第一章・第三十一話 二人以外が見る世界
係の兵の声が、白い天井に反響する。
「次の挑戦者!」
私は、息を吸った。
足元の石の冷たさが、遅れて現実の重さとして戻ってくる。
観客席から降ってくる視線は、光の雪なんかよりずっと刺さった。
舞台へ上がる段差が、やけに高く感じた。
△▼△▼△▼△
剣の柄に手をかける。
抜く。
音は軽い。
金属が白い空気を裂く音が、少し遅れて耳に届く。
(……久しぶりに、ちゃんと“抜いた”気がする)
形だけの剣。
それでも、これは私がこの世界で生きていく上で、なくてはならないものだから。
アルアは散らばって潰れた書類を、紙屑みたいに指でつまみ上げている。
表情は相変わらず眠そうで、のっぺりしているのに目だけが妙に澄んでいた。
「……もうかかってきていいよー」
「……うん」
私は構える。
正面から行っても当たらない。
頭では分かっている。分かっているのに、身体が先に前へ出る。
一歩。
二歩目で、剣を振り抜いた。
水平の一閃。
刃が届く距離で――ずれた。
手首が誰かに引かれたみたいに、軌道が上へ逸れる。
上。頭の上。
あの、ありえないほど目立つアホ毛へ。
(これが……)
不思議な感覚。
私は踏み込んだ。
一撃で無理なら二撃。二撃で無理なら三撃。
斜め。逆袈裟。突き。
狙いを変えても、逸れる方向が変わるだけだ。
刃が空を切る。
空を切るたび、そこだけ空気が柔らかくなる。
柔らかくなった場所へ、剣先が滑っていく。
「……っ」
奥歯が鳴った。
床を蹴って、距離を詰める。
刃が逸れるなら、刃を捨てる勢いで――
柄で殴る。
柄が当たる寸前。
世界が、また斜めになる。
柄が、空を打った。
手応えがない。虚しい。
その虚しさを埋めるみたいに、私は回り込んだ。
横へ。背後へ。足を滑らせるように。
(――これなら)
一瞬、アルアの首筋が視界の中心に収まる。
振り下ろす。
刃が、吸われた。
吸われて、上へ持っていかれる。
腕が引きちぎられそうな錯覚。
なのに痛みはない。
痛みがないのが、余計に気持ち悪い。
観客席が叫ぶ。
「当たれぇぇ!」
「死ねぇ!」
その声は背中を押すんじゃない。
足元を濡らすみたいに、じわじわ重くなる。
私は滑りそうになって、呼吸を整え直した。
そして、声を出した。
「……聞きたいことがあるの」
アルアの手が、紙屑をつまんだまま止まる。
「うん?」
私は剣を振り続けながら言った。
会話のための間合いなんて、相手がくれるはずがない。
くれない相手だから、ここで言う。
「……戦いながらでいい。少しだけでいいから」
「……いいよー。書類整理、できなくなっちゃったしねー」
アルアの視線が、ぐちゃぐちゃの紙へ落ちる。
ほんのわずか、今までにない“悲しみ”が滲んだ。
「ちょっとだけなら、付き合ってあげるよー」
胸が、少し軽くなる。
私はもう一度斬りかかった。
当たらない感覚を、舌で確かめ直すみたいに。
逸れる。
吸われる。
避けられる。
その繰り返しの中で、言葉を落とした。
「……越眼を見せて」
空気が、ひとつ硬くなる。
アルアのアホ毛が揺れた。
今までの“回避”とは別。
感情の揺れに近い。
「……越眼?」
平たい声のまま、語尾だけがわずかに上がる。
「ほとんどの人は知らないはずだけどー。どうして知ってるんだい?」
私は剣を下げずに、視線だけ上げた。
特等席。アンリミの場所。
彼女は、こちらを見ている。
笑っているのに、横にいるルネアのせいで、その笑顔がどこか固い。
私は息を吐く。
「……聖女から聞いた」
アルアの目が細くなる。
一瞬だけ、疑いの顔をする。
でも、それはすぐに引っ込んだ。
「……聖女から、かぁ」
