第一部・第五章 武闘大会
アルガルドに入ってから、空気が少し重い。
重い、というより――揃っている。
道の端の石がまっすぐで、杭がまっすぐで、歩く人の背筋もまっすぐだ。すれ違う旅人も、兵も、冒険者も、腰の剣が同じ高さで揺れる。
リトリーが小さく息を吐いた。
「うわー。こういう感じ、ほんと苦手」
「入ったばっかりで?」
「入った瞬間に、もう分かるやつ。ほら、視線の角度まで揃ってるもん」
私は周りを見た。確かに、見られている気がする。けど、誰も露骨じゃない。露骨じゃないのが、逆に怖い。
「……秩序ってやつ?」
「そ。秩序って顔して、殴ってくるタイプ」
「それ偏見じゃない?」
「偏見は身を守るの!」
なんて守り方だ。
歩いていると、道が少しずつ賑わってくる。屋台の声、鉄を叩く音、遠くの歓声。町の中心に近づくほど匂いが変わった。香草より、油と金属の匂いが強い。
「ご飯の匂いより鉄が勝ってるの、アルガルドすぎ」
「ご飯はまだ?」
「まだ!」
言いながら、リトリーは急に足を止めた。
通りの壁に、紙が何枚も貼られている。風で端がぴらぴら揺れて、誰かが指で押さえながら読んでいた。
私はリトリーの横へ回り込む。
「どうしたの?」
リトリーが、紙の真ん中を指さした。
「……優勝したら賞金百万!!」
「……え」
「シルア、この武闘大会一緒に出よ!」
「ええ……」
「ええじゃない! ご飯が無限に食べれるんだよ!」
「結局それ……」
リトリーはへへ、と笑って、紙を見上げたまま言った。
「いや、でもさ。こういうの、アルガルドってほんと好きなんだよ。殴り合いを“健全な娯楽”にしてくる」
「健全……?」
「健全って言い張る。うん。言い張り続ける」
紙の下の方に、会場への案内が書いてある。矢印。場所。受付。参加条件。
私は文字を追いながら、腰の剣に指が触れた。
「……出ても、いいのかな」
「出るの!」
「……私、ルールとか分かんない」
「そこは説明してくれるはずだから」
「なら...」
「決まり!」
リトリーは紙から手を離して、私の腕を引いた。
「ほら、行こ。受付はもう始まってるみたい!」
ご飯につながるからか、引く力が強い。
△▼△▼△▼△
会場は、町の中心より少し外れにあった。
丸い石壁。高い柵。外からでも、人の声が渦みたいに漏れている。入口には屋台が並んでいて、焼けた肉の匂いが流れてきた。
「ご飯……」
リトリーの目がそっちに吸い寄せられる。
「受付が先じゃないの?」
「わかってるよ! わかってるけど!」
入口の前には列ができていた。参加者の列。観客の列。屋台に並ぶ列。全部が列で、全部が揃っている。揃っているのに、熱だけは勝手に跳ねていた。
列の端で、小さな声が聞こえた。
「……参加費、もう少し安くならないでありますか……」
変な語尾。というより、切実な語尾。
私は視線を向けた。
小柄な男の子が、受付の前で困っている。髪は黒っぽくて、目が大きい。服はきちんとしているのに、ところどころ擦れていた。腰の剣も、鞘が古い。
受付の係が、淡々と首を振る。
「規定です。参加費は参加費。無理なら観客席へ」
「はい……で、あります……」
男の子は財布を握って、指が白くなるほど力を入れていた。諦めたくないのに、どうにもならない顔。
リトリーが、私の耳元で囁く。
「……あの子、金欠の気配する」
「うん...」
でも、分かる。あの焦りは、私が宿で「お金って……」って聞いた時のそれに似ていた。
リトリーが一歩前に出る。
「ねえ、そこのちっちゃいの。参加したいの?」
男の子がびくっとして振り向いた。
「は、はいであります! したいであります!」
「であります多いね」
「癖であります!」
即答がまっすぐすぎて、ちょっと笑いそうになる。
