第一章・第三十八話 お金を使わない方法
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次の日の朝。
宿の廊下は、静かだった。
足音が、柔らかい絨毯に吸われる。
私たちは、一階へ降りた。
そこで――
アルアが、壁に寄りかかって待っていた。
「やあやあ、おはよー」
棒読み気味の声。
リトリーが、少しだけ身を固くした。
「……おはよう、ございます」
アルアは、眠そうな目で私たちを見た。
「今日は観光するんだってー?」
「う、うん」
アルティナが、尻尾を小さく揺らして頷いた。
アルアは、ゆっくりと立ち上がった。
そして、言った。
「もうぜーったいに、聖女さまはお金を出さないからねー」
「……」
空気が、止まった。
リトリーとアルティナが、顔を見合わせる。
カムイは、黙って視線を逸らした。
私も、少しだけ息を飲んだ。
アルアは、平らな声のまま続けた。
「昨日ー、散々言ったと思うんだけどー。今日は自分たちのお金だけでやりくりしてねー」
「わ、わかってるよ!」
リトリーが、慌てて声を上げた。
「今度こそ大丈夫だもん! 私たち、お昼ご飯を買う用のお金しか持って行かないもんね!」
アルティナも、尻尾を立てて頷いた。
「そうだよ! 買おうと思っても、買えないようにすればいいんだよ!」
完璧な作戦、とでも言いたげな顔。
アルアは、ぼんやりと笑った。
「昼ごはんを買う前にー、使わないといいけどねー」
「……うっ」
リトリーとアルティナが、同時に声を詰まらせた。
アルアは、もう何も言わずに手を振った。
「じゃあー、気をつけてねー」
そのまま、階段を上がっていく。
私たちは、顔を見合わせた。
リトリーが、小さく息を吐いた。
「……大丈夫だよね」
「大丈夫だよ」
アルティナが、尻尾を揺らして頷いた。
でも、その尻尾の揺れ方が少しだけ不安そうだった。
カムイは、何も言わずに扉の方へ歩き出した。
私たちも、後に続く。
外は、明るかった。
空が、青い。
風が、少しだけ冷たい。
街の音が、遠くから聞こえてくる。
荷車の音、声、金属の鳴る音。
私たちは、街の中へ入っていった。
△▼△▼△▼△
スレインの王都は、他の国とは違った。
建物が、高い。
石と木が組み合わさって、複雑な装飾を作っている。
窓が大きくて、ガラスが光っている。
看板が、あちこちにぶら下がっていて、色が鮮やか。
道は、広い。
人がたくさんいるのに、ぶつからない。
リトリーが、目を丸くしていた。
「何度見てもすごいね……」
アルティナも、尻尾を揺らしながら周囲を見ている。
「ガゼルやソルニアとはまた違った雰囲気だねー……」
カムイは、黙って歩いているけど、視線があちこちに動いている。
私も、圧倒されていた。
店が、並んでいる。
どの店も、立派。
ショーウィンドウには、宝石や布や、見たこともない道具が並んでいる。
値札を見ると――
数字が、大きい。
最初な街よりもずっと。
銀貨ではなく、金貨が基準になっている。
しかも、一枚や二枚じゃない。
「……たっかーい」
リトリーが、小さく呟いた。
アルティナも、尻尾を垂らして頷いた。
私たちは、ウィンドウを眺めながら歩いた。
すると――
店の前に立っていた男が、こちらを見た。
「お客さん、いかがですか?」
来た。
笑顔。
でも、その笑顔が――
何か、引っかかる。
リトリーが、少し身を引いた。
「あ、いえ……見てるだけなので」
「見てるだけでも大丈夫ですよ。こちら、今日だけの特別価格でして――」
男の声が、耳に残る。
心の奥が、少しだけ揺れた。
(……欲しい?)
