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第一章・第三十四話 言い訳

「……シルアちゃん……相談したいことがあるんですけど……」


アンリミは、指先を私の指に重ねたまま言った。


触れているだけのはずなのに、そこだけ熱を持っている。

逃げ道を塞がれたみたいに、じわりと。


窓の外では、ソルニアの光が静かに降っていた。


雪みたいに白いのに、冷たくない。


その下で王都は眠っているはずなのに、私は眠れないままベッドの端に座っていた。


「相談……?」


アンリミが小さく頷く。

聖女の顔をいったん外して、ただの女の子の顔に戻っている。


「……シルアちゃん、旅をしてるって言ってましたよね」


「うん」


「その……次の行き先って、決まってたりしますか?」


言葉の終わりが、ほんの少しだけ上がる。


期待してるみたいで、怖がってるみたいで。

どっちも混ざって、ほどけない声だ。


私は喉の奥に引っかかったものを飲み込んで、首を振った。


「……決まってないけど」


口から出してから、あ、と遅れて気づく。


それは誘ってもいいってことになる。


アンリミは、その隙間にするりと手を差し込んできた。


「じ、じゃあ……」


頬が赤い。

目が揺れて、視線が一度、私の肩に落ちる。


それから、意を決めたみたいに顔を上げた。


「私と一緒に……スレインまで来てくれませんか」


言葉が、胸の真ん中に落ちた。


スレイン。

最も物が行き交う国。


「……え」


情けない声が出た。


アンリミが慌てて手を振る。


「い、いきなりでごめんなさい! あの、嫌なら全然……!」


嫌、とは言えない。


でも、すぐに「いいよ」とも言えない。

私は唇を開いて、閉じて、また迷う。


言葉が見つからない。


その沈黙を、アンリミは勝手に“拒絶”とは受け取らない。

むしろ焦って、説明を足してくる。


「実は近々、スレインに訪問することになっていて……その、スレインの浄化とか、いろいろ……」


スレインの浄化とかいうとんでもないワードが聞こえた気がする。

指先が、私の手の甲をそっと撫でた。


「でも……スレインの王子さんが、少し苦手で」


苦手。


その言い方が可愛すぎて、守りたくなる。


「……どういう……」


聞き返したら、きっと深いところまで行く。

アンリミはそこを避けるみたいに視線を逸らした。


「えっと……気が合わない、というか……」


言い直して、また言葉を探す。

探した先が、私だった。


「……シルアちゃんが、いてくれたら。心強いなぁって」


その瞬間、私の中にあった理屈が、ざらりと削れた。


可愛い。


私は息を吸って、現実にしがみつくみたいに言った。


「……私だけじゃ決められない。リトリーたちに……相談してないし」


アンリミが一瞬固まる。


それから、すごく小さく笑った。


「……そうですよね。ごめんなさい、私……」


謝る声が、さっきより弱い。

袖をつまむ指先みたいに、小さく震えている。


その震えが、嫌だった。


彼女が悪いわけじゃない。

でも、彼女が謝るのは――たぶん、いつもだ。


いつも誰かの都合を背負わされて、そういう顔をして。


アンリミは言葉を飲み込むみたいに唇を噛んで――

それから、こっちを見上げた。


上目遣い。

逃げ道を残さない角度。


吸い込まれそうな越眼が私を覗く。


「……どうしても、だめ、ですか?」


小さな声。


それだけで、私の心は粉々になった。


抗う理由を並べる前に、頷いてしまう。


「……ダメじゃない」


言った瞬間、アンリミの目がぱっと光る。

ソルニアの光より、ずっと近いところで。


「ほんとに?」


「うん。……たぶん、怒られるけど」


「怒られても、私が守ります!」


言い切ってから、アンリミは自分で恥ずかしくなったみたいに頬を押さえた。


「……その。ありがとう、シルアちゃん」


指先が、今度は少しだけ強くなる。

強くしないように抑えてる、その強さ。


私は笑えなかった。