リトリーは財布を見て、それから受付を見て、考える顔をした。考える顔のまま、急に私を見る。
「シルア」
嫌な予感がした。
「……なに」
「賞金百万」
「……うん」
「優勝したら、二人分のご飯が大量に」
「……うん」
「つまり、出る」
「論理がご飯に寄ってる」
「寄せていくの!」
リトリーが胸を張る。
男の子が、何の話か分からない顔で見上げている。
「ところで君、名前は?」
「えっと……ぼくは、ユズキと言うであります……!」
「ユズキくんね。よし、覚えた」
リトリーは人差し指を立てた。
「ユズキくん、出たいなら出よう。どうせこの大会、人数多いから」
「で、でも……参加費が……」
「うん。そこだよね」
リトリーが、にやっと笑って、私の方に体を寄せた。
「シルア」
「やだ」
「まだ何も言ってない!」
「顔で分かる」
リトリーは「ちぇ」と舌を出してから、受付に向き直った。
「ねえ、参加費って、三人分まとめて払える?」
受付係は一瞬だけ眉を動かした。
「払えますが、返金はしません」
「返金いらない! はい!」
リトリーが、さっと金を出した。
私は驚いてリトリーを見た。そんなの、持ってたっけ。
リトリーは小声で、私にだけ聞こえるように言う。
「町で働いた分、ちゃんと貯めてたの。――こういう時のご飯のために」
「……結局ご飯」
「ご飯は裏切らない!」
ユズキが目を丸くして、慌てて頭を下げた。
「え、えっ、いいのでありますか!? ぼく、返せないでありますよ!?」
「返せなくていいよ。代わりに――」
リトリーは指を折る。
「もし勝ったら、ご飯奢って」
「はいであります!!」
返事が大きい。周りの人がちらっと見る。ユズキはすぐ小さくなった。
「……声、でかかったであります……」
「かわいい」
私がぽつっと言うと、ユズキが固まった。
「え、えっ……?」
リトリーが笑う。
「ほら、照れてるじゃん。よし、受付済ませよ!」
△▼△▼△▼△
札みたいなものが手渡された。参加番号。名前を書く紙。
ユズキは文字を書くのが丁寧だった。丁寧すぎて、ちょっと時間がかかっている。
「ユズキくん、まじめ」
「はいであります! 真面目だけが取り柄であります!」
受付を抜けると、控えの通路に案内された。中は広い。石の床。木のベンチ。水桶。壁には剣を立てかける場所が並ぶ。
あちこちで参加者が身体を動かしている。剣を抜く者もいれば、抜かずに呼吸だけ整える者もいる。
私は、無意識に腰の剣へ触れた。
形だけの剣。戻らない剣。
それでも、ここでは“それがある”だけで、息がしやすい。
リトリーが肘で私の脇をつついた。
「シルア。顔が固いね」
「……固い?」
「固い。あと目が、めっちゃ真剣」
「真剣は……いいことじゃないの」
「そうだけどさ〜。ほら、ここ、祭りっぽいから。もうちょい“うわ、やるの?”って顔していい」
「そんな顔できない」
「できるよ。こう」
リトリーがわざと肩をすくめて、「ええ〜」って顔を作る。
「……うざい」
「褒め言葉として受け取っとく!」
受け取らないでほしい。
通路の向こうから、歓声が一段大きくなった。開会前のざわめきが、膨らんでいく音。
そこへ、甲高い声が響いた。
「さあさあさあ!! 本日も始まりましたァ!! アルガルド闘技祭!!」
声だけで、空気の温度が上がる。
壁の穴から覗くと、円形の闘技場が見えた。観客席はぎっしり。旗が揺れ、太鼓が鳴り、笑い声が跳ねる。砂の匂いと汗の匂いと、熱が混じって押し寄せた。
中央の台に、派手な服の男が立っていた。腕を広げて、世界を掴むみたいな仕草。
「司会、うるさそう」
「うるさいのが仕事なんだよ」
リトリーが言った通りだった。
「ルールは簡単!! 降参! 戦闘不能! それで勝敗決定!! 故意の殺しは無し! あくまで“祭り”ですからねえ!!」
