闘剣
良かったら感想を書いてくれると嬉しいです!
昼下がりの家の中は、煮込んだ肉の匂いで満ちていた。
木の床は陽を吸ってほのかに温かく、窓から差し込む光が食卓の上の皿を白く照らしている。鍋の底に残った煮汁が、とろりと光を反射して、まだ湯気を細く立ちのぼらせていた。
皿の中央に、ひと切れだけ。
照りをまとった、最後の肉。
柔らかそうに脂が光り、表面に絡んだ甘辛い汁が、ゆっくりと皿の傾きに沿って流れていく。鼻先をくすぐる匂いは、焦げ目の香ばしさと、煮込まれた甘みが混じったものだ。
その皿を挟んで、向かい合う二人。
「それ、オレのだから」
低く、先に口を開いたのは白銀の髪をした少女だった。肘を卓に乗せ、身を乗り出している。目は肉に釘付けだ。
「はぁ? 今日の当番はオレ様だったんだぞ。だから当然、オレ様のだ」
向かいの同じ髪をした少年が椅子を鳴らして前に出る。背もたれがぎしりと軋む。
二人の視線が、肉の上でぶつかる。
皿の縁に落ちた煮汁が、ぽたりと卓へ落ちた。
「はぁ? 当番って何したんだよ。鍋に肉入れただけじゃん」
「オレ様入れてなきゃできてねぇじゃんか!」
声が少しずつ大きくなる。壁にかかった鍋が微かに揺れた。
台所の奥、流しのそばで皿を拭いていた少女と少年の姉が、肩越しに振り返る。金の瞳が細くなる。
「こらこら〜。そんな顔で睨み合わないの。お肉が固くなっちゃうよ?」
軽い声。
けれど二人は聞かない。
「だいたいよ、さっきルビー姉ちゃんは二切れ食っただろ!」
「ルドだって食ってたじゃん!」
「オレ様は成長期なんだよ!」
「そんなのオレだってそうだよ!」
椅子が擦れる音。卓に叩きつけられた手の振動で、皿がかたかたと揺れる。
姉は溜め息をひとつつき、布巾を置いた。床板が鳴る。近づいてくる足音。
「二人とも。たった一切れでそこまで熱くならなくてもいいじゃない。分ければ?」
「無理」
「無理だな」
ぴたりと声が揃う。
姉の頬が、わずかに膨らんだ。
「どうして?」
「オレが全部食いたいから」
「オレ様が全部食うからだ」
睨み合いがさらに近づく。鼻先が触れそうな距離。
肉の匂いが、さらに濃くなる気がした。
「……はぁ」
姉は指先で皿の縁をなぞる。温かい。まだ柔らかい。
「じゃあ、じゃんけん」
「やだ」
「運とか嫌いだ」
即答。
金の瞳が細くなり、今度ははっきりと頬が膨らんだ。
「もー。二人とも聞く気ないじゃん」
「姉ちゃんは黙ってて」
「これは男の勝負だ」
「いやルビーは女の子だよね?」
突っ込みは無視される。
言い合いはさらに熱を帯びる。椅子が倒れ、床に転がる。木がぶつかる音。卓の脚がきしむ。
「オレのだ!」
「オレ様のだ!」
声が重なり、互いの肩を押し合う。息が荒い。頬が赤い。汗がこめかみに滲む。
姉はその様子を見て、唇を尖らせた。
「……もう知らない」
小さく呟いて、皿をすっと持ち上げる。
二人は気づかない。
次の瞬間。
「あーん」
ぱくり。
歯が柔らかい肉を裂く音。じゅわ、と脂が舌の上で弾ける。甘辛い汁が喉へ落ちる。
二人の動きが止まった。
「……あ?」
「……え?」
姉はゆっくりと噛む。目を細め、頬を押さえる。
「ん〜〜……やわらかぁい。舌の上でとろっとろに溶けちゃう。脂がじゅわって広がって……あ、後から甘み来る。あ〜幸せ〜」
「おい!」
「姉ちゃん!」
二人の叫びが重なる。
姉はもう一口。
「うん、やっぱりこの焦げ目最高。さっきの言い合い、いいスパイスだったかも?」
もぐもぐと咀嚼しながら、にこにこと煽る。