代わりに、息だけ吐く。


「……私の方こそ。なんで、こんなこと言ってるんだろ」


アンリミが首を傾げる。


「え?」


「なんでもない」


言い捨てるみたいになって、慌てて言い直す。


「……寝よ。明日、説明するの大変だから」


アンリミがくすっと笑って頷いた。


「はい。おやすみなさい、シルアちゃん」


「……おやすみ」


そのあと、彼女はすぐ眠った。

落ちる、みたいに早かった。


私もすぐに意識が遠のいて……


△▼△▼△▼△


アンリミは目を開ける。


彼女は一年の間ほとんど眠らない。


能力を常に維持し続けなければいけないから。

それが聖女だから。


「シルアちゃん……寝ましたか?」


彼女は小さな声で呼ぶ。


シルアは深く眠っている。

ちょっとやそっとじゃ起きないくらいに。


「ふふ、可愛い寝顔。食べちゃいたいくらいです」


彼女はシルアの顔に近づいて――


△▼△▼△▼△


△▼△▼△▼△


「……そんな感じでスレインに行くって決めちゃった」


私は、朝の部屋で言った。


声が、言い訳みたいに薄い。


リトリーは口を半開きにしたまま固まっている。

アルティナの尻尾が、ぴし、と止まる。

カムイだけが、眉間に皺を寄せたまま短く息を吐いた。


「つまり」


リトリーがゆっくり言う。


「聖女さまに上目遣いされて、負けた」


「……言い方」


「違うの?」


違わない。

違うと言えるほど、私は強くない。


アンリミが、私の腕にぎゅっとしがみつく。


「リトリーさん、意地悪です」


聖女の口調に寄せてるのに、拗ねが混ざる。

リトリーは頭を抱えた。


「いや、意地悪じゃなくて……その、聖女さまと仲良くなってるのが、まず意味分かんないんだってば」


アルティナも一歩寄ってくる。

目がきらきらしてる。


「ねえ、シルア。どこまで仲良しなの? 一緒に寝たの?」


「……寝ただけ」


言ったあとで、変な間ができた。


リトリーの視線が刺さる。

アルティナの尻尾が、また揺れ始める。


アンリミが、ぱっと顔を上げる。


「寝ました!」


胸を張るな。


リトリーが呻く。


「……聖女さま、そういう言い方すると誤解が」


「え、誤解?」


本気で分かってない顔をしてる。

私は枕に顔を埋めたくなった。


カムイが短く言う。


「……それで。いつ出るんだ」


現実だけ拾ってくれる声が、少しだけ救いだった。


アンリミが指を折る。


「準備が整い次第、です。……たぶん、数日以内かと」


「数日……」


リトリーが天井を見上げて息を吐いた。

それから、私を見る。


「まあ……ソルニアは堪能したし」


アルティナが頷く。


「うん。綺麗な景色も見れたし、お腹いっぱいだし」


リトリーが笑う。


「そこ?」


アルティナは真顔だ。


「そこだよ」


カムイが、ほんの少しだけ口元を緩める。

気のせいかと思うくらいに。


私はその表情を見て、つい言ってしまった。


「……カムイ、もう落ち込んでないの?」


空気が一瞬止まる。


カムイの耳が、微妙に動いた。


「別に……落ち込んでたわけじゃ」


言いかけて、言葉が詰まる。

照れたみたいに視線が逸れる。


「……寝たら、なんかすっきりしたんだよ」


アルティナが「何それ」と笑う。

リトリーも肩を揺らす。


「寝たら気持ちリセットなんて便利だね」


「うるさい」


カムイがぶっきらぼうに返す。

でも、声の尖りが少し丸い。


そのやり取りを、アンリミは眩しそうに見ている。

羨ましいのかもしれない。

こういう雑な笑いが、日常の中にあることが。


アンリミが思い出したみたいに言った。


「そういえば、昨日は人への影響をあまり考えずに光を放ってしまいましたね」


「え」


「王都にいた人は悩み事が綺麗に消えたかもしれません」


アンリミがテヘッと舌を出して私を見る。


昨日のカムイはすごく思い詰めてた。

悩みが消えたことがカムイにとって、いいことなのか悪ことなのか私にはわからない。


