第5話「実りの季節と遠い王都の噂」
季節はさらに進み、辺境の地には本格的な夏が訪れていた。
ルシアナが手塩にかけて育てた畑は、見渡す限りの緑に覆われ、色とりどりの野菜たちが太陽の光を浴びて輝いている。深緑色のキュウリ、紫色のツヤツヤとしたナス、大人の拳よりも大きな玉ねぎ。どれも前世の知識と彼女の愛情が結実した、最高の出来栄えだった。
アルトもすっかり農作業に慣れ、彼の白い肌は健康的な小麦色に日焼けしていた。ひ弱だった体つきも、毎日の肉体労働によって程よく筋肉がつき、たくましさを増している。食事も、ルシアナが作るものであれば問題なく食べられるようになり、彼の瞳からはかつての暗い影が消えつつあった。
ある日の午後。ルシアナとアルトが収穫したばかりの野菜を納屋の木箱に並べていると、遠くの土煙を上げて一台の馬車が近づいてくるのが見えた。
馬車は屋敷の前で止まり、中から恰幅の良い中年の男が降りてきた。彼は行商人で、月に一度、日用品を売りに来るのだ。
「こんにちは、ルシアナ様。今日も見事な野菜ですな」
行商人は、木箱に積まれた色鮮やかな野菜を見て目を丸くした。
「こんにちは。ちょうど収穫が終わったところなんです。良ければ、いくつか持っていきませんか」
ルシアナが笑顔で言うと、行商人は何度も頷いた。
「ええ、喜んで買い取らせていただきますよ。実は今、王都では深刻な野菜不足が起きていましてね。これだけ質の良い野菜なら、飛ぶように売れるでしょう」
その言葉に、ルシアナはクワの手入れをしていた手を止めた。
「野菜不足、ですか。今年の天候はそれほど悪くなかったはずですが」
不思議に思って尋ねると、行商人は声を潜めて話し始めた。
「天候のせいではないんです。王太子殿下が、農業の要であったルシアナ様のご実家、侯爵家をひどく冷遇されましてね。流通の許可証を取り上げたり、重い税をかけたりと、嫌がらせのようなことをしているんです。そのせいで、王都へ入る食糧の流通が完全に滞ってしまっているんですよ」
『お父様たちが、冷遇されている……』
ルシアナの胸の奥に、冷たいものが走った。
彼女自身は婚約破棄されて追放された身だが、実家の家族には罪はない。むしろ、領地の農業を支え、国全体の食糧事情を安定させていたのは侯爵家の手腕があってこそだ。王太子は、個人的な感情で国全体の首を絞めていることになる。
「王都の市場では、しなびた人参一本が金貨で取引される始末です。民衆の不満も限界に近づいていると聞きますよ」
行商人はため息をつきながら、荷車から日用品を降ろし始めた。
ルシアナは黙って立ち尽くしていた。彼女が前世の記憶を取り戻し、ここで自由な農業を楽しんでいる間にも、遠い王都では家族が苦しみ、人々が飢えに直面しているのだ。
「ルシアナ」
不意に、横から低く落ち着いた声が聞こえた。アルトだ。
彼はルシアナの様子がおかしいことに気づき、心配そうな瞳で彼女を見つめていた。
「大丈夫か。顔色が悪いぞ」
「……ええ、大丈夫です。少し、驚いただけですから」
ルシアナは無理に笑顔を作り、行商人との取引を再開した。
しかし、その日の夜。彼女は一人で部屋の窓辺に立ち、暗闇に沈む畑を見つめていた。
『私は、このままでいいのかしら』
この辺境の地で、大好きな土に触れ、アルトと共に穏やかな日々を過ごす。それは彼女が望んでいた最高の生活だった。しかし、王都で起きている現実から目を背けたままで、本当に心から笑えるのだろうか。
窓から入り込む夜風が、少しだけ冷たく感じられた。ルシアナは、自分の手で育てた命の重みと、遠く離れた家族の危機の間で、心が激しく揺れ動くのを感じていた。




