第一章・第四十三話 世界を介した言実・二
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赤が、視界いっぱいに散った。
温かい。
鉄の匂いが、遅れて鼻を刺す。
(止められなかった)
心臓が一拍、遅れる。
足が、凍る。
時間が、ほんの一瞬だけ伸びる。
アンリミの細い首が、刃に断たれた光景を、脳が勝手に描こうとする。
けれど。
アンリミは――立っていた。
両腕を交差させるように、首元を庇っている。
シャルラの刃は、その腕に深く食い込んでいた。
片方は、腕の横から。
肉を裂き、骨の手前まで入り込んでいる。
もう片方は、手のひらから押し込まれ、腕の上面を縦に裂くように食い込んでいた。
「いっ……!」
アンリミの腕から血が、脈打つように溢れている。
それでも。
首は、浅い切り傷で止まっている。
赤い線が、白い皮膚に滲む程度。
「……っ」
私の喉が鳴る。
素手で。
素手で、あの速度の斬撃を受け止めた?
けれど、次の瞬間、理解が追いつく。
(あれだけの魔力量なら、身体の強化も尋常じゃないはず……)
「……っ!」
アンリミは痛みで涙目になりながらも歯を食いしばっている。
悲鳴は上げない。
ただ、震える腕で刃を止めている。
クロウの声が裂ける。
「シャルラ!なんで出てきた!?」
驚愕と焦りが混じる声。
シャルラのジト目が、わずかに細まる。
次の瞬間、判断は早かった。
刃を引き抜く。
肉が裂ける嫌な音。
血が、さらに跳ねる。
アンリミの身体が揺れる。
シャルラはそのまま体勢を低くし、もう一撃、首を狙う。
「今度は――させない!」
私は踏み込む。
もう残っていないに等しい魔力を、無理やり掴む。
胸の奥を削る。
視界が白く、狭くなる。
風を圧縮する。
シャルラへ叩きつける。
空気が爆ぜる。
だが。
シャルラの姿が、揺らいだ。
黒が溶ける。
彼女は咄嗟にアンリミの足元の影へと沈む。
風は空を裂き、石畳を抉るだけ。
「くっ……」
その瞬間。
背後の地面が冷える。
私の影が、濃くなる。
(来る、後だ)
反応はできた。
でも身体は、動かない。
足が重い。
魔力を削りすぎた。
呼吸が浅い。
視界の端で黒が立ち上がる。
私の影から、シャルラが現れる。
距離は、ほとんどゼロ。
冷たい目。
迷いのない刃。
「……っ」
私は剣を上げようとする。
腕が、遅い。
シャルラの剣が、振り上がる。
先に私を仕留めるつもりだ。
その時。
「シルアちゃん!」
アンリミの声が、空気を裂く。
振り向けない。
でも、背中が熱を感じる。
次の瞬間。
再び世界が、白に染まった。
アンリミの背後に浮かぶ剣が、眩く輝く。
放たれた極光が、一本の線に収束する。
圧縮された光線。
空気が震え、石畳が軋む。
それは一直線に、シャルラを貫こうと走る。
凄まじい熱。
冷たいはずの影が、焼ける匂い。
シャルラの目が、わずかに見開かれる。
だが、その前に。
紫の影が割り込む。
クロウの剣が振るわれ、刃から濃紫の液体が噴き出す。
毒。
それが壁のように広がり、光線とシャルラの間を塞ぐ。
じゅ、と音が鳴る。
光が、毒に触れ、紫が泡立つ。
光は、ただ焼くのではない。
浄化する。
毒の壁が、内側から白く染まる。
紫が薄れ、蒸発する。
だが光もまた、勢いを削がれる。
二つの力が、ぶつかり合う。
閃光が、爆ぜる。
衝撃波が広場を揺らす。
私は膝をつきそうになるのを堪えながら、目を見開く。
シャルラの姿は、煙の向こう。
まだ、立っている。
アンリミは、血に濡れた腕を震わせながら、光を放ち続けている。
クロウは舌打ちをする。
「……ちっ、強すぎだろ。範囲を狭めたら俺のとっておきの毒まで焼き切んのかよ」
白と紫の残滓が、空気に溶ける。
その残滓に紛れて、シャルラがいつの間にか再び私の後にいる。
「――っ!」
黒い軌跡が、一直線に迫る。
(避けないと――)
身体が重い。足が言うことを聞かない。
その瞬間。
「ダメ!」
空気が落ちた。
見えない塊が、シャルラの上から叩きつけられる。
「うっ……」
シャルラの身体が、地面へと縫い止められた。
石畳がひび割れ、粉塵が舞い上がる。
アルティナだ。
尻尾を逆立て、両手を前に突き出している。
「私の恋運壊した罰、まだ終わってないから!」
