表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
50/50

闘剣

良かったら感想を書いてくれると嬉しいです!

昼下がりの家の中は、煮込んだ肉の匂いで満ちていた。


木の床は陽を吸ってほのかに温かく、窓から差し込む光が食卓の上の皿を白く照らしている。鍋の底に残った煮汁が、とろりと光を反射して、まだ湯気を細く立ちのぼらせていた。


皿の中央に、ひと切れだけ。


照りをまとった、最後の肉。


柔らかそうに脂が光り、表面に絡んだ甘辛い汁が、ゆっくりと皿の傾きに沿って流れていく。鼻先をくすぐる匂いは、焦げ目の香ばしさと、煮込まれた甘みが混じったものだ。


その皿を挟んで、向かい合う二人。


「それ、オレのだから」


低く、先に口を開いたのは白銀の髪をした少女だった。肘を卓に乗せ、身を乗り出している。目は肉に釘付けだ。


「はぁ? 今日の当番はオレ様だったんだぞ。だから当然、オレ様のだ」


向かいの同じ髪をした少年が椅子を鳴らして前に出る。背もたれがぎしりと軋む。


二人の視線が、肉の上でぶつかる。


皿の縁に落ちた煮汁が、ぽたりと卓へ落ちた。


「はぁ? 当番って何したんだよ。鍋に肉入れただけじゃん」


「オレ様入れてなきゃできてねぇじゃんか!」


声が少しずつ大きくなる。壁にかかった鍋が微かに揺れた。


台所の奥、流しのそばで皿を拭いていた少女と少年の姉が、肩越しに振り返る。金の瞳が細くなる。


「こらこら〜。そんな顔で睨み合わないの。お肉が固くなっちゃうよ?」


軽い声。


けれど二人は聞かない。


「だいたいよ、さっきルビー姉ちゃんは二切れ食っただろ!」


「ルドだって食ってたじゃん!」


「オレ様は成長期なんだよ!」


「そんなのオレだってそうだよ!」


椅子が擦れる音。卓に叩きつけられた手の振動で、皿がかたかたと揺れる。


姉は溜め息をひとつつき、布巾を置いた。床板が鳴る。近づいてくる足音。


「二人とも。たった一切れでそこまで熱くならなくてもいいじゃない。分ければ?」


「無理」


「無理だな」


ぴたりと声が揃う。


姉の頬が、わずかに膨らんだ。


「どうして?」


「オレが全部食いたいから」


「オレ様が全部食うからだ」


睨み合いがさらに近づく。鼻先が触れそうな距離。


肉の匂いが、さらに濃くなる気がした。


「……はぁ」


姉は指先で皿の縁をなぞる。温かい。まだ柔らかい。


「じゃあ、じゃんけん」


「やだ」


「運とか嫌いだ」


即答。


金の瞳が細くなり、今度ははっきりと頬が膨らんだ。


「もー。二人とも聞く気ないじゃん」


「姉ちゃんは黙ってて」


「これは男の勝負だ」


「いやルビーは女の子だよね?」


突っ込みは無視される。


言い合いはさらに熱を帯びる。椅子が倒れ、床に転がる。木がぶつかる音。卓の脚がきしむ。


「オレのだ!」


「オレ様のだ!」


声が重なり、互いの肩を押し合う。息が荒い。頬が赤い。汗がこめかみに滲む。


姉はその様子を見て、唇を尖らせた。


「……もう知らない」


小さく呟いて、皿をすっと持ち上げる。


二人は気づかない。


次の瞬間。


「あーん」


ぱくり。


歯が柔らかい肉を裂く音。じゅわ、と脂が舌の上で弾ける。甘辛い汁が喉へ落ちる。


二人の動きが止まった。


「……あ?」


「……え?」


姉はゆっくりと噛む。目を細め、頬を押さえる。


「ん〜〜……やわらかぁい。舌の上でとろっとろに溶けちゃう。脂がじゅわって広がって……あ、後から甘み来る。あ〜幸せ〜」


「おい!」


「姉ちゃん!」


二人の叫びが重なる。


姉はもう一口。


「うん、やっぱりこの焦げ目最高。さっきの言い合い、いいスパイスだったかも?」