「……あとそれと、今アルアが、昨日の二人を尋問しているはずです」


クロウとシャルラ。

この国で数少ないまともな人だと思っていたのに、聖女を襲うなんて。


思えばアルアとの決闘も聖女の護衛であるアルアの力を確かめていたのだろう。


私は喉の奥が冷えるのを感じた。


黒球。

割れる音。

影の匂い。


アンリミが私の手を握った。

今度は、少しだけ強い。


「大丈夫です。アルアがいますから」


それは安心の言葉のはずなのに。


私の中では、別の形に聞こえた。


――アルアがいる限り、逃げられない。


△▼△▼△▼△


尋問室は、白くない。


石の色がそのまま出ている。

灯りはあるのに、陰が濃い。


壁に染みついた空気が、何度も誰かの声を吸ってきたのが分かる。


椅子に縛られているのは二人。


クロウは余裕の笑みを崩さない。

シャルラは視線だけが動く。

口は閉じたまま。


アルアは、その前に立っている。


眠そうな顔。

大きなアホ毛だけが、妙に元気に揺れている。


「でー」


アルアの声はいつも通り平坦だった。


「きみたちは、誰の指示で動いたの?」


クロウが肩をすくめる。


「いやぁ、指示とかじゃないんだよねぇ。趣味、ってやつ?」


「趣味でこーゆーの、やめた方がいいよー」


「ほんとそれな。俺もそう思う」


軽口が軽口で返って、空気が薄くなる。


アルアはシャルラを見る。


「きみは?」


シャルラは瞬きもしない。

沈黙。


アルアは「そっかー」と言って頷いた。

頷きが、やけに柔らかい。


その柔らかさが、逆に怖い。


「じゃあ、仕方ないなー」


アルアが腰の剣に手を置く。

二本のうち、左。


抜かないまま。

触れるだけ。


「何も言わないなら、こっちも強硬手段をとるよー」


クロウの笑顔が、少しだけ固まる。

シャルラの瞳が、ほんのわずかに細くなる。


室内の空気が、きゅっと締まった。


次の瞬間――


廊下から、妙に明るい声がした。


「ア・ル・ア・くーん!」


遠くから近づいてくる。

楽しそうで、嫌な予感しかしない。


アルアが、ため息を吐きかけた、その時。


バターン、と扉が開いた。


入ってきたのはルネアだった。


白に近い銀髪。

黒い外套。

笑顔。


そして片手に――刀。


灯りが一瞬霞むほどの光が、刃から溢れている。


クロウが「うわ」と小さく声を漏らした。

シャルラの視線が刀に刺さる。


ルネアは嬉しそうに言った。


「ねえ、謎解きの答えってどこにあるの?」


アルアが目だけでルネアを見る。


「解けたのかい?」


「も、もちろん解けたもん」


少し焦った表情をしてから、すぐ笑う。


「だから答えはー?」


アルアは息を吐くみたいに言った。


「じゃあ、解けてないよー。全部間違っているだろうね」


ルネアの笑顔が崩れる。


「何それ!? そんなのわかんないじゃん!」


刀が、びし、とアルアの方を指す。


アルアの髪がみょんみょん揺れる。


「いいから答えを出してよ」


アルアは少しだけ眉を下げた。

眠そうな顔が、さらにだるそうになる。


「そんなことより」


アルアが言った。

声は変わらない。


でも、言葉だけが鋭い。


「これはわざとかい?」


ルネアが瞬きをする。


「えー?」


「きみがそんな危ないものを片手に乱入してきたせいで」


アルアの視線が床の影に落ちる。


「逃がしてしまったじゃないか」


椅子の影が、妙に濃い。

濃さが――動いている。


シャルラがさっきまで座っていた場所。

そこだけが空っぽだ。


縄が床に落ちている。

切れていない。

ほどけている。


クロウの椅子も同じ。


縛られていたはずの両腕が、もうない。

影の中へ。

吸われた。


ルネアが目をぱちくりさせる。


「え、え。え?」


「え、じゃないよー」


アルアが淡々と言う。


ルネアは慌てて笑いながら言い訳を始めた。


「これはあれだよ、アルアくんから答えをもらいやすくするために、ちょっと驚かそうと……」


そう言いながら、刀を――空へ、しまった。


