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第一章・第三十七話 気をつけよう、本当に

「アルア、オタブッタ様が私に触れないようしっかり護衛してくださいね」


そう言ってアンリミは深呼吸をしてから再び閉じたドアを開く。


「ああ!アンリミちゃん!やっぱり天使は二度舞い降りるんだ!!」


オタブッタが再び駆け寄る。


しかしアルアが眠そうな顔をしながら前に塞がる。


「シルアちゃん!」


アンリミが私の名前を叫ぶ。


「ちょ!?いま”ちゃん”って言った!?そ、そいつ男じゃないのか!?つまりぼくたんたちの運命の糸は切れていなかったんだ!天使は三度舞い降りるー!!」


アンリミは私の手を引いて、廊下を駆け出す。

振り返る余裕もなく、足音が遠ざかる。


後ろから、オタブッタの叫び声が聞こえた。

でも、アルアが何か言ってる声も混じって、だんだん小さくなる。


角を曲がる。

もう一度曲がる。

装飾の違う廊下、壁、扉。


アンリミが、急に立ち止まった。


「……ここ」


扉を開けて、私を押し込む。

男装の服が壁に当たる音が、妙に高い。


部屋は広い。

さっきの待機室より少し小さいけど、それでも十分すぎる。

窓があって、絨毯があって、椅子が三つ。

壁の絵が、金の額縁で飾られている。


アンリミは、外を確認してから扉を閉じた。


そして、息を吐く。


「……ふぅ」


肩が、少しだけ落ちた。

聖女の顔が、ほどける。


「助かりました……」


「あの」


私が声をかけようとした瞬間、扉の外で足音が鳴った。


アンリミの顔が、また固くなる。


でも足音は、扉の前で止まった。


「聖女さまー、ボクも避難したいんだけどー」


アルアの声。

棒読み気味のいつもの調子。


アンリミが、小さく息を吐いて扉を開ける。


アルアが、眠そうな目で立っていた。


「全く、あんまりよそのお城で騒いじゃいけないと思うんだけどー」


「それくらいわかってます。ということでアルアはオタブッタ様がこの部屋に入ってこないようにドアの前で見張っていてください」


アルア嫌な顔をした後、渋々頷いた。


「はいはいー。ボクはー、便利屋さんじゃないんだけどなー」


言いながら、もう扉の前に立っている。

背中を壁に預けて、腕を組んだ。


「人使いが荒いなー、聖女さまはー」


棒読みで言ったまま、目を閉じる。


アンリミは、扉を閉じた。


そして、椅子に座った。


力が抜ける。

背もたれに体重を預けて、両手を膝に置いた。


「……やっと、落ち着けます」


声が、聖女のものでも、私の前で見せるものでもない。

ただの、疲れた声。


私は、アンリミの前の椅子に座った。


「大変そうだね」


「本当に……」


アンリミは目を閉じて、小さく首を振る。


少しの沈黙。


外では、遠くで声がする。

オタブッタの声だろう。

でも、アルアが止めているのか、こっちには来ない。


私は、男装の襟元を軽く引っ張った。

少しだけ、息がしやすくなる。


「……ねえ、リミちゃん」


「どうしました?」


「どうして、あんなに王子さまを避けるの?」


アンリミが、目を開けた。

少し驚いた顔。


「……普段、ソルニアの人たちからも似たような視線を向けられてるのに」


そう。

聖女は、いつも崇められている。

"推し"の目で見られている。

オタブッタとそんなに変わらないはずだ。


アンリミは、少しだけ考えてから答えた。


「それは……そうなんですが」


言葉が、途中で止まる。


「なんか、あの人は……きm――」


口が、ぴたりと閉じた。


アンリミは、自分の口を手で押さえて、小さく首を振る。


「……いえ。聖女が、こんなことを言ってはいけませんね」


「こんなこと?」


「なんでもないです」


アンリミは、手を下ろして、膝の上で揃えた。


「オタブッタ様とは……小さい頃から、交流があるんです」


「小さい頃から」


「はい。ソルニアとスレインは、昔から繋がりが深くて。よく国の代表者同士で集まることがあるんです」


アンリミの声が、少しずつ落ち着いてくる。

でも、顔は少し険しい。


「それで、ことあるごとに……その、求婚してこられるんです」


「……求婚」


言葉が、引っかかった。

胸の奥が、少しだけ痛い。


アンリミは、頷いた。


「はい。何度も断ってはいるんですが……オタブッタ様の剣能力の影響もあって、全然話を聞いてくれないんです」


