崩剣
乾いた風が、砂の粒を細く走らせた。
遠くの岩肌は陽に焼けて白く、空はやけに広い。
その荒野の端に、四人は小さな影を落としていた。
布を敷き、荷をまとめ、火を起こす。
「ねえ、ほんとにここでいいの?」
白銀の髪をした青年が眉を上げる。
返事の代わりに、彼の兄が肩をすくめた。
「いいだろ。何もない。何もないからこそ、うるさくしても問題なーい」
「やっぱり暴れるつもりじゃないか」
もう一人、彼の姉がくすっと笑う。
金色の目が、荒野の向こうを撫でるみたいに細まった。
「でも、こういうだだっ広い場所って好き。音がよく響くし」
「音だけじゃ腹は膨れねえぞ、姉ちゃん!」
青年の妹――ルビアが両手を頭の後ろで組んで言った。
目はぎらぎらしていて、早く動きたいって顔をしている。
「狩りだ、狩り! 今日はオレが一番デカいの獲る!」
「はいはい。じゃあ、置いていかれないようにね〜」
姉はそう手をひらひらさせながら言った
△▼△▼△▼△
荒野での狩りは、森と違ってごまかしが利かない。
遮る木も、匂いを抱く苔もない。あるのは風と影と、逃げる足跡だけ。
獲物は“砂兎”と呼ばれるものだった。
兎に似ているのに耳が短く、毛が薄い。なにより、跳ぶたびに砂煙を置いていく。
「ほら、あそこ!」
ルビアが先に走る。
砂が爆ぜ、靴跡が一瞬で消えていく。
「待てって。先に回り込む――」
青年が言い終える前に、兄が指を一本立てた。
口の端が少しだけ上がる。
「そんなことしなくてもルビーは大丈夫だよ」
「……なんでわかるんだよ」
「お兄ちゃんにわからない事なんてないからね」
兄の声は軽い。
軽いまま、目だけが真剣だった。
姉が、ふっと息を吐く。
それだけで風の流れが一度だけ変わった気がした。獲物の跳躍が、ほんの一拍遅れる。
「今だ」
兄が言う。
青年が動くより先に、ルビアが獲物へ飛びついた。
「よっしゃあ!」
砂兎は抵抗した。
爪で砂を掻き、逃げようとする。けれどルビアの腕は離れない。力が、子どものそれじゃない。
「……ほんと、なんであんな野蛮なんだ」
青年がぼそっと呟く。
「褒めてる?」
「どう考えても褒めてないだろ」
姉が笑いを堪えきれず、肩を震わせた。
「じゃあ、褒めておこ。すごいよ、ルビーちゃん。今日の晩ごはんも決まったね〜」
ルビアが胸を張った。
「昼だって肉だ!」
「お昼も?」
「昼も!」
結局、狩りは一匹で終わらなかった。
青年が仕留めた小さな鳥、兄が素手で拾い上げた蜥蜴、姉が“いつの間にか”手に持っていた丸い果実――荒野に似合わない甘い香り。
火を起こすと、油がはぜて、匂いが風に乗る。
四人の腹が、ちゃんと同じタイミングで鳴った。
「おいしい……」
青年が言う。
それを聞いたルビアが勝ち誇った顔をする。
「な? オレの捕まえた獲物だぞ」
「はいはい。……でも、味付けは姉さんでしょ」
青年の視線が姉へ向く。
姉は何でもない顔で串を返した。火の色が金の瞳に揺れる。
「美味しい?」
「さっき言った」
兄が笑って、飲み物の皮袋を放る。
ルビアが受け取り、豪快に飲んで、口の端を拭った。
「よし! 食った! 遊ぶぞ!」
△▼△▼△▼△
追いかけっこは、荒野だとわかりやすい。
逃げ道がないから、速さがそのまま勝ち負けになる。
「鬼は兄ちゃんな!」
ルビアが兄に指を突きつける。
兄は「はいはい」と言いながら、指先で小さく円を描いた。砂の上に、何も残らない円。
「じゃあ、逃げていいよ」
言い終わる前に、三人が散った。
ルビアは真っすぐ。青年は斜め。姉は――どこへ行ったか、一瞬でわからなくなる。
兄が走り出す。
荒野の風が一度だけ裂けた。
「うわっ、速っ……!」
青年が声を上げた瞬間、背中に軽く触れられる。