もぐもぐと咀嚼しながら、にこにこと煽る。


「今さらだけど、二人ともありがとう。おかげで美味しくいただいてまーす」


「ふざけんな!」


「返せ!」


空になった皿が卓に置かれる。


姉は指についた汁をぺろりと舐めた。


「ごちそうさまでした」


一瞬の沈黙。


次の瞬間、二人の視線が合う。


怒りの矛先が、同じ方向へ揃う。


「……やるぞ」


「ああ」


さっきまで掴み合っていた手が、同時に空へ伸びる。


何もなかった空間が、わずかに歪む。


少女の手に現れたのは、真紅の柄だけの形。刃は見えない。けれど周囲の空気がぴりりと震える。


少年の手には、彼の体躯には不釣り合いなほど巨大な剣影。握った瞬間、床板が軋む。重さが現実を押し下げる。


姉は目を丸くした。


「ちょ、ちょっと待って?」


二人は構える。


「いくら姉ちゃんでも二人がかりならいけるぜ!」


「ボコボコにしてやんよ!」


姉はお腹に手を当てて、笑う。


「あははっ。このお姉ちゃんをボコボコにするだなんて、二人とも生意気だな〜?」


「出力一〇%――」


少女の柄の先に魔力が集中し赤く光る。


「こらこら〜、ここ家の中なんだけどー!」


指を軽く鳴らす。


ぱちん。


空気が白く弾けた。


視界が一瞬、塗りつぶされる。


足元の感触が消え、匂いも、音も、重さも、全部が引き剥がされる。


次に足が触れたのは、何もない白。


上下も影もない、果ての見えない白い世界。


三人だけが立っている。


姉は両手を腰に当て、楽しそうに笑った。


「さぁ。思いっきりやろっか?」


△▼△▼△▼△


白い世界に、足音だけが響いた。


音は吸い込まれるはずなのに、二人の呼吸だけはやけに生々しい。少年の荒い息が白い空気を震わせ、少女の舌打ちが乾いた響きを残す。


年少の少年が、先に動いた。


「行くぜ、姉ちゃん!」


その声と同時に、彼の両腕が大きく振り上がる。


手に握られた巨大な刃は、今はまだ届かない。白銀の髪の姉との距離は、数歩分。普通に振れば、空を切るだけの間合い。


けれど。


「おらぁっ!」


振り翳された瞬間、刃先の延長線が彼女へ重なりかける。


次の瞬間、質量が爆ぜた。


空を覆うほどに、剣影が一気に膨張する。距離が意味を失う。刃は一瞬で彼女の眼前まで伸び、圧が白い地面をきしませた。


風もないはずの世界で、衝撃波だけが走る。


だが。


「はい、ストップ」


軽い声。


彼女は何事もなかったかのように、両手を伸ばした。


がし、と。


刃の腹を、素手で受け止める。


見事な白刃取り。


巨大化した刃は、彼女の掌の中でぴたりと止まる。金属の冷たさも、重さも、何も彼女の表情を変えない。


少年の目が見開かれる。


「なっ……!」


「うんうん、全然小さいね〜」


余裕の声。


少年は歯を食いしばる。


「まだまだぁ!」


握られたままの剣が、さらに膨れ上がる。


質量が跳ね上がる。


見えない重力が白い地面を押し潰す。足元にひびが走るような錯覚。押し寄せる超重量が、彼女の身体を下へ沈めようとする。


「むむむ……」


彼女の踵がわずかに沈む。白い地面がきしむ。


その背後。


「出力四%」


少女の声が低く響いた。


真紅の柄だけを握り、空気を裂くように振る。


刃は見えない。


けれど、柄から噴き出した崩壊の光が、薄い赤黒い刃となって空間を走る。空気が溶けるように歪む。


「よっと」


彼女は掴んだままの巨大な刃を、ぐい、と無理やり傾けた。


盾代わり。


崩壊の刃が、少年の武器へ直撃する。


「うわっ!?」


衝撃が逆流し、少年ごと振り回される。巨大化したままの剣が、彼女の手によって円を描く。


「バカ! 何やってんだよ!」


少女が叫ぶ。


