第一章・第二十九話 可愛さに狂わされて
「……シルア。起きろ」
低い声が、布の上から落ちてきた。
次いで、ふわり、と獣毛の匂い。
犬耳の気配が近い。尻尾が布団を、ぱたぱたと叩く。
「起きて起きて起きて! 朝! ねえ、朝だよ!」
「……あさ……?」
声を出したつもりなのに、喉から出たのは息みたいな音だった。
まぶたが重い。
身体の芯が、まだ夜のままで、動かすたびに布団が引っ張ってくる。
「シルア! 今日、王都見て回るんでしょ? 朝ごはんも食べたいし!」
「……私眠いから……三人で、行ってきて……」
私は布団の縁を指で掴んで、胸元まで引き上げた。
顔を隠すみたいに。
「シルアがもっと寝たいなんて、珍しいね」
リトリーが笑う気配がした。
「普段はさ、もっと朝に強くなかった? ぼーっとはするけど、ここまで布団にしがみつかないっていうか」
「……昨日、たくさん歩いたから」
嘘ではない。
ただ、“夜の王都”を歩いたと言うのは、まだ言葉にできなかった。
アルティナが布団の上から覗き込んでくる。
琥珀みたいな瞳が、朝の光を溜めていた。
「シルアって、朝弱いタイプだったんだー!」
「……違う」
「違うって顔じゃないよ?」
尻尾が楽しそうに揺れる。
寝起きの私を珍獣みたいに眺めるの、やめてほしい。
カムイが短く息を吐く。
「放っとけ。起きないなら置いてくぞ」
「うん……三人で行ってきて……」
「置いていくの!? ほんとに!?」
アルティナが声を上げた。
リトリーが肩をすくめる気配。
「仕方ないよ。ね、シルア。朝ごはんいる? パンとか持ってきてあげよっか」
一瞬だけ迷った。
でも今は眠気が勝つ。
「……いらない。寝る」
「うわ、強い」
リトリーが笑った。
アルティナが最後に頬をつん、と押してくる。
温かい指。
「ほんとだ、変な顔。すっごい眠そう。じゃあ行ってくるね!」
「……うん」
ドアが開いて閉まる音。
足音が遠ざかっていく。
静かになった部屋に、朝日が差し込む。
それだけが、まだ朝だと教えてくる。
私はもう一度、布団の中へ沈んだ。
「……もう少しだけ」
自分に言い訳をして、息を吐く。
布の匂いが肺に入り、身体の角が丸くなる。
そして、眠りに落ちた。
△▼△▼△▼△
――生まれる。
産声が聞こえた気がした。
けれどそれは音じゃなく、世界のどこかが軽く震えただけみたいな感覚で。
少女が、白い布に包まれている。
それを、誰かが探す。
――約束したから。
それは人の形をしているのに、視線の奥が深すぎて、覗くと落ちそうになる。
世界をなぞるように歩いて、
世界の隅をめくるように覗き込んで、
目当てのものを見つける。
抱き上げられた瞬間、ふっと温度が変わった。
冷たさが薄くなって、代わりに息苦しさが濃くなる。
それに少女は育てられる。
言葉を教えられる。
立ち方、歩き方、刃の握り方。
笑う練習もする。
泣かない練習もする。
大人の声が、いつも頭の上にあって。
正しい、と、間違い、の線が早い。
気づけば少女は大きくなっていた。
肩に、見えない重さを乗せたまま。
そして、引きずり出される。
戦争。
その言葉は曖昧で、ただ空気が焦げている。
熱があるのに寒い。
血の匂いがするのに、花の匂いも混ざっている。
殺して、奪って、そして願う。
勝つ。
勝つたびに、何かが削れていく。
削れたものが何なのか分からない。
少女は戦果をあげる。
歓声がある。拍手もある。
でもそれは少女に向けられていない。
向けられているのは、“役目”だけだ。
そして、因縁の相手。
相手の顔は見えない。
ただ視線だけが鋭い。
刃の軌道が、冷たい線で描かれる。
戦う。
戦って、押し返される。
星のような数が襲い、星のような質量が襲う。
目的のために少女はその星々を掻い潜る。
切り抜けた――と分かった瞬間、世界の音が遠くなる。
耳の奥で、真っ白な砂が崩れていくみたいに。
意識が沈む寸前。
家族の笑顔が浮かぶ。
笑っている。何人かいる。
みんな大好きだった。
白銀の髪。白銀の光。白銀の温度。
あたたかくて、眩しくて、泣きたくなる。