平たい声のまま、納得したみたいな音。
「……どーして、越眼を見たいの?」
私は剣を握り直した。
言葉を選ぶ時間がほしかった。
でもここは舞台で、時間は限られている。
「私には……記憶が、ない」
言っただけで喉が乾く。
「……それで。聖女の越眼を見たとき、ほんの少しだけど……記憶の蓋が開いた気がするの」
“ほんの少し”だけ。
掴めないまま、指の間を抜けた。
それでも、確かにあった。
胸の奥がきゅっと鳴って。
夜の王都みたいに、光が痛くて。
でも、嫌じゃなくて。
アルアは、何も言わなかった。
ただ視線が一度だけ、私の目へ落ちる。
そして――ほんの僅か、彼の片目の奥が違う色を含んだ気がした。
三本の線が、中心へ寄るような。
一瞬で消える、錯覚みたいなもの。
私は息を止めた。
「……」
アルアはその場でじっとしている。
「ふーん」
間が、ひとつ落ちる。
それから、いつもの調子で言った。
「じゃあ、今度ねー」
「……今度?」
「うん。今は、決闘中だしー」
次の瞬間。
背後に、気配が落ちた。
反射で振り向こうとして――遅い。
ぽん。
肩に、指先。
軽い。軽すぎる。
「はい、負けー」
アルアの声が、耳の近くで平らに鳴る。
私は固まってから、ゆっくり振り返った。
アルアはもう、舞台の中央へ戻る途中だった。
「また今度、ゆっくり話せる機会、作っておくよー」
それだけ言って、紙屑の山へ戻っていく。
私の胸の奥に、熱が落ちた。
(……協力してくれるってことかな)
私は剣を納める。
「……ありがとう」
聞こえたかどうかは分からない。
でも言わないと落ち着かなかった。
舞台を降りると、視線が一斉に刺さって――すぐ別の挑戦者へ流れていった。
この決闘場は、そういう場所だ。
△▼△▼△▼△
戻った瞬間、リトリーが顔を覗き込んできた。
「え、ちょっと。シルア、能力使わなかったの?」
アルティナも、尻尾をぶんぶん振りながら詰めてくる。
「そうだよ! 風! 風やらないの? せっかく起きたのに!」
私は、少し笑いそうになって飲み込んだ。
「……使っても、意味ないから」
リトリーが目を細めた。
「ほんとに?竜巻とか起こしたら当たりそうだけどなー」
「……当たらないよ、あれは」
カムイが、短く息を吐いた。
「確かに。風が通じる相手じゃない」
アルティナが即座に振り返る。
「じゃあさ、そう言うカムイはどうなの? 次、カムイでしょ」
「……」
「偉そうに言ってるけど、どうせカムイの力も通じないんじゃないの」
アルティナがカムイを挑発する。
カムイは眉を寄せて――でも口角が、ほんの僅かに動いた。
「……まあ、見てろ」
それだけ言って、舞台へ向かった。
△▼△▼△▼△
カムイが舞台へ上がると、空気が少し締まった。
狼の獣人の足取りは静かだ。
でも静かだからこそ、床の石が彼の重さをちゃんと受け止めているのが分かる。
剣を抜く音は低い。
カムイは一歩、踏み込む。
斬る。
速い。
リトリーやシャルラに迫る速さでありながら、重さもある。
刃が届く距離で――ずれる。
カムイの眉間が、わずかに深くなる。
二撃目。三撃目。
角度を変え、足運びを変え、間を変える。
それでも吸われる。
上へ。アホ毛へ。
「……ちっ」
舌打ちは小さい。
それでもカムイの“感情”が表に出るのは珍しい。
アルアは壊れた椅子に座ったまま、紙屑を整えようとして――諦めたみたいに手を止めた。
「……今日は、みんな元気だねー」
「これはただの確認、本命はここからだ」
カムイが言って、剣を引いた。
そして、息を吸う。
カムイの力は、言葉を現象にする。
強い言葉ほど、通じないが。
カムイが、低い声で落とす。