「能力って?」


アンリミは、少しだけ困ったように笑った。


「何事も……ポジティブに……というか、自分の都合のいいように捉えてしまう能力らしいんです」


「捉えて……"しまう"?」


その言い方が、引っかかる。

自分の力なのに意思とは反しているようで。


アンリミは、頷いた。


「はい。どうやら、制御ができていないようでして」


「制御が……」


私は、少し考えた。


剣の能力が、自分の意思と関係なく発動する。

しかもそれは精神に影響を与える力。


自分の都合のいいように捉える能力が、制御できていない。


「本人は、気づいてないってこと?」


「そうなんです」


アンリミが、小さくため息をついた。


「断っても、断っても。オタブッタ様の中では、全部ポジティブに……つまり了承というふうに変換されてしまうんです」


「……それは、災難だね」


「本当に」


アンリミは、椅子の背もたれにもたれかかった。


「ソルニアの国民の方々は……まあ、信仰というか、そういうものがあるので。ある程度は線引きができてくれているのですが」


「でも、王子様は違う」


「はい」


アンリミの顔が、少しだけ歪んだ。


「……すみません。愚痴みたいになってしまって」


「ううん。大丈夫」


私は、首を横に振った。


外の廊下で、声がする。


「――アンリミちゃん! アンリミちゃんはどこ!?」


オタブッタの声。


「聖女さまはもう帰ったよー」


アルアの感情のこもってない声。


「嘘をつくなぁ!どうして!?どうして君は!君はぼくたんとアンリミちゃんの邪魔ばかりするんだぁ!」


「そういう仕事だからー」


「は!わかったぞ!嫉妬、嫉妬だな!ぼくたんとアンリミちゃんがお似合いだから嫉妬してるんだろぉ!」


やり取りが、妙に白熱してきた。


アンリミは、もう一度ため息をついた。


「王様との挨拶も済ませましたし、重要な話し合いも終わりました。……なので今日は、もう帰りましょうか」


「え?」


「明後日に、スレインの浄化を行いますので。体調を整えないといけませんしね」


「……スレインの、浄化って」


私は、思わず聞き返した。

先日の夜にアンリミがさらっと言っていたこと。


「冗談じゃ、ないの?」


アンリミは、きょとんとした顔で私を見た。


「冗談じゃありませんよ」


そして、少しだけ笑った。


「私は、聖女というものは各国に訪れた際……その国全土に、光の雨を降らすようになっているんです」


「……全土に」


「はい。おかげで、ソルニアはトップクラスの権威を持っているんですよ」


アンリミは、当たり前のように言う。


国全土に、光の雨。

ソルニアだけでも意味がわからないのに。


たぶんソルニアの光を維持したままスレインにも降らすのだろう。


それが、どれだけの規模なのか。

どれだけの魔力が必要なのか。


私は、何度もアンリミの規格外さに驚いてきた。


でも、また驚く。


「……無理、しないでね」


気づいたら、口から出ていた。


アンリミは、少しだけ目を丸くした。


そして、笑った。

優しい笑み。


「ありがとうございます、シルアちゃん」


嬉しそうな声。


「でも、さすがに無理はしちゃいますね」


「え」


「だって、国全土ですから」


アンリミは、肩をすくめた。


「でも、私には……アルアがいますから」


視線が、扉の方へ向く。

その先には、アルアとオタブッタの声がする。


「彼がいてくれるおかげで、私は何度も無理ができるんです」


言葉が、優しい。

信頼が、そこにある。


私は、少しだけ考えた。


アルアの能力。

攻撃が何もかも通じない。


いや、それはたぶん違う。

私はまだ彼の能力の全貌を知らない。


でもきっと、それのおかげでアンリミは何度も無理ができる。


「……それでも」


私は、言葉を探した。


「やっぱり無理はしてほしくないな」


アンリミは、また笑った。


「はい」


外の廊下で、やり取りの声がさらに大きくなった。


「ぼくたんは! アンリミちゃんに会わないといけないんだ!」


「そうなんだー。ところでお城の外に豚小屋があるんだけど案内してあげようかー?」


「ぼくたんは豚よりも牛の方が好きなんだ!アンリミちゃんも四年前に牛肉が好きって言っていた!だからぼくたんたちの小指には赤い糸がぁ!!」


「それよりオタブッタ様は専属の使用人とかいないのー?今頃大慌てで探してるんじゃなーい?豚小屋とかで」