「今さらだけど、二人ともありがとう。おかげで美味しくいただいてまーす」
「ふざけんな!」
「返せ!」
空になった皿が卓に置かれる。
姉は指についた汁をぺろりと舐めた。
「ごちそうさまでした」
一瞬の沈黙。
次の瞬間、二人の視線が合う。
怒りの矛先が、同じ方向へ揃う。
「……やるぞ」
「ああ」
さっきまで掴み合っていた手が、同時に空へ伸びる。
何もなかった空間が、わずかに歪む。
少女の手に現れたのは、真紅の柄だけの形。刃は見えない。けれど周囲の空気がぴりりと震える。
少年の手には、彼の体躯には不釣り合いなほど巨大な剣影。握った瞬間、床板が軋む。重さが現実を押し下げる。
姉は目を丸くした。
「ちょ、ちょっと待って?」
二人は構える。
「いくら姉ちゃんでも二人がかりならいけるぜ!」
「ボコボコにしてやんよ!」
姉はお腹に手を当てて、笑う。
「あははっ。このお姉ちゃんをボコボコにするだなんて、二人とも生意気だな〜?」
「出力一〇%――」
少女の柄の先に魔力が集中し赤く光る。
「こらこら〜、ここ家の中なんだけどー!」
指を軽く鳴らす。
ぱちん。
空気が白く弾けた。
視界が一瞬、塗りつぶされる。
足元の感触が消え、匂いも、音も、重さも、全部が引き剥がされる。
次に足が触れたのは、何もない白。
上下も影もない、果ての見えない白い世界。
三人だけが立っている。
姉は両手を腰に当て、楽しそうに笑った。
「さぁ。思いっきりやろっか?」
△▼△▼△▼△
白い世界に、足音だけが響いた。
音は吸い込まれるはずなのに、二人の呼吸だけはやけに生々しい。少年の荒い息が白い空気を震わせ、少女の舌打ちが乾いた響きを残す。
年少の少年が、先に動いた。
「行くぜ、姉ちゃん!」
その声と同時に、彼の両腕が大きく振り上がる。
手に握られた巨大な刃は、今はまだ届かない。白銀の髪の姉との距離は、数歩分。普通に振れば、空を切るだけの間合い。
けれど。
「おらぁっ!」
振り翳された瞬間、刃先の延長線が彼女へ重なりかける。
次の瞬間、質量が爆ぜた。
空を覆うほどに、剣影が一気に膨張する。距離が意味を失う。刃は一瞬で彼女の眼前まで伸び、圧が白い地面をきしませた。
風もないはずの世界で、衝撃波だけが走る。
だが。
「はい、ストップ」
軽い声。
彼女は何事もなかったかのように、両手を伸ばした。
がし、と。
刃の腹を、素手で受け止める。
見事な白刃取り。
巨大化した刃は、彼女の掌の中でぴたりと止まる。金属の冷たさも、重さも、何も彼女の表情を変えない。
少年の目が見開かれる。
「なっ……!」
「うんうん、全然小さいね〜」
余裕の声。
少年は歯を食いしばる。
「まだまだぁ!」
握られたままの剣が、さらに膨れ上がる。
質量が跳ね上がる。
見えない重力が白い地面を押し潰す。足元にひびが走るような錯覚。押し寄せる超重量が、彼女の身体を下へ沈めようとする。
「むむむ……」
彼女の踵がわずかに沈む。白い地面がきしむ。
その背後。
「出力四%」
少女の声が低く響いた。
真紅の柄だけを握り、空気を裂くように振る。
刃は見えない。
けれど、柄から噴き出した崩壊の光が、薄い赤黒い刃となって空間を走る。空気が溶けるように歪む。
「よっと」
彼女は掴んだままの巨大な刃を、ぐい、と無理やり傾けた。
盾代わり。
崩壊の刃が、少年の武器へ直撃する。
「うわっ!?」
衝撃が逆流し、少年ごと振り回される。巨大化したままの剣が、彼女の手によって円を描く。
「バカ! 何やってんだよ!」