「止まれ」
空気が一瞬だけ固まる気配がした。
観客席の誰かが息を飲む。
でも、アルアは止まらない。
アホ毛がゆらゆらと揺れている。
「……効かないよー」
アルアの返事は、いつもの平らな調子。
カムイは続けた。
「膝をつけ」
「眠れ」
「剣を落とせ」
言葉が落ちるたび、舞台の中心に“圧”が生まれる。
見えない波が石を撫でる。
なのに、アルアにはなんの影響もない。
ただアルアの髪が揺れるだけだ。
カムイの目が、少しだけ細くなる。
「……形がないものも通じないか」
アルアが、面倒くさそうに頷いた。
「うん、そうだよー。でもかなり強い力だねー、さっきの子といい今日は強い子が多いねー」
アルアは机もない床を、指で軽く叩く。
カムイは剣先を下げないまま、息を整えた。
確認は終わったという顔。
それでも、彼は言った。
「あんたは本当に、何も効かないのか」
アルアが瞬きをする。
「うん?」
カムイの声が、少しだけ低くなる。
「……思いっきりやっていいんだな?」
アルアの目が、僅かに動いた。
違和感。
でもそれを拾い上げる前に、いつもの調子で返す。
「いいよー。どうせ当たらないしー」
その瞬間、カムイの空気が変わった。
私は、背中に嫌な汗が滲むのを感じた。
カムイが、大きく息を吸う。
そして――言いかけた。
「世界よ。アルア・ホーミリアを――」
△▼△▼△▼△
「ストーーップ!」
場違いに明るい声が、空気を割った。
白い舞台に、黒い外套が滑り込む。
銀に近い髪が光を拾って、笑っている。
ルネア。
彼女がカムイの腕を掴むようにして、言葉を止めた。
「だめだめ、それはだーめ!」
カムイが目を見開く。
「……っ、何を――」
次の瞬間、私は気づいた。
アルアが、いない。
椅子も書類も、そのままなのに。
中心だけが、ぽっかり空いている。
そう思った瞬間。
カムイの背後で、金属が鳴った。
ギィン――
音が遅れて届くほど近い場所で、剣がぶつかり合う。
ルネアが、受け止めている。
受け止めた相手は――アルア。
さっきまで剣に触れもしなかった男が、抜いている。
二本のうちの一本。
白い光を吸った刃が、カムイの首筋へ向かっていた。
ルネアの刃が、それを横から止めている。
火花が散る。
白い床に、小さな焦げが落ちる。
「アルアくん、落ち着いて!」
ルネアが必死な声で言う。
必死なのに目は笑っている。
受け止め方が、やけに軽い。
アルアの目が、初めて“戦い”の形になる。
「邪魔するな、クソ野郎」
声は低い。
いつもの平らさが消えている。
「そいつは危険だ」
ルネアは眉を下げる。
でも引かない。
「だから落ち着いてって! まだ誰も死んでないから!」
アルアの刃が、ほんの少し押し込まれる。
ルネアの靴が床を滑った。
金属が軋む音。
アルアが、淡々と――でも冷たく言う。
「ああ、分かってるさ」
そして、続けた。
「でも、ボクの中では死んだ。当然あんたの中でも」
その言葉が落ちた瞬間、観客席が凍った。
罵声が止まる。
熱狂が、息を忘れる。
私の胸の奥も、ひやりとした。
(……本気だ)
殺す気。
それが普段の脱力と繋がっていない。
ルネアは刃を押し返すように肩を入れる。
「改めて一番の反則だなぁ。アルアくんの力は」
「いいからどけ。それとも、今ここで殺してやろうか?」
アルアの声が硬い。
二人が火花を散らした、その時。
高い位置から、少女の声が落ちた。
「アルア! やめなさい!」
アンリミ。
聖女の声は、奇跡みたいに通る。
会場の隅まで、一瞬で届いた。
アルアの刃が止まった。
呼吸が一拍置かれて、彼は剣を引く。
そのまま、すっと鞘に収めた。
ルネアも、それを見て肩の力を抜く。