「うるせぇ!」


少年は咄嗟に剣の大きさを元へ戻す。質量が消え、白い世界の圧迫感がふっと軽くなる。


その一瞬。


盾を失った彼女の姿が、正面にさらされる。


少女の口角が上がる。


「出力二〇%」


柄から奔流。


赤黒い崩壊の奔流が一直線に放たれる。空間が裂ける。白い世界が、黒い亀裂を走らせる。


同時に。


「いけぇぇ!」


少年が再び刃を巨大化させる。


今度は空を覆うほど。


上空を覆い尽くす剣影が、振り下ろされる。


触れたものを崩壊させる紅き光と、どんなものも押し潰してしまいそうな圧倒的質量。


上下から、二つの破壊。


少女が叫ぶ。


「姉ちゃんも剣使わねぇとやばいぜぇ!」


轟音。


白が割れ、赤黒い光が爆ぜ、超質量の刃が重なる。


二人の目が輝く。


「よっしゃぁ!」


少女が拳を握る。


その背後。


「なーにが、よっしゃぁだって〜?」


耳元で、柔らかな声。


「わっ!?」


少女は飛び退き、少年の隣まで下がる。


そこに、何事もなかったように立つ白銀の髪。


衣服に傷ひとつない。


少女が目を丸くする。


「絶対当たったと思ったのに〜!」


少年も唇を尖らせる。


「瞬間移動して避けたんだろ!ずるいぞー!」


彼女は肩をすくめる。


「ずるいのはそっちでしょ。いくら私だからって、人にあんな力向けるなんて。殺す気満々じゃん」


少年は鼻を鳴らす。


「殺す気じゃねぇと、かすりもしねぇからな」


少女も続ける。


「まあ、オレのは触れもしてくれねぇけどな」


彼女はくすっと笑う。


「でもさ。もうお肉の怒りはなくなったでしょ?」


二人の視線が一瞬揺れる。


「今度またチアくんと獲りに行ってあげるから。今日はこれでおしまいね」


指を鳴らそうとする。


白い世界がわずかに揺らぐ。


その瞬間。


二人が顔を見合わせる。


にっと笑う。


「いーや、まだだぜ姉ちゃん」


少年が言う。


「さっきまでは別々だったけどよぉ」


少女が続ける。


「今度は完全な合わせ技だぜ」


同時に飛び上がる。


白い世界に影が落ちる。


少女が叫ぶ。


「出力一〇〇%!」


柄から、これまでとは比べものにならない密度の崩壊の光が溢れ出す。


「崩剣」


「闘剣」


「「破滅の巨光!!」」


二人の口が、同時に形を作る。


紅き崩壊と、無限に膨れ上がる質量が融合する。


それはもはや刃ではない。


光の柱。


際限のない質量を帯びた崩壊の奔流が、空間そのものを捻じ曲げながら進む。


白い世界が悲鳴を上げる。


世界に亀裂が走り、色が失われる。


光は中心に立つ彼女へ。


「ちょっと!? それはやば——」


言葉の途中で、色のない光に包まれる。


視界が塗りつぶされる。


少女と少年は息を呑む。


光は全てを呑み込み全てを崩壊させていく。


その中心。


光に包まれる彼女の手に——


一瞬。


何かがあった気がした。


刃のような、輪郭のない光。


少年の喉が、ひくりと鳴る。


「姉ちゃんの……」


白い世界が、静まり返った。


△▼△▼△▼△


白が、割れていた。


先ほどまで均一だったはずの世界に、巨大な亀裂が走り、そこから黒が覗いている。上下も距離も定まらない、黒より黒い黒が、ひびの隙間から滲み出していた。


空気が焦げた匂いを帯びる。


足元はまだ白いが、ところどころ崩れ、足を踏み出せば沈みそうな柔らかさがある。


二人は膝に手をつき、荒い息を吐いていた。


「はぁ……はぁ……」


少年の胸が大きく上下する。少女も肩で息をしている。全身の力を使い切った後の、甘い倦怠感と震えが、指先に残っていた。


「……これ、オレ様たち……やったんじゃねぇか?」


少年が、白と黒の裂け目を見渡しながら呟く。