少女が叫ぶ。
「うるせぇ!」
少年は咄嗟に剣の大きさを元へ戻す。質量が消え、白い世界の圧迫感がふっと軽くなる。
その一瞬。
盾を失った彼女の姿が、正面にさらされる。
少女の口角が上がる。
「出力二〇%」
柄から奔流。
赤黒い崩壊の奔流が一直線に放たれる。空間が裂ける。白い世界が、黒い亀裂を走らせる。
同時に。
「いけぇぇ!」
少年が再び刃を巨大化させる。
今度は空を覆うほど。
上空を覆い尽くす剣影が、振り下ろされる。
触れたものを崩壊させる紅き光と、どんなものも押し潰してしまいそうな圧倒的質量。
上下から、二つの破壊。
少女が叫ぶ。
「姉ちゃんも剣使わねぇとやばいぜぇ!」
轟音。
白が割れ、赤黒い光が爆ぜ、超質量の刃が重なる。
二人の目が輝く。
「よっしゃぁ!」
少女が拳を握る。
その背後。
「なーにが、よっしゃぁだって〜?」
耳元で、柔らかな声。
「わっ!?」
少女は飛び退き、少年の隣まで下がる。
そこに、何事もなかったように立つ白銀の髪。
衣服に傷ひとつない。
少女が目を丸くする。
「絶対当たったと思ったのに〜!」
少年も唇を尖らせる。
「瞬間移動して避けたんだろ!ずるいぞー!」
彼女は肩をすくめる。
「ずるいのはそっちでしょ。いくら私だからって、人にあんな力向けるなんて。殺す気満々じゃん」
少年は鼻を鳴らす。
「殺す気じゃねぇと、かすりもしねぇからな」
少女も続ける。
「まあ、オレのは触れもしてくれねぇけどな」
彼女はくすっと笑う。
「でもさ。もうお肉の怒りはなくなったでしょ?」
二人の視線が一瞬揺れる。
「今度またチアくんと獲りに行ってあげるから。今日はこれでおしまいね」
指を鳴らそうとする。
白い世界がわずかに揺らぐ。
その瞬間。
二人が顔を見合わせる。
にっと笑う。
「いーや、まだだぜ姉ちゃん」
少年が言う。
「さっきまでは別々だったけどよぉ」
少女が続ける。
「今度は完全な合わせ技だぜ」
同時に飛び上がる。
白い世界に影が落ちる。
少女が叫ぶ。
「出力一〇〇%!」
柄から、これまでとは比べものにならない密度の崩壊の光が溢れ出す。
「崩剣」
「闘剣」
「「破滅の巨光!!」」
二人の口が、同時に形を作る。
紅き崩壊と、無限に膨れ上がる質量が融合する。
それはもはや刃ではない。
光の柱。
際限のない質量を帯びた崩壊の奔流が、空間そのものを捻じ曲げながら進む。
白い世界が悲鳴を上げる。
世界に亀裂が走り、色が失われる。
光は中心に立つ彼女へ。
「ちょっと!? それはやば——」
言葉の途中で、色のない光に包まれる。
視界が塗りつぶされる。
少女と少年は息を呑む。
光は全てを呑み込み全てを崩壊させていく。
その中心。
光に包まれる彼女の手に——
一瞬。
何かがあった気がした。
刃のような、輪郭のない光。
少年の喉が、ひくりと鳴る。
「姉ちゃんの……」
白い世界が、静まり返った。
△▼△▼△▼△
白が、割れていた。
先ほどまで均一だったはずの世界に、巨大な亀裂が走り、そこから黒が覗いている。上下も距離も定まらない、黒より黒い黒が、ひびの隙間から滲み出していた。
空気が焦げた匂いを帯びる。
足元はまだ白いが、ところどころ崩れ、足を踏み出せば沈みそうな柔らかさがある。
二人は膝に手をつき、荒い息を吐いていた。
「はぁ……はぁ……」
少年の胸が大きく上下する。少女も肩で息をしている。全身の力を使い切った後の、甘い倦怠感と震えが、指先に残っていた。
「……これ、オレ様たち……やったんじゃねぇか?」