「ぼくたんにはアンリミちゃんがいれば何もいらないんだぁ!!」


アンリミは、立ち上がった。


「……さ、行きましょう。シルアちゃん」


そして、私の腕を組んだ。


心臓が、跳ねる。


「え」


「このまま行きましょう。その方が、早いですから」


アンリミは、にこっと笑った。


私は、頷くしかなかった。


扉を開ける。


アルアが、振り返った。


オタブッタも、振り返った。


「アンリミちゃん!!やっぱりこの部屋にいたんだね!天使は四度舞い降りたぁ!!ってそこのお前!そこはぼくたんの場所だぞぉ!代われぇ!!」


「ごきげんよう、オタブッタ様」


アンリミは、聖女の笑みで言った。


そして、私の腕を組んだまま、歩き出す。


オタブッタは、また何か言おうとしたけど――


アルアが、前に立った。


「ボクたちは今日はもう帰るからー。邪魔しないでねー」


「君は!」


声が、後ろに遠ざかる。


私たちは、廊下を歩いた。


アンリミの手が、私の腕を軽く握っている。

温かい。


心臓が、うるさい。


城を出るまで、誰も声をかけてこなかった。


△▼△▼△▼△


馬車に乗って、少し進んだところで――


宿が、見えてきた。


「……すごい」


思わず声が出た。


建物が、大きい。

窓がたくさんある。

石と木でできていて、装飾が細かい。


これは、もはや宿じゃない。

何か別の言葉が必要な気がするくらいだ。


アンリミが、笑った。


「スレインのご要人の宿ですから。立派でしょう?」


「すごく立派だね……」


馬車が止まって、私たちは降りた。


アルアも、眠そうに降りてくる。


入口には、侍従みたいな服装の人が立っていて、頭を下げた。


「お待ちしておりました、聖女さま」


アンリミは、笑顔で頷いた。


「ありがとうございます」


中に入ると、床が光っている。

磨かれた石。

階段が、奥にある。


アンリミは、私の方を向いた。


「では、私たちは隣の部屋なので……何かあったら、言ってくださいね」


「うん」


アンリミとアルアは、階段を上がっていった。


私も、自分の部屋へ向かう。


扉を開けると――


「あ、帰ってきた!」


リトリーの声。


部屋の中は、広かった。

ベッドが四つあって、机があって、窓が大きい。


リトリーとアルティナが、窓際で何か見ていた。

カムイは、椅子に座って剣を磨いている。


「シルア! ここの宿、すごいよ!」


アルティナが、尻尾を揺らしながら駆け寄ってきた。


「ベッドは広くて、机には果物が置いてあるの!」


「本当にすごいよね」


リトリーも、笑顔で言った。


「私たち、お金ないのに……こんなところに泊まれるなんて。本当に聖女さまには感謝だよね」


アルティナが、頷いた。


「そうだよね! それでね、それでね!」


尻尾が、さらに激しく揺れる。


「この宿、一階にプールがあるんだって!」


「プール?」


「うん! 早速行かない?」


リトリーも、目を輝かせている。


「ね、行こう! せっかくだし!」


私は、二人を見た。


元気だな、と思う。


でも、その元気がなんだか今は温かい。


「……じゃあ、行こっか」


「やった!」


アルティナが、飛び跳ねた。


リトリーも、笑った。


カムイは、剣を磨いたまま、小さく息を吐いた。


「……俺も行くのか」


「当然でしょ!」


アルティナが、カムイの肩を叩いた。


「行くよ、カムイ!」


「……わかった」


カムイは、剣を鞘に収めた。


私たちは、部屋を出た。


△▼△▼△▼△


プールは、一階の奥にあった。


扉を開けると、水の匂いと、光が広がっていた。


天井が高い。

窓から光が差し込んで、水面がきらきら光っている。


プールは、広い。

端が見えないくらい。


「うわぁ……」


アルティナが、声を漏らした。


リトリーも、目を丸くしている。


「すごい……」


カムイは、黙って周囲を見ている。


私も、少しだけ圧倒された。


水の音が、静かに響いている。

人は、少ない。

貴族みたいな服装の人たちが、遠くにいるだけ。


「ね、入ろう!」


アルティナが、尻尾を揺らしながら言った。


リトリーも、頷いた。


「うん!」


私たちは、着替えて――


水に入った。


冷たい。

でも、気持ちいい。


リトリーが、水を掬って顔にかけた。


「ふぅ……最高」


アルティナは、犬かきで泳いでいる。