好きで好きで好きで、愛しているから。
だから――。
――大嫌い。
そう思った瞬間、夢の白がひび割れた。
△▼△▼△▼△
「……っ」
私は息を吸って、目を開けた。
天井が見える。
宿の天井。木の梁。
窓の向こうが赤い。
朝じゃない。夕方の色だ。
「……夕……?」
身体を起こすと、髪が頬に貼り付いていた。
喉が渇いている。
今何かの夢を見ていた気がする。でも、もう思い出せない。
机の上に、パンの包みが置いてある。
横に、雑な字で「起きたら食べて」と書いてある紙。リトリーだ。
私は包みを開けて、パンをかじった。
硬い。
でも噛むと、ちゃんと小麦の甘さがある。
その時、廊下の向こうから、わいわいと声が近づいた。
扉が開く。
「ただいまー!」
アルティナが先に飛び込んできて、私を見るなり目を見開いた。
「あ、ちゃんと起きてる! ていうか……え、いつまで寝てたのよ!」
「……今、起きたところ」
自分の声が、まだ水の中みたいにぼやけている。
リトリーが後ろから入ってきて、ため息をついた。
「もったいないなぁ……せっかく王都に来たのに」
カムイは最後に入ってきて、鍵をかけた。
それから私を一瞥。
「寝すぎだ」
「……ごめん」
謝ったけれど、謝り方に力がない。
リトリーが私の横に腰を下ろして、顔を覗き込んだ。
「ほんとに今起きたの? 夕方だよ?」
窓の赤が、少しずつ夜に溶け始めている。
私は頷いた。
「……うん。気づいたら」
アルティナが両手を腰に当てる。
「シルアって、こんなに寝るんだ……。昨日、変なもの食べた?」
「食べてない」
「じゃあ、夜更かししたんだ。昨日の夜なにしてたの?」
その問いに、私は一瞬だけ言葉が詰まった。
「……歩いた」
結局、同じ答えを出す。
アルティナは納得してない顔で、でも深追いはしなかった。
リトリーが話題を変えるみたいに、ぱんぱんと手を叩く。
「ま、寝てたなら寝てたでいいや。疲れも取れたでしょ。私たちは疲れたけど」
「疲れたって……楽しくなかったの?」
私が聞くと、三人は同時に微妙な顔をした。
アルティナが先に言う。
「景色は、綺麗!」
「うん、景色はね」
リトリーも頷く。
カムイは短く。
「……聖女さまへの熱量がすごい」
その一言で、私はなんとなく理解した。
この国の昼の熱。夜はあんなに静かなのに。
リトリーが肩をすくめながら続ける。
「前の街よりさ、熱狂的な人が多いんだよね。聖女さまー!って叫んで泣いて……それで満足して帰っていく。見てるこっちが疲れちゃった」
「でもね!」
アルティナがぱっと顔を明るくした。
「遠くからだけど、聖女さま、ちゃんと見れたよ!
ちっちゃかった! 可愛かった! ……勢いでぬいぐるみ買っちゃった!」
胸の奥が、ほんの少しだけ跳ねた気がして、私は視線を落とした。
昨夜のフードの影。手の温度。
「……そう」
言葉が短くなる。
カムイが窓の方を見ながら言った。
「不滅聖城も見たぞ」
「不滅聖城……アルア、だよね」
「そう」
リトリーが笑う。けれど笑い方が少し疲れている。
「すごかったよ。ちょっと変わった感じの人だけど。でも……納得はした。あれがソルニアの“最強”って」
「……どんな感じだったの」
私は聞いた。
興味がないわけじゃない。むしろ、変に興味がある。
アルティナが身振りを大きくして説明しようとして、途中で言葉を止めた。
「えっと……なんか、ぼーっとしてるのに、誰も触れない感じ?」
「うんうん。近づけないっていうか――全部が明後日の方向に行くんだよね」
リトリーも頷く。
「あと、アホ毛」
カムイがぽつり。
アルティナが吹き出した。
「そう! アホ毛! あれなに!? 本人より存在感ある!」
私は思わず、口の端が少しだけ上がった。
馬車の情報が、また繋がる。
そしてリトリーが、ふと思い出したみたいに言う。
「あ、そうだ。シルア、クロウとシャルラに会ったよ」
「会ったんだ」
王都は広いのにもう再開するなんて。
アルティナが尻尾を振りながら言う。
「聖女さまをみてたらね、偶然会ったの。二人も王都の熱量にやられたって」