圧が、さらに強まる。
シャルラの肩が石に沈む。
けれど。
彼女の目は、冷えたままだった。
押さえつけられたまま、片手をわずかに動かす。
影が、揺れる。
その指先から、影球が次々と滑り落ちる。
一つ。
二つ。
三つ。
数えきれない。
それらは地面の影に触れた瞬間、四方へと散った。
周りから、からん、からん、と乾いた音が連鎖する。
「……解、放」
低い声。
影球が、割れる。
黒が溢れる。
影霊が、立ち上がる。
さらに、その奥から。
大影霊の輪郭が、次々と現れる。
広場の空気が、再び冷える。
「まだ出るの!?」
リトリーが叫ぶ。
だが、その直後。
「もう、無駄です……」
アンリミの声は、震えていなかった。
血に濡れた腕を押さえたまま、それでも背中の剣が、白く燃える。
極光が放たれる。
「消え……なさい!」
放たれた無数の光が、一直線に影霊の群れを貫く。
触れた瞬間、黒が蒸発する。
大影霊の胸が裂け、内側から白が溢れ出す。
崩壊は、一瞬だった。
「……いや、まだだ!」
クロウが叫ぶ。
紫の刃を振り上げる。
そこから、濃密な毒が噴き出す。
液体でも、煙でもない。
粘つく紫の壁が、アンリミをぐるりと囲む。
毒の檻。
光を遮断するための、即席の結界。
じゅ、と音がする。
光が、毒に触れる。
紫が泡立ち、白く染まる。
毒は溶ける。
だが、光もまた削られる。
「あんたの光は、俺の毒と一緒に消えてろ!」
紫と白が、激しくぶつかり合う。
アンリミの顔に、苦しさが浮かぶ。
腕の傷から、さらに血が滴る。
それでも、光は止まらない。
じわり、と。
じわり、と。
光が、毒を押し返していく。
「くそ……!」
クロウが歯を鳴らす。
その背後。
風を切る音。
リトリーが滑り込む。
「はい、後ろがら空き!」
クロウの腕を、後ろから強く引く。
毒を生み出すのに集中していた彼は、体勢を崩す。
リトリーがそのまま背後から押さえ込む。
剣を喉元へ。
「もうこんなことやめて、おとなしく降参して」
息が荒い。
でも、声は真っ直ぐだ。
クロウは歪んだ笑みを浮かべる。
「……はっ、まだだろ」
そして叫ぶ。
「今のうちに聖女をやれ!」
残っていた暗殺者たちが、一斉に動く。
黒い影が、アンリミ目がけて跳ぶ。
十人以上。
一斉に。
「アルティナ! 聖女さまを守って!」
リトリーが叫ぶ。
「分かってる!」
だがアルティナは、まだシャルラを圧で押さえ込んでいる。
シャルラは影に逃げようともがき、その抵抗に圧がぶれる。
「つよっ!?」
アルティナが圧力を上げるほど、シャルラの抵抗も強くなる。
「やっぱ無理ー! 今これで手一杯ー!」
珍しく素の声が漏れる。
「カムイ、なんとかして〜!」
私は、迫る暗殺者たちを見る。
確かにカムイなら一人や二人なら、止められる。
でも、この人数。
この距離。
(いくらカムイでも――)
そう思った瞬間。
カムイが、静かに前へ出る。
灰黒の髪が揺れる。
△▼△▼△▼△
カムイは大きく、息を吸う。
周りに被害が出ないように、かつ暗殺者たちを止める。
そういう命令をすればいい。
対象を限定すれば、周りに被害は出ないはず。
――いける。
「世界よ」
低く、しかしはっきりと。
「奴ら”だけ”の意識を奪え」
言葉が、落ちる。
次の瞬間。
空気が、裂けた。
暗殺者たちの足元に、白い閃光が走る。
稲妻のような光が、彼らの身体を貫く。
一人。
二人。
三人。
跳躍したまま、身体が痙攣する。
目が見開かれ、そのまま力を失う。
どさ、どさ、と地面に落ちる。
シャルラの身体も、びくりと震え、意識を失う。
クロウの身体も、リトリーの腕の中でがくりと沈む。
しかし暗殺者たち以外には何も起こらない。
広場に、重たい音が連なる。
同時に。
クロウの毒を浄化し切ったアンリミの光が、最後の影霊を焼き切る。
黒が、完全に消えた。
△▼△▼△▼△
敵が全て倒れた。
私は、膝に力が抜けるのを感じながら、息を吐いた。
終わった。
本当に、今度こそ。
倒れ伏した暗殺者たちの身体は、微かに痙攣したあと、完全に動きを止めた。影霊は一体も残っていない。冷たかった空気が、ようやく普通の温度に戻っていく。
カムイは、しばらくその場に立ったまま、呼吸を整えていた。
自分の言葉が落ちた瞬間の感触を、確かめるように。