いや、欲しくない。
私たちには必要ない。
でも――
「どうですか、この指輪なんて――」
声が、近づいてくる。
私は、一歩下がった。
「大丈夫です」
声が、思ったより硬い。
男は、少しだけ驚いた顔をした。
それから、笑った。
「そうですか。それでは、また機会があれば」
男は、店の前に戻った。
私は、小さく息を吐いた。
リトリーが、私の袖を引いた。
「……シルア、大丈夫?」
「うん」
頷く。
でも、胸の奥が――
少しだけ、ざわざわしていた。
あの時と同じ。
アルティナが、尻尾を小さく揺らした。
「なんか……変な感じだね」
「変な感じ?」
「うん。なんていうか……すごく、買いたくなる感じ」
リトリーも、頷いた。
「わかる。私も、さっきちょっと欲しくなっちゃった」
カムイが、前を向いたまま言った。
「たぶん、この国はそういう国だ」
「そういう国?」
「スレインに入ってから何か変だ。買いたくもないのに買いたくなってくる」
カムイの声が、淡々としている。
「気をつけろよ」
「……うん」
私たちは、また歩き出した。
何軒か店を通り過ぎる。
その度に、声をかけられる。
「お客さん」
「こちら、いかがですか」
「今日だけの特別価格です」
声が、耳に残る。
心が、揺れる。
でも――
私たちは、何も買わなかった。
もうアンリミに迷惑をかけるわけにはいかない。
リトリーが、額の汗を拭った。
「……なんとか、耐えた」
アルティナも、尻尾を丸めている。
「うん……でも、すごく疲れたね……」
カムイは、黙って頷いた。
私も、同じ気持ちだった。
戦ったわけじゃない。
でも、何かと戦っていた気がする。
そのまま歩いていると――
前方に、人だかりができていた。
「……何だろう?」
リトリーが、首を傾げた。
近づくと、声が聞こえてきた。
「――二割引でいかがですかな」
丁寧な声。
「嫌だね、高すぎる」
軽い声。
聞き覚えがある。
私は、人だかりの間から覗き込んだ。
宝石店の前。
店長らしき男が、腕を組んで立っている。
太っていて、髭が立派。
服が、金の糸で飾られている。
その前に――
白銀の髪の男が、立っていた。
黒い外套。
剣を腰に下げている。
顔立ちが、整っている。
そして――
「むしろ二割の値段でくれ」
男が、笑いながら言った。
店長が、目を丸くした。
「はははっ、何を馬鹿なことを言うんです」
笑いながら、でも目は笑っていない。
「では、特別に三割引きでどうでしょう」
白銀の髪の男は、首を横に振った。
「だーかーらー、高すぎるって。もっと安くしろ」
「……ぐぬぬ」
店長の顔が、少しだけ歪んだ。
「では、四割! 四割引き! これ以上は、私も食い下がれませんよ!」
男は、肩をすくめた。
そして目を見開いて叫ぶ。
「嫌だね! もっと安くしろ! なんでこの国の人間は、こうもぼったくるんだ!」
「あんたこそなんで外国人なのに、こんなに買わないんだ!」
店長が、叫んだ。
周囲の人たちが、笑っている。
私は――
その白銀の髪を、見ていた。
(……ルギア?)
似ている気がする。
髪の色。
立ち振る舞い。
でも、はっきりと顔が見えなくて確信が持てない。
もっと近くで――
リトリーが、私の肩を叩いた。
「シルア、どうしたの? 何か気になるものでもあった?」
「え、いや、えっと……ううん」
首を横に振る。
「なんでもない」
アルティナが、周囲を見て言った。
「ねえねえ!そろそろ、お昼にしない?」
リトリーも、頷いた。
「そうだね。お腹空いた」
私は、もう一度だけ男の背中を見た。
まだ店の男に叫んでいる。
(……やっぱり、ルギアじゃない?あんなに叫んだりしなさそうだし)
答えは、出ない。
私たちは、昼食を探して歩き出した。
△▼△▼△▼△
昼食は、屋台で買った。
肉が挟まったパンと、スープ。
よくあるやつだ。
味が、濃い。
でも、美味しい。
リトリーが、満足そうに息を吐いた。
「ふぅ……美味しかった」
アルティナも、尻尾を揺らしている。
「うん!」
カムイは、黙って水を飲んでいた。
私も、パンを飲み込んで、財布を確認した。
中身が――
空。
「……使い切った」
リトリーも、自分の財布を見て頷いた。
「私も」
アルティナも、尻尾を垂らした。
「私も……」
カムイは、黙って頷いた。
リトリーが、笑った。
「でも、これで何も買わずに済むね」
「そうだね」
アルティナも、尻尾を少しだけ揺らした。
「じゃ、いこっか」
私たちは、立ち上がった。
来た道を戻る。
人が、多い。
何人かが話しかけてくるもすぐに諦めて去る。
財布が空だから。
安心していた。
――そこまでは。
路地裏を通りかかった時。
「おい、そこの」
声がした。
振り返ると――
ガタイのいい男が、立っていた。
筋肉質で、服が窮屈そう。
顔に傷がある。
手には、壺。
大きくて、派手な模様が描かれている。
「これ、買わないか?」
男の声が、低い。
リトリーが、一歩下がった。
「いえ、大丈夫です」
男は、壺を持ち上げた。
「いいもんだぜ。お前ら、旅人だろ? 記念にどうだ」
「本当に大丈夫です」
アルティナも、尻尾を固くしている。
男は、近づいてきた。
「まあまあ、そう言わずに」
心臓が、速くなる。
でも――