少年が、白と黒の裂け目を見渡しながら呟く。
少女が喉を鳴らして笑う。
「後にも先にも、これ以上の手応えはねぇくらいだぜ……」
二人の視線が、煙の立ち込める中心へ向く。
「この姉ちゃんの世界ごと吹っ飛ばせると思ったけどよ……」
少年が息を整えながら言う。
「思ったより丈夫だな」
少女が頷く。
「そこはさすが姉ちゃんだぜ」
煙が、ゆっくりと揺れる。
しかし。
出てこない。
いつもなら、どこからともなく軽い声が飛んでくるはずなのに。
白銀の髪も、からかうような金の瞳も、見えない。
少女の眉がひそむ。
「……あれ」
「なかなか出てこないな」
少年も少女と同じことを思う。
「どうせいつもみたいに無傷で出てくると思ったのに」
「……」
少年が小さく呟く。
「なぁ、ルビー姉ちゃん」
「なんだよ」
「姉ちゃんがいなくなったら……オレ様たち、どうやってここから出んだ?」
少女がすぐに言い返す。
「バカ。姉ちゃんがいなくなるわけないだろ」
声は強い。
けれど、その指先がわずかに震えている。
「どうせさっきの合わせ技も、いつもの瞬間移動で避けられてんだ」
少年が煙を睨む。
「じゃあ、なんで出てこねぇんだよ」
少女は、答えない。
沈黙。
ひび割れた白い世界が、軋む。
黒が、じわりと広がる。
二人の胸の奥に、冷たいものが落ちる。
さっきまで誇らしかった手応えが、急に重くなる。
本当に、やってしまったのではないか。
体が動かない。
足が、前に出ない。
煙の向こうを確かめたいのに、怖い。
そのとき。
「……それは二人が世界を壊したからでしょ」
背後から、呆れた声。
振り返る間もなく、二人の視界に、ひらりと白が落ちる。
倒れ込む二人の前に、すっと立つ姿。
白銀の髪が揺れ、金の瞳が細められている。
瞳には滅多に見せない紋様が浮かぶ。
「姉ちゃん!」
二人の声が揃う。
胸の奥に溜まっていたものが、一気にほどける。
生きている。
ちゃんと、そこにいる。
少女が思わず笑い、少年が肩の力を抜く。
彼女は腕を組み、ため息をついた。
「二人とも、お肉は当分抜きね」
「は?」
「え?」
「世界を作るのに、どれだけの魔力がいると思ってるの?」
足元の白を軽く踏む。
ひびが、ぱらりと広がる。
「ここだけならまだしも、今ので他の世界にまで、すごい影響出てるのよ」
言われてみれば、黒い亀裂の向こうで何かが軋む音がする。
少女が舌を出す。
「へへ。でも、すごかっただろ?」
少年も笑う。
「オレ様たち、最強じゃね?」
彼女は一瞬、言葉を詰まらせる。
確かに、すごかった。
二人の力は、想像以上に噛み合っていた。
けれど。
目の前の二人に、反省の色は一切ない。
金の瞳が、すっと細くなる。
「……確かに……すごく、かなり、すごかった、けど」
間。
「お肉に追加で、ルビーちゃんは一ヶ月外出禁止」
「え」
「ルドくんは一ヶ月おやつ禁止ね」
「はぁぁ!?」
衝撃が走る。
少女が口を開け、少年が頭を抱える。
「外出禁止!?」
「おやつ禁止は死んじゃうじゃん!」
「死なない」
即答。
彼女は指を鳴らした。
ぱちん。
壊れかけた白い世界が、ふっとほどける。
△▼△▼△▼△
木の床の匂い。
煮込んだ肉の甘い残り香。
三人は、元の家の中に立っていた。
椅子は倒れたまま。皿は空のまま。
そこへ。
「あ、帰ってきた」
柔らかな声。
振り向けば、白銀の少女が台所から顔を出す。
その腕には、しっかりと絞められた豚が抱えられていた。まだ温かいのか、湯気が薄く立っている。