「……」
視線を仲間へ向ける。
アルティナは立っている。リトリーも、クロウを押さえ込んだまま無事。シルアも、倒れてはいない。アンリミも――血だらけではあるが、まだ意識はある。
カムイは、ほんの少しだけ肩の力を抜いた。
「……巻き込んでないな」
小さく呟く。
自分の能力が、仲間の意識を奪っていないことを確認して、胸の奥に溜まっていた息をゆっくり吐き出した。
アルティナが、圧を解きながら振り向く。
「もうっ! それできるなら最初からやってよ〜!」
尻尾がぶんぶん揺れている。
「私、必死だったんだけど!?」
カムイは視線を逸らす。
「勝ったんだから別にいいだろ」
ぶっきらぼうに言う。
「すぐにできることじゃねえし」
「嘘! カムイの能力はポンポン使えるものじゃん!」
アルティナがぷん、と頬を膨らませる。
その横で、リトリーがへたり込んだ。
「はぁぁ……助かった……」
押さえ込んでいたクロウの身体を、地面に転がす。
「いろいろ急でわけわかんないよぉ……」
額の汗を袖で拭いながら、空を見上げる。
私は、その様子を一瞬だけ確認してから、すぐに視線を戻す。
アンリミの腕からまだ血が流れている。
傷があまりにも深い。
多量出血で死んでもおかしくない。
「リミちゃん」
私は駆け寄る。
足元の石畳が、血で濡れている。
「今、直すから」
アンリミは、少しだけ困ったように笑う。
「……ありが、とう……ございます」
声は弱い。
私は両手をその腕に重ねる。
周りに差し出すものがないから、胸の奥から魔力を引き出そうとする。
けれど。
すぐに、強い痛みが走った。
「……っ」
心臓を握られたみたいに、胸が締めつけられる。
足元が揺れる。
(足りない)
削りすぎた。
私は歯を食いしばりながら、もう一度周囲を見回す。
対価。
何か、少しでもいいから。
視界に暗殺者たちの武器が映る。
でもすぐに首を振った。
彼らは別に死んだわけじゃない。
この後、罪を償わなきゃいけない。
私が奪っていいわけがない。
(どうする)
そのとき、ふと。
目の前の少女を、見る。
アンリミ。
ソルニアの聖女。
常に国全土に光を降らせ続ける、莫大な魔力量。
私は瞬きをする。
(私のがないなら……これを使えばいい)
私は、アンリミを見る。
「ねえ、リミちゃん」
「……はい?」
「リミちゃんの魔力、私にちょうだい」
アンリミは、きょとんとする。
「え?」
「少しでいいから。……私に」
一瞬の沈黙。
でも、次の瞬間。
アンリミは、迷いなく頷いた。
「それが、シルアちゃんの剣能力に必要なものなら」
少しだけ、笑う。
「ぜひ」
私は小さく息を吸う。
(これなら)
私は願う。
(アンリミの傷が、癒えて)
今度は、胸は痛まない。
削れるのは、私ではない。
アンリミの腕の裂け目が、じわりと閉じていく。
肉が繋がる。
血が止まる。
裂けた皮膚が、なめらかに戻る。
数秒。
傷は、跡形もなく消えた。
アンリミが、自分の腕を見つめる。
ぱちぱちと瞬き。
「わあ……」
無邪気な声。
「すごいですね」
くるくると腕を回す。
「痛くないです」
私は、ようやく力を抜く。
「……よかった」
そのとき。
広場の向こうから、足音が近づいてくる。
鎧の擦れる音。
「いたぞ!」
「君たち、大丈夫か!?」
スレインの兵士たちが駆け寄ってくる。
剣を構え、周囲を警戒しながら。
そして。
アンリミの姿を見た瞬間、目を見開く。
「せ、聖女さま!?」
一斉に膝をつきかける。
「ご無事ですか!? やっぱり……影霊は、聖女さまが……?」
アンリミは、少し照れくさそうに笑う。
「ええ、まあ」
それから、私たちを見る。
「私の身は、彼女たちが守ってくれました」
兵士の視線が、こちらへ向く。
血と粉塵にまみれた私たち。
足元には、気絶した暗殺者たち。
アンリミが続ける。
「倒れている人たちが、今回の襲撃の犯人です。拘束してください」
兵士たちは慌てて動き出す。
縄がかけられ、暗殺者たちが運ばれていく。
広場に、ようやく秩序が戻る。
私は、深く息を吐いた。
空は、いつの間にか澄んでいる。
(……アンリミが無事で本当に、良かった)
まだ胸は少し重い。
でも。
今は、それでいい。
私は、仲間たちの顔を一人ずつ見て、目を閉じた。
次回!ジニアスくんのお話!