私たちには、お金がない。
リトリーが、財布を取り出した。
「ほら、見てください。お金、ないんです」
中身を見せる。
空っぽ。
アルティナも、カムイも、財布を見せた。
全部、空。
男は、少しだけ目を細めた。
「……そうか」
そして、笑った。
「じゃあ、仕方ねえな」
私たちは、安心した。
これで――
「まいどあり」
「……え?」
リトリーが、固まった。
私も、動けなくなった。
手に――
壺がある。
いつの間にか、持っていた。
「な、何これ……」
リトリーが、震えた声で言った。
アルティナも、尻尾が垂れ下がっている。
「いつ……」
男は、腕を組んだ。
「金がねえのか?なら、他の方法で払うしかねえな」
後ろから、足音。
振り返ると――
何人かの男が、剣を持って出てきた。
三人、四人、五人。
ぞろぞろと。
ガタイのいい男が、カムイを見た。
「そいつ以外は、傷つけるなよ」
他の男たちが、笑った。
「ぐへへ」
「大人しくした方が、身のためだぜ」
リトリーが、壺を地面に置いた。
「勝手に買わせといて、そんなの従うわけないでしょ」
声が、低い。
ガタイのいい男は、笑った。
「勝手に? 買ったのはあんたたちだろ? 払うもん払って貰わねえとな」
男たちが、剣を構えた。
一人が、斬りかかろうとした瞬間――
「動くな」
カムイの声。
低い。
でも、通る。
男たちが、ぴたりと止まった。
剣を振り上げたまま。
足を踏み出したまま。
全員が、静止している。
アルティナが、前に出た。
「悪いのは、そっちだからね」
尻尾が、立っている。
手を、前に出した。
空気が、歪む。
男たちの体が――
地面に叩きつけられた。
ドン、という音。
何人かが、そのまま気絶した。
ガタイのいい男も、膝をついている。
「く……そ……」
リトリーが、倒れた男たちの前にしゃがんだ。
「壺は、返しておくね」
壺を、地面に置く。
そして、立ち上がった。
カムイが、小さく息を吐いた。
「……金がないと、こういうことに巻き込まれるのか」
アルティナは、尻尾を揺らして笑った。
「私は、こういうことの方が得意だけどね」
リトリーが、周囲を見た。
「騒ぎになる前に、宿に戻ろう」
私たちは、路地裏を出た。
足早に、宿へ向かう。
心臓が、まだ速い。
でも――
無事だった。
それだけで、良かった。
△▼△▼△▼△
宿が見えてきた時。
宿の中から声が聞こえた。
「ギャンブルで荒稼ぎはダメと、前から言っているではありませんか!」
アンリミの声。
いつもの聖女の声じゃない。
怒っている声だ。
私たちは、中に入った。
そこには――
アンリミとアルアが、立っていた。
アルアの手には、いくつもの袋。
持ちきれなくて床にまで置いてある。
中から、金貨が見えた。
大量の、金貨。
アンリミは、腕を組んで立っている。
顔が、少しだけ赤い。
「あれー、そんなこと言うんだー。聖女の負けを取り戻してあげたのは誰だったかなー」
アルアが、棒読みで言った。
「くっ! べ、別に! 私だって、あのまま続けていれば自分で取り戻せていましたー!」
アンリミが、声を上げた。
アルアは、ぼんやりと笑った。
「全部ボクと逆の方に賭けようとしていたのにー?」
「その理屈はずるいです! アルアが賭けた方が正解になるからって、全部私の逆の方に賭けたのはアルアでしょう!」
喚くアンリミ。
私は、思わず声をかけた。
「……リミちゃん?」
アンリミが、こちらを向いた。
目が、合う。
一瞬の沈黙。
それから――
顔色が、ぱっと変わった。
「シルアちゃん!」
声が、明るくなる。
そして、ゴホンとわざとらしい咳をした。
「皆さん、帰ってこられたんですね」
声が、聖女のもの。
完璧な切り替え。
リトリーが、アルアの持つ袋を見た。
「もしかして、それって……お金?」
アンリミは、頷いた。
「はい。皆さんのお金がないということで、少しカジノで稼いできたんです」
「少し……?」
アルティナが、目を丸くした。
袋の中身は、明らかに少しじゃない。
「さ、アルア」
アンリミが、アルアを見た。
アルアは、眠そうな目で袋を持ち上げた。
「聖女さま、なんか汚れちゃったねー」
そして、投げた。
アンリミが、受け取る。
ずしり、という音。
重そう。
「え、いいの!?」
リトリーとアルティナが、同時に声を上げた。
カムイも、目を見開いている。
私も、驚いていた。
アンリミは、笑った。
「もともと、私のわがままでついてきてもらってますからね」
袋を、差し出す。
リトリーが、受け取った。
「で、でも……この量は、さすがにこの国でも多すぎだよ」
アンリミは、首を傾げた。
「カジノとかどうでしょう? 楽しかったですよ」
アルアが、すぐに言った。
「絶対やめた方がいいと思うなー」
感情はこもっていない。
でも、真剣な眼差しだ。
リトリーとアルティナは、目を輝かせた。
「カジノ……!」
「行ってみたい……!」
カムイは、何も言わないけど――
少しだけ、表情が緩んでいる。
私も――
少しだけ、楽しみに思った。
アンリミは、笑顔で頷いた。
アルアは、眠そうに目を細めた。
夜が、また更けていく。
明日は――
スレインの浄化。
その前に。
少しだけ、楽しんでもいいかもしれない。
次回!破産!