「ふう。ね?」
ルネアが、軽く手を振るみたいに言った。
アルアはカムイを見た。
目が冷たいまま、口だけ動く。
「……もっと周りのことも考えて力を使え。未熟者」
カムイは言葉を失っている。
理解が追いつかない顔。
ルネアがカムイの肩を、ぽん、と叩いた。
「そうだよー。虫とかに使うのはいいけどさ」
軽い声のまま、でも目は笑っていない。
「アルアくんみたいなのに使ったら、世界も本気出しちゃうんだから」
カムイの眉が、さらに寄る。
「……世界?」
ルネアは肩をすくめた。
「うん。だって世界は……愛しているから」
そのままルネアは、まだわからない顔をしているカムイの耳元へ顔を寄せた。
声は小さくて、私には届かない。
でもカムイの目が、僅かに揺れた。
次に聞こえたのは、ルネアのいつもの声だった。
「……まあ、それでもアルアくんは無傷だったけどね〜」
笑って言うから、余計に背筋が冷える。
カムイは何も返せず、剣を納めた。
そのまま舞台を降りてくる。
観客席がざわめき直す。
何が起きたのか分からないまま、熱だけが戻ってくる。
「今の、何が起こったの……?」
アルティナが呟く。
リトリーも、声が小さい。
「なんでいきなりルネアが……。ていうか、不滅聖城、カムイのこと殺す気だったよね……」
私は息を吐いた。
カムイが戻ってくると、アルティナが駆け寄る。
「カムイ! 大丈夫!?」
リトリーも覗き込む。
「何が起こったの? ねえ」
カムイは、少しだけ俯いて短く言った。
「……分からない」
それだけ。
本当に分からない顔をしていた。
怒りでも悔しさでもない。
ただ、足元が抜けたみたいな目。
アルティナの尻尾が、迷うように揺れる。
そして、無理やり明るく言った。
「……つ、疲れた! お腹空いた! ね、みんな、ご飯行こ!」
元気づけるための声。
リトリーがすぐ乗る。
「うん、賛成。もうみんな決闘終わったし」
クロウが手を上げる。
「俺とシャルラは、もう少し残る。情報は多いほうがいいからな」
シャルラが、短く頷いた。
「……残る」
私は二人を見た。
クロウの目は笑っていて、笑っていない。
シャルラは相変わらず静かで、でも刃みたいに尖っている。
「……分かった」
四人で、決闘場を離れた。
△▼△▼△▼△
昼の王都は、眩しすぎた。
白い道。白い壁。白い空気。
聖女の光は、相変わらず降っている。
店に入ると、香辛料の匂いが鼻を撫でた。
スープじゃない。
もっと、はっきりした匂い。
アルティナが目を輝かせる。
「わぁ……!」
リトリーが笑う。
「ティーナ、尻尾、正直すぎ」
「だって美味しそうだもん!」
カムイは席に座っても黙ったままだった。
手はテーブルの端を軽く掴んでいる。
力を入れているのか、落ち着かせたいのか分からない。
料理が運ばれてくる。
肉の焼けた匂いが、遅れて鼻の奥に届く。
湯気が白い光を吸って、薄く揺れる。
アルティナが木のフォークを握って言う。
「ねえカムイ、食べよ? 食べないと倒れちゃうよ」
カムイは一拍置いて、頷いた。
「……ああ」
それだけ。
食べているのに、味を見ていない顔。
噛む動きが、どこか機械みたいだ。
私はスプーンを口に運びながら、さっきの場面を思い返した。
カムイの言霊。
それはどれもアルアに通用しなかった。
でも、あの時。
「世界よ」と言った瞬間、空気が変わった。
アルアがカムイの背後に回って、それをルネアが止めた。
アルアはカムイを殺す気だった。
(……カムイは何を言おうとしたの)
ソルニアに入る前に、カムイが影霊を倒した時は「消せ」と命令していた。
影霊は内から光に焼かれて消えた。
光を出したのは世界。カムイじゃない。