少女が喉を鳴らして笑う。


「後にも先にも、これ以上の手応えはねぇくらいだぜ……」


二人の視線が、煙の立ち込める中心へ向く。


「この姉ちゃんの世界ごと吹っ飛ばせると思ったけどよ……」


少年が息を整えながら言う。


「思ったより丈夫だな」


少女が頷く。


「そこはさすが姉ちゃんだぜ」


煙が、ゆっくりと揺れる。


しかし。


出てこない。


いつもなら、どこからともなく軽い声が飛んでくるはずなのに。


白銀の髪も、からかうような金の瞳も、見えない。


少女の眉がひそむ。


「……あれ」


「なかなか出てこないな」


少年も少女と同じことを思う。


「どうせいつもみたいに無傷で出てくると思ったのに」


「……」


少年が小さく呟く。


「なぁ、ルビー姉ちゃん」


「なんだよ」


「姉ちゃんがいなくなったら……オレ様たち、どうやってここから出んだ?」


少女がすぐに言い返す。


「バカ。姉ちゃんがいなくなるわけないだろ」


声は強い。


けれど、その指先がわずかに震えている。


「どうせさっきの合わせ技も、いつもの瞬間移動で避けられてんだ」


少年が煙を睨む。


「じゃあ、なんで出てこねぇんだよ」


少女は、答えない。


沈黙。


ひび割れた白い世界が、軋む。


黒が、じわりと広がる。


二人の胸の奥に、冷たいものが落ちる。


さっきまで誇らしかった手応えが、急に重くなる。


本当に、やってしまったのではないか。


体が動かない。


足が、前に出ない。


煙の向こうを確かめたいのに、怖い。


そのとき。


「……それは二人が世界を壊したからでしょ」


背後から、呆れた声。


振り返る間もなく、二人の視界に、ひらりと白が落ちる。


倒れ込む二人の前に、すっと立つ姿。


白銀の髪が揺れ、金の瞳が細められている。


瞳には滅多に見せない紋様が浮かぶ。


「姉ちゃん!」


二人の声が揃う。


胸の奥に溜まっていたものが、一気にほどける。


生きている。


ちゃんと、そこにいる。


少女が思わず笑い、少年が肩の力を抜く。


彼女は腕を組み、ため息をついた。


「二人とも、お肉は当分抜きね」


「は?」


「え?」


「世界を作るのに、どれだけの魔力がいると思ってるの?」


足元の白を軽く踏む。


ひびが、ぱらりと広がる。


「ここだけならまだしも、今ので他の世界にまで、すごい影響出てるのよ」


言われてみれば、黒い亀裂の向こうで何かが軋む音がする。


少女が舌を出す。


「へへ。でも、すごかっただろ?」


少年も笑う。


「オレ様たち、最強じゃね?」


彼女は一瞬、言葉を詰まらせる。


確かに、すごかった。


二人の力は、想像以上に噛み合っていた。


けれど。


目の前の二人に、反省の色は一切ない。


金の瞳が、すっと細くなる。


「……確かに……すごく、かなり、すごかった、けど」


間。


「お肉に追加で、ルビーちゃんは一ヶ月外出禁止」


「え」


「ルドくんは一ヶ月おやつ禁止ね」


「はぁぁ!?」


衝撃が走る。


少女が口を開け、少年が頭を抱える。


「外出禁止!?」


「おやつ禁止は死んじゃうじゃん!」


「死なない」


即答。


彼女は指を鳴らした。


ぱちん。


壊れかけた白い世界が、ふっとほどける。


△▼△▼△▼△


木の床の匂い。


煮込んだ肉の甘い残り香。


三人は、元の家の中に立っていた。


椅子は倒れたまま。皿は空のまま。


そこへ。


「あ、帰ってきた」


柔らかな声。


振り向けば、白銀の少女が台所から顔を出す。


その腕には、しっかりと絞められた豚が抱えられていた。まだ温かいのか、湯気が薄く立っている。


「三人ともどこ行ってたの?」