「はい、捕まえたー」
「まだスタートって言ってないじゃん!」
「言ったさ。音が遅いだけだよ」
ルビアもすぐだった。
全力で逃げたはずなのに、次の瞬間には肩をぽん、と叩かれている。
「え、ちょ、待――」
「はい、捕まえたー」
「ちょっとくらい手加減しろよ!」
「鬼が手加減したらつまらないだろ」
兄の声は楽しそうで、腹が立つほど余裕がある。
問題は、姉だった。
捕まらない。とにかく捕まらない。
砂の地平線の向こうに見えたと思ったら、次の瞬間には反対側にいる。
風の影に溶けるみたいに、視界から抜ける。
「姉さん! そっち行った!」
青年が叫ぶ。
兄が向きを変える。砂が舞う。
――そこに、いない。
いたはずの場所に、ただ風だけが残っている。
「……え、今の何?」
ルビアが目を細める。
青年も、息を整える暇がない。視線だけが忙しく動く。
姉の笑い声が、遠くから飛んでくる。
「えへへ。捕まらないよ〜」
「捕まえさせろよ!」
ルビアが叫ぶ。
追いかけるほど、熱が上がる。
砂が熱い。呼吸が熱い。言葉が尖る。
ルビアと青年の目は、もう二人を追えていなかった。
速さだけじゃない。距離の感覚がずれる。見たものが次の瞬間、別の場所に置き換わる。
「……はぁ、はぁ……」
ルビアが止まった。
膝に手をついて、砂を握りしめる。
「もう、飽きた。全然おわんないし、つまんない」
青年が「え?」と声を漏らす。
「二人とも、追いかけっこはもうおしまい!」
ルビアが宣言すると、荒野の風が一度だけ静かになった。
「えー」
姉が口を尖らせる。
でも次の瞬間には笑って、素直に手を下ろした。
「わかった。じゃあ、次なにする?」
兄が肩を落とす。
「もう少しだったのになー」
「兄ちゃん、そういうとこがムカつく」
ルビアが立ち上がり、砂を払った。
「よし、姉ちゃん、兄ちゃん! 今度は力比べで勝負しよぜ!」
青年が顔をしかめる。
「またかよ。力比べなんて、そろそろやめたら? ルビーはもっと女の子らしくしないと」
ルビアが即座に噛みついた。
「うるせえ。チア兄はそういうとこだぞ。そんなんだから前もルドに負けそうになったんじゃねえか」
「なんでそこで俺が刺されるんだよ!それに負けてはないじゃないか」
青年が手を広げる。
ルビアは腕を組んで、鼻を鳴らす。
姉が、二人の間にすっと入った。
声は柔らかいのに、目が笑っていない。
「こら〜。こんなところで喧嘩しないで。力比べはしてあげるから。それにルビーちゃんは個性的でお姉ちゃんは好きだよ」
ルビアの顔がぱっと明るくなる。
青年は「はぁ……」と頭を抱えた。
兄が、二人の頭を軽く小突く。
「そうだぞー。それとチアの力は手加減が難しいから、しょうがないよ。本気でやったらルドには圧勝さ」
「そんなこと、わかってるもん!」
ルビアが言い返して、胸に手を当てる。
手が胸へと沈むみたいに見えて、次の瞬間――赤い柄だけの剣が抜けた。刃はない。なのに、握った瞬間だけ空気が赤くなる。
「じゃあ、いくぜ姉ちゃん!」
ルビアが両足を踏ん張る。
腕に力を入れたのが、見て分かった。魔力が体の奥で鳴っている。
柄の先が赤く光る。
「くらえ! 出力一〇〇%、クリムゾン・デストローイ!!」
叫んだ瞬間、空が裂けた。
全てを崩壊させる紅い光が、一直線に突き上がる。
音が遅れてくる。荒野の地面が、腹の底から揺れた。
光は空の高みへ消えていく。
ルビアはその場にへたり込み、肩で息をした。
「はぁ、はぁ……どうだ……過去一の威力だぜ……はい、姉ちゃん」
赤い柄だけの剣を、ルビアが差し出す。
姉は受け取り、飛んでいく崩壊の光を眺めたまま言う。
「うん。確かに今までで一番だね」
青年が空を見上げて、ぼそっと言った。
「……もし鳥がいたら、かわいそうだ」
