第五話 隣人は、たまにズレる
ニートが隣人の女性に違和感を覚えたのは、
挨拶のタイミングだった。
朝、ゴミ出しのために廊下に出ると、
いつものように隣のドアが開いた。
「おはようございます」
「……どうも」
ここまでは、いつも通りだ。
問題は、そのあとだった。
彼女は一歩踏み出して、
そのまま、止まった。
何かを忘れた人みたいに、
廊下の真ん中で立ち尽くしている。
「……?」
ニートは、声をかけるほどでもないと思って、
そのままゴミ袋を持ち替えた。
すると、彼女がぽつりと言った。
「……あれ?」
独り言だった。
「……今日、でしたっけ」
「何がです?」
思わず聞いてしまった。
彼女は少し驚いた顔をして、
すぐに笑って首を振る。
「いえ、なんでもないです」
「……そうっすか」
それで会話は終わった。
階段を下りていく彼女の足取りは、
いつもより少しだけ遅かった。
ニートはゴミを捨てながら考える。
――ズレてるな。
そう思った。
彼女は基本的に正確な人間だ。
出勤時間も、服装も、話し方も、
だいたいいつも同じ。
だからこそ、
たまにズレると、すぐ分かる。
部屋に戻り、布団に座る。
「……珍しいな」
それだけだ。
彼女がどうしたかなんて、
深く考える気はない。
ただ、
「いつもと違う」という事実だけが残る。
昼過ぎ。
コンビニに行った帰り、
また隣人とすれ違った。
今日は平日のはずだ。
この時間に彼女がいるのは、
あまり見ない。
「あれ、今日は……?」
ニートが言いかけると、
彼女は一瞬、困った顔をした。
「……あれ?」
今度は、はっきりと混乱している。
「今日、会社……でしたよね?」
「……平日っすね」
「ですよね……」
彼女は額に手を当てて、
しばらく黙った。
「……すみません、なんか変で」
「いや、別に」
ニートは正直に答える。
変だとは思うが、
それ以上の感想はない。
「……たまにありますよね、
曜日感覚ズレるやつ」
「あ、あります……」
彼女は少し安心したように笑った。
「最近、疲れてるのかも」
「……まあ」
それで会話は終わった。
彼女は部屋に戻り、
ドアを閉めた。
ニートは、そのドアを少しだけ見つめる。
――疲れてる、か。
そうかもしれない。
でも、
疲れた人間はもっと雑にズレる。
彼女のズレ方は、
どこか――
「理由を間違えている」感じがした。
夜。
布団に横になりながら、
昼間の会話を思い出す。
「今日、でしたっけ」
「会社、でしたよね」
どれも、
未来を思い出そうとしている言い方だった。
ニートは、そこで思考を止める。
「……まあ、関係ねぇか」
他人のズレを考えても、
自分の一日は変わらない。
世界は、今日も普通だ。
ただ一つだけ、
ニートは気づいていない。
彼女のズレは、
彼が“見えてしまっている側”であることに、
ほんの少しだけ触れてしまった結果だということを。
そしてズレるのは、
いつも彼ではなく、
彼の周りの方だということを。