彼女は首を傾げる。


姉は、何事もなかったかのように微笑む。


「ちょっとね」


それから、二人へ振り返る。


にこり。


「ちなみに今日のディナーのメインは、美味しいトンテキだよ」


じゅう、と台所から油の弾ける音がする。


豚肉が鉄板に置かれる音。


香ばしい匂いが、一気に広がる。


少年と少女の腹が、同時に鳴る。


ぐうぅ。


彼女は楽しそうに続ける。


「でも二人は食べ足られない上に、ルビーちゃんは一ヶ月外出禁止。ルドくんは一ヶ月おやつ禁止。あ〜、可哀想に」


じゅわじゅわと焼ける音が、二人の心を削る。


少女が悔しそうに歯を食いしばる。


少年が唇を噛む。


香りが、これでもかと鼻を刺す。


「……姉ちゃんの鬼」


「世界壊したの誰だっけ?」


軽い返し。


二人は顔を見合わせる。


そして、同時に悔しそうに唸った。


トンテキの焼ける匂いが、家中に広がっていった。


△▼△▼△▼△


△▼△▼△▼△


△▼△▼△▼△


そこは空じゃなかった。


上下も距離も、決めた瞬間にほどける黒。

黒の中には光が詰め込まれ、ぎゅうぎゅうに押し合っている。結界の縁、砲撃の尾、陣形を保とうとする障壁の線。


その中心に、白銀が揺れる。


金の瞳が笑っている。


「あはっ。まだやる?」


声が落ちた瞬間、光がいくつも途切れた。


彼女の周囲に浮かぶ無数の刀影。

それらは動きが見えない。ただ、刺さった“結果”だけが先に置かれ、現実が遅れて追いつく。


兵が、艦が、結界ごと貫かれ、星のような点になって散る。


しかし。


その中にひとつだけ、消えない光がある。


静かに浮かぶ男。

両目に光る越眼。揺らがない呼吸。


「余は、まだ立っているぞ」


その声が落ちた瞬間。


彼の手刀が、彼女の首を断つ。


白銀の髪が宙を舞う。

胴が裂け、血が散る。


――が。


その事実は、世界の記録に残らない。


事実が歪み、彼女は同じ場所に立っている。


「あはっ。今の、今日だけで二千三百七十二回目だよ?」


男の眉がわずかに動く。


「……わけのわからぬ事を」


再び手刀。

胸を貫く。

腹を裂く。

頭を砕く。


すべて、実際に起こったこと。


だが世界は覚えない。


彼女は笑いながら、眩い刀を抜いた。


刃は恒星の如く輝く。触れれば形を保てない熱。


「いくよ〜」


振り下ろす。


男はそれを紙一重で避ける。熱がかすめた空間が白く溶ける。


同時に、彼は上空へ跳ぶ。


そこに浮かぶ星々をそのまま刃にしたような美しい刀――星の数に及ぶ刀影を生み出し続け、この戦場でもっと多くの命を奪い続ける刀。


「これさえ壊せば……」


手刀が放たれる。


空間を壊すほどの圧。黒が割れる。


だが、刃は壊れない。


衝撃が走っても、刀はそこに在る。


「残念でした〜」


彼女が肩をすくめる。


「それも何度も試してるでしょ? 壊せないってわかってるのに、諦めが悪いな〜」


男は静かに黙り込む。


「……ならば、貴様を殺すだけだ」


次の瞬間。


彼女の身体が真っ二つに裂ける。


血が散る。


――なかったことになる。


彼女は笑う。


輝く刀で何度も斬りかかる。だが、当たらない。


男は常に“当たらなかった場所”へ立っている。


刃が空を焼くだけ。


「あー、もう」


彼女はその刀を空へしまい込む。


代わりに抜いたのは、質量そのものを握るような大剣。


それを見た瞬間。


男が動く。


あれを使わせてはいけない。


狙いは大剣を握る右手。


手刀が閃き、彼女の細い腕を切断しにかかる。


肉が裂け、骨が露出する。


しかし、完全には断てない。


骨で止まる。


彼女は少しだけ眉を上げる。


「そっちは頑丈だよ〜。それも知ってるでしょ?」


