第一話 今日も何もしていない
世界は、今日も普通に動いている。
朝が来て、人が起きて、仕事に行き、学校に行き、何もせずに一日を終える者もいる。
そこに特別な意味はないし、理由もない。ただ、そうなっているだけだ。
世界は、自分が正しく回っていると信じている。
疑う必要がないからだ。
もっとも――
世界そのものが、ある一人の存在を前提に成り立っていることを、
世界自身はまだ知らない。
そして、その張本人もまた、
自分がどれほどとんでもない存在なのかを、
まったく理解していなかった。
目が覚めた。
目覚ましが鳴ったわけじゃない。そもそもセットしていない。
ただ、なんとなく目が開いただけだ。
「……朝か」
六畳一間の天井を見ながら、ニートはぼんやりそう思った。
起きる理由は特にない。寝続ける理由も特にない。
だからといって、ずっと考えているのも面倒なので、とりあえず体を起こす。
床に足をつける。少し冷たい。
「寒いな」と思いかけて、やめた。寒いからどうする、という話でもない。
洗面所で顔を洗い、歯を磨く。
鏡に映る自分の顔は、昨日と変わらない。
「……まあ、変わってないならいいか」
変わっていたら、それはそれで面倒だ。
冷蔵庫を開けると、パンが一つだけ残っていた。
昨日買ったやつだ。かじると、ちゃんと昨日と同じ味がする。
テレビをつける。
『本日も全国的に穏やかな天気となるでしょう』
「穏やか、ねぇ」
この言葉が出る日はだいたい何も起きない。
大きな事件も、災害も、少なくとも今のところはなさそうだ。
安心したのかどうかもよくわからないまま、テレビを消す。
窓を少し開けると、外の音が流れ込んでくる。
車の音、人の話し声、どこかの犬の鳴き声。
うるさくもなく、静かすぎもしない。
ちょうどいい――というより、気にしなくていい。
今日はゴミ出しの日だった気がする。
袋を持って廊下に出ると、隣の部屋のドアも同時に開いた。
会社に行く隣人の女性だ。
毎朝きっちりした服を着て、毎朝同じくらいの時間に出ていく。
「おはようございます」
「……どうも」
それで終わると思ったが、彼女は空を見上げて言った。
「今日はいい天気ですね」
つられて空を見る。
青い。雲も少しある。特別なことは何もない空だ。
「……まあ」
それ以上、会話は続かなかった。
彼女は一瞬だけこちらを見て、何か言いたそうにしたが、結局なにも言わずに会釈をして階段を下りていく。
なぜか、角を曲がるまでその背中を見ていた。
理由はない。視線を外すタイミングを逃しただけだ。
ゴミを捨てて部屋に戻る。
鍵はかけない。これまで困ったことがないからだ。
床に座り、スマホを見る。
通知はほとんどない。というか、来る相手がいない。
「……暇だな」
独り言を言って、布団に戻る。
寝るわけでもなく、起きているわけでもない。
ただ横になる。
外では、今日も世界が普通に動いている。
誰も困っていない。
誰も救われていない。
今日も、
俺は何もしていない。
――少なくとも、そう思っている。




