表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/8

第一部・第二章 探し物

ルギアは私を連れて、町の細い通りへ入っていった。人混みを避けるみたいに、石畳の端を選んで歩く。

荷車がぎしぎし鳴り、子どもが走り、呼び込みの声が飛ぶ。誰もが腰に剣をぶら下げているのに、怖さより先に“当たり前”が目に染みた。


《鳩の羽根亭》

少し傾いた看板が揺れていて、扉の隙間から焼いたパンの匂いが漏れている。


ルギアが振り返って、笑った。

「ここさー、飯うまいんだよね〜。腹減ってるでしょ」


鈴がちりん、と鳴る。


カウンターの向こうに、肝の据わった顔の女主人が立っていた。こちらを一瞥して、短く言う。

「いらっしゃい」


視線が私の腰元に落ちて、すぐ顔に戻る。ほんの一瞬。けれど、その一瞬に“この世界の確認”が詰まっていた。


「部屋空いてる? あと水一杯ちょーだい」

「部屋は空いてるよ。水は勝手に飲みな。……そっちの子、顔色悪いねぇ」

「……はい」


女主人が鍵を机に置き、顎で二階を示す。

「二階、右。休みな。昼はそのうち食わせるから」


言い方はぶっきらぼうなのに、突き放す感じがない。


ルギアが私の背中を軽く押すみたいにして言った。

「ほら、行っといで。無理しないでさ」

「……うん」


階段へ向かう途中で振り返ると、ルギアはもう入口の方へ歩き出していた。ひらひら手を振って、あっさりと。


鈴が鳴って、銀髪が外の光に消える。


――ほんとに、ここでお別れなんだ。


私は鍵を握り直して、二階へ上がった。


△▼△▼△▼△


部屋は狭かった。けれど、扉を閉めた瞬間、静けさが胸に落ちてきた。


ベッドに腰を下ろして水を飲む。喉の奥がようやくほどける。


それから窓辺に寄った。


通りが見える。人が行き交い、剣が揺れる。剣は武器というより、生活の道具――そう見えてくるのが怖い。


しばらく眺めていると、“剣で生活する”が本当にそのままの意味だとわかる。


井戸端で、女が剣の柄を軽く撫でた。すると桶の中の水面が、波紋も立てずに持ち上がる。薄い水の膜が手の形になって、こぼれないまま別の桶へ移った。


別の家の前では、男が剣を鞘ごと軽く振る。薪の端に小さな火が点き、息を吹きかけると安定した。派手じゃない、料理の火だ。


パン屋の前で、少年が剣を掲げると布がふわりと浮いた。乾かしているらしい。風が“そこだけ”通っている。


みんな、慣れている。

魔法というより、暮らしの手癖みたいに。


その中で私は、腰の剣に触れる。軽い。命の重さなんて、どこにもない。


……でも、これがないと私はここを歩けない。


窓ガラスに自分の顔がうっすら映る。泥は落ちた。でも目の奥の空白だけは、まだそのままだった。


△▼△▼△▼△


数日が過ぎた。


私は宿で寝て、水を飲んで、ご飯を食べて――あとは働いて、また寝る。そんな日が続いた。女主人は余計なことを聞かない。代わりに、皿を拭けとか床を掃けとか、そういう“生きてる側の仕事”だけを寄越してくる。