観客がわあっと沸く。
「そして万が一の怪我についてはァ! 治療班が控えております!! 安心してボッコボコにしてください!!」
「安心してボッコボコって何」
私は思わず呟いた。
リトリーが笑う。
「アルガルドだねぇ」
司会が胸を張った。
「私の名はジョー・ゼッツ!! 今日も饒舌に喋り倒します!! よろしくゥ!!」
「そして本日の解説! 銀髪のギンナーさぁん! いいか諸君、こいつの解説は当たるぞ! 腹立つくらい当たるぞぉ!」
観客が笑う。
ギンナーが、マイク越しに軽い声で返した。
「当たるときは当たるし、外れるときは外れるよ〜。今日はどっちかな!」
「外れるなぁぁ!」
「外れないでぇぇ!」
客席が勝手に返事して、また笑いになる。
闘技場の端に、解説席が見えた。
私は、ほんの一瞬だけ目が止まった。
「……銀色?」
ギンナーはサングラスをかけていて、目元が見えない。
「気のせいか」
そう思っているとリトリーがにやにやして、通路の先を指さした。
「ほら。予選、あそこから見れるっぽいよ。あそこでどんな感じか確認しよ」
「確認?」
「そ。たぶん手強い相手ばかりだからシルアの使う技を決めないと。たくさん使っちゃって目立つのはあとで困るし」
私が頷くと、ユズキが手を挙げた。
「ぼくも、目立つのは怖いであります……!」
リトリーが一瞬焦ったがこんなに小さい子だし大丈夫だろう。
「ユズキくんは目立ってもいいよ。かわいいから」
「えっ……!?」
また固まった。
私は、ちょっとだけ笑ってしまった。ユズキは耳まで赤くなって、背筋を伸ばす。
「が、頑張るであります!!」
「うん。頑張ろ」
△▼△▼△▼△
予選の様子は、通路の隙間から見えた。
最初に出たのは、腕が太い男。次に、刃の長い剣を持つ女。名前も知らない。知らないのに、動きは綺麗で、怖い。
剣が交わる音が、近い。
歓声が、波みたいに押してくる。
リトリーが、私の耳元で小声になった。
「ね。どういう感じの力にする?」
私は、自分の手を見た。
弾く。壁。火。水。
できることの輪郭が、まだ掴めない。
でも、昨日から続いているものがある。
押す感覚。
空気が固くなる感覚。
「……風、みたいなの」
「風?」
「押したり弾いたり」
リトリーが頷く。
「いいね。応用ききそう」
闘技場の中央で、次の試合が始まった。
観客席がどよめく。何かが空を走った。細い、光る線が何本も。
「うわ、あれやば」
リトリーが目を細める。
私は目で追うだけで精一杯だった。細いものが、素早く相手に刺さっていく。相手が身をひねっても、追ってくる。
「……怖い」
「ね。でも風だと相性いいかも」
リトリーは、私の肩を軽く叩いた。
「自分の周り常に強い風を纏わせればああいうのも防げるかも」
「……うん」
決めると、心が少し落ち着いた。
ジョー・ゼッツの声が、また響く。
「さあ次のブロック!! 参加者ァ!! 控えに集合ゥ!!」
通路の空気が一気に動く。番号札を握る音。靴の音。息を飲む音。
「次、ぼくの番であります!」
ユズキが、私たちの横で小さく拳を握った。
「ぼく、やるであります……!」
「うん」
リトリーが笑って、背中をぽん、と叩く。
「ユズキくん、頑張って!」
「応援してる」
「はいであります!」
私は二人を見て、息を吐いた。
ここは、軍事国家アルガルド。
戦いが“祭り”になる国。
怖い。けど――
怖いだけじゃない。
胸の奥が、少しだけ熱い。
観客の歓声が、もっと大きくなった。
闘技場の砂が踏まれる音がする。
「ドキドキしてきたね」
リトリーが言う。
私は頷いて、札を握り直した。
腰の剣は相変わらず軽い。
でも、隣の足音はちゃんと重い。
そして今は、その重さに引っ張られて歩ける気がした。