尻尾が、水面をぱしゃぱしゃ叩いている。


カムイは、端の方で腕を組んで立っている。


「カムイ、泳がないの?」


リトリーが聞くと、カムイは首を横に振った。


「見てる」


「つまんないなぁ」


「別に」


やり取りを見ながら、私も水に浸かった。


体が、軽くなる。

疲れが、少しだけ抜けていく。


アルティナが、水しぶきを上げて笑った。


リトリーも、笑った。


時間が、ゆっくり流れる。


――どれくらい経っただろう。


水から上がろうとした時。


入口に、人が立っていた。


制服を着た、宿の人。


「お客様」


丁寧な声。


「ご利用料金は、お支払われましたか?」


「……え?」


リトリーが、固まった。


アルティナも、尻尾が止まった。


私も、動けなくなった。


利用料金。


そういえば――


確認していなかった。


「あの」


リトリーが、恐る恐る聞いた。


「いくらですか……?」


宿の人は、笑顔のまま答えた。


「お一人様、金貨一枚です」


「……」


空気が、凍った。


金貨一枚。

私たちが昨日買った高価なガラクタ全部と同じくらいの値段。


私たちは、四人。


つまり――


金貨四枚。


私たちは、一文無し。


リトリーが、顔を青くした。


アルティナは、尻尾が完全に垂れ下がった。


カムイは、黙って目を閉じた。


私は――


頭が、真っ白になった。


「……どうしよう」


リトリーが、小さく呟いた。


「お金……ない」


アルティナも、震えた声で言った。


宿の人は、笑顔を崩さない。


「お支払いが難しい場合は……別の方法もございますが」


その声が、逆に怖い。


私たちは、顔を見合わせた。


そして――


決断した。


△▼△▼△▼△


「聖女さまぁ……」


リトリーが、泣きそうな声で言った。


アンリミの部屋の前。


私たちは、並んで立っていた。


扉が開いて、アンリミが顔を出した。


「どうしたんですか?」


笑顔。


優しい笑顔。


それが、余計に胸に刺さる。


「あの……プールで遊んで……お金が……」


アルティナが、尻尾を丸めて言った。


アンリミは、少しだけ目を丸くした。


そして――


「……ああ」


理解した顔。


「プールは、有料でしたね」


「はい……」


私も、小さく頷いた。


アンリミは、困ったように笑った。


「まあ、大丈夫ですよ。お金はたくさんありますから」


「本当に、ごめんなさい……」


リトリーが、頭を下げた。


アルティナも、カムイも、頭を下げた。


私も、頭を下げた。


すると――


後ろから、声がした。


「君たちさー」


棒読みの声。


振り返ると、アルアが立っていた。


眠そうな目。


でも、少しだけ呆れた顔。


「そろそろ学習したらどうかなー」


「……」


言葉が、出ない。


アルアは、腕を組んだ。


「そもそもー、宿泊代を出させてもらってる立場なのにー、よくそんなに遠慮なく遊べるよねー」


「ごめんなさい……」


リトリーが、また頭を下げた。


アルアは、ため息をついた。


「ま、ボクは別にいいんだけどー。聖女さまの財布が心配でー」


「もう! アルア!」


アンリミが、慌てて前に出た。


「本人たちは謝っているし、そこまで言わなくてもいいじゃないですか!お金は、大丈夫ですし!」


「聖女さまは甘やかしすぎだねー」


アルアは、棒読みで言った。


「もっとボクのときみたいにぐちぐち言えばー?」


「ちょ、シルアちゃんの前でそんなこと言わないでください!」


アンリミが、顔を赤くして慌てふためく。


アルアは、ぼんやりと笑った。


「はいはいー」


そのやり取りを見ながら――


私は、リトリーとアルティナとカムイを見た。


三人とも、同じ顔をしていた。


反省の顔。


そして、決意の顔。


今度こそ。


今度こそ、この国では――


お金に気をつけて行動しよう。


そう、心の中で誓った。


リトリーも、頷いた。


アルティナも、尻尾を小さく揺らして頷いた。


カムイも、黙って頷いた。


アンリミは、困ったように笑っていた。


アルアは、眠そうに目を細めていた。


夜が、静かに更けていく。


明後日は、スレインの浄化。


それまでは――


お金に、気をつけよう。


本当に。

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