命令実行までの過程は世界が判断する。
だからその規模を、カムイ自身も分からない。
でもあの二人はまるで――
「……ねえ、シルアもぼーっとしてる」
アルティナが頷く。
「もー! カムイだけじゃなくてシルアまで! 今日、二人とも眠いの!?」
私は首を振った。
「……眠くない」
嘘じゃない。
眠気は、朝の光で消えたままだ。
ただ、別のものが頭に詰まっている。
リトリーが、少しだけ声を落とす。
「……さっきの。シルア、何か分かった?」
私は答えを探して、でも見つからなくて。
「……分からない」
カムイと同じ言葉になった。
カムイが、ほんの僅かに目を上げた。
私の言葉を聞いたのか、聞いてないのか分からない。
アルティナが空気を変えるみたいに笑う。
「別に深く考える必要ないよ! 今日はシルアもいるし、もう一度王都を見て回ろ! せっかく来たんだし!」
リトリーが笑って、頷いた。
「うん。食べたらね。甘いのも行こ」
「行こ行こ!」
カムイの返事は遅れた。
「……ああ」
その小さな返事が、少しだけ“戻ってきた”気がして、私は胸の奥を緩めた。
△▼△▼△▼△
昼の王都を歩くと、視線が多い。
でも決闘場の視線とは違う。
信仰の視線。
「聖女さまの光だ……」
誰かが呟いて手を合わせる。
光の粒を、祝福みたいに受け止めている。
アルティナは最初こそ居心地悪そうに耳を伏せていたけれど、もう慣れた様子だ。
屋台の串肉を買って、尻尾を振りながら食べる。
「これ、おいしい……! ねえシルア、食べる?」
「……ありがとう」
リトリーは甘い焼き菓子を買って、半分に割ってくれる。
「はい。硬いパンより、こっちのほうが目が覚めるよ」
「……もう覚めてるよ、目が覚める味って何」
「甘いと強いは、正義ってこと」
意味が分からないのに、分かる気もして、私は小さく笑った。
カムイは歩きながらも考え事をしている顔だった。
でもアルティナが串肉を押し付けると、ちゃんと受け取って食べる。
「……美味いな」
それだけ言って、アルティナが勝手に嬉しそうにする。
「でしょ! ほら、元気出た?」
「……元気は、知らん」
「もー!」
そのやりとりが、少しだけいつもので安心する。
白い街の中に、生活の色がある。
それが、この国の“重さ”を少し薄めてくれる。
△▼△▼△▼△
宿に戻ると、身体が急に重くなった。
昼の熱が抜けて、夕方の冷えが戻る。
食堂の匂い。木の床の軋み。人の声。
それが“帰ってきた”感じを作る。
アルティナは、すぐベッドに倒れ込んだ。
「はぁ……疲れた……」
リトリーが笑う。
「アルティナの尻尾が死んでるよ」
「死んでない……」
カムイは椅子に座って、しばらく黙っていた。
窓の外を見ている。
白い街の向こうに、王城が光っている。
私は、声をかけるべきか迷って、結局やめた。
言葉で埋められる沈黙じゃない。
夜が深くなる。
灯りが落ちる。
みんなの呼吸が揃っていく。
アルティナの寝息は分かりやすい。
リトリーは静かで、たまに寝返りの布の音がする。
カムイは――最後まで起きている気配だった。
でも時間が経つと、彼の呼吸も少しずつ深くなった。
(……寝た)
私は布団の中で目を開けたまま、天井を見ていた。
今日も眠れない。
私は、ゆっくり起き上がった。
音を立てないように。
布が擦れる音すら怖い。
外套を手に取る。
剣も、腰に。
足音を殺して、扉へ向かう。
一度だけ振り返った。
三人とも、寝ている。
誰も、起きない。
扉を開けると、夜の王都が息を吐いた。
白い街は、昼より静かで。
光の雪は、夜のほうが綺麗だった。
私は外へ出る。
アンリミに会いに行くために。