「三人ともどこ行ってたの?」
彼女は首を傾げる。
姉は、何事もなかったかのように微笑む。
「ちょっとね」
それから、二人へ振り返る。
にこり。
「ちなみに今日のディナーのメインは、美味しいトンテキだよ」
じゅう、と台所から油の弾ける音がする。
豚肉が鉄板に置かれる音。
香ばしい匂いが、一気に広がる。
少年と少女の腹が、同時に鳴る。
ぐうぅ。
彼女は楽しそうに続ける。
「でも二人は食べ足られない上に、ルビーちゃんは一ヶ月外出禁止。ルドくんは一ヶ月おやつ禁止。あ〜、可哀想に」
じゅわじゅわと焼ける音が、二人の心を削る。
少女が悔しそうに歯を食いしばる。
少年が唇を噛む。
香りが、これでもかと鼻を刺す。
「……姉ちゃんの鬼」
「世界壊したの誰だっけ?」
軽い返し。
二人は顔を見合わせる。
そして、同時に悔しそうに唸った。
トンテキの焼ける匂いが、家中に広がっていった。
△▼△▼△▼△
△▼△▼△▼△
△▼△▼△▼△
そこは空じゃなかった。
上下も距離も、決めた瞬間にほどける黒。
黒の中には光が詰め込まれ、ぎゅうぎゅうに押し合っている。結界の縁、砲撃の尾、陣形を保とうとする障壁の線。
その中心に、白銀が揺れる。
金の瞳が笑っている。
「あはっ。まだやる?」
声が落ちた瞬間、光がいくつも途切れた。
彼女の周囲に浮かぶ無数の刀影。
それらは動きが見えない。ただ、刺さった“結果”だけが先に置かれ、現実が遅れて追いつく。
兵が、艦が、結界ごと貫かれ、星のような点になって散る。
しかし。
その中にひとつだけ、消えない光がある。
静かに浮かぶ男。
両目に光る越眼。揺らがない呼吸。
「余は、まだ立っているぞ」
その声が落ちた瞬間。
彼の手刀が、彼女の首を断つ。
白銀の髪が宙を舞う。
胴が裂け、血が散る。
――が。
その事実は、世界の記録に残らない。
事実が歪み、彼女は同じ場所に立っている。
「あはっ。今の、今日だけで二千三百七十二回目だよ?」
男の眉がわずかに動く。
「……わけのわからぬ事を」
再び手刀。
胸を貫く。
腹を裂く。
頭を砕く。
すべて、実際に起こったこと。
だが世界は覚えない。
彼女は笑いながら、眩い刀を抜いた。
刃は恒星の如く輝く。触れれば形を保てない熱。
「いくよ〜」
振り下ろす。
男はそれを紙一重で避ける。熱がかすめた空間が白く溶ける。
同時に、彼は上空へ跳ぶ。
そこに浮かぶ星々をそのまま刃にしたような美しい刀――星の数に及ぶ刀影を生み出し続け、この戦場でもっと多くの命を奪い続ける刀。
「これさえ壊せば……」
手刀が放たれる。
空間を壊すほどの圧。黒が割れる。
だが、刃は壊れない。
衝撃が走っても、刀はそこに在る。
「残念でした〜」
彼女が肩をすくめる。
「それも何度も試してるでしょ? 壊せないってわかってるのに、諦めが悪いな〜」
男は静かに黙り込む。
「……ならば、貴様を殺すだけだ」
次の瞬間。
彼女の身体が真っ二つに裂ける。
血が散る。
――なかったことになる。
彼女は笑う。
輝く刀で何度も斬りかかる。だが、当たらない。
男は常に“当たらなかった場所”へ立っている。
刃が空を焼くだけ。
「あー、もう」
彼女はその刀を空へしまい込む。
代わりに抜いたのは、質量そのものを握るような大剣。
それを見た瞬間。
男が動く。
あれを使わせてはいけない。
狙いは大剣を握る右手。
手刀が閃き、彼女の細い腕を切断しにかかる。
肉が裂け、骨が露出する。
しかし、完全には断てない。
骨で止まる。
