。
目に飛び込んできたのは豊かに流れる黄金の髪。緩くウェーブを描いた金糸は僅かな光りをも掬い取って神々しく輝いていた。輝く髪の色に似た金色の両目と鮮血を垂らしたような鮮やかな紅い唇が、溶けそうなほど真っ白な肌を病的に見せることなく鎮座している。白い肌がまばゆい宝石の塊のように見える人間など想像したこともなかった。しなやかな肢体はバランスよくすらりと手足の伸びていて、一目でよく動くと分かる引き締まったしなやかな筋肉が張り付いている。身体のところどころに薄赤い傷跡があり、柔らかそうな胸には何かで締め付けたような鬱血した跡が薄らと残っていた。
「そんなに珍しい? お姫様でも見たことないんだ」
裸体を見られていることに動じもせず、面白いものを見たとでもいうように笑っているが場違いな笑顔の奥に何か潜んでいるとも限らないと思い、ルジェは注意深く相手の瞳を見つめた。
だがその警戒心も、人を惑わすような金色に飲み込まれる。
どうしようもなくなって途方に暮れていると、女が近付いてきたのに気付くのが遅れた。ルジェが強ばったことを知ってか知らずか、女は笑顔を消して近付き、そっとルジェの手にあるローブを取り上げた。
「これ、ありがとう」
はっとしてルジェは脱衣場を飛び出てルジェは力なくソファに寄りかかった。どうりで騎士ではないし、声も高いはずだった。女であったことにも驚いたが、あの美しく煌びやかな容姿は相当問題だった。ルジェは知らずにとんでもない者と契約を交わそうとしていたのかもしれなかった。