刃が薄い光になって、ふっと消える。


アルアはそれを見届けてから、床の影を見つめたまま言った。


「彼女も随分な能力だなー」


それから、少しだけ首を傾げる。


「……もうソルニアにいないじゃないか」


ルネアが「うん?」と笑う。


「え、なに? 追いかけるの?」


アルアは答えない。


ルネアは影を覗き込むみたいにしてから、くるっとアルアに向き直った。


「ところで私、明日から遠征なんだけどさ〜」


笑顔が、また明るくなる。


「アルアくんも、今度こそ!一緒にどう?」


アルアの返事は早かった。


「ボクは行かないよー」


ため息が混ざる。


「わかってるのに、聞かないで欲しいなー」


ルネアは肩をすくめて笑った。


「あはは。 また振られちゃった」


そう言って、軽い足取りで出ていく。


扉が閉まる直前に、ルネアは振り返って小さく手を振った。


「答え、ほんとに教えてよ?」


閉まる。

尋問室に静けさが残る。


アルアは、しばらく扉を見ていた。


それから、誰にも聞かせないみたいに呟いた。


「……クソ野郎が」


△▼△▼△▼△


数日後。


王城の門の前は、朝から騒がしかった。


ソルニアの白は、晴れの日でも眩しい。

その白の中に、人の熱だけが浮いている。


「聖女さまー!」


「今日もお美しい!」


「どうかご無事で!」


声が雪みたいに降ってくる。


アンリミが、王城の階段の上に立つ。


聖女の仮面。

完璧な笑み。

手を振る仕草まで、たぶん練習済みだ。


でも、私には分かる。

指先がほんの少し硬い。


隣に立つアルアは、いつも通り眠そうだ。

民衆の罵声を全て受け流している。


それが余計に、憎まれるんだろうな、とも思う。


私たちは少し離れた場所で、用意された馬車の前に立っていた。


国が用意した――それだけで分かる。

装飾が過剰だ。


白い布と金の縁取り。

車輪まで磨かれている。


リトリーが馬車の周りを一周してから言った。


「やば。これ、座るの怖い」


アルティナは尻尾をぶんぶん振っている。


「ふかふか? ふかふか?」


「たぶん、ふかふか」


私が答えると、アルティナが嬉しそうに笑った。


カムイは馬に視線を向けている。


落ち着いた馬。

品が良すぎて、こっちが落ち着かない。


リトリーが、遠くの聖女の人だかりを見て、ぽつりと言った。


「……結局、あれに慣れることはなかったね」


「慣れたいと思ってたの?」


私が言うと、リトリーは首を振る。


「思ってないよ。……ただ、ちょっとだけ。あの熱、すごいなって」


馬車の扉が開く。


中は白いクッションだらけだった。

柔らかすぎて、沈むのが怖い。


アルティナが一番に乗り込んで、「うわぁ」と声を漏らす。

リトリーが続いて、座った瞬間に顔が崩れた。


「……これ、寝れる」


カムイは最後に乗り込んで、無言で座る。

背筋だけは崩さない。


私は、一瞬だけ外を見た。


聖女の見送りの声が、まだ響いている。


アンリミがこちらを見て――ほんの一瞬だけ、仮面を外した。


子どもみたいな笑顔。


それからすぐ、聖女の顔に戻る。

その切り替えが、胸に刺さる。


馬車がゆっくり動き出す。


白い街が、少しずつ遠ざかる。

窓の外で光が降っている。


この国を出ればもうそこに光はない。


影霊が当然のようにいる。


リトリーが隣から私の顔を覗き込む。


「なに、その顔。緊張してる?」


「……してない」


「してるって」


アルティナが尻尾で私の膝を叩く。


「スレイン、楽しみ?」


私は答えを探して、窓の外を見た。


白が流れていく。

国境の先はもう安全じゃない。


それでも。


新しい国に知らない人や知らないことが待っている。


私は小さく息を吸って言った。


「楽しみだよ……次は、どんな出会いが待ってるのかな」


馬車の揺れが、言葉の余韻まで揺らした。

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