リトリーが続ける。
「それと決闘、誰でも参加できるってさ。明日、私たちも出てみない?って誘われた」
カムイが腕を組んで頷いた。
「国の最高戦力と手合わせできる機会は、そうない」
アルティナも目を輝かせる。
「ね! せっかく来たし!」
三人の顔には、純粋な“腕試し”の色がある。
この世界では、それが普通だ。剣が生き方に直結している。
「……出るの?」
私が聞くと、リトリーは肩をすくめた。
「もちろん出るつもり。ま、勝てるとは思ってないけど。“どれくらい届かないか”を知るのも経験だし」
カムイは短く。
「俺もだ」
アルティナは拳を握る。
「私も! 剣術も能力も、どこまで通用するか試したい!」
私は、ゆっくり頷いた。
そして――自分の中で、別の理由を口にした。
「……私も、出ようかな」
三人が同時に私を見る。
「え」
「出るの?」
「朝弱いのにか?」
カムイの一言が刺さって、アルティナが笑った。
「カムイ!ダメだよそんなこと言っちゃ!」
「……明日は頑張って起きるもん」
私は、言い切った。
リトリーが目を細める。
「どうしたの、急にやる気になって」
彼の目を見たらまた何か思い出すかもしれない。
「……アルアさんに会ってみたい」
それだけ言うと、アルティナが納得した顔をした。
「なるほど! アホ毛見たいんだ!」
「違う」
即答すると、今度はリトリーが笑った。
「はいはい。ま、とにかく明日は早いからね。決闘の行列すごいんだから。今日はちゃんと寝てよ?」
カムイが頷く。
「そうだ、寝ろ」
アルティナも指を立てる。
「寝て! 絶対!」
私は頷いた。
頷いたけれど、胸の奥が静かに否定している。
彼女との約束があるから。
△▼△▼△▼△
晩ご飯は、宿の食堂で取った。
白い国の料理は、意外と素朴だった。
パンとスープ。香草の匂い。
光の粒が降るせいか、どこか清潔すぎて、味まで角が取れている気がする。
アルティナが肉を欲しがって、リトリーが「ここ宗教国だしね」と笑って、カムイが黙ってスープを飲む。
いつものやりとりが、落ち着く。
食べ終わると、三人は早々に寝支度を始めた。
「明日は早いよー!」
アルティナが布団に潜りながら言う。
「寝坊したら置いてくから」
リトリーが本気とも冗談ともつかない顔で言う。
カムイは短く。
「起きろ」
私は頷いた。
「……分かった」
そして部屋の灯りが落ちる。
呼吸が整っていく。
三人の寝息が、少しずつ混ざり始める。
――なのに。
私だけが、眠れない。
目を閉じても、意識は鮮明なままだ。
私はそっと布団をめくり、体を起こした。
音を立てないように。
呼吸を浅くして。
「……散歩してくるね」
小声で言う。誰に言ったのか分からない。
でも言わないと、罪悪感が増える気がした。
リトリーが寝返りを打って、もごもごと何か言った。
「……気をつけてね……早めに寝るんだよ……」
起きているのか寝言なのか分からない。
でも、その言葉に背中を押された。
アルティナも、布団の中で尻尾が一度だけ動いた気がする。
カムイは動かない。
私は小さく頷いて、宿を出た。
△▼△▼△▼△
夜の王都は、昨日と同じ顔をしていた。
白い石畳。
光の粒が雪みたいに落ちて、消える。
歩くたびに、靴底が石を鳴らす。
その音が誰にも遮られず、ちゃんと自分に返ってくる。
昨日の路地。花の匂い。青い模様。
噴水の音。
展望台の冷たい欄干。
私は迷わず、そこへ向かった。
――約束。
重いのに、軽い。
言ってしまったのに、言わなければよかったとは思わない。
展望台に着くと、風が強かった。
髪が頬に当たって、冷たい。
そこに。
フードを被った小さな影がいた。
私が近づくと、その影が振り向く。
水色の髪が、光の粒を拾って淡く光った。
「……シルアちゃん!」
アンリミが、嬉しそうに駆け寄ってくる。
走り方が、昨日より軽い。
足取りが、ちゃんと“ただの女の子”のそれで。
「来てくれたんですね」
「……うん」
私が頷くと、アンリミは両手で私の手を掴んだ。
「約束、守ってくれた。嬉しいです」
その言葉が胸の奥を温める。
「リミちゃんも、来てたんだ」
「もちろんです。待ってました」
私は息を吐いて、夜の空を見る。
星が見える。
光の粒と混ざって境界が曖昧で、それでも綺麗だった。
「……今日も、回る?」
私が聞くと、アンリミは大きく頷いた。
「はい! 今日は昨日より、いっぱい歩きたいです。
……でも、その前に」
アンリミが顔を覗き込む。
「シルアちゃん、眠そうです」
「……そう?」
「はい。目が、少し遠い」
言われて、私は苦笑した。
「昼まで寝てたのに」
「昼まで……?」
アンリミが目を丸くした。
私は少し迷ってから、言った。
「……夕方まで寝てた」
「え」
そして、アンリミは小さく笑った。
「ふふ。可愛いですね」
「可愛くない」
即答すると、アンリミはさらに笑った。
「じゃあ、少しだけ夜の風に当たりましょう」
「……うん」
そう言って私とアンリミは夜に淡く輝く王城を眺める。
「……綺麗」
「でもずっと見てると飽きますよ」
アンリミがこちらを見て微笑む。
「リミちゃんは毎日見てるからでしょ。私は昨日が初めてだから」
「王都に来たのは昨日だったんですね。だからまだ私色に染まってなかったんだ」
”私色”。ソルニアの人たちはみんな聖女が大好きで、アルティナもぬいぐるみまで買ってたし。
私もアンリミといると心が明るくなっていく。
私は私を見るアンリミの越眼になんだか吸い込まれそうで。
「そういえば私、明日アルアさんに決闘を挑むことになったの」
「ええ!? シルアちゃんがアルアと?」
アンリミが目を見開いて驚く。
私が頷くと、アンリミは目を細めた。
「シルアちゃんもアルアのこと嫌いになってしまったんですか?」
「そうじゃなくて……」
私は言葉を探して、結局、正直に言う。
「アルアさんに会ってみたいから」
アンリミの表情が、一瞬だけ柔らかくなった。
「なーんだ、心配して損しました」
それから、すぐにいたずらっぽく笑う。
「もし、何かの間違いでシルアちゃんが勝ったら……ずっと私の護衛してくれますか?」
「……“何かの間違い”って」
「だって、楽しそうじゃないですか。
“友達が護衛”って、ちょっと夢です」
アンリミが笑う。
でもその笑いの奥に、ほんの少しだけ本音が見えた気がした。
私は息を呑んで、視線を逸らす。
「でも――」
アンリミが胸を張る。
「アルアには、誰も勝てませんよ」
言い切る声が自信満々で、どこか誇らしい。
「そんなに」
「そんなにです」
アンリミは譲らない。
「アルアは……不滅聖城ですから。壊れないし、折れないし、逃げない。……ちょっと、変ですけど」
最後の一言が小さくなって、私は少し笑ってしまった。
「変、って言うんだ」
「言います。だって、変だもん」
アンリミが頬を膨らませて言う。
その瞬間――
「おや〜、面白そうな話をしてるね〜」
背後から、聞き覚えのある声がした。
私は反射的に振り向いた。
そこにいたのは、白銀の髪。
星と、降り注ぐ光を絡め取って、静かに輝いている。
夜の風に靡くその髪は、鋭いのに柔らかい刃みたいだった。
ルネアだった。
黒い外套。
軽い笑み。
でも目だけが、どこか遠い。
私の心臓が、どくん、と鳴る。
アンリミが一歩だけ後ろに下がる。
空気が張り詰める。
と思ったら――。
「……ルネアさん?」
アンリミの声が澄む。
丁寧で、距離があるけれど。
ルネアはひらひらと手を振った。
「聖女さま、久しぶり〜」
軽い。
私は喉の奥が乾くのを感じながら聞いた。
「……どうしてここに?」
ルネアは首を傾げて、わざとらしく笑う。
「私がここにいたらダメなのー?」
「ダメじゃないけど……」
「ちょっとソルニアを観光しに来ただけだよ。
ここ、影霊がいなくて安全だからね〜」
影霊。
その言葉が、夜の空気を一瞬だけ冷やす。
ルネアは続ける。
「さっき王都に着いたばかりなんだけど、どこの宿も空いてなくてさ。
仕方なーく野宿できそうな場所を探してたらー、二人を見つけてね」
宿が空いてない。
この国の王都で?