彼女は少しだけ眉を上げる。
「そっちは頑丈だよ〜。それも知ってるでしょ?」
次の瞬間。
大剣が膨張する。
一瞬で、星と同じ大きさへ。
戦場に影響を及ぼすほどの重力が発生する。
黒が歪む。
陣形が崩れる。
障壁が裂ける。
隊列が引き裂かれ、悲鳴が交錯する。
崩れた隙間へ、無数の刀影が突き刺さる。
男の周囲に貼られ続けていた障壁が、だんだん薄くなる。
そして。
ひとつ。
肩に刺さる。
ふたつ。
腹に刺さる。
「おのれ……!」
男は叫び、大剣の刃の上へ跳ぶ。
拳を振りかざす。
圧倒的な力。
星と同じ大きさの大剣が、揺れる。
ぐらりと。
大剣が彼女の腕から離れる。
「わわっ」
離れた瞬間、剣は元の大きさへ戻る。
重力が止む。
崩れた陣形の残骸が、黒に漂う。
彼女は武器を持ってない上に隙だらけ。
男は身体を刀影に貫かれたまま突っ込む。
手刀が、彼女を真っ二つに裂く。
――なかったことになる。
彼女以外がそれを知覚しない。
そして次の瞬間。
彼女の手には、再び大剣が握られている。
金の瞳がにやりと笑う。
「ねえ、ブラックホールって知ってる?」
囁きは軽い。けれどその瞬間、彼女の手にある大剣が、音もなく膨張を始める。
一瞬で星の大きさ。
次の瞬間には、その比較すら意味を失う。
限界を設けない質量が、概念のように増殖する。
そしてその莫大な質量を保ったまま、大剣は元の大きさへ。
次の瞬間、重力が発生するという表現では足りない、空間そのものが、中心へ“落ち始める”。
黒がたわみ、光が湾曲する。
艦列が軋み、障壁が悲鳴を上げる。
兵の身体が、悲鳴ごと引きずられる。
足場を失った光が、尾を引きながら沈む。
距離が消える。
方向が消える。
ただ“落ちる”という結果だけが残る。
光さえ、直進をやめる。
「あはー、終わっちゃった」
彼女は笑う。
笑い声が、重力井戸の底へ落ちていく。
だが。
ひとつの光が、まだ立っている。
男は全身を超重力に軋ませながら、膝を折らない。
足元の空間が潰れ、骨がきしみ、血が逆流しても、立つ。
「まだ……だ……」
声が歪む。
「さっすが五位階! これでも殺せないなんて!」
次の瞬間、彼女の指が、わずかに動く。
無数の刀影のうち、その一つが、男の頭蓋へ到達している。
音はない。
ただ、踏ん張っていた力が抜ける。
身体が、重力へ委ねられる。
「お、のれ……もう、一回だ……」
男は自分の能力を使う。
言葉の最後が、黒に呑まれる前に世界が軋む。
重力の中心が、ひび割れる。
黒が裂け、光が砕け、時間が縦に割れる。
回帰が発動する。
この時間軸そのものが、剥がれ落ちていく。
彼女の腕が、透け始める。
指先から順に、存在が薄まる。
質量も、温度も、色も、意味も。
「はあ、これだから回帰者はやだなぁ」
戦場が崩れていく。
沈んだ艦も、砕けた兵も、歪んだ光も、全部“なかったこと”に向けてほどけていく。
彼女は、薄れていく視界で、黒の向こうを眺める。
「ルミちゃんじゃ殺せないから、わざわざルドくんでやったのに……」
油断してくれない彼にルミアは当たらない。
だから全部黒で潰そうとした。
重力の影響は光と同じ速度で伝播するから、即殺できるはずだった。
肩が消える。
「ルドくんでも即死させられないなんて」
唇の端が、わずかに上がる。
黒が、すべてを飲み込む。
光が消え、音が消え、概念が消える。
最後に残るのは、彼女の笑みだけ。
「うん、次だ次!」
そして。
この時間軸は、完全に消えた。
次回!今度こそ二章!