次の瞬間。


大剣が膨張する。


一瞬で、星と同じ大きさへ。


戦場に影響を及ぼすほどの重力が発生する。


黒が歪む。

陣形が崩れる。

障壁が裂ける。


隊列が引き裂かれ、悲鳴が交錯する。


崩れた隙間へ、無数の刀影が突き刺さる。


男の周囲に貼られ続けていた障壁が、だんだん薄くなる。


そして。


ひとつ。


肩に刺さる。


ふたつ。


腹に刺さる。


「おのれ……!」


男は叫び、大剣の刃の上へ跳ぶ。


拳を振りかざす。


圧倒的な力。


星と同じ大きさの大剣が、揺れる。


ぐらりと。


大剣が彼女の腕から離れる。


「わわっ」


離れた瞬間、剣は元の大きさへ戻る。


重力が止む。


崩れた陣形の残骸が、黒に漂う。


彼女は武器を持ってない上に隙だらけ。


男は身体を刀影に貫かれたまま突っ込む。


手刀が、彼女を真っ二つに裂く。


――なかったことになる。


彼女以外がそれを知覚しない。


そして次の瞬間。


彼女の手には、再び大剣が握られている。


金の瞳がにやりと笑う。


「ねえ、ブラックホールって知ってる?」


囁きは軽い。けれどその瞬間、彼女の手にある大剣が、音もなく膨張を始める。


一瞬で星の大きさ。

次の瞬間には、その比較すら意味を失う。


限界を設けない質量が、概念のように増殖する。


そしてその莫大な質量を保ったまま、大剣は元の大きさへ。


次の瞬間、重力が発生するという表現では足りない、空間そのものが、中心へ“落ち始める”。


黒がたわみ、光が湾曲する。


艦列が軋み、障壁が悲鳴を上げる。


兵の身体が、悲鳴ごと引きずられる。


足場を失った光が、尾を引きながら沈む。


距離が消える。


方向が消える。


ただ“落ちる”という結果だけが残る。


光さえ、直進をやめる。


「あはー、終わっちゃった」


彼女は笑う。

笑い声が、重力井戸の底へ落ちていく。


だが。


ひとつの光が、まだ立っている。


男は全身を超重力に軋ませながら、膝を折らない。


足元の空間が潰れ、骨がきしみ、血が逆流しても、立つ。


「まだ……だ……」


声が歪む。


「さっすが五位階! これでも殺せないなんて!」


次の瞬間、彼女の指が、わずかに動く。


無数の刀影のうち、その一つが、男の頭蓋へ到達している。


音はない。


ただ、踏ん張っていた力が抜ける。


身体が、重力へ委ねられる。


「お、のれ……もう、一回だ……」


男は自分の能力を使う。


言葉の最後が、黒に呑まれる前に世界が軋む。


重力の中心が、ひび割れる。


黒が裂け、光が砕け、時間が縦に割れる。


回帰が発動する。


この時間軸そのものが、剥がれ落ちていく。


彼女の腕が、透け始める。


指先から順に、存在が薄まる。

質量も、温度も、色も、意味も。


「はあ、これだから回帰者はやだなぁ」


戦場が崩れていく。

沈んだ艦も、砕けた兵も、歪んだ光も、全部“なかったこと”に向けてほどけていく。


彼女は、薄れていく視界で、黒の向こうを眺める。


「ルミちゃんじゃ殺せないから、わざわざルドくんでやったのに……」


油断してくれない彼にルミアは当たらない。


だから全部黒で潰そうとした。


重力の影響は光と同じ速度で伝播するから、即殺できるはずだった。


肩が消える。


「ルドくんでも即死させられないなんて」


唇の端が、わずかに上がる。


黒が、すべてを飲み込む。


光が消え、音が消え、概念が消える。


最後に残るのは、彼女の笑みだけ。


「うん、次だ次!」


そして。


この時間軸は、完全に消えた。

次回!今度こそ二章!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