私は不信感を隠しきれずに眉を寄せた。
ルネアはそれを見て、にこっと笑う。
「そんな顔しないでよ。ほんとだって」
アンリミが、聖女の顔のまま口を開く。
「でしたら、王城の空き部屋を使っていかがですか」
その言葉に、ルネアの目が輝いた。
「え、いいの? ぜひ!」
アンリミは微笑む。
微笑み方が完璧で、少し怖い。
「アルアのお知り合いの方ですから。
私の判断で、問題ありません」
私は小声でアンリミに聞いた。
「……知り合いなの?」
アンリミは聖女のまま頷く。
「はい。アルアのお知り合いの方で、以前、何度かお話ししたことがあるんです」
その丁寧さが、壁みたいに見えた。
今、ルネアがいるから。
友達の顔を隠している。
ルネアはぱっと手を打つ。
「じゃあ私、食べ物調達してくる。
あとでお城に行くね〜」
言い終わる前に、ルネアの気配が薄くなる。
風が一度だけ髪を持ち上げた。
そして、そこにはもう何もいない。
私は、息を吐くのを忘れていたことに気づいて、ゆっくり吐いた。
アンリミが、こめかみを押さえる。
「……“あとで”って、いつでしょうか」
呆れた声。
聖女じゃない。
私は少しだけ笑ってしまった。
「リミちゃん、戻ってきた」
アンリミは一瞬きょとんとしてから、頬を緩めた。
「……はい。戻ってきました」
それから、ふっと空を見上げる。
「ルネアさん、いつもあんな感じなんです。私がいうのも変かもしれませんが聖女に対する言葉遣いというものがあるじゃないですか」
「……ほんとにずっとあんな感じなんだ」
相手が誰でもずっと軽口。不滅聖城の知り合いって言ってたけど何者なんだろう。
アンリミが、私の袖を引いた。
「それはさておき。……今度こそ、二人きりです」
「……そうだね」
私たちは、また歩き出した。
夜の王都を。
星と光の間を。
噴水の音を聞いて、路地の花の匂いを吸って、展望台から王城の白を見た。
昨日と同じ場所なのに、昨日と違う夜。
アンリミが、ふと立ち止まって言う。
「シルアちゃん」
「なに」
「明日、無理はしないでくださいね」
「……無理って?」
「アルアから手出しはしませんが、中には自分の力で怪我をなさる方もいますので」
確かに。ここは王都だ。周りにはたくさんの人がいて、使っても問題ない対価がない。
私も魔力はあまり削りたくないし、能力を使うのはやめておこう。
「アルアさんに会いたいけど、明日起きられるかな」
アンリミは微笑みながら私の顔を覗き込み、ゆっくり頷いた。
「大丈夫です」
「根拠は」
「私がいます」
アンリミが胸を張る。
「決闘の場まで行けたら、私が“眠気”という名の負も浄化できますし、頭痛も薄くできます。
だから、安心してください」
眠気も。
私は思わず聞き返した。
「……そんなこともできるんだ」
「できますよ」
アンリミは少し得意げに笑って、すぐ照れたみたいに視線を逸らした。
「……たぶん。でも、負は負なので。苦しさも、痛みも、眠気も、私の光なら浄化できます」
それは救いであり、同時に“背負わせ続ける”ことでもある。
喉の奥が少し苦くなって、私は夜風を吸った。
「……リミちゃんは、いつ寝てるの」
「寝てますよ。ちゃんと」
「嘘」
「嘘じゃないです」
アンリミが頬を膨らませる。
その顔が、ほんの一瞬だけ疲れて見えて、私は言葉を飲み込んだ。
代わりに、手を繋いだ。
アンリミが、指を絡め返す。
「……嬉しい」
小さな声が、夜に溶ける。
空の端が、ほんの少しだけ薄くなり始めていた。
△▼△▼△▼△
「……そろそろ、戻りましょう」
アンリミが言う。
名残惜しさを隠すのが、昨日より少しだけ下手になっている。
「うん」
私は頷いた。
「決闘の時に会えるよ。眠かったらよろしくね」
「任せてください」
胸を張る姿が可笑しくて、でも頼もしい。
宿の近くまで来ると、アンリミは足を止めた。
「シルアちゃん」
「なに」
「明日、決闘が終わったら……もし元気だったら、また夜に会えますか」
“約束”という言葉が、喉の手前で揺れた。
軽々しく言っていいものじゃない。
でも言わなかったら、きっと後悔する。
私は頷いた。
「……会いたい」
アンリミの目が、嬉しそうに細まる。
「うん。じゃあ……頑張れます」
その言葉の重さを、私は受け取ってしまった気がした。
アンリミはフードを深く被り、白い街へ溶けていく。
「また明日!」
「……また」
背中が小さくなるまで見送って、私は宿へ入った。
△▼△▼△▼△
部屋の中は、まだ夜だった。
三人の寝息は途切れずに続いている。
それが、少しだけ羨ましい。
私は布団に潜り、目を閉じる。
明日は決闘。
明日はアルア。
明日は――アンリミと。
せめて少しでも寝ようと、と自分に言い聞かせる。
眠りの縁に指をかけるように。
光の粒が、天井の影を薄くしていく。
その下で、私はようやく呼吸を整えた。
早起きできるようにと祈りながら。