「だよね〜」
姉は剣先――正確には刃はないが、自然に“先”を向ける。
飛んでいく光へ、まっすぐ。
「じゃあ、いくね」
魔力が、赤い柄の中へ流れ込む。
それと同時に、兄が指を鳴らした。
パチン。
乾いた音。
それだけで、ルビアの放った空へ向かっていたはずの崩壊の光が――いつの間にか向きを変えた。
こちらへ。
まっすぐ、四人へ。
「おお〜!」
ルビアが声を漏らす。
青年が身構える。荒野の風が逆流する。
姉は笑った。
「出力〇・〇一%、圧縮率一〇〇〇〇%! スーパーお姉ちゃんビーーーム!!」
放たれたのは、細い光線だった。
細いのに、空気が“重い”。
エネルギーの密度がとんでもない。触れた瞬間、世界のほうが折れそうになる。
光線は向かってくる崩壊の光を正面から撃ち抜き――空で噛み合った。
爆発。
爆発なのに、火ではない。
二つの光が空を侵食、崩壊させる。
赤い花弁みたいな破片が空を埋め、次の瞬間には白い輪になって広がる。
巨大な花が咲いた、としか言えない。
空が、四人を明るく照らした。
姉はルビアへ振り返り、にこやかに言う。
「互角だったねー」
ルビアの頬が膨らむ。
怒っているのに、目だけは空の花を追ってしまう。
「……ぜってぇ、いつか勝ってやる」
小さく呟いて、ルビアは拳を握った。
握った指先が、まだ震えている。
彼は「次はもっと上げる?」とからかうみたいに言って、青年に肘で小さく突かれた。
「兄さん、煽るなって」
「煽ってないって。応援だよ」
「応援の仕方が悪い」
姉が笑う。
笑い声が、荒野の空気を少しだけ柔らかくした。
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そこは、空じゃなかった。
上下も距離も、形を決めた瞬間にほどけてしまいそうな黒。
黒の中には光が詰め込まれて、押し合っている。
艦列の灯り、結界の縁、砲撃の尾、刃の残光。どれも光っているのに、温かくない。
中心にだけ、熱があった。
白銀の髪が揺れて、金の瞳が笑っている。
笑っているのに、目は忙しい。
彼女の周りには、刀が浮かんでいた。
星に及ぶ数――そう言っても足りないくらいの数が、生まれては消え、生まれては消え、瞬く。
光が途切れる。
艦が裂ける。
結界が割れる。
悲鳴が上がる前に、消える。
彼女が指を動かすたび、黒が薄くなる。
なのに、戦いは終わらない。
穴が空けば、そこへまた光が詰め込まれる。埋められる。押し戻される。世界が息を吐く暇がない。
彼女は死んだ。
胸を貫かれ、腹を裂かれ、頭を潰され、身体を割かれた。
でもそのどれもが、“なかったこと”になる。
血が散る前に薄れ、痛みが届く前に消え、死んだ事実そのものが世界から抜け落ちる。
笑い声だけが残る。
「あはっ……今日は特にいいね〜」
彼女は向かう。
何千、何万の敵を、死にながら倒していく。
けれど、落ちない光が二つあった。
一つは、冷たい女だった。
短い髪。淡い声。両目には三つの線が収束するような紋がある。
もう一つは、優男に見える男だった。
顔だけ見れば頼りないのに、空間が彼の呼吸に合わせて曲がる。両目の紋は、歪みに沿って細く震える。
二人は、彼女へ届く。
届くはずのない距離を、当たり前のように踏み越える。
女が、背後を取った。
心臓を貫く。冷たい手の感触。
男が、空間を捻じ曲げる。
彼女の身体が折れ、骨が先に音を立てる。次に肉が追いつく。頭が潰れる。
――無かったことになる。
女がもう一度、同じ角度で刺そうとする。
でも次の瞬間には違う場所に彼女がいる。
男が舌打ちする。
「……なんで殺せないんだよ」
口調が苛立ちで崩れる。
女が淡々と返す。
「落ち着きなさい。心を乱しては相手の思う壺よ」
その会話の合間に、彼女が笑う。
近づく。距離を詰めるのが、遊びのように軽い。
「ふふ。嬉しいなぁ。第四位階と第六位階の二人と戦えるなんて、本当に最っ高だよ」
彼女の声は弾む。
戦場でそんな声を出すのは、狂気よりも質が悪い。
「今日が交代の日で本当に良かった〜」
男が眉をひそめる。
「うるさいなぁ。喋るんじゃあねえ!さっさと死ねよ」
彼の周りで空間が潰れた。
彼女の身体の周囲が、握り潰されるみたいに縮む。
――無かったことになる。
「うーん。でも二人もいると、さすがにしんどいな〜」
彼女が言いながら笑う。
笑いながら、刀を指先で弾く。
刺さるはずの刃は、届く前に止まった。
透明な壁。結界。
二人の周囲には、幾重もの結界が重なっている。
遠くで誰かが叫び、誰かが倒れ、それでも別の誰かが手を掲げ続けている。死なせないために。彼らを落とさないために。
刺さる結果だけが決められた刃は、結界に阻まれる。
刺さるはずの“結果”が、壁の手前で足踏みする。
彼女は舌を出す。
「当てさせてくれないんだねぇ」
彼女の片手には恒星の如く輝く刀が握られている。
女が口を開いた。
「……距離を保て。あれに触れたら終わるわよ」
男が「分かってるって」と言いながらも、顔は歪む。
焦りが歪みを強くする。空間が呻く。
彼女は嬉しそうに息を吸った。
「こんなに楽しいんだからちゃんと耐えてね」
そして空へ手を差し入れた。
そこから引き抜いたのは、赤い柄だけの刃のない剣。
戦場でそれは、不気味だった。
刃がないのに、世界の方が身構える。
彼女は軽く言う。
「出力一二〇〇〇〇〇〇%」
魔力が流れ込む。
赤が濃くなる。黒が薄くなる。周囲の光が、一瞬だけ沈黙する。
女はすでに回避の姿勢を取っていた。
男へ叫ぶ。
「避けて!」
「え、いや、ちょ、これやばいって」
男は少し出遅れた。
次の瞬間、究極の崩壊が放たれる。
赤い破滅の光が空より広い戦場を横に裂いた。
艦列が半分、消えた。
結界の縁が半分、消えた。
叫ぶ暇もなく、命が半分、抜け落ちた。
残ったのは巨大な穴だった。
黒に空いた穴。底が見えない穴。
でも穴はすぐ埋まる。
次の光が、次の艦が、次の兵が詰め込まれてくる。戦場が呼吸を止めない。
男は、首だけになっていた。
文句だけは残る。
「ぐ、あぁぁ……ふざけんな……っ、体返せよ……!」
女は左の手足を持っていかれた。
それでも冷たい顔で、彼女の首を落とす。
――無かったことになる。
彼女は同じ場所に立っている。
同じ笑みで、同じ目で。
「あれ〜。何回もやり直してるのに、当たっちゃったんだ〜」
声が軽い。
軽いまま、目が鋭い。
「それとも、それが最小限に抑えられた結果かな?」
女が歯を噛んだ。
「……黙れ」
再び彼女を貫こうとする。
けれど――気づくと、女の全身は刀に貫かれていた。
刺さった動きは見えない。
ただ、結果だけがそこにある。胸、喉、腹、肩、足。関節の隙間まで、逃げ場を潰すみたいに。
彼女が笑う。
「ざーんねーん、結界が間に合わなかったね〜」
女は落ちた。
落ちないはずだった光が、黒へ沈む。
男が叫ぶ。
「おい! おいおいおい、ふざけ――」
男の叫びは途中で途切れた。
落ちない二つの光が、消えた。
戦場は再び、一方的な殺戮の場と化す。
刺さる結果が先に置かれ、現実があとから追いつき、光が途切れ続ける。
彼女は赤い柄だけの剣を見つめた。
刃がないのに、記憶だけが刃のように胸へ刺さる。
「……ルビーちゃんとの力比べ、楽しかったな」
呟きは、黒に吸われる。
誰も聞かない。聞けない。
それでも彼女は笑って、また指を動かした。
光が途切れ、黒が裂け、穴が埋まり、また裂ける。
戦いは終わらない。




