第4話「間引き菜のスープと溶けゆく氷」
数日が経ち、アルトの体力は驚くほど回復していた。
毒のトラウマによる吐き気は完全に消えたわけではなかったが、ルシアナが作る野菜中心の素朴な食事だけは、不思議と喉を通った。豪華な香辛料や濃厚なソースは一切使わず、野菜そのものの甘みと少量の塩だけで味付けされたスープは、彼の荒れた胃を優しく癒してくれた。
その日の朝、アルトは約束通り畑に出るために、ルシアナから借りた粗末な作業着に着替えていた。
「おはようございます、アルトさん。今日はいい天気ですね」
ルシアナはすでに泥だらけの姿で、麦わら帽子を深くかぶりながら手を振った。彼女の足元には、ふかふかに耕された黒い土が広がっている。
「おはよう。俺は、何をすればいいんだ」
アルトは少し緊張した面持ちで尋ねる。土いじりなど、王宮で育った彼にはまったく未知の世界だった。
「今日は、大根の間引きを手伝ってください。このままだと、栄養が分散して大きな大根が育たないんです」
ルシアナは畝の前にしゃがみ込み、密集して生えている小さな緑の芽を指差した。
「間引き……? せっかく生えたものを、抜いてしまうのか」
「ええ。かわいそうに思えるかもしれませんけど、強いものを残すために必要な作業なんです。ほら、こうやって根元をそっとつまんで、真っすぐに引き抜くんです」
ルシアナは手本を見せるように、ひょろりとした小さな芽をすっと引き抜いた。土の匂いとともに、青々とした葉の香りがふわりと漂う。
アルトは彼女の隣にしゃがみ込み、見よう見まねで芽に手を伸ばした。冷たい土の感触が指先に伝わる。王宮の冷たい大理石とは違う、柔らかくて命を孕んだ温かい冷たさだ。
彼は息を詰め、そっと芽を引き抜いた。ぷちっという小さな音とともに、白い細い根が土から顔を出す。
「上手です。その調子で、元気な芽を一つだけ残して、あとは抜いていってください」
ルシアナが褒めると、アルトは悪くない気分になり、黙々と作業を続けた。
初夏の日差しが背中をジリジリと照らす。額に汗がにじみ、指先はすぐに泥だらけになった。しかし、不思議と嫌な気はしなかった。土の匂いに包まれながら、ただ目の前の小さな命と向き合うだけの時間は、彼が王宮で味わってきた陰謀や裏切りの重圧を、少しずつ溶かしていくようだった。
「ふう、だいぶ進みましたね。少し休憩しましょう」
ルシアナが立ち上がり、腰を軽く叩く。アルトも姿勢を正して立ち上がると、心地よい疲労感が体を包んだ。
ルシアナは、カゴいっぱいに集まった間引き菜を抱え、近くにある井戸へ向かった。彼女は冷たい水で泥を丁寧に洗い落とすと、その場で小さな葉を一枚ちぎって口に入れた。
「んん、ちょっと辛みがあって美味しい。アルトさんも食べてみますか」
彼女は水滴が光る緑の葉を、アルトの目の前に差し出した。
『生の葉っぱをそのまま食べるのか』
アルトは戸惑いながらも、その葉を受け取った。彼女の笑顔を見ていると、毒への恐怖よりも好奇心が勝ったのだ。
そっと口に含んで噛み砕く。シャキッとした食感とともに、土の力強さを思わせる鮮烈な青臭さと、ピリッとした辛みが口いっぱいに広がった。
「……すごい味だ。でも、嫌いじゃない」
アルトが正直な感想を言うと、ルシアナは声を上げて笑った。
「でしょう。これをお昼にスープに入れましょう。きっと、もっと美味しくなりますよ」
太陽の光の下で笑う彼女の顔には、泥が跳ねて汚れていた。しかし、アルトの目には、王宮で見たどの着飾った貴婦人よりも、彼女が美しく、生き生きとして見えた。
彼は自分の泥だらけの手を見つめ、ふっと小さく笑みをこぼした。氷のように固まっていた彼の心が、この温かい土の上で、確かに溶け始めているのを感じていた。