その雑さが、ありがたかった。


昼前。皿を運んでいる女主人に、ずっと引っかかっていたことを聞いた。

「……あの、私」

「なに」

「ずっとタダで食べさせてもらってるけど……お金って……」


女主人は手を止めずに言った。

「あんたを連れてきた銀髪の男がね。金貨を一枚置いてったんだよ」

「……金貨」

「そう。『足りなかったら皿洗いでもさせて』って。……あんた、色々やってくれてるから、心配しなくていいわよ」


冗談みたいに言って、女主人は鼻で笑った。

胸の奥が、少しだけきゅっと縮んだ。


ルギアの顔が浮かぶ。あっさり消えた背中。置いていったのは、金貨一枚。


……それだけで、私はここにいられている。


△▼△▼△▼△


その日の昼。


鈴がちりん、と軽く鳴った。


「こんちはー! 鳩の羽根亭! ご飯まだいける?」


明るい声が響く。


入口に立っていたのは、女の子だった。私と同じくらいか、少し上。動きやすそうな服で、腰には剣。目が生きていて、足取りが軽い。


女主人が「ああ、また来たのかい」と呆れた顔をする。

「だってここ、落ち着くんだもん! ね、おばさん、いつもの!」

「おばさん言うんじゃないよ。……座りな。今、出す」


女主人は私の方を見て、「今日はもう休憩しな」と顎で席を指した。

「ほら。座りな。飯の時間だよ」

「……はい」


私は端の席に座る。


スープとパンが運ばれてくる。私はスプーンを握って、まだ引っかかっていたことを口にした。

「……私、ほんとに、これで……」


女主人は分かってるみたいに言う。

「金の話なら、さっき言っただろ。気にするなら働きな」

「……働いてるもん」

「じゃあさっさと食いな。倒れられたら面倒だよ」


その一言で、変に詰まっていた喉がほどけた。


向かいから声が飛んでくる。

「見ない顔ね。旅人? 名前は?」


女の子が、にこっと笑っていた。人懐っこいのに、距離を詰めすぎない笑い方。


「……シルア」


名前だけ言うと、女の子は目を丸くして、それから嬉しそうに頷いた。

「シルアか。いい名前! 私はリトリー。よろしくね」

「……よろしく」


リトリーは一瞬だけ、私の腰元に視線を落とした。すぐに戻す。自然すぎて、私は見なかったふりをした。


そしてリトリーは、待ちきれないみたいに本題を切り出した。

「ねえ、シルア。ちょっと手、貸してくれない?」

「……私が?」

「うん。人手が足りなくてさ」


女主人が口を挟む。

「また面倒なの持ってきたねぇ」

「面倒って言わないでよ! 面倒なんだけど!」


リトリーは頬を膨らませてから、私に向き直る。

「町の外れで、荷運びの依頼があるの。森の手前まで。道はわりと安全なんだけど、最近ちょっと変なのがうろつくって話があってさ」


変なの。

その言葉だけで、胸の奥が小さく跳ねた。


でも私は首を横に振れなかった。理由は自分でもわからない。ただ、ここで断ったら、また一人になる気がしたから。


「……わかった。できる範囲で」


リトリーの顔がぱっと明るくなる。

「やった! 助かる!」


女主人がため息をつきながら、私の皿を指差した。

「まず食いな。動くのはそのあと」

「はーい!」


△▼△▼△▼△


それから、私はリトリーと町の周りで働いた。


荷運び、採集、簡単な護衛。リトリーは手際が良い。町の人と顔なじみで、頼まれごとをさっさと片付ける。


私はその横で必死に真似をした。剣の扱いも、歩き方も、喋り方も。

“普通のふり”をして、普通の中に溶けようとする。


ある日、荷物を運びながらリトリーが言った。

「シルアってさ、どこの出身?」

「……わからない」

「え?」

「思い出せない。名前だけ」


言った瞬間、空気が一瞬だけ止まった。だけどリトリーは、驚ききった顔をしない。驚いたあと、すぐに“どう扱えばいいか”を決めた顔になる。

「……そっか。じゃあ、今はここが仮の出身ね」

「仮の……?」

「うん。鳩の羽根亭出身。強そう」

「強そうじゃない」

「おばさんが強いから、強そうだよ!」


笑いながら言う。その軽さが、ありがたかった。


別の日、町外れの丘で休んでいると、リトリーが遠くを指差した。

「あっちの道、商隊がよく通るんだよ。軍国方面ね。逆は商国」

「軍国……?」

「軍事国家のアルガルド、大商帝国のスレイン。あと、獣王連邦のガゼル、神教国のソルニア」


リトリーは指を折りながら、当たり前みたいに続ける。

「そ。大きい国が四つあるんだ。ここの町は、どこにも属してないって顔してるけど、実際は全部の影響受けてる」


国がある。道がある。まだ知らない場所が、当たり前に広がっている。

なら、歩けば何かにぶつかるかもしれない。


それが怖くて、でも――少しだけ、嬉しかった。


そんな中で、噂だけが残った。


森で私に絡んできた二人組が、ぱたりと消えたこと。

探しても見つからないらしい。

いなくなった、という事実だけが、町の隅に薄くこびりついていた。


私はそれに触れないようにした。

触れたら、ルギアの影を追うことになる気がしたから。


△▼△▼△▼△


ある夕方。


宿の裏手で、私は一人になれる隙を見つけた。

洗濯紐が揺れ、木箱が積まれている。人の気配はない。


腰の剣を外して、手の中で転がす。見た目は剣。だけど命じゃない。


私は息を吐いて、剣を放った。

地面に落ちて、鈍い音がした。


――戻ってこない。


ルギアの剣は手元に戻ってきていた。

町の人たちの剣も、持ち主から離れると戻ってくるところを何度か見た。


知っていた。わかっていた。なのに胸が少しだけ縮む。

「……やっぱり」


拾い上げて、土を払う。剣は黙ったままだ。


私はそれを腰に戻して、宿へ戻った。


そのとき私は気づいていなかった。

木箱の陰から、リトリーがこちらを見てしまっていたことに。

目を丸くして息を止め――すぐに、物音を立てないよう引っ込んだことに。


△▼△▼△▼△


夜。


宿の小さな部屋で、私は窓の外を見ていた。暗い通りを、最後の客が歩いていく。腰の剣が、灯りを受けて一瞬だけ光った。


「……ねえ、シルア」


背後からリトリーの声がする。


「なに」

「今日さ。ご飯食べてる時の顔、ちょっとだけ“ここにいない”顔してた」


「……」


図星だった。


リトリーは続ける。

「思い出せないの、つらいよね」


その言葉が、胸の奥の空白に触れた。


私は言葉を選んで言った。

「まあね。……だから最近思うの。知らない場所を見れば、何か思い出すかもしれないし。思い出せなくても……自分で決めたって思える」


リトリーは少し黙って、それから軽く笑う。

「いいじゃん。そういうの、私結構好きだよ」

「……好き?」

「うん。自分から逃げないところ」


私は視線を逸らした。逃げないわけじゃない。怖いから、進むんだ。


それでもリトリーは、勝手に結論を出すみたいに言う。

「じゃあさ。一緒に旅しない? 世界中を回ってみようよ!」

「……一緒に?」

「一緒に! 私も、ちょうど次の仕事探してたし」


言いながら、リトリーはいつもの調子で肩をすくめる。

「それに、シルアって放っておくと、無茶しそうだもん」

「しない」

「するよ」


即答で言われて、言い返せない。


私は小さく息を吐いて、頷いた。

「……ありがとう」


リトリーは照れたみたいに鼻を鳴らして、わざと明るく言った。

「よし。さっそく明日から準備だね! まずは装備と、お金と――ご飯!」

「最後は絶対それ」

「大事だから!」


笑い声が小さな部屋に広がる。


腰の剣は相変わらず軽い。

でも、歩く理由がちゃんと形になった気